第三十五話 教会に降る雨
教会の扉はなく、中に入りたい放題だった。直す余裕がないのか元からなかったのか。
一礼してから中に入る。
教会の中は暗く、唯一、一番奥にある龍らしき像に、スポットライトのように日の光が当たっていた。壁に窓があったんだろうけど、壊れたかで塞いであるようだ。
テーブルと椅子がいくつかあるけど年季が入ったもので、ひびも見える。でも、中はきちんと掃除されていて、整然としていた。壁の手前に棚が並んで仕切りを作ってて、多分あの奥が生活スペースだ。
おじいさんといえる男性が奥にいた。細く長いしっぽが見える。服は、買い物でよく見かけた、皆が着ているものと同じだ。
「水の教会へようこそ。水神様はいつもあなた方を見守っておられます」
柔らかな声が教会に響いた。ここの責任者の方かな。聖職者っぽい服装ではないのは不思議だがそれが当たり前なんだよね。
「お邪魔します、佐藤大吾といいます」
「初めての方が訪れてくださるのは久しぶりですな。しかもベッキーと知り合いのようで。仲良くしていただきありがとうございます」
丁寧なおじいさんだ。俺の背も自然に伸びる。
「ええ、ちょっと前にベッキーさんとリーリさんと知り合いましてね。買い物で近くまで来たので、ちょっと寄ってみました。なかなか歴史のある建物ですね」
「ほっほ、ざっと200年前に建て替えられたと聞いております。古さに修繕が追い付いていないのは不徳の致すところですが」
おじいさんは眉をハの字にした。経営が苦しいけど外に原因を求めないとはね。人徳のあるおじいさんなのかも。
「200年ももっているのは立派だと思いますよ」
神社だって定期的に修繕しているから1000年以上もその姿を保ってているわけで。この教会だって、苦労して維持してるはずだ。
「ほほ、水神様が見守ってくださるからですかな。まずはお祈りをお願いいたします」
おじいさんに誘導されて像の前に来た。だいぶデフォルメされているけど、水神様だろう。とんがり部が丸まっているのは毎日磨いてたんだろうな。信心深い人だ。
俺は水神様に雇われたというか、そんな感じで食事も水も苦労しないでいるのに、水神様の信徒といえるこの人らはだいぶ苦労してる。
ベッキーさんもここの出身で、稼いだ金の大半はここに寄付してるらしい。今でも服が気になってじっと見ているだけで買えないでいる。
なんか違くね?
信者を厚く扱うのが常道じゃね?
なんて思うわけよ。
正式な祈り方なんてのは知らないから二礼二拍手一礼する。最後の礼で、念じてみる。
信徒さんが困っているようですが、水神様はそれでよろしいのでしょうか?
『……めんどいのぅ』
ん、聞き覚えのある声が……
『我もけっこう忙しいのじゃぞ?』
おっと水神様でしたか。
神様だから忙しいのかもしれないですけど、それでもめんどいの一言で信徒の困窮を放置するのは、寂しくないですか?
俺だって世話になってるのはわかってるからお供えだってしてるのに。俺もめんどいんで今晩からお供えなしで良いですよね?
『ななななんという、我は神であるぞ?』
神様なんだから食べなくたって問題ないでしょうに。
『むむむむ、屁理屈を』
水神様の代わりにこの教会の子供らに食べてもらいましょう。彼らもお腹が空いて困っていますから、丁度良いですね!
『わかった、わかったからお供えは続けるのじゃ!』
水神様が叫び終えた瞬間、外でドシュワッと大きな音がした。ついできゃーって歓喜の叫びが聞こえてきた。
「わ、井戸から水が吹き出したよ!」
「ちょっとベッキー! そこにいたらずぶ濡れですわよ!」
「み、みずが降ってきた!」
「みずがこんなに!」
「おいしー!」
表が大変騒がしい。
「な、何が起きたのですか!」
おじいさんが表に走って行った。
「な、なんてことだ! 井戸から水が、水が!」
さすが神様だ。今日のお供えは奮発しないとバチが当たる。ミニぶちこを床に置いて「先に行きな」と声をかければ
「わっふう!」と巨大化して走り去って行った。
「いやそれダメなやつ!」
解放されたから興奮しちゃったか?
「なんにせよ、ありがとうございます」
水神様の像に、深々と頭を下げた。
「ぎゃー!」
「大きなワンちゃん!」
「ま,魔物だぁぁぁあ!」
あー、やっちまったなぁ。まあいいか。ぶちこは傷つけることはないでしょ。
「さて外はどうなっているのやら」
ちょっとワクワクして、教会を出た。
「わっふう!!」
「あははははは!」
「ちょっとベッキー、こちらに水を飛ばさないでくださいまし!」
井戸から噴き出した水が雨となって降る中、ぶちこがずぶ濡れで走り回り、ベッキーさんは井戸に手を突っ込み誰彼構わず水をかけまくり、リーリさんはその巻き添えでぐっしょりだった。
もちろん、俺も標的だ。
「あ、ダイゴさん発見! よーしみんな、あの人に水をかけちゃおう!」
ベッキーさんから水の塊が飛んできた。もろに顔に当てられた。
「んなぁぁ! 痛え!」
ベッキーさん、力入れすぎ!
くそ、負けてられない。カモン大鍋!
よし、一抱えもある寸胴鍋が俺の前に現れたぜ。黙ってても水が溜まるこのツーカー感。調理スキルさんはサイコーだ。
「な、鍋が出てきた」
「ま、まほうだ!」
「ふははは! これでもくらえー!」
重い鍋でヘロヘロながらもベッキーさんに近づく。
「どっこいしょー!」
回転しながら全力で鍋の水をばら撒いた。
「うわわ、あたしも負けないよー!」
ベッキーさんはいつの間にかヘルメットみたいなやつを手に、井戸の側にいた。
「ちょ、それヤバいやつ!」
「やー!」
ヘルメットに掬われた水の砲弾がクリーンヒット。俺は後ろに吹き飛ばされた。
「わっふう!」
飛んだ先にはぶちこがいて、ベシャベシャになった毛のクッションに助けられた!
「ベッキー、やりすぎですわ!」
「わ、ダイゴさんごめんなさい!」
慌てたふたりが駆けてくる。俺もふたりもベシャベシャのドロドロだ。
泥まみれなんて、子供の時以来かな。なんかこう、楽しいんだよね。
「あははは、ふたりとも泥だらけだ」
「ダイゴさん、怪我はないですか?」
「大丈夫、ぶちこが受け止めてくれたし」
「うう、ごめんなさいだよぉ……」
ベッキーさんがしょぼんとしてしまった。
「仕掛けたのは俺だからさ、ベッキーさんは悪くないよ」
よっこらせと立ち上がってベッキーさんのぐっしょりな頭を撫でる。
「みんな濡れネズミだ」
子供たちもおじいさんも、みんなだ。風邪をひいても大変だし、洗濯スキルの乾燥で水を飛ばしてしまえ。
「わ、服が乾いた!」
「なんで?」
「まほう?」
子供らは自分の服をペタペタ触りまくってる。
すでに井戸からの噴き出しは止まっており、雨も止んでいた。雨上がりといえば。
「おー、虹だ」
ちょうど教会の真上に、七色の虹がかかっていた。抜けるような青空に、絵の具のようににじむ虹がとても映えて見えた。
虹は5分ほどで青に溶けてしまった。みながぼんやりと空を見ている間に、ちょっと井戸を調べた。
水の噴き出しは終わっていたけど、水自体はまだあふれ続けてた。壊れかけの古井戸の壁を乗り越えて乾いた地面に吸い込まれてた。じわりと浸み込んだ土は黒くなって、なんとも少しずつ広がっていってるみたいだ。
「あー消えちゃったー」
ベッキーさんの嘆息が耳に入る。
「初めて見た!」
「きれいだった!」
「……幼いころに一度だけ見たことがありますが、これほど間近では……」
「水神様のご慈悲です……ありがとうございます」
みなが虹に見とれている傍らでおじいさんは涙ぐんでいた。
確かに水神様の仕業だろうな。水が噴き出したのはまだしも虹は多くの人が見たろうなぁ……水がコンコンと出る井戸の存在は、ちょっとヤバいかも。古井戸をこっそり修繕で直して補強しておく。
「わっふぅ!」
ゴキュルゴゴゴゴとぶちこの腹がなる。そういやそろそろ昼だな。
――ごぉぉぉぉぉぉん
どこかで鐘がなった。腹に響く、寺の鐘の音だ。
「ちょうどお昼だね! 今日はね、お肉を買ってきたんだ!」
ベッキーさんが嬉しそうに声をあげた。
「ベッキーおねーちゃん、今日はお肉!」
「お肉久しぶりだー!」
「やったぁぁ!」
子供らは大はしゃぎだ。




