幕間九 ワッケムキンジャルは震えた
「今日は神の奇跡を目の当たりにした」
ワッケムキンジャルが毎日欠かさない日記は、こう始まった。
いつもと変わらない、今日もなにも起きなければ良いと水神に祈った朝。ワッケムキンジャルは、かつて教会で孤児として育てた女の子が訪ねてきたことを、子供たちが騒ぐことで知った。
彼女の名前はベンジャルヒキリ。成人になってから、スキルを得、その怪力スキルでハンターになった、教会から巣立った子の中では、一番安定した生活を送っている娘だった。
少なくない金額を寄付してくれる、孝行娘だ。
ハンターになった際、ハーフが理由で嫌がらせもあったが、それ故に庇ってくれたエルフの子と知り合いになれた。彼女は族長の末娘らしく比較的自由に暮らしており、自分が持つ力を試すためにハンターになったようだ。
ベンジャルヒキリと彼女リャングランダリは、仕事仲間からは凸凹コンビといわれているようだが、本人は特に気にしてはいない様で、ベンジャルヒキリは笑ってそう話してくれた。そそっかしい娘と一緒に仕事をしてくれる心優しいエルフには大変感謝をしている。
そのふたりが、今日は怪しげな人物と小さな魔獣を伴って教会にやってきた。フードを被った、人族の男性のようだった。フードの隙間からのぞいたのは彼の黒い髪。ワッケムキンジャルの脳裏に、ベルギスの人族至上主義者が頭によぎった。
彼の名はサトウダイゴ。
ベルギス出身ではなく、違う国の出とのことだ。ふたりが彼を信頼して行動を共にしているようなので、特に言及は避けた。ふたりが彼を誘ったらしく、騙されたのではないと知り、安堵した。
ワッケムキンジャルは特殊なスキルを持っていた。看破という鑑定系統のスキルだ。対象の人物を探ることができる。このスキルゆえに教会の管理者となっていた。
ワッケムキンジャルが不審を感じたのは、自分の看破スキルで彼を視ることができなかったからだ。
看破スキルは、対象人物を見ることで発動するが、彼を見てもなにも浮かび上がらなかった。氏名性別すらもだった。
ワッケムキンジャルの勧めで彼が水神の像に祈りをささげた瞬間、像がまばゆく光り、教会裏の井戸から水が噴き出した。
水神を祀る教会だからか井戸が枯れることはなかったが、かといって水が豊富でもなかった。孤児たちが耕した畑にまく分にも足りないほどだ。
雨のように降り注ぐ水にはしゃぐ子供らの姿は、初めて見るものだったし、ワッケムキンジャル自身、雨を見たのは2回目で、年甲斐もなく体が熱くなっていた。
これを奇跡といわず何を奇跡と呼ぶのか。だが、彼が齎した奇跡はそれだけではなかった。
サトウダイゴは、娘が購入した大きな肉の塊を理解不能なスキルで調理した。虚空から鍋を、鉄の板を取り出し、火を使うことなく過熱し、小さな袋からとめどもない量の水をだしていた。
調理スキルとは、割とよく見かけるスキルだ。皮むきが得意になる、包丁の扱いがうまくなる程度なはずだった。
だが彼の規格外の行動を調理スキルと定義付けることはできないとワッケムキンジャルは感じた。あれは人が持たざる力だ。
彼とベンジャルヒキリとリャングランダリは、いま教会で預かっている子供たちと一緒に調理をした。子供たちが楽しそうに、でも真剣にこねて作ったパンは、ワッケムキンジャルが今までに食べたパンの中でも忖度なしに比類なき美味しさであった。指でそっと涙を隠したほどだ。
子供たちは、自ら進んで調理を手伝っていた。知らぬ間に成長したのだと、ワッケムキンジャルは感心し、そして自らを恥じた。
食事後に、サトウダイゴと話す時間が取れたのは、僥倖以外の何物でもなかった。
彼がふたりと出会ったのは、廃墟コルキュルで、あろうことか我が娘の命の恩人だと聞いて、彼に感謝を伝えるとともに、神にも感謝をした。
あの小さな魔獣が実は3メートルを優に超える巨体だったこと、討伐困難な魔物を体当たりだけで屠ったとも聞き、驚きを禁じ得なかった。
それほどの魔獣が、おとなしい子犬のように彼に付き従っているという事実。サトウダイゴは何者なのか。
そしてコルキュルの水の教会が復活したこと、また教会付近の井戸が水を取り戻したこと、植物が生えていたことを聞くに及び、ワッケムキンジャルはすぐに信じることはできなかった。
魔法暴走で滅んだ街であり、廃墟となって数十年の街だ。彼が生きた間に知った降雨は一度きり。
我々が水の行幸を妨げ、水神の失意を招いた結果だ。
もはや水神の慈悲は失せ、大地は乾き、地下に流れる水も減る一方だというのに。世界は死に向かっているのだと、そう思っていたのに。
さらに、ワッケムキンジャルは信じざるを得ない状況になってしまった。
自身がいる歴史ある水の教会が、隙間風から砂が入り込んでしまう古くなった教会が、建てたばかりのように生まれ変わってしまったのだ。
サトウダイゴは修繕スキルで直したと簡単に、ちょっと散歩に行ってきましたという気軽さで、いってのけた。
悪意を持った者が近寄れないように敷地に鍵をかけたと語ったときは、世迷言と断じてしまったが、彼らが帰った後、ちょうど教会の敷地境界あたりで、見えない壁にさえぎられた砂が山になっているのを見つけた。見つけてしまった。
口には出すまいとしていた言葉が、すっと転がり出てきた。
――神の御業。
水と治癒と結界の力を持つ、気高き水の巫女と呼ばれた、初代水の使徒であるロータンヴェンヘ-ザの再降臨。いや彼は男性だ。なんと呼べば良いのか。
いや、そんなことはどうでも良い。新たな水の使徒が降臨なされた。
そして我が娘とその親友リャングランダリは加護を賜わっていた。彼に助けられたことで何か変化がと、ふと思っただけだったが、自身の行動を誉め称えたいとワッケムキンジャルは興奮を隠せない。
水の大精霊の加護。
水の大精霊は、気高き水の巫女が死後、水神の傍に仕えるために昇華したといわれる高位の存在。
ふたりが賜ったのは、水神に次ぐ地位にある、精霊の頂点である、大精霊の慈悲だったのだ。
「我が娘は水の使徒を守るべく、選ばれた」
抑えきれぬ激情に筆が震え、文字が躍る。
「今代の水の巡幸が始まったのだ」
日記の終わりはこの言葉で閉められた。
急ぎ、デリーリア本部へ知らせねば。今回は何人の邪魔もさせぬ。
ワッケムキンジャルは急ぎ手紙を認めると、連絡用の小鳥を呼び、その足に縛り付けた。




