第4章:間引き(5)
「フェイルさん、これ、見て下さい」
翌日――――
相変わらず客足の以上に鈍い薬草店【ノート】の麗らかな午後を、目を血走らせたファルシオンが揺さぶる。
そしてフェイルと目を合わせる暇もなく、カウンターの上に紙の束をドサドサと置き、身を乗り出してきた。
「……な、何?」
「私なりに纏めた、ノートの今後の方針です。これで確実に売り上げは上がります」
表情そのものは普段と変わらないが、圧は比べ物にならない。
ファルシオンは更に目を血走らせ、顔を寄せて来た。
その顔には、控えめにこう書いてある。
今直ぐ見なければ魔術でこの店を潰す――――と。
「わ、わかったよ、見るからそんなに脅さないで」
「……脅しているつもりはなかったんですけど。寝不足で目が霞んでいまして」
とてもそうは解釈は出来ない圧をまだ肩に感じつつ、フェイルは積まれた紙の山を手に取った。
そこには、いつぞやの紙芝居と同じタッチの絵で、ノートの未来予想図が克明に描かれている。
確かに絵が入る事でわかり易い面もないとは言えないが、印象がとっ散らかってしまう為、フェイルは困惑気味に人差し指で頭を掻きつつ続きを読んだ。
ファルシオンが考えた方針は、非常にシンプルだった。
単純明快な言葉を使えば『全面改装』、若しくは『刷新』。
その必要性を説明する為、これまでの数々の失態や困窮具合、閑散とした店内の様子を実に二〇枚もの紙を費やし、克明に描いていた。
「……だから、この苛めは一体なんなの? これ絶対徹夜して作ったやつだよね? そこまでして僕を苛めて何が楽しいの?」
「わかり易くしているだけで、特に精神攻撃のつもりでは」
その割には、影絵まで使って内面の機微を表現するなど、細部まで凝りに凝っていた。
そして、その説明地獄が終わった後に、今度は『エル・バタラ』の文字が現れる。
「成程。この大会をきっかけに新しいノートを打ち出そうって訳ね」
「はい。薬草の本分は闘いの中にありますから、大会参加者の目に留まる薬草店になれれば、波及効果にも期待出来るかと」
エル・バタラは国内でも屈指の規模を誇る武闘大会。
よって国内の様々な地域から、数多くの参加者が訪れる。
その中には早めに到着し、調整の為の稽古を行う戦士も大勢いるだろう。
場合によっては、激しい特訓で負傷する者もいるかもしれない。
また、試合中に負傷し、次の試合に出られるかどうか微妙な状況が生まれるかもしれない。
そこで薬草店の出番。
仮に優勝候補の人間が試合で負傷し、その回復を早める、または痛みを取り除ける薬草を提供出来たとしたら?
そして、その戦士が優勝でもしたら?
店の名は一気に国内全土へ知れ渡る事になるだろう。
無論、これはあくまでも極端な例。
高望みが過ぎるし、フェイルにとってもそこまで有名になられては困る事情がある。
だが方向性としては、シンプルであるのと同時に核心を突いている。
薬草店に光が当たる数少ない機会だし、薬草そのものにも注目を集める最高の好機であり、ここで動かない手はない。
「……でも、薬草店はここだけじゃないからなあ」
当然、フェイルもその事は頭に入っていた。
だが、お世辞にも大型店とは言えないノートが、まともに薬草店として他の競合店と戦っても勝ち目はない。
「そこで、こうします」
ファルシオンは更に床に置いていたらしき紙の束を持ち上げ、カウンターに積んだ。
先程の倍の厚さに、フェイルの目が大きく見開かれる。
「御一読願います」
「う、うん……これもしかして書き溜めてた? 一日でどうこう出来る量じゃないよね」
その質問に対する返答はなかったが、並々ならぬファルシオンのやる気を無碍に出来る筈もなく、フェイルは言われた通りに目を通した。
今度は一転して、かなり手の込んだ戦略が記されていた。
まず、近隣の薬草店全店のリサーチ。
市場調査は既にやっているが、それを特定の分野に絞って行うなど、これまでやった事のないアプローチの仕方が幾つも記されていた。
特にファルシオンが着目していたのは『薬草の即効性』。
各店で扱っている薬草の中で、最も効果が迅速に出るものを調査するという主旨だ。
「……成程ね。大会期間の関係上、即効性が問われる局面は必ず出てくる」
「そうです。大会直前、そして大会中において、参加者が最も欲するのは回復のスピードです。一日でも、一時間でも早く負傷を軽減させる事が、次の試合へのパフォーマンスに大きく影響します。例え完治は出来なくても、痛みを抑えたり出血を止めたり出来れば、棄権せずに済む……そんなシチュエーションも必ずある筈です」
この一点に賭ける――――
「戦略としてはどうですか? 専門家の意見を聞きたいです」
ファルシオンはこの案にかなり自信を持っている様子。
しかし敢えてフェイルに判断を仰ぐ事で、店主の顔を立てようとしている。
いかにも勇者一行の頭脳らしい、筋の通った提案だった。
「問題は即効性の高い薬草の入手、そして処方……か。つまり、僕の腕にかかってる」
「そうなります」
自分自身が試されている事への不快感は、フェイルには微塵もなかった。
あるのは感謝のみ。
ファルシオンがどれだけ真剣にこのノートについて考えてくれていたか、アイディアからも伝え方からもよくわかる。
単純にプレゼンテーションを行うだけなら、ファルシオンは苦もなくそれを行えるだろう。
だが、人の情に訴えるような伝え方は、彼女の得意分野とは到底思えない――――それがフェイルの見解だ。
この案を断るのは、薬草士として、男として、そして仲間として、あり得ない事。
「了解。ノートはこれからエル・バタラ開催へ向けて、即効性を重視した商品揃えを徹底してやって行く」
フェイルは完全な納得と感謝を力強い笑顔で示し、ファルシオンに方針決定を宣言した。
「ただいまでーす!」
「今日も見事に無人店ね」
それとほぼ時を同じくして、リオグランテとフランベルジュが来店。
フランベルジュは訓練帰りらしく、美しい金色の髪の毛が少し乱れている。
「余計な事は言わない。もう訓練は終わり? なら手伝ってよ。掃除とか」
「入り口の風通しが悪いから、埃が溜まってるのね。でも私は疲れてるから却下。あーあ、誰かさんが香水店との提携話を纏めてれば、汗の臭いなんて簡単に消せるのに」
その場でガントレットを外し、フランベルジュは汗で湿った髪をかき上げる。
端正な顔立ちとスリムな体型故に、その仕草は本来扇情的だと思われるべきなのだが――――
「ったく、悪態だけは一流だよね……打たれ弱いのに」
「病気にも弱いですしね」
「乗り物にも弱いですよ、フランさんは」
女性一人を含む三人の反応は総じて憐憫的だった。
「あーうっさい! ヘトヘトなのに怒らせるな!」
ガントレットを投げつけながら叫ぶフランベルジュに、フェイルは思わず破顔してカウンターに隠れる。
リオグランテも満面の笑顔。
ファルシオン――――はいつも通りの表情だが、心なしかこの雰囲気を楽しんでいる。
客足の少ないノートでの日々は、退屈な時間が長い。
だがそれは決して無駄な時間ではなかった。
そうフェイルがしみじみ感じている最中、入り口の扉が静かに開く。
「ま、乗り物に弱いくらいなら別に問題ないんだろうけどな」
「あっ、ハルさんだ」
唯一、歓迎ムードで迎え入れるリオグランテとは対照的に、残りの面子の表情は冴えない。
ハルはそんな対応に仏頂面を作りつつ、革製のブーツでツカツカと入店し、カウンターに肘を乗せた。
その視線の先にあるのは――――フランベルジュの顔。
「エル・バタラに参加するんだよな? 冷徹剣士さんよ」
「……誰に聞いたのよ」
「聞かなくても、この時期にギルドに顔出して修練場使う部外者は全員そうだ。悪い事は言わねー。止めとけ」
笑顔で、ハルは痛烈な言葉を投げつけた。
無論、フランベルジュはそれを黙って受け入れるような性格ではない。
猫のような目を細め、露骨にこめかみを引きつらせる。
「どういう意味?」
「言わなきゃわからねーほど、自覚がないとは思えねーけどな……ま、ハッキリ言っちまえば、お前じゃ通用しねーって言いたい訳よ」
例えるなら、雷のような宣告。
貫かれたフランベルジュは、一瞬にしてその顔を狼のように変貌させる。
歯を食いしばったその口元は、今にも噛みつきそうなほど力が入り、小刻みに震えていた。
が――――
「普段のエル・バタラなら、俺もここまでは言わねーよ。けどな、今回はチト事情が違う。特別だ。運が悪かったな」
それを制するように、ハルは優しくも残酷な言葉を連ねた。




