幕間十八 遥かなる頂き
ワンダールスワンダーは折れた左足を見つめ、苦痛に顔をゆがめた。
仲間を募り砂クジラを仕留めて儲けようと画策したのだが、必要戦力を見誤って皮算用が破綻してしまったのだ。
集めた仲間は3級ハンターばかり20名。ドワーフながら火魔法を扱える自身も数に入れたが、魔法を使えるハンターは半数を揃えるのがやっとだった。できれば魔法使いだけとしたかったが、3級ハンターの伝手は限られている。
巨大な砂クジラは皮膚が厚く、打撃は通じない。また巨大な砂クジラが地中から飛び出すので攻撃を当てることすら困難なのだ。
だが、それでも勝算はあると、思っていた。
「クソ、こんなはずじゃ!」
地中から飛び出した砂クジラに弾き飛ばされ、地面を転がったら左足の骨が折れていた。膝から下がぐしゃぐしゃになってしまっている。
仲間の多くもワンダールスワンダー同様吹き飛ばされ、気を失っているのか動かない。
「砂クジラを怒らせちまった以上、仕留めないと俺らが危うい。なんとかしねえと」
元来砂クジラはおとなしいのだが攻撃されればその限りではない。命を狙ってきた相手を執拗に追い立て、その巨体で押し潰すのだ。
また暴れた砂クジラがデリアズビービュールズの壁を乗り越えて中に入り込んだら大災害になってしまう。
その責任はいま狩を行っているワンダールスワンダーらに降りかかるが3級ハンターでしかない彼らは莫大な賠償を背負っても支払えるあてはない。いっそ死んだ方がマシな状況だった。
「GWOOOO!!」
砂クジラがまた空に飛び出し、ハンターが吹き飛ばされた。絶望に染まるワンダールスワンダーの目は、信じられない光景を見た。
今にも地中に戻ろうとしている砂クジラが突然現れた一条の光によってその巨体を跳ね飛ばされたのだ。
砂クジラは大きく飛ばされ、二度三度地面に打ち返され、砂煙をあげて止まった。
「な、何が起きたぁ!」
ワンダールスワンダーは叫んだ。と同時に壁の上にいる人々からどよめきが聞こえてきた。
「まさか、あそこから狙ったのか?」
魔法以外に遠距離攻撃が可能な武器は弓しかない。魔法使いでもあるワンダールスワンダーは、砂クジラを跳ね飛ばすほどの魔法を知らない。消去的に矢を射ったのだと判断したのだ。
「無断な助っ人は禁止なはず。とはいえ、助かった……」
ワンダールスワンダーは左足の激痛に呻きながらも杖を頼りに立ち上がった。この狩りのリーダーとして、皆の安否を確認しなければならない。ハンターという群れのリーダーの果たすべき義務だ。
「おい、無事なやつは返事をしろ!」
「いてぇ!!」
「腕が、腕が!」
ワンダールスワンダーの呼びかけに悲鳴で答える者はまだマシだ。ピクリともしない者もいる。
「くっ、死んでくれるなよ!」
ワンダールスワンダーの額に嫌な汗が流れる。集めたハンターはみな同じ時期にハンターになった者たちだった。同じように苦労をして3級になった戦友だ。
仲間を失いたくない。
誘った自分が愚かだった。謝る。自分を土に埋めてもいい。だから、生きていてくれ。
「……やべえな、俺も治るかわからねえな」
ワンダールスワンダーは口を歪めて嗤った。
彼の左足は膝から下が捩れていた。骨はおろか肉もズタズダだろう。
ポーションがあればおおよそは治せるが、酷く高価で、3級ハンターの手の届くものではない。
引退。
ワンダールスワンダーは20歳。まだ上を目指せる歳だ。魔法使いは肉体の衰えが始まっても第一線で狩りをすることができる。諦めるには若かった。
「足が捩れてるのに立つなんざ、いい恰好じゃないか」
ワンダールスワンダーの背後からしゃがれた声がした。驚いて振り返った彼の目の前に、身の丈2メートルを超える老婆が佇んでいた。
金髪を風になびかせ、大きな背負い袋をパンパンに膨らせた。エルフの老婆だ。
「だ、だれだ!」
ワンダールスワンダーは慄き叫んだ。彼が痛みに耐えて立ち上がった時に、周囲にこんな老婆はいなかった。
恐怖で痛みすら消え去っていた。
「アタシかい? どこにでもいるロートルなババアさ」
「い、いつ、そこに、いた!」
「たったいまさ。大森林で獲物を狩るだけ狩ったから身軽になりに走ってきたら砂クジラが吹き飛んでいくのが見えてねえ。よく見たらハンターも倒れてるから来てみただけさ」
「な、なにを言ってるんだ?」
ワンダールスワンダーには彼女の言うことが理解できなかった。
大森林で獲物を狩って、挙句大森林から走ってきた?
そんなことができるハンターなど聞いたことがない。
「GWOOOO!!」
絶望の笛の音が耳を劈いた。遠くで別の砂クジラが飛び出したのだ。
そしてまっすぐこちらに向かってきていた。
「そ、そんな……」
ワンダールスワンダーの腹に重いものが落ちてきた。今この状況で襲われたら、生き残れるものがいない。自分はいいが、まだ息のある仲間がいるのだ。
「狩られた奴の番だね。砂クジラは仲間思いだからねぇ」
「く、くそ! 無事な奴は逃げろ! いいから逃げろ!」
ワンダールスワンダーは声の限り叫んだ。
「あんたもだ! あいつはこっちに来る!」
「そのようだねぇ。ま、ついでだ、アイツも狩るとするかね」
老婆は言い終える前に大きな背負い袋を残して消えた。
「ほぅらこっちだ!」
老婆はすでにワンダールスワンダーから数百メートル離れ、砂クジラに向かっていた。軽く走るフォームで、空気を押しのけて驀進している。
「な、なんだありゃぁ!」
ワンダールスワンダーが驚嘆に叫んだ時には、老婆はすでに砂クジラの落下点に到達していた。
「GWOOOO!!」
老婆は砂煙を上げて地面を蹴り、空中で一回転すると半身になり砂クジラに狙いをつけた。
「あんたも運がなかったねぇ」
ぎりぎりまで後ろに引いた右拳を、砂クジラの眉間に突き立てる。
パァンと乾いた音とともに、砂クジラの巨大な頭が爆ぜた。頭をなくした砂クジラは地面に叩きつけられ、地響きとともに巨大なクレーターに沈んだ。
「な、なな、ななな!」
あまりのできごとに、ワンダールスワンダーの口は言葉を紡ぐことができないでいたが、デリアズビービュールズの城壁の上の観光客から大歓声が沸き、空気が揺れた。
「ふん」
老婆は砂クジラのしっぽの端と掴むと、ずるずると引きずり始めた。全長100メートルほどの巨体がなんなく引きずられていく。老婆はそのままワンダールスワンダーの近くまで来た。
「おかげでポーション代を稼げたよ」
フハハハと悪役笑いをする老婆は背負い袋を拾い上げた。
「おびき出してくれた駄賃さ」
老婆は背負い袋から青く透明な液体が入った瓶を取り出すと、ぽいっとワンダールスワンダーに投げてよこした。
「こ、これは、先日ギルドで見た新しいポーション……こ、こんな高価なもの、受け取れない」
「ババアのアタシから見たら今いるハンターはみな可愛い後輩どもさ。見込みのありそうな後輩がいるんだ、ちょっとくらい先輩風を吹かせたっていいだろう?」
老婆はふんと鼻を鳴らす。ワンダールスワンダーは言葉をつげず、渡されたポーションを握った。
「あぁそうそう、アタシの姪っ子とその親友がここにきてるはずなんだ。ほそっこいエルフとぽっちゃりハーフドワーフのコンビなんだけど、もし困ってるようなら助けてやってくれないかねぇ」
老婆はポーションを次々取り出しながらそんなことを言う。
ワンダールスワンダーの脳裏に浮かぶのは先日の雨が降った時にギルドに来て、絡んできたハンターを返り討ちにしたふたりの女の子。
あのふたりが言っていたではないか、復活した100年前の1級ハンターの名を。ワンダールスワンダーは悟った。
砂クジラを引きずり、老婆はデリアズビービュールズの門に向かって歩き始める。
「あ、ありがとうございます!」
ワンダールスワンダーが声をかけても、老婆は片手を挙げて返すのみだ。
ワンダールスワンダーは偉大なる先輩の背中を見ていたが、おもむろにポーションを飲むと、捩じれて使い物にならなくなっていた足がだいぶましになったを確認して、老婆が置いていったポーションを手に取った。
ハッ、見込みのある後輩だってよ。
……俺はまだまだ若いんだ、やれる、やれるさ。
「おい生きてるやつ、手を挙げろ! みなで帰るぞ!」
ポーションを抱えたワンダールスワンダーが、歩きだした。




