第六十一話 こちらの常識
「お早いお帰りですが……何か上が騒がしいですね」
馬車で待っていたチトトセさんに疑惑の目を向けられた。俺は無実です。いろいろ巡り合わせが悪かったんです。
「いやー、砂クジラが大きくてすごかったです」
俺はそそくさと馬車に乗る。リーリさんはニッコリ笑顔で、ベッキーさんはもうちょっと見たかったなーって顔だった。俺ももう少し見ていたかったけどあそこにいるとやばそうだったし。リーリさんのハンターを助けたい行動も理解はできる。仕事仲間ではあるからね。
しかし、ハンターってのはすごいな。あんなバカでかいクジラを狩ろうってんだもん。
俺には無理だな。
「次はどこに参りましょう」
御者席に座ったチトトセさんが声をかけてきた。
観光の目玉はクジラと執務城らしく、両方とも見たことは見た。時期が合えば何とか生誕祭とか祭りがあるみたいなんだけど今は何もないとか。はずれの時期に来ちゃったっぽいね。
とすればやることはひとつ。
「食い倒れと買い倒れがしたいです」
観光地は食って買ってなんぼ。一心不乱に食い倒れがしたい。
看板に偽りなしともいうし。名物に旨い物なしともいうけどさ。
ともかく、堪能すべし!
「ここならではの何かが食べられれば!」
「あたしも、それ!」
「ぱふぅ!」
「リーリさんもそれでいい?」
「え、あ、はい」
「よし、賛成多数で可決された」
リーリさんは気まずさからか反応は薄い。気にしすぎなら後でフォローしよう。来たからにはみな笑顔がいい。
「名物、というと砂クジラの甘辛煮でしょうか。庶民から上級階級まで食べたことのない住民はいない料理です」
甘辛煮。豚の角煮とかそんな感じかな。
「乳幼児が初めて固定物を食べるときには砂クジラの甘辛煮を食べさせるのが習わしになっております」
チトトセさんの解説が続くけど。
「ちょっと待って、乳幼児に辛いのはどうなの?」
「辛いもので世間の厳しさを教えているとも、幸せを感じる辛いものと甘いものを与えるとも、酒飲みの親でも一緒に食べられるようにするためとも言われますが発祥は不明です」
「どれもこれも赤ん坊にやさしくないじゃん」
「辛さはその家の辛さ耐性によるので、これも家庭の味になっております」
「いやいやいやいや」
もっとおなかに優しそうな食べ物のほうがいんじゃないのかな。いや、俺は独身で子供なんていないし予定もないんだけどさ! く、泣かないぞ!
「わ、おいしそう!」
ベッキーさんが目を輝かせて手をワキワキさせている。
甘辛煮というと、芋とかごぼうとか鶏肉もあうな。辛さはニンニクだったりコショウだったりいろいろで、甘い口当たりに後からピリッと来るのがいいんだよ。アツアツで食うのがジャスティスだ。辛さもうまさもマシマシだ。
ビールがあったら言うことなしだ。花丸満点を贈呈したい。
「ダイゴさんも楽しみな感じですか?」
リーリさんが意外そうな顔をしてこっちを見てる。俺、そんなに顔に出てた?
「甘辛い食べ物は俺も食べたことがあるし、酒に合うんだよね。味を思い出すと飲みたくなる」
たまたま早く帰れた日はスーパーで総菜を買ってビールを飲んだりしてたな。飲みに行くことはしなかったけど、数少ない楽しみだったなぁ。
ささやかな幸せって感じで。
「なるほど、これは選りすぐりの自慢店へご案内しないと私の首が物理的に飛びそうですね」
チトトセさん、そんな辞世の句みたいに言わないでほしいなぁ。
「名物なんだからどこで食べてもおいしいでしょ」
「いえいえ、名物だからこそ、独自性を出さないと埋没してしまうんです。おいしいのは当たり前でその先にたどり着いた店だけが生き残れるのです。デリアズビービュールズだからこそ、生半端な店は淘汰されるのです」
御者席に座るチトトセさんの背中に鬼か何かが見えた、気がした。高級宿といえど安寧としていられないからこその厳しさなんだろうか。
元居たブラック設計屋は安さだけが売りだったから別な厳しさは知ってるけど、上を極める厳しさはストイックですごいなとは思う。
そんな宿で働いているってプライドもあるんだろうな。
「デリアズビービュールズ中央区の西に秘密の店があります。紹介でしか知ることができず、ですが身分は問わない店です」
「隠れ家的高級料亭みたいだ。なんか悪だくみとかで使われそうなイメージが湧くな」
「かつてそのような場所として使おうとした者がおりましたが、出された食事に手を付けないことが多々あり、そのような輩はすべて排除したそうです」
「そんなおっかない店に行くの?」
「貴重な食材を無駄にする不心得者は食事の神の天罰を受けるべし、とお告げがあったそうですので」
脅すような言葉を並べるチトトセさんの顔は真剣だ。神が実在するここにあって、神罰は避けられない災害のようなものか。いや、相手に意思があるだけ災害よりはましだな。
俺は確実に食べるし、ベッキーさんだってプチコだってバクバク食べるし。何も問題はない。
てか食事の神様か。日本に来たらなじんじゃいそうだな。もったいない精神で意気投合したりして。
「わ、食事の神様が認めた味なんだね! 楽しみだね!」
ベッキーさんの期待度は爆上がりのようで、口元によだれが見える。俺の膝の上のプチコも舌を出してへぅへぅ言ってる。
「そこまでの甘辛料理なのですね。これは真剣に食べないといけませんね」
しょんぼりしてたリーリさんが復活したようだ。でも力のいれどころがそこ?
「さすがお嬢様です。料理に対する姿勢は神に対する姿勢とられますからね」
「あ、そうとられるのか。なるほど、俺も真剣に食べよう」
神様の恩恵という面では、水神様からたくさん頂いているわけで。だからといってほかの神様を軽んじるのは、八百万の神を抱える日本人として、できない。いざ尋常に勝負。
なんてことを考えていると、馬車はあまり人気がない大通りを走っていた。歩いている人の服は見るからに高そうだし、女性はドレスを着ていてネックレス類の光物が目立つ。行き交っていた竜車もめっきり減った。
建物はコンクリート製から石造りで趣のあるものに変わって、実用性からデザイン重視に変化していた。邸宅だろう門が構えられて、その奥に建物があるという感じだ。
「なんか閑散としてるなぁ。高級住宅地みたいだ」
「まさにその通りで、今通過しているのは中央区に近い貴族たちが住むエリアです。顔など出されると憲兵が駆けてきますのでそのままお座りくださいませ」
「不審者扱いは嫌なのでおとなしくしてます」
馬車の椅子に深くおしりを突っ込んだ。長いものには巻かれるけど、巻かれる対象くらいは選びたい。
閑静な住宅地はすぐに終わり、明らかにオフィス街なビルの森に変わった。霞が関とか丸の内とか新宿とか、そんな感じ。道行く人も、スーツではないけど襟がある高そうな服を着ている。そしてほとんど男だ。
「俺のサラリーマン時代を思い出す。この人たちはホワイトだろうけどさ」
こいつらは通勤ラッシュも終電も知らないんだろう。でも平安時代の貴族は日の出前に出勤で開門前には牛車が渋滞してたとかあるから通勤ラッシュは知ってるかも。
なんだか親近感がわいたぞ。がんばれ働く人!
「そんな過去は忘れて、ぱーっと食べようよ!」
「そうですわ。おいしものを食べれば、気分も上がりますわ!」
ベッキーさんとリーリさんに励まされた。俺ってそんなにやばそうな顔してたかしら?




