第六十二話 甘辛煮実食
馬車に揺られて、ついにそこへ着いた。甘辛煮を食すことができる桃源郷だ。
打ちっぱなしの色気のないコンクリートの壁しか見えない、窓のない雑居ビル。入り口もなければ出口もなさそう。監獄か。
「うーん、どことなくオババさんお家を思い出す」
ブラック設計屋の時に仕事が終わるまで出られない部屋に投げ込まれた記憶がよみがえってくる。いやもう忘れよう。
俺は食い倒れたいんだ。
「……名店の割には」
「おいしそうなお店に、見えないね!」
リーリさんとベッキーさんも、まぁ俺と同じ感想らしい。
こう、アレだ、名物で繁盛しているとか想像してたんだけど、思いっきり肩透かしを食らったんだよ。
「外見で判断するような客はお断りな店なのです」
チトトセさんはちょっと背筋を伸ばして自慢気だ。知る人ぞ知るって店だからかな。
「期待しかない!」
「わーい、楽しみ!」
「ぱふぅ!」
俺とハラペコーズは期待大だ。
「あ、プチコって中に入れるんですかね」
「その件につきましては先に連絡をしたうえで個室を確保してありますので、問題ないと思います」
「さすが! ありがとうございます」
よかった、プチコだけ仲間外れだったらここは諦めなきゃって思ってたからさ。
飲食店に動物は衛生観念上問題があるのは致し方ないんだ。毎日綺麗にしてるからノミとかいないはずだけど、靴を履いてるわけじゃないから足が汚れてるとか毛に汚れがくっついちゃうとかさ。
店に迷惑かけてまで無理強いはね。いままではされる側にいたからやりたくないんだ。
「ではこちらへ」
馬車はお店が移動してくれるらしく、チトトセさんが色気のない壁に歩いていく。
「幻影なので大丈夫です」
チトトセさんはそう言うと、そのまま壁に吸い込まれていった。
「わ、不思議!」
「……これは、ダイゴさんの指輪と同じような効力の、魔法でしょうか?」
ふたりは当たり前のようにチトトセさんについていって壁に消えた。ちょっと躊躇しちゃうけど俺もついていく。遅れると迷子になりそうだ。
中に入るとそこはもう店の入り口で、山門に立ちはだかる阿吽像よろしく砂クジラらしい石の彫刻が俺たちを出迎えてくれた。かなり精密で、彫り師さんの腕が超絶だってわかる。しかしだね。
「100メートル超えのコレが地面の中を泳いでるのか。すげえとこだなココって」
「ドラゴンの王たるドラゴラスは、アジレラよりも大きいとされています。それに比べればまだ砂クジラは赤子のようなものですわ」
「え、街よりでかい生き物とか、いくらドラゴンでもやりすぎでしょ」
「800年前ほどに、北方の都市が襲われて壊滅した時にその巨大さが確認されておりますので、真ですわ」
「水神様よりでけえとか、不敬極まるな」
「一説によればドラゴラスはドラゴンの神だとか」
「……神様はなんでもありか」
水神様がまともに思えてきた。あれでも。
「ドラゴラスの話も良いですが、砂クジラの甘辛煮はそれをこえますので、どうぞ中にお入りください」
入り口でチトトセさんがニッコリと待っていた。うん、圧を感じる。店に入ろう。
入り口を潜れば廊下があり、その先に急な階段がある。店の人がいないから不安だけどチトトセさんがいるから、そこは信じよう。
「階段を上がって、3つ目の扉が予約した部屋でございます」
俺たちに顔を向けながら軽い足取りで急階段を行くチトトセさん。やっぱクノイチでしょ。
階段を上がった先の廊下を歩いて3番目の扉を開ける。
「わお、テーブルと椅子以外、窓もない」
10畳ほどの部屋には木のテーブルと椅子があるだけだった。シンプルすぎて笑いも出ない。まさかハメられた?
「砂クジラ以外を目に入れる必要がないとの、この店の意向でございます」
「チトトセさん、潔すぎませんかそれ」
「それだけ味に自信があるのです」
なるほどと思わなくもない。期待が膨らんでいくから、外れてあって欲しくない。一心不乱に食い倒れがしたい。
「お席におつきになられてください。甘辛煮はすぐにきますので」
チトトセさんに言われるがまま椅子に座る。クッションもなく硬い座面だけどもう慣れた。俺の横にはぶちこを座らせて、その反対側にはリーリさんがきた。ベッキーさんは、すでに戦闘準備ばっちりらしく、いつもはほやほやしてる感じなのに、狂戦士めいた雰囲気をまとっている。
や、見たことないけどさ。
「来たようです」
チトトセさんが扉を開けると、その先にはひとり用の土鍋をトレーに載せた覆面の男性らしき獣人さんがいた。頭の上の耳は見えるんだ。これも砂クジラに集中して欲しい配慮だろうか?
給仕らしき人たちが俺たちの前に土鍋を置いていく。蓋をされた鍋から甘い香りが漏れてくる。
先に匂いで釣るつもりだな?
釣られてやるさヒャッハー!
スプーンとフォークが置かれ、準備万端だ。チトトセさんも席に着いた。一緒に食べるようで安心した。食べない人がいる中じゃ、せっかくのうまい料理も味がわからなくなる。
まさかこれも砂クジラだけを見て欲しい店の配慮か?
「特に食べ方の決まりはございません。食べたいように食べていただくのが当店の望みでございます」
給仕の人が高らかに宣言した。すげー自信だ。よほどのうまさなんだろう。
「じゃ、遠慮なくいただきます!」
ぱかっと土鍋の蓋を開けると、湯気と一緒に甘そうな匂いが襲ってきた。鼻で吸ったのに口の中に味が再現された。
「やべえ、匂いがうまい!」
あれだ、焼肉焼き鳥効果だ。
肝心の鍋の中は、黒っぽい汁のなかにコレでもかと埋まる肉の塊。肉と脂身がミルフィーユみたいな積層になってて、豚の角煮を思い出す。
思い出すだけだよだれが。
「おおおお、おいしい!!!」
腹ペコ戦士ベッキーさんによる魂の叫びが聞こえた。けど、それに構う余裕はない。俺の手にあるフォークが砂クジラの肉に吸い込まれていく。
ふぉぉぉぉ、なんの抵抗もなく肉を切断した。やべえぞこの肉。何時間煮たらここまで柔らかくなって、でも形を保てるんだ?
切り取った肉は、汁を吸い切って黒く染まってるけど、その中に小さな赤い何かも姿がある。多分コレが辛味の何かだ。
よだれが溢れる前に肉を口にいれる。
「……肉がとろけて無くなった!?」
崩れた肉が口の中に甘みを拡散していって、そして甘みが薄れてきた頃にピリッとした辛みがじわじわと滲み出してくる。唇が熱くなる程度で、それほどの辛さじゃない。砂クジラの肉もほんのり暖かい程度で、それが辛みをおさえているのもあるっぽい。口の中の辛さがなくならないうちに次の肉にかぶりつく。うめぇ!
ゆっくり味わうよりもひたすら食っていたい。一心不乱、まさに一心不乱だ!
テーブルマナー?
ここには肉しかないんだ。お目こぼししてくれ。
「っかー、うめぇ! ビールがあれば最高だな。いやご飯でもいいな。5杯くらい食えそうだ」
「ぱふぅ!」
ぷちこも行儀よくはぐはぐしては口を閉じてもぐもぐしてる。食べ物はこぼさない。できるワンコだ。
「あ、ぶちこの鍋のふたは給仕の人がとってくれたのか。ありがとう」
「いえ食べることに集中していただくためには当然のことですのでお気になさらず」
仮面の給仕さんがにっこりした気配がある。あくまでもお肉中心主義。嫌いじゃない。
そんなことを思いつつもフォークが止まらない。一人前にしては割と大き目な土鍋だったけど、中の肉はもうわずかだ。
「お肉が柔らかくて、このスープも味が深くて、あとから来る辛さで、エールが欲しくなりますわ」
お野菜大好きリーリさんのお口にもあったらしい。頬が緩んだ美人さんは眼福だ。
舌も目も幸せだな。
「食後の口直しワインならございますが、当店ではエールのご用意がありませんもので」
給仕さんが申し訳なさそうに頭を下げた。何たるストイック。灼熱の砂漠でも笑顔を絶やさないピエロのようだ。
「おかわりはいくらでもご用意できますので、ご遠慮なく」
「はーい、あたしおかわり!」
「ぱふぅ!」
「俺もだ!」
止められない止まらない砂クジラの宴は続く。
砂クジラの宴は、俺が3杯おかわりして胃が泣き言を並べ始めてきたあたりでお開きになった。
ベッキーさんは10杯、プチコが5杯、リーリさんとチトトセさんが2杯という戦績だ。ワンコ鍋じゃないんだし、ハラペコーズは充分無双したろう。
「食べた! 美味しかった!」
「ぱふう!」
ベッキーさんはほっぺがツヤツヤで、プチコは毛並みがテカテカで、リーリさんも上気してか頬が赤く、色気漂う美人さんになってる。眼福とはこのことか。
砂クジラの甘辛煮は女性の美容に効果ありなのでは?
「ダイゴさん、わたしの顔に何かついてますか」
リーリさんが慌てて口もとをふきだしたので「満足だったようでよかった」と濁しておいた。セクハラになりかねない。そしてそれは俺の死を意味するのだ。
この後は買い物、と行きたかったが食いすぎた俺がダウンしたので明日に持ち越しとなった。
うまい料理も過ぎたるは毒である。




