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第4章:間引き(1)



 エチェベリアほどイメージと実質が伴わない国は珍しい。


 隣国の魔術国家デ・ラ・ペーニャを十日足らずで打ち負かしたその武力と実績は、世界各国から瞠目すべき対象と見做され、その名前を上げた。

 特に際立って注目を集めたのは、エチェベリアの武そのものと言っても過言ではない王宮騎士団【銀朱】。

 エリートの魔術士を相手にも一切怯む事なく、縦横無尽に戦場を駆け回るその姿はまさに剛毅果断だったと、のちに旧敵からも惜しみない称賛を受けるほどだった。


 だが――――


 実際には、そこまで銀朱の戦力が圧倒的だった訳ではない。

 彼等はデ・ラ・ペーニャにおいて王城に該当する大聖堂どころか、その大聖堂が存在する第一聖地マラカナンにさえ到達していなかったのが実情だ。


 戦争は、進軍の最中に突然幕を下ろした。

 敵国の突然の降伏によって。


 勢いはあった。

 銀朱の進軍は砂塵が砂嵐と化すほど凄まじく、しかも無敗。

 一度も止まる事なく、敵国の領地を我が物顔で蹂躙し続け、数多の魔術士を葬り去った。


 ただ、それも自分達が無敵だと自覚しての覇道ではなかった。

 単なる戦略的前進。

長期戦になるのを畏れたに過ぎない。


 畏れた理由もまた単純。

 本当の意味で戦力が充実している訳ではなかったからだ。


 銀朱には二人の天才がいる。


 剣聖ガラディーン=ヴォルス。

 銀仮面デュランダル=カレイラ。


 ガーナッツ戦争と呼ばれた両国の戦いにおいて、戦果の大半はこの二人の部隊によってもたらされた。


 もっと突き詰めれば、この二人だけで敵の心臓部近くまで軍を進めた――――としても、決して大げさではない。


 敵の急所を素早く見抜き、躊躇なく突くガラディーンの嗅覚は、個との争いだけではなく集団戦闘でも発揮され、指示も極めて的確。

 剣聖という称号は、腕っぷしに対して贈られるものではない。

 ガラディーンは稀代の剣士であり、同時に戦略家でもあった。


 そして、そんなガラディーンの戦術的思考を、デュランダルは完全に理解していた。

 その上でガラディーンの部隊を完璧に支援し、場合によってはガラディーンの部隊よりも前に出て、最前線で頭を叩いた。

 

 全ては予め示し合わせたものではなく、双方が双方を理解し、信頼した結果。


『彼ならこう動く』

『奴ならこう考える』


 その理念に従い、兵は駆けた。


 離れた二つの部隊が、まるで一つの生物のように動き、そして補完し合う。

 魔術国家が為す術なく突破を許した最大の要因は、二人の天才の間に全く齟齬がなかった事であり、侵略の速度が余りに速過ぎて対策を全く立てられなかったからに他ならない。


 逆に言えば、銀朱はその二人の才能に頼りきった騎士団でもあった。


 指揮官が軍師と斬り込み隊長と司令塔を兼任する理由は、他に適切な人材がいなかったから。

 これが露呈する前に決着を付けなければならなかったのが実情だ。

 世界的な名声を得たその一方で、銀朱には人材不足という大きな課題が残った。

 

 それから約十年。

 課題は已然として解消されず、優れた司令塔も圧倒的推進力で軍を牽引する先兵も育たないまま、今に至る。


「指導者が無能なのか、それともスカウトが無能なのか。潜入に成功したのは良いけど、この国の未来は暗いね……どうにも」


 その騎士団が護る筈の王宮内で、嘲笑の部類に入る笑みを浮かべたその医師は、堂々と闊歩していた。


「仕方ないかもしれません。普通の天才がいる組織には、その天才を慕って多くの有力な若者が集うものなんですが、彼等は並の天才じゃありませんから。余りにも強烈な光に、有望な人材は目を晦ませてしまい、姿まで晦ましてしまったんでしょう」


「なんだそりゃ。どうせ敵わないからやーめた、って感じか?」


「近付けさえしない、眼中にさえ入らない……ってところだと思いますよ。村や町で一番と持て囃され、この国で最強の兵士になるんだって意気込んでいた子供は、それなりにプライドも育みます。そんな人物が成人して彼等と対峙した時、そのプライドを簡単に捨てられるかというと、そういうものではありません」


「中途半端に才能があるからこそ、自分とそいつらの差がわかって嫌になる……か。まあ聞いた事はあるよ。バケモノっていうくらいの天才がいる所には、才能の花は咲かないってな」


「医学の分野にだってある話じゃないですか? 勿論、生物学も同様です。年は取っても屈辱感は味わいたくないですからね」


 一方、苦笑の部類に入るであろう笑顔を浮かべ隣を歩く人物の職業は――――研究者に分類される。

 生物学の権威であると同時に、各国を渡り歩く放浪人。


 そして――――


「ここですね。さて、ちゃっちゃとやっちゃいましょう」


 王城内の書庫の一つへと入り、奥に並ぶ棚の前に立ち、そこにある書物を全て隣の書棚へと移した。


「以前は無造作に放り投げたものでしたが……僕も大人になったものです」


「俺より遥かに年上の癖して、よく言うよな。全く」


 呆れる医師――――医学の権威を他所に、生物学の権威はルーンを描き始めた。

 程なく、宙に浮くルーンは霧散し、同時に空になった本棚が崩れ落ちる。


「これって、第一級幻覚?」


「二級です。一級だったら僕には手に負えませんよ。大した魔術士じゃありませんから」


 自らを『魔術士』と名乗った生物学の権威は、苦笑のままに歩を進め、崩れた本棚の先に現れた扉を開いた。


「王宮の機密を管理する部屋にしては、防犯対策が甘いかもしれませんね」


「それ以上に、剣聖と銀仮面がいないとここまで脆くなっちまう戦力の方が問題だと思うね、俺は」


 やはり同じ笑みのまま、医学の権威も続いた。


 その先にあるのは――――膨大な書物。


 表の本棚に置かれている数の比ではない。

 王宮内のホールに匹敵する広さを所狭しと並び立った背の高い本棚に、ほぼ隙間なく敷き詰められている。


 この国にとって意味のある者となった人物全員分の資料。

 同時に人質でも担保でもある。


「それでは、ここからは単独行動という事で」


「は? ムチャ言うなよ。何度もここに来てる君とは違って、こっちは初だぞ? こんなアホみたいに並んだ書の中から欲しい資料だけ探し出すなんて、一月あっても無理だろ」


「貴方なら、適当に選んで数冊読めば、大体の傾向がわかりますよ。どんな人の資料がどの本棚のどの列に並べられているか。護衛の方を余り外に待たせるべきじゃないですから、頑張って見つけて成果を挙げてください」


「おい! マジかよ……」


 心からの笑みで手を振り、生物学の権威は小さい怒号を無視して本棚の隙間を歩き進む。

 窓などある筈もないこの空間、扉を閉めた時点で深遠の闇に染まる筈なのだが、肉眼で六つ先の本棚まで見通せる程の明るさが確保されている。


 そんな中で、生物学の権威は迷いなく進み、そしてとある地点で歩を止めた。


「さて……と。スティレットさんも面倒な頼みごとしてくれますね、本当に」


 嘆息交じりに独りごち、一冊の資料を手に取る。



 その中には――――



 ファルシオン=レブロフの名が記されていた。




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