第4章:間引き(2)
今更としか言いようのない事ではあるが――――ここ最近の薬草店【ノート】は迷走している。
勇者一行が現れてから混沌の一途を辿っているが、実はその前から既に兆候はあった。
食虫植物の展示もその中の一つ。
現在は倉庫内に侵入した羽虫をひっそり食しており、倉庫番としての役割を与えられているものの、当初想定した役割とは程遠い所に収まってしまっている。
同じく、アニスによって用意された花々も行き場をなくし、全て枯れてしまい、押し花としてノノの家に贈呈された。
その押し花を作る為に重しとして使用された、二匹の子猫を描いたフェイル作の絵画も、元はといえば店を盛り上げる為の物だったが、今はその名残さえなく埃を被っている。
そして、つい先日アニスが連れてきた名もなき馬に関しては、暫く中庭に放置されていたが――――餌にしていた雑草が大方食い尽くされてきた為、新しい居場所が必要となった。
幸いにも馬車屋を営む業者が馬を欲しており、話し合いの結果、本日引き取りに来て貰う事にした。
「……ごめんな。君を飼う余裕はウチにはないんだ。もし僕が転生して騎士にでもなったら、生まれ変わって戦闘馬になった君にこの足を預けるから」
「ぶるるるるるるるるるるる」
静かに鬣を撫でるフェイルの目に、薄っすらと涙が浮かぶ。
対する馬は鼻息荒くいななき、首を上下に揺らしていた。
首肯しているのか、単なる日常的動作なのかは誰にもわからない。
「新天地で良くしてもらうんだよー」
「ひひーん」
こうして、ノートから馬は去った。
「……ねえ、この別れに要る? 私達」
「黙って見送る。従業員なんだから」
「……」
大して寂しげでもない馬を見送るフェイルの背後で、フランベルジュとファルシオンの両名は、共に然したる興味もない様子で瞼を半分閉じていた。
「従業員って言われてもね。一日の大半が突っ立ってるだけの仕事にそんな呼び方していいの?」
「色々策を講じましたが、結局また閑散とした日々に戻りましたね」
「くっ……」
迷走の果てに辿り着いたのは、暇で埋め尽くされた日常。
失踪した貴族令嬢を見つけ出しても、そこは何も変わらない。
ただ、時間だけは確実に経過していた。
「そもそも、私は今後この店では働かないからね? 前も言ったけど、大会に集中したいから」
武闘大会エル・バタラの開催が近付いている。
それに合わせ、フランベルジュはより激しい訓練を求めていた。
「今日もギルドに行くの?」
「ええ。これから直行するつもり」
その言葉通り、フランベルジュは普段の軽装とは異なり、薄めの鎧とガントレットを装備している。
最初にノートを訪れた際と同じ格好であり、戦闘態勢の証だ。
「ウォレスで訓練場を開放していたのは幸いでしたね。素振りだけでは味気ないでしょうし」
「ホント、それね! 的になる木人形があるだけで全然違うし!」
ウォレスの訓練場に通うようになって、フランベルジュのテンションは確実に上がっている。
だから機嫌も良い。
もしそうでなければ、現在のノートの惨状を先程の数倍の毒舌でぶった切られていただろう――――フェイルはそう解釈し、ひっそりと安堵の息を漏らしていた。
「でも、ウォレスで良かったね」
「……何?」
「あ、いや、何でも」
意趣返しのつもりはなかったが、ついうっかり口に出してしまいそうになった禁句を、フェイルは喉元で止めた。
この街の二大傭兵ギルドの内、バルムンクのいない方がウォレス。
フランベルジュにとって天敵である彼が所属するラファイエットの方だったら、こう機嫌良く通える筈もなかった。
「それより、リオグランテ君は何処に行ったの? まさか、また……?」
「そのまさかです」
ジト目気味のフランベルジュの隣で、ファルシオンが小さく頷く。
令嬢失踪事件以降――――勇者リオグランテは、事ある毎にスコールズ家に招かれ、着実にその貴族との繋がりを深めていた。
このままなら、冒険の終盤辺りでようやく得る事が出来る『経済力豊かな支援者』をこの地で得そうな勢いだ。
「もしかしたらフランの大会参加を待たずに、路銀を確保できるかもしれませんね」
「そうなったらそうなったで全然構わないけどね。お金はあるに越した事ないから」
「野宿はしたくないですしね」
ファルシオンの何気ない一言に、フランベルジュは露骨に顔をしかめ、過去の嫌な思い出に浸っていた。
フェイルの及び知らないところでの苦労が垣間見える。
ここに来る前の話に花を咲かせる二人を尻目に、フェイルはあらためて自身の店に目を向けた。
薬草店【ノート】。
エチェベリア宮廷弓兵団を辞め、この街に戻って来たフェイルが殆ど裸一貫で立ち上げた、小さき城。
王宮と比較する事など出来る筈もない。
ただ、フェイルにとって目的を達成する為に必要な建物である点は共通していた。
弓を世界に広める事を目的とした、王宮。
それとは対照的に――――この店には、とある薬草を招き入れるという目的がある。
治さなければならない女性がいる。
取り除かなければならないものがある。
それを実現させた具体例は、実のところ存在しない。
実際にはあるのかもしれないが、記録には残っていない。
故に、フェイルの目的はかなり曖昧だった。
何でも治せる薬――――そんな物はこの世に存在しない。
万能薬エリクシールの伝説はあるが、伝説は伝説であり、現実に化けてはくれない。
しかし、人間の状態を正常化する薬草なら、存在する可能性はある。
絶滅種に指定されている【グランデスモール】と呼ばれる野草だ。
『矮小』という意味を持つこの薬草は一応、伝承という訳ではなく、薬として加工された実績のある草。
ただし、その記録は一〇〇年以上前に途絶えていて、信憑性に関してはかなり怪しい。
薬草学に明るい人間の間でも、決して有名とは言い難い薬草だし、まして実際に採取・加工を行った事がある人間が現存している可能性は極めて低い。
元々何処に実生していたのか、どの国で採取されていたのかさえわからない。
そういう意味では、伝説と現実の狭間にある野草と言える。
だからこそ、薬草店を営む価値がある。
知名度が低く、実用価値も低いその草は、もしかしたら市場の片隅に眠っているかもしれない。
そういう情報が、何処かに転がっているかもしれない。
普通に生きていたら目にも入らない小さなそれらの粒を、薬草に携わっていれば拾える。
市場の動向を追える立場にいれば、ひっそりと流れてきた無価値の野草を見つけられる。
薬草学の権威の傍にいれば、その権威に会う為に専門家が訪れる。
それが――――フェイルが薬草店を構える理由。
フェイルが薬草士として生きる目的だ。
もし薬草学の権威に直接聞けるのなら、それが最も大きな情報源になる。
だが、出来ない。
決して出来ない理由がある。
「……どうしたんですか?」
暫く考え事をしていたフェイルに、ファルシオンが怪訝な目を向ける。
既にフランベルジュは姿を消していた。
「なんでもないよ。ところで、フランベルジュさんは兎も角として、リオグランテも店を手伝う気はないのかな」
「手伝われても困ります。これ以上お店をボロボロにされても困りますから」
「まあ、そうなんだけど……って言うか、もう完全に店側の目線に立ってるよね、ファルシオンさんは」
嘆息交じりのフェイルの言葉に、ファルシオンは暫し虚空を眺める。
そして、その対応に眉を顰める店主に対し――――
「ファルと呼んで下さい」
そんな発案をして来た。
「……え?」
「他の二人はそう呼んでいるので。一人にだけ異なる呼び方をされると違和感があります。リオの事もリオ、フランの事もフランと呼んで下さい」
唐突な呼称の変更要求に、フェイルは眉間の皺を更に濃くし、思案顔を作る。
他人を愛称で呼ぶ――――その行為は、かつて王宮でクトゥネシリカに対して半ば強引に行っていた。
それだけに狼狽を生む。
「元々リオが言い出したんです。愛称で呼び合って連帯感を生もうと」
「僕と連帯感を生んでどうするの? 勇者一行に加える気じゃないよね」
「それも面白いかもしれません」
冗談を言う表情ではないが、ファルシオンはそんな軽口を淡々と叩いた。
「ただ、私達勇者一行が今まで旅をしてきて、そしてこれからも旅を続ける中で、ここまで一処に留まるのは異例だと思います。ですから、このお店と貴方は、私達にとって既に特別な存在なんです」
その声は熱を帯びてはいなかった。
だが、内容は妙に人間味を帯びていて、バランスを欠いた発言だった。
「……わかったよ、ファル。これで良い?」
「はい」
ファルシオンは笑わない。
ただ、風吹く店前で二つの尻尾を作ったその髪を静かに揺らしていた。
「それでは中に入りましょう。今後フランやリオが首尾良く資金を確保出来たとしても、このお店の経営を健全化する策はこれからも考えていかないと」
「だよね。今のままじゃ仮に借金返済して貰っても確実に潰れるからね……はぁ」
アニスによって、僅かな期間だがゲテモノ料理屋と化したノートの評判は、今や地に落ちている。
何度もコロコロ経営方針を変える、末期の店舗。
レカルテ商店街内でも、そんな評判になってしまっていた。
目的上、フェイルはノートを大手の薬草店にするつもりは特にない。
ただ、存続しなければ明日がない。
一攫千金ではなく、ほんの少しでも経営状況を良化させる案を練る必要が――――
「……ん?」
まだ距離のある店の扉に何かが挟まっていると気付き、フェイルは反射的に左目を閉じた。
刹那――――眩暈に襲われる。
ここ数日、視界がぼやける事が何度かあったが、それがやや症状を増していた。
それでも、次の瞬間には『鷹の目』の平常の視界に戻る。
視界に収まったのは――――羊皮紙。
それもかなり高級な羊皮紙が挟まっていた。
確認した瞬間にフェイルは視線を動かし、上空を見上げる。
だが、視界に広がるのは青空のみ。
草ではなく紙、『落ちている』ではなく『挟まっている』時点で、裏の仕事とは無関係。
つまり、その行為は無意味だった。
それでも思わずやってしまったのは、習慣か、それとも未練か――――
「……は」
笑うでもなく、溜息を落とすでもなく、僅かに漏れた息で前方を揺らしながら、フェイルはファルシオンに見つからないよう、先に扉へと向かい羊皮紙を懐に仕舞った。




