幕間八 叔母と姪
夜の帳がおり、無遠慮に外から入り込む酒飲みの声も小さくなってきた。リャングランダリとヴェーデナヌリアは、薬師の作業場としている部屋でひとつの樽を見つめていた。高さは1メートル、直径はその半分ほどの、恰幅の良い樽だ。中は透明な液体で満たされている。
「オババ、これが残念ポーションですか?」
「残念っていわれるとしゃくだけど、まぁそれが目的で薄めたからねぇ」
「ここまで薄めてもなおポーションとして使えるということは」
「鑑定したんだけどねぇ、原液は、劣化万能薬となってたよ」
「……やはり」
リャングランダリは眉根を寄せた。
「原料は薬草のみ。製法も普通さ。薬草の品質だけでこれになっちまうのは、なんとも恐ろしいねぇ」
ヴェーデナヌリアは腰に手を当て首をひねった。
エリクサーの原料は違う薬草だ。製法は秘密とされ、ヴェーデナヌリアも知らない。希少すぎて原料を得る機会はないと判断したヴェーデナヌリアは万能薬の製法は学ばなかったからでもある。
「一杯の劣化万能薬を薄めてできるポーションはざっと350個分。こいつは流してもいいように薄めてるから500個分になってる。薬草はあと8束ある。いくつかは劣化万能薬としてアタシが隠しておく。残りはすべて残念ポーションにするつもりさ」
「ハンターの怪我が減ることが予想されて、それは良いことなのですが、要らぬ諍いのもとでもありますわね」
「バカな貴族が犯罪行為に使うのは、間違いないね」
「それでも、これを売るのですか?」
リャングランダリは咎めるような視線をヴェーデナヌリアに送る
「ハンターの怪我が減るメリットの方がデカいと判断したからさ。流せば流すほど裏では処理しきれない量になって表にもあふれてくるさ。そうしたら平民にもその恩恵が巡ってくる」
良いことだらけじゃないか、とヴェーデナヌリアはにやりと笑う。
「ギルドのアホたれどもがポーションを出し渋ってるおかげで平民は大怪我を治せないで死んでいく。あいつらは自分のところのハンター以外に興味はないんだよ」
それに、薬草はまだあるんだろ?とヴェーデナヌリアは付け加えた。
「そのことなのですが、わたしたちはその薬草を栽培している畑は見ていないのですわ」
「ふーん、そこは秘密にしているのかい?」
「というか、知り合ってまだ数日ですわ」
「おやそうなのかい。ずいぶん懐いて親密だから、付き合いが長いかと思ったんだけどねぇ」
ヴェーデナヌリアがにやにやとする。
「……それについてはこれから説明いたしますわ」
リャングランダリはぷいっと顔を背けて、部屋の隅にある小さなテーブルに向かった。
「まったく、男っ気のなかった姪がやっとこさ連れてきた男が謎と問題だらけなのは、妹の墓にどう詫びたもんかねぇ」
ヴェーデナヌリアはぼそりとつぶやき、そんな姪のあとを追う。
ふたりが席に着くとリャングランダリが説明を始めた。
「…………というわけですわ」
「……コルキュルにスケルトンキングがでた? あそこにはここ数十年、そんなのが出たなんて話はないんだけどねぇ」
「ギルドにもそのような記録はありません」
「あの犬が、そのスケルトンキングを一撃で撃破だって?」
「スケルトンの群れに囲まれ、その王が現れて、ベッキーが骨の腕で突き刺されたときはもうわたしも死ぬのだと。その時にスケルトンの群れを吹き飛ばしながらぶちこちゃんが走ってきて、そのまま王を跳ね飛ばしたのですわ。わたしは目の前で見ていましたから」
「王を一撃でかい……アタシでも数回は殴らないと厳しいねぇ」
「数回で……」
数回殴れば勝ててしまうのかと、リャングランダリは自分の叔母を改めて恐ろしいと感じた。
「しかし、あの人族を咥えて戻ってきたってのが、くくく、笑っちまうねぇ」
「背中に乗って走るという考えはなかったようですわ」
「しかも腰が抜けて歩けなかったって」
フハハハとヴェーデナヌリアは悪役のように笑う。
「黒い髪の人族を見て、失礼なことをいった記憶はありますわ。でも、血が止まらないベッキーを見て動転していたので、そこは許していただきたいのですが」
「まぁ、根に持つようなタイプじゃなさそうだ。問題ないだろうさ」
やや落ち込んている姪に向け、ヴェーデナヌリアは優しく微笑んだ。
「そこで彼の治癒能力を見ました。その直後にベッキーの盾を修復する能力も見ました。血だらけのわたしたちを浄化してくれましたし、ここに来るときに見た結界は砂も弾いていました」
「……聖女の条件に当て嵌まってるって言いたいのかい?」
「それと、コルキュルの教会で水の精霊様にお会いして、彼を護衛してほしいとお願いされました」
「なんだって!? 精霊様!?」
「水神様のお傍にいるかなり高位の精霊様ですわ。その報酬にと、わたしとベッキーに加護とこれをいただきました」
リャングランダリは左手の青い腕輪を見せた。ヴェーデナヌリアの目つきが鋭くなる。
加護を与えることができる精霊は高位どころではない。しかも能力ではなく物を与えてきた。
精霊、いや大精霊だろう。
「ちょっとお待ち、いま鑑定石を持ってくる」
ヴェーデナヌリアが部屋の奥にある棚から黒い石板を持ってきた。
「ここに腕輪を載せてごらん」
リャングランダリは左手ごと黒い石板に腕輪を載せた。
「横着するねぇって、外せないのかい?」
「外したくないだけですわ」
「……乙女心は難しいったらありゃしない」
ぼそぼそこぼすヴェーデナヌリアは、石板に目を向け、その目を見開いた。
「無限収納に加護として対物理衝撃半減、絶対耐火、精神防御だって??」
「分不相応すぎて困惑しかないのですが、これが護衛に必要になるということでしょう」
困惑しているという割にはすっきりとした顔しかしていない姪はしれっと語る。
胃袋を掴まれかけてる上にどうしようもない存在にまで捕まっちまってるたぁ、アタシにも荷が重そうだ。でもかわいい姪っ子だ、協力してやらないと。
ヴェーデナヌリアはそんな結論に達した。
「アタシゃ、明日は出かけるからね。ポーションを売りさばかないとねぇ。あんたらはアイツをアジレラ案内してやんな。買いたいものがあるって言ってたろ。薬草の代金は夜が明けたら渡しておくさ」
「ありがとうオババ。買い物の時に水の教会へお連れしようと思ってますわ」
「嫌な予感がするんだけど、大丈夫なんだろうねぇ」
「水の精霊様が気にかけている存在が水の教会へ行かないわけにはいきませんわ」
自信たっぷりに語る姪にヴェーデナヌリアは、だいぶのめりこんじまってるねぇ、と心配になる一方だ。
「ところで、お前たちは今後どうするんだい? アイツと一緒に行動するのかい?」
「ハンターはしばらく店じまいですわ。人族であっても恩人を助けるのはエルフでも道に外れることではないでしょう? 彼は、ベッキーがハーフだと知っても顔色一つ変えませんでした。街で獣人を見ても同じでしたわ。ただその原因は、常識的なことを知らなかったことに起因しているなと感じています。放置しておくと、悪者が彼をいいように利用するでしょう。それは阻止しなければ」
「3級ハンターなのに、かい?」
暗に実力不足だとの指摘だが、リャングランダリはにこりと返した。
「アジレラに帰還する途中ロックワームに遭遇しましたが、矢の1本で片が付きましたわ。彼のそばにいることで、何らかの補助があるのだと推測していますが、たぶんそれは食事なのだろうなとは」
「なんかとんでもないことに足を突っ込んでる気がするんだけどねぇ。まぁいまさら引き返せないか」
気のすむようにしたらいいさ、悔いのないようになという言葉を、ヴェーデナヌリアは呑み込んだ。
「明日からは忙しそうだねぇ」
忙しいですめばいいんだけど、とヴェーデナヌリアは深く深くため息をついた。




