幕間十一 キューチャ商会
オババことヴェーデナヌリアはアジレラの狭く薄暗い道をのんびり歩いていた。動きやすいゆったりとした緑色の長袖とズボン姿だ。長い金髪をおさげでひとつにまとめ、背丈を無視すればその辺にいる好婆にも見えた。
だが彼女はレアな貫通スキルを持つ元1級ハンターで、素手であらゆるものの内部から破壊する「鎧通し」というふたつ名の凄腕ハンターだった
彼女は、増える住民を許容するために無計画な増築を繰り返して迷路になってしまった狭い路地を、その巨躯でのっしのっしと闊歩している。
「毎日ご苦労なこったね」
ヴェーデナヌリアは背後に向けてつぶやいた。
家を出てすぐにふたつの気配が後をついてきているのには気が付いていた。
「ギルド長子飼いのハンターだろうけど、足音は消せても気配までは消せない未熟者だね」
アタシも舐められたもんだ、とヴェーデナヌリアは口を曲げた。
ヴェーデナヌリアは、現役時代はドゥロウギ大森林に単独で乗り込める強者だった。そして今は大悟の持ってきた薬草で作った劣化万能薬《残念エリクサー》によって怪我をしていた左足は完治し、かつ大悟の作る食事で現役時代の身体を取り戻し、なおかつ多少若返ってもいた。
ヴェーデナヌリアは既に216歳。長命のエルフではあるが、残された寿命はあと30年を切っている。だが、それでもヴェーデナヌリアの身体は若かりし頃の絶頂期と同じまでに変化していた。
「あのこ様様だねぇ」
ヴェーデナヌリアは細い曲がり角を猫のようにするっと抜け、そして駆けた。
音もなく地面を蹴り、そして背後の気配が曲がり角から出てくるのを見計らって、足を緩めた。
「くくく、戸惑ってるねぇ。怪我をしたロートルに、いいように出し抜かれてるんだからねえ」
背後から聞こえる足音のテンポが速まるのを、ヴェーデナヌリアは楽しげに聞いている。
「ま、今日もアタシのアリバイに付き合ってもらうよ」
ヴェーデナヌリアは大悟から購入した薬草で劣化万能薬《残念エリクサー》を作り、それを薄めてポーション並みの効能にして商会に卸している。
だが今は手ぶらだ。鞄すら持っていない。ヴェーデナヌリアは軽い足取りで狭い路地を歩き続けた。目的地は懇意にしている酒場で、酒を呑みに行くのだ。
「今日はどんな酒を飲もうかねぇ」
ヴェーデナヌリアは含み笑いで路地を急いだ。
同時刻、リャングランダリはヴェーデナヌリアの家を出た。深緑色のワンピースを着た彼女は腰に小さな袋を下げただけで、ヴェーデナヌリア同様手ぶらだった。
「さっさとお使いを終わらせてダイゴさんの作ったおやつを食べなくてはいけませんわ」
リャングランダリは細い路地を抜け、大通りに向かって歩く。ちらと振り向き、背後の気配を探った。
「追跡は、なさそうですわね」
あったところで返り討ちですがとつぶやき、リャングランダリはそのまま大通りに出た。
アジレラは中心部を第1エリア、その外周を第2エリア、さらに外を第3エリアと壁で区分けされている。
ヴェーデナヌリアの家は第2エリアにあり、今日の目的地であるとある商会も第2エリアにあった。ただ、アジレラのちょうど反対側なのだ。中央の第1エリアを迂回するように、人の合間を縫って通りを歩いていた。
「いい布がありますけど、残念ですがお使いが先ですわね」
途中にある布問屋の店先を眺めたり屋台に引き寄せられたりしつつだが、リャングランダリは目的の商会にたどり着いた。大通りに面している、石造りの3階建てだ。1階部分は大きく開けており、扱う商品のサンプルが所狭しと置かれている。
店先には品物を番する店員らしきエルフが立っている。
「キューチャ商会。やっと着きました」
リャングランダリは掲げられている看板を確認し店員に声をかけた。
「こんにちは、おじ様はいらっしゃいますか?」
リャングランダリが薄く笑みを浮かべると、店員は静かに頭を下げ「こちらへ」と中へ案内した。
窓が多いせいか店の中は明るく、商品がよく見えるようになっている。リャングランダリは雑多に置かれている商品をよけながら、店の奥へと歩いた。
最奥の壁には扉があり、その前で店員は止まった。
「頭取、お嬢がお見えになられました」
「入ってもらってくれ」
店員が扉越しに声をかけると、中からしゃがれた声が返ってくる。店員が黙って頷くとリャングランダリは静かに扉を開けた。
中は壁一面の本棚にこじんまりとした執務机と応接セットがある部屋で、その執務机にはモノクルをかけたエルフの老紳士の姿があった。彼はリャングランダリの顔を見て、頬を綻ばせた。
「よく来たなお嬢。相変わらず美人だな俺の御姫様は」
「おだててもポーションは増えませんですわ」
「がっはっは、先手を打たれたか。義姉の入れ知恵か」
「だっておじ様はいつもそう言いますもの」
「俺は嘘がつけなくって本当のことしか言えないんだ」
「大商会の頭取がそれでは困りますわね」
リャングランダリがふふふっと笑う。
「俺の姪に色気を覚えさせた奴は何処のどいつなんだか。ちょっとお礼をしてやらにゃぁいかんな」
老紳士は口を歪め、黒い笑みを浮かべた。
「それよりも、置き場まで案内をお願いしますわ、ラゲツットケーニヒ族長様」
「そいつは俺の兄貴が継ぐはずだったもんだ。俺はそれをお前さんに渡すまで預かってるだけさ」
族長と呼ばれたラゲツットケーニヒは立ち上がり、壁の本棚に手をかけた。ぐっと本棚を押すと、ゴゴゴと本棚が奥に動く。風の魔法で本棚を動かしているのだ。
本棚は消えた先には短い通路と、下に降りる階段があった。
「ちっとばっかり暗いから足元には気をつけてな」
「このくらい問題ありませんわ」
先を行くラゲツットケーニヒに続いてリャングランダリも階段を降りる。階段は狭い通路に繋がっていて、そこにはほのかな明かりが灯り、50メートルほど先にある扉まで見えていた。
「義姉が回してくれるブツは品が良いからすぐに売れちまうんだ」
「100年かかっても治療ができなかったオババの足を、現役当時並みに回復させてしまうほどのポーションを原料にしていますもの。だいぶ薄めてようやく表に出しても争いにならない効能まで落とせましたわ」
「義姉に回し蹴りを食らった時は驚いたね。現役と同じ速さで、歳食った今の俺じゃよけきれなくってさ、胴体に食らって骨と内臓がぼろぼろになっちまってさ。がっはっは!」
「劣化万能薬《残念エリクサー》を残しておいて正解でしたわ……」
なんで自分の一族はこうも武闘派なのだろうとリャングランダリはため息をついた。これではダイゴに紹介できないと、心で嘆いていた。
通路奥の扉を開けると登りの階段があり、その先にはまた扉があった。扉の隙間からは陽の光が漏れている。ぎぎっと扉を開けると、そこは倉庫のような空間だった。
そこら中に金属の箱やら何かの毛皮、骨、金属の塊など、整理などされておらず置き去りにされているといった感じであった。
「散らかってるのは勘弁してくれ」
「オババの家で慣れっこですわ」
「がははは、そりゃ助かった。俺が怒られなくってすむ」
倉庫を歩いていくと、ガラスの瓶が大量に置かれている場所についた。瓶が詰め込まれた金属の箱が10箱ある。
「これが回収した空の瓶さ。1箱に30本で計300本だ」
「先にこれを回収してから出しますわ」
「あぁ、頼む」
ラゲツットケーニヒの返事に頷いたリャングランダリは左腕の水色の腕輪を箱に触れさせた。箱は消えるようにして腕輪に吸い込まれていく。10箱を収納するのに10秒ほどで済んだ。
その様子にラゲツットケーニヒはモノクルを掛けなおした。
「まーた不思議な物を持ってきたもんだ。おっと、興味は持たないぜ。詮索するとやんごとなきお方が忍び寄ってくるって義姉には聞いてるからな。俺はお嬢に族長の座を返すまでは何があっても絶対に死なないって兄貴の墓に誓ったんだ」
「ありがたい話なのですが、族長は、わたしにはそれほど重要ではないのです」
「そうはいっても、一族の長の血を唯一継ぐのがお嬢だからな。その辺は一族の意も汲んでやってくれ」
「善処は致しますわ。さて、持ってきたポーションはここに出せばよろしいですか?」
「そうさな、同じところに頼まぁ」
リャングランダリが左腕をかざすと、なにもなかった床に金属の箱が15箱出現した。今しがた収納した空瓶の箱と同じものだ。箱の中は液体の詰まった瓶でいっぱいだ。
「5箱増えてるな。義姉もやる気だな」
ラゲツットケーニヒが顎をさすった。約束では10箱だったのだが5割増しになっていた。
「お金もそうですが、なにより最高級の薬草でポーションを作れるのが楽しくて仕方がないようですわ」
「そういや、どこぞで人の手が触れてはいけないものを見てしまったとか言ってたなぁ。義姉の顔が青くなるのを初めて見たぜ」
ラゲツットケーニヒが歪んだ笑みでポーションを手に取る。指先で瓶を弾くとキンっと高い音を奏でた。
「前回のよりも品質が上がってるな。普通のポーションを超えたんじゃねえか?」
「ギルド長がポーションの売り上げを懐に入れていたそうなので、それを潰すつもりなのでしょう」
腕を組んだリャングランダリは深く息を吐いた。割と本気でオババは怒っているのだと、彼女は感じている。ポーションが高くなったせいで、助かったはずのハンターの命が失われていたのだ。
ハンターはギルドに属してはいるが使い走りではない。ハンターが金を稼がないとギルドも立ち行かない。ハンターとギルドはイコールの関係なはずだ。
それを破っていたギルド長に、ヴェーデナヌリアは怒り心頭だった。
「ひゅーっ、古巣でも容赦ねえな義姉は!」
「怪我で引退するときに、色々あったとは聞いてはいますわ」
「店の周りにうろちょろしてるヤツも目に付くし、襲ってきたら返り討ちにしてやるさ。がっはっは!」
ひとしきり笑ったラゲツットケーニヒは、ふと我に返った。
「お嬢のその服、やけに仕立てが良いんだが、うちじゃないよなぁ?」
ラゲツットケーニヒはリャングランダリが着ている深緑のワンピースをしげしげと眺めている。
「そのやんごとなきお方に作って頂きました」
リャングランダリはその場でくるりと回転すると、ワンピースのスカートがふんわり広がり花のように咲いた。おおおと感嘆の声を上げたラゲツットケーニヒは思わず拍手をする。自分や義姉とは違いおしとやかな子が自分をアピールするようになって、嬉しさが突破したからでもある。
「おっとそうだったか。いや、お嬢によく似合ってる。美人がより美人になってるな」
親指を立ててにかっと笑うラゲツットケーニヒ。
リャングランダリヒは、これを作ってくれたのが人族で、こことはまた違う世界の出だとは、今はまだ言えないなと思った。




