第五十八話 現地の環境と食事事情と
結局、雨はやむことなく夜になってしまった。でも雨足は弱くなったと感じる音になった。
そろそろ晩御飯、というときにギルドに出掛けたふたりが戻ってきた。ずぶ濡れだけど満腹顔のベッキーさんに聞けば、ギルドの横にある酒場で軽く食べてきたとか。リーリーさんもほろ酔い感じで、羨まけしからん。怖いから俺はいけないんだけどさ!
おっさん拗ねちゃうぞ、なんてあほなことは言えないので黙っている。
ふたりはそそくさと湯浴みに向かった。ついでにプチコもお願いと預けた。一緒に洗ってもらってらっしゃい。
もちろん覗くなんて自殺行為はしない。俺は最弱。わかってるって。
今日は調理スキルさんもお休みで、宿の食事をいただく予定だ。お供えは、作り置きのクッキーで我慢してもらう。宿の料理はすごいんだろうけど、それをお供えするのはちょっと違うと思うんだ。
「宿の夕食があるけど、ベッキーさんは食べ過ぎなんじゃ?」
「まだお腹は半分も満たされてないから、大丈夫!」
湯上りさっぱりほこほこでニカッと言い切るベッキーさん。まぁ、腹ペ娘だし。
いつもは暴れている赤い髪がしっとりしていると、イメージが変わってぽっちゃり可愛い系になるのを発見した。ブラック設計屋では縁がなかった女の子で見ていて癒される。
ベッキーさんがニコニコしているのでスマホで写真を撮っておく。うん、可愛いね。
「わたしはエールだけにしました。食事が楽しみですわ」
ふふっとほほ笑むはしっとり湯上り美人なリーリさん。つやつやお肌が美人度を数倍にしている感じだ。こちらも俺には縁のない女の子だ。
ふたりともメイドイン俺のワンピースでくつろいでる。浴衣があれば雰囲気もあるのにってのは贅沢か。そもそもそんな薄い生地は見たこともない。レースはあるんだろうけどウールがほとんどだから厚めの生地しかないんだ。
薄い生地を作れば売れるかも。浴衣でキャバクラもどきの店でも開けばウハウハとか。
「ダイゴさん、何か良からぬ謀でも?」
「イエ、メッソウモアリマセン」
リーリさんの視線が痛い。
なんで俺の思考がわかるんだろう。顔に出やすいのかなぁ。
ベッキーさんが不思議そうな顔をしてるけど、これが普通だよなぁ。エルフ、コワイ。
「今日はね、リーリがいるから超特別メニューなんだって!」
「……特別メニューといっても、平素食べている食材は変わりませんよ?」
「それでも、高級だよ!」
ベッキーさんの期待度が高いので興味がそそられる。野菜とかは変わらないっぽいけど砂羊とか砂クジラとか聞いたこともない動物がいるから、そこら辺の料理は気になる。串焼きはおいしかったしね。
「俺も楽しみなんだよね」
俺の言葉に反応したのか、壁で息をひそめているチトトセさんがピクっと動いた。謎のリズムで壁に指をトントンし始めた。食事の準備完了って合図だろうか。やっぱりクノイチなんだよ、この子。
「……食事の支度ができたようなので、ご案内いたします」
チトトセさんが鉄扉を開けてエレベーターの中に入っていった。俺もプチコを抱えてついていく。扉が閉まり、ガガコンと下に動き出した。
物理で解決するのが科学ないし化学なら、同じように物理を魔法で動かして車とか飛行機とかできそうではあるんだけど、なさそうなのは冶金技術だろうか。それとも需要か。
空を飛ぶなんてお金持ちしかできないだろうし、その手の人たちは個人でやるだろうから飛竜がいれば飛行機は不要か。
なんて考えごとをしてたら扉が開いた。エレベーターからまっすぐ廊下が続いている。
「奥の個室でのお食事となります」
チトトセさんが先導するので廊下を歩いていく。途中には扉がいくつかあり、廊下の壁にも扉にも細かな彫刻が施されていて、美術館にいると錯覚しそうだ。ムキムキマッチョの女性像があって噴きそうになったけど堪えた。パワーイズパワーはここでも健在か。
廊下の突き当りに、銀色に輝く扉が見えた。
「……これ、メッキじゃなくって、純銀だったり?」
「はい、当宿自慢の最高級のディナールームです」
チトトセさんがその銀の扉を開けると、煌々と輝くシャンデリア的照明器具に照らされた、丸テーブルがある空間が見えた。テーブルは大理石っぽい。
壁は、すべてガラスでできており、中には多数の魚が泳いでいる。
たぶん、水槽だ。
鯉、秋刀魚、よく見れば伊勢エビみたいなやつもいる。端っこには貝も見えた。
やべぇどれも旨そうだ!と思ってしまうのは日本人のSAGAだ。許せ。
食事処でこれを見せるってことは、生簀なんだろうか。乾いた世界でこの部屋は最高の贅沢だろう。
「す、すごい! あたし、こんなに魚が泳いでるのって、初めて見た!」
てててとベッキーさんが水槽に走っていく。プチコも俺の腕から逃げてベッキーさんに抱えられて、ガラスにぺたっと顔をつけて魚をじっと見つめてる。
「この水はどうやって維持しているのです?」
「井戸からくみ上げた水をためて循環させております。水質は清掃スキルを持っているものが日に一度行っております」
「なるほど、手間がかかっておりますのね」
「この部屋は、デリーリアでも当宿しかご用意ができない特別な部屋となっております」
「確かに、唯一無二と言えますね」
リーリさんとチトトセさんは歓談中である。手持ち無沙汰な俺はテーブルに着くことにした。
水族館に入ったことがあるし、生簀も見たことがないわけじゃない。座ってゆっくり眺めるのもいいかなって。
あ、あれは鯛、なのかな。あっちは鯉だろうなぁ。淡水魚と海水魚が混在してるのは、まぁ、俺の知らない世界だしってことでスルーしよう。砂に住む魚ばかりかと思ったけど水に住む魚も普通にいるんだな。
「お客様は珍しがらないのですね」
チトトセさんが俺を見てきた。ちょっと不満そうだがそこは見なかったことに。
「珍しくないってわけじゃないですよ。部屋全体を水槽で囲むとかは初めて見ました」
「……水槽自体は珍しいないと」
「大きなクジラが泳ぐ水槽もありますし」
沖縄のあの水族館はジンベイザメが泳いでるからねぇ。
「クジラですか!」
チトトセさんは一瞬固まったけど、難しい顔になって「庭に砂クジラを……」とかぶつぶつ言いだした。
余計なことを言ったかもしれない。
「わ、あのお魚、お美味しそうだね!」
「パフゥ!」
ベッキーさんの弾む声が聞こえる。
その声で再起動したチトトセさんがパンと手を叩いた。
「失礼いたしました、料理を運んでまいります」
チトトセさんの合図と同時に扉が開いて、料理が載せられたトレーを持った女性らが入ってきた。扉の前で合図待ちで控えてたのか。高級宿ってのがよくわかる。客は見張られてるんだ。
運ばれてくる料理は、主に魚だった。ここにきて初めてだな、魚は。しかも刺身だ。この生簀で泳いでる魚のどれかなんだろう。白身もあるし赤身も、貝まである。しかも大量だ。
他には野菜たっぷりの煮物と綺麗な琥珀色のスープ。これは出汁がきいててうまそうな予感。
「わ、魚が、生だよ!?」
「……すごいですけど、食べて大丈夫なのでしょうか?」
ベッキーさんとリーリさんは刺身を凝視してる。ツマの代わりに紙のシートが敷かれているあたり、かなり気を使ってるんだってわかる。血は味を損ねるからね。
「刺身なら醤油が欲しいけど、塩なんだな」
刺身の皿とは別な小皿に塩が盛られている。
もしかしたら麹がないのかもしれない。コンビニゾーンには麹やらあったけど、あれは特別なのか。
実は醤油は存在してて、でも刺身は塩で食べるのがマナーとかだったら、ここで醤油を取り出しそうものなら失礼にあたるし。
うーん、知らない土地でおススメの料理を前に困ってる旅人な気分。だが郷のルールは守らねば。
「魚は生ですが捌いたばかりなので新鮮です。塩とハーブをつけてお召し上がりください」
チトトセさんが作法を教えてくれた。まぁ天ぷらも醬油派と天つゆ派と塩派がいるくらいだし。
おススメされるままに塩で食べよう。もちろん箸はなく、塩を振りかけてからフォークらしきもので刺して食べる。まさに刺身だ。
味はというと。
「うん、魚自体がちょっと甘くて、なるほど塩が合う」
歯ごたえもコリコリした感じで刺身とほぼ同じだけど、魚自体の脂身とか肉の性質が違うっぽい。
「でもウマー!」
箸が、いやフォークが止まらない。塩をかけては食べ、塩なしでも食べ、心の中で「コメクイテェ!」と叫びながら刺身はあっという間になくなった。
「はー、おいしかった……」
椅子の背もたれに寄り掛かって余韻を楽しんでいると、ベッキーさんとリーリさんの視線を感じた。
「ダイゴさんが美味しいって!」
「ということは、かなり美味しいのですわ!」
ふたりは同時に刺身を食べ始めた。俺は毒見か。
まあいい、次はスープだ。具も魚が入ってて沢山だけどまずはスプーンで汁を飲む。
「ぐぅ、出汁がきいてる。うま味成分がサンバで大騒ぎだな。うめぇ!」
勢いでスープを飲み干したら煮物だ。汁は少し濁ってるけど油が浮いてる。油でさっといためてから煮たんだろう。にんじん大根などの定番野菜が沢山だ。
まずが味がしみてるだろう、崩れかけの大根だ。フォークを刺して口に運ぶ。
歯で噛まないでも大根が崩れる。じゅわっと汁が口に広がって、出汁の味がががが。
「これまたうまい! にんじんも甘くて汁がしみててバカウマだ!」
ひたすら食った。チトトセさんが見ているだろうけど、そんなことも気にならないくらい、一心不乱に食った。調理スキルさんが作るのは俺がよく知った料理で、それはそれはおいしいんだけど、こっちの料理もうまいなぁ。
高級宿だってことは差し引かないといけないかもだけどさ。これなら、どこかで食事をしてもいいな。
「ごちそうさまでした!!」
俺の前に並んだ皿はすっかりきれいになってた。
料理した人に、感謝だ。




