第五十六話 スイートルームとエレベーター
風の息吹という宿はすぐに見つかった。商会からは遠かったけどそこまでの道のりで営業している店がほぼなくて、人もまばらだったってのが大きい。だってまだ雷様が絶賛ライブ中だもの。
雷の前に雨すら知らないここの人たちは近くの建物の中に避難してて怯えた表情で外を歩いてる俺たちを眺めてくるほどだ。道に迷って尋ねても答えてくれなさそう。
区域としては高貴な方々が集うだろう場所。閑静な大通りに面した、でもコンクリートジャングルの中の一粒の清涼のような煉瓦造りの5階建て。採光用の板ガラスもふんだんに使用され、明るい雰囲気の中にも威厳を保っている印象だ。
贅沢にも周囲には草木が生えるスペースを備え、なんなら池も東屋も見える。雷雨だけど。
1階はコンコース的な通路で、奥に開け放たれてる玄関が見える。建物の奥行きはかなりありそうで、俺が泊まったことのあるホテルより高級に感じる。
「お高そう」
俺の第一声だ。
いや、金ならあるんだ。薬草が思った以上に高いのとオババさんがほぼ毎日かなりの量を採取してポーションにしているらしくって、そのお金がガッツンガッツン貯まってるのは知ってるんだ。
俺の身なりを確認する。
綺麗とはいえ水色のローブに襟はなく、その下は俺が自分で作った単色の動きやすい服だ。ドレスコードなんて欠片もない。
「ふええ……」
ベッキーさんが情けない声をあげた。教会で孤児として育てられてれば、こんな高級宿に縁はないだろうし。
気持ちはわかる。こんな洒落た建物は、アジレラの行動範囲にはなかったし。
彼女も防具は外してるけど着てるのは俺が作った青いワンピース。先ほどの商会で着替えたようだ。
だいぶお気に入りらしく、このワンピースを着ていることが多いのは俺にとってすごく嬉しい。
「緑があるのは素晴らしいですね。さあ、中に行きましょうか」
商会のお嬢様だったリーリさんは普段と変わらずだ。深緑のワンピースに身を包んでいるけどそれも俺のお手製だ。物怖じしないのか慣れなのかわからないけど、頼りになってしまう。年上の俺の立場どこ?
あ、でも草を見てゴロゴロ転がってたな。あれはなんだったんだろう?
「ダイゴさん、なにか不穏なお考えでも?」
「イエ、ナニモ」
リーリさんのさすような視線が痛い。
「今更だけど、ぶちこも大丈夫なんだよね?」
話題をそらそうそうしよう。
「おじさまが何も言わなかったので問題ないと思いますわ」
「プチコ形態なら小さいワンコだし、ダメなら俺はどこかで野宿するよ」
「ぶちこちゃんを断るならこの宿を粉砕して差し上げますわ」
リーリさんが物騒なことを言い出した。できてしまいそうなのでここは穏便にお願いしたく。
「ともかく、行ってみよう」
入り口を潜ると正面に受付カウンターがあり、若いエルフの男性が立っている。スーツではないけど襟の付いたピシッとした服を着てる。
建物内には俺たちの姿しかない。
周辺にはソファなどの応接セットが並ぶ。手続き中の偉い人たちが休むためだろうか?
「お嬢様、お待ちしておりました。初のご宿泊、ありがたく存じ上げます」
声をかけようとしたら向こうに先手を取られた。受付だろう彼は深々と頭を下げた。
「わたしは不相応な客なので、ほどほどでお願いしたします」
リーリさんがにこやかに返した。
「お嬢様をお迎えできる喜びで暴走してしまう従業員にはご容赦いただきたく」
「そんな大袈裟な」
「それほどのことなのです。紹介が遅れましたが私この宿を預かっている ケイリューテンベルと申します。何かあれば私に遠慮なく」
彼がパンと手を鳴らすと、すすっと獣人の女性が寄ってきた。 忍び。いやクノイチか。
耳からすると猫系なお姉さんは、ぱっとみメイド服っぽいロングスカートだけど色が緑だ。宿の名前に合わせているのかも。
「この者が逗留中の傍仕えとなりますチトトセで御座います。入浴のお手伝いから夜伽まで何なりとご申しつけください」
ケイリューテンベルさんの紹介とともにチトトセさんがゆっくりと頭を下げた。
「湯浴みのお手伝いならわたしもできますわ」
「……リーリさん?」
「よよよ夜伽……ッ!」
「ベッキーさん、彼はたぶん冗談半分で言ってるだけだから」
そうだよねという彼に視線を送るけど、アルカイックスマイルで交わされてしまった。リーリさんの視線が痛い。
あそこの頭取さんといいこの彼といい、絶対に俺で遊んでるでしょ。俺が何をしたというんだ。
「まずはお部屋に」
ケイリューテンベルさんの合図で仲居さんぽいチトトセさんが音もなくすすっと動いた。たぶんついていけばいいんだ。
受付の奥の通路を進むと何やら鉄扉がある。チトトセさんがグッと開けると、そこには見慣れた感じの小部屋があった。
もしかしてエレベーター?
「土魔法を使った昇降部屋でございます」
チトトセさんの可愛らしい声が教えてくれた。やっぱエレベーターだ。
それならばと中に入る。でもベッキーさんは唇をむにゅむにゅして躊躇している。
「ベッキー、大丈夫ですわ」
「え、でも、閉じ込められちゃいそうで」
「そうなったらベッキーの力でぶち壊してしまえばよいのですわ」
「あ、そうだね!」
にぱっと笑顔のベッキーさんが乗り込んできた。
力で解決って嫌いじゃないけど、そうじゃないでしょ。
チトトセさんが入ってきて、扉を閉めた。俺はセクハラにならないように俺は体を細くする。このテクニックは通勤電車で鍛えたのでもはや達人レベルだ。免許皆伝だぞ。
「最上階へ行きます。少々揺れるかもしれませんが、下から土魔法で持ち上げるので落ちることはございません」
チトトセさんが部屋の壁にある円形の突起に手を当てた。
「土よ、我を上に」
彼女が呪文なものを唱えると部屋は少し揺れて上へあがり始めた。
「わ、わ、部屋が動いてる!」
「土魔法をこのように使うのは面白いですね」
ベッキーさんとリーリさんは興味津々だがエレベーターは当たり前の俺は階数表示が欲しいなとか考えてた。客としての反応はつまらないだろうな。
でもエレベーターのような設備を考えるってことは、知的生命体の思考回路は同じようなものなんだろうかね。それとも楽をしたい金持ちが思いついたか。
なんにせよ、誰かが似たようなものを思いついたわけだ。すごいなぁ。
「最上階でございます」
チトトセさんがぐっと鉄扉を開けた。扉の外はすぐに部屋だった。
床は茶色のカーペットが敷かれ、正面には別な部屋が続いている。小さなテーブルの上には壺があり、観葉植物らしきものまである。水が貴重なここでこれは、破格な待遇ってことだよなコレ。
「チトトセさん、もしかしてここが玄関? このエレベーターってこの部屋専用なの?」
「エレベーターというのは存じ上げませんが、この昇降部屋は最上階のこの部屋専用でございます」
「うわ、スイートルームかよ」
俺の給料じゃ泊まることなんて不可能クラスの部屋じゃん。
「わ、奥にも部屋があるよ!」
ベッキーさんが奥へ走っていった。走れるくらい広いのか。
「寝室の他にリラックスルームと湯浴み部屋と厠が御座います。奥にはテラスがございますがあいにくの天候ですので」
「そういえば、3人部屋なんですか?」
「はい、寝室にはベッドが3つございます」
「いまさらなんですが俺だけ別の部屋ってことには」
「申し訳ございません、この部屋以外は先約で埋まっておりまして……」
「えぇ……」
うーむ、年頃の男女が一緒の部屋というのは体裁が悪いんだけどなぁ。オババさんの家は部屋が沢山あったから俺は別な部屋で寝てたけど。
「ふふ、コルキュルからの帰り道では一緒に野営しましたわ」
「ダイゴさんは、すぐに寝ちゃったけどね!」
警戒心が足りない年頃の女子からからかわれておりますおっさんです。
確かにね、野営というか野宿したけどさ。そもそも最弱な俺がどうとかできもしないし、安全といえば安全だ。むしろ危険なのは俺の方かもしれない。
そうならないことを願う。
「では、私はここで待機しておりますので、ご用の際はお声がけくださいませ」
チトトセさんは、そう言うとエレベーター脇で控えた。
え、ずっとそこにいるの?




