第4章:間引き(4)
何故、この場を提供しているだけのハイトが反応を見せたのか、フェイルには真意を図りかねた。
言葉までは発しない。
だが、傍観者と言い切れる要素は薄まってきた。
尤も、既に若干抱いている警戒心をより直接的にするほどのものでもない。
単に場の空気に飲まれただけとも解釈出来る。
結局、フェイルの下した結論は保留だった。
一方、答えるべき立場の人間は、逆に口元を引き締めている。
「……依頼が果たされた後、こちらが君を始末する……と言いたいのかね」
「当然でしょう。僕が依頼内容を誰かに話せば、世紀の不祥事が明るみに出ます。このリスクを背負い続けるくらいなら、僕一人とっとと始末した方が余程気が休まるし、簡単です。尤も、僕がこの場で断ったとしても同じ事が言えますが」
「随分とこちらを買ってくれているのだな。君は凄腕の狙撃者なのだろう。そう簡単に始末する事など出来ないと思うが……」
「弓引く者が周囲にどう思われているか。それは当人が誰より理解しています」
たかが狙撃手。
接近戦に秀でた傭兵を雇えば、始末するくらい訳はない――――
それが、弓使いに対する一般的な評価だ。
フェイルは――――フェイルだからこそ、それを正しく把握している。
その言は、キースリングの眉間に皺を生み出した。
「これは困ったな。つまり、君がこの依頼を受けるにしろ、断るにしろ、君はこちらから命を狙われると決め付けている。これでは話が進まない」
「いえ。結論はもう出ていますよ、キースリングさん」
ここで、初めてハイトが口を挟んだ。
それは同時に、交渉終了の合図でもあった。
「この場で敢えて宣言する必要のない事を、彼はあえて宣言しました。つまり、その目論見を実行しても無意味ですよ、と警告しているのです。仕事仲間に対して」
ハイトの涼やかな視線が、フェイルに風を送る。
その解釈は概ね正解だった。
「そうですね。僕はどうお考えなのかを純粋に聞きたかっただけです。その内容次第で断る……といった意図はありません。受けさせて頂くつもりです」
「……そうか。ならば宜しくお願いする。報酬は五万ユロー。全て成功報酬だ。他に質問はあるかね?」
「連絡に使う伝言簿記は、どのギルドを利用していますか?」
「ウエストだ。そこに『クワトロ』の名で登録している」
「わかりました。何かあれば、そこに」
契約は成立。
フェイルは席を立ち、深々と一礼した。
伝言簿記とは、直接接触をしないで何かを伝えたい相手に対し、伝言内容を完全に保護した状態で伝える為の手段。
諜報ギルドが行っているサービスの一環だ。
キースリングの指示を待たずにフェイルがその利用を示唆したのは、情報管理を徹底する姿勢を見せる為。
逆に言えば、情報を漏洩、拡散する方法を知っている――――そんな脅迫。
少しでも怪しい素振りを見せれば、この契約内容、つまりエル・バタラという由緒正しき大会で重大な規律違反を行おうとしている蛮行を白日の下に晒す。
そんな他愛のない駆け引きだ。
それでも、自身の命を守る為には必要な事。
ただしまだ足りない。
中途半端な脅しは、向こうに『絶対に生かしてはおけない』と思わせるだけなので、却って逆効果だ。
口封じは裏目に出るかも知れない――――そんな心境にさせたとしても、まだ生温い。
口封じは最悪の選択――――ここまで思わせてようやく安全の方に天秤が傾く。
「了解した。必ず成功させてくれ。君の標的となる人物の情報は、伝言簿記に随時更新して行く。くれぐれも、外部に漏れる事のないよう」
「はい。承知しました」
少なからず、自身の思うようには行かなかった事もあってか、キースリングの表情は晴れない。
その所為もあってか、和気藹々とした雰囲気はなく、足早に懺悔室を後にした。
「……ここって、良く使うんですか?」
残ったフェイルは、ハイトに視線を向けないまま、ポツリとそう問いかける。
「ええ。神への懺悔を行うここでは嘘などつけません。交渉の場としては、これ以上ない場所だと思いませんか?」
「確かに」
横目で眺めたハイトの笑みに、思わずフェイルも破顔する。
司祭の立場にある人物としては、かなり際どい冗句だ。
「それにしても、縁が続きますね。私達は」
「その度に違う顔を見せて貰っていますよ」
「それは、こちらも同じです」
向き合うその目に鋭さはない。
睨み合うでもなく、ただ眺め合う。
その深層を。
「……では、そろそろお暇します」
「ええ。また教会で会いましょう。神の御許に、祝福のあらん事を」
司祭の科白を唱えるハイトとその教会に背を向け、フェイルの夜は更けていく。
帰り道、頭に浮かぶのは――――以前ウエストのデルが吐いていた言葉。
『最近君、結構話題になってるよ』
キースリングがフェイルの事を知ったのも、その『話題』が流れた結果なのは明白だった。
明らかに目立ち過ぎている。
それも、薬草店の主人としてではなく、狙撃者としての自分が。
歓迎すべき状況ではない。
当然だが、裏の活動は秘匿性が重要であり、幾ら裏の住民のみであっても、余り目立ち過ぎるのは得策ではない。
嘆息しつつ天を仰ぎ、数刻前の交渉を反芻する。
ある意味、因果応報ではあった。
以前――――ビューグラスの依頼によって、フェイルはキースリングの二週間を奪った。
その間、何があったのかは容易に想像出来る。
彼が動けない間、かなり重要な会議や商談があったのは間違いなく、それに参加出来なかった事で信用の失墜、若しくは契約不成立などの大損害が生まれたのは明白だ。
実際、キースリング率いるカメイン宝石商会の業績は、やや落ち込んでいるらしい。
そんな噂が流れている時点で、ビューグラスがそれを狙ったのは間違いない。
その理由は定かではないし、確認するのも許されてはいないが。
今回の一件は、リカバリーが目的と考えれば合点がいく。
それも、単に賭博に勝つ為だけではない。
富豪がリスクを承知で動くのは、もっと大きな野心がある時だけだ。
恐らくは、カメイン家は誰か腕に覚えのある人物を立て、エル・バタラでの上位進出を目論んでいる。
この有名な武闘大会で好成績を残した戦士を支援したとなれば、大きな名声を得られるのは間違いないからだ。
武闘大会ではしばしば、そのような動きが起こる。
カメイン家は、スコールズ家の寵愛を受けている為、街中での一定の地位は確約されている。
だが、それは同時にスコールズ家の配下であると認め続けなければならないのを意味する。
もしカメイン家に野心があるのなら、今回のエル・バタラは一つのきっかけになるだろう。
単に賭けに勝つだけでなく、ライバルを蹴落とし、自分達が支援している戦士をより上位に進出させたい――――そんな狙いがあると推察出来る。
「……さて。どうしたものかな」
そこまで考え、心中でそう嘆く。
実のところ、一抹の不安はあった。
キースリングが指名する標的に、フランベルジュが含まれる可能性が否定出来ないからだ。
万が一そうなれば、衰弱させるのは容易い。
日頃から顔を合わせている相手に毒を盛るなど造作もないだろう。
それで多額の報酬が得られるのなら、こんなに効率の良い仕事はない。
無論、それは心情を全て無視した合理性のみの意見。
フェイルは人間なので、心を対象外には出来ない。
仕事は大事だ。
そこに表も裏もない。
でもそれは、仲間を傷付ける免罪符には決してならない。
仲間が友人であっても同じ。
『このお店と貴方は、私達にとって既に特別な存在なんです』
ファルシオンはそう言っていた。
なら、彼女達は身内だ。
仲間だ。
大げさに友情を謳うほどの時間は共有していない。
けれど、単なる知り合いと言えるほど浅い付き合いではなくなってきている。
お世辞にも優秀とは言い難い、未熟でひ弱な面々。
だからこそ感じるものがある。
強き者にはわからない。
多数派には決して見えはしない。
自分を受け入れてくれる人々の存在が、どれだけ助けになるか。
どれほどに救われるか。
フェイルには、それがよくわかる。
だから決意していた。
もし、運悪くフランベルジュが標的となった場合は――――
廃業。
それが、仲間を得たフェイルの代償だった。




