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断章:無駄無の弓(18)

 新たな日課を得て、それなりに充実した暮らしをしていたフェイルは、この日も城内の書庫を訪れていた。


 ほぼ自由に動かせるようになった左腕で、既に何度か目を通した資料を手に取ったその時――――


 それは起こった。



 小さい振動。


 そして――――爆発音。



 膨大な量の音の波が、間断なく押し寄せてくる。


「な……!?」


 フェイルは思わず身を竦ませ、直ぐに書庫から飛び出した。


 資料が棚から零れるほどの振動ではない。

 爆発音も、近くから聞こえたものではなく、轟音とまでは感じなかった。


 だが、このエチェベリア城の何処かで爆発が起こったのは確か。

 それが何を意味するか。

 想像は決して困難ではない。


 爆発という事象自体、魔術以外ではまず起こりえない事。

 加えて、この城が襲撃されたとなれば、その意図するところは一つしかない。


 魔術士による報復。

 先のガーナッツ戦争以降、エチェベリアとデ・ラ・ペーニャが表立って対立する事はなかったが、屈辱的大敗を喫した魔術大国が、大人しくその状況を受け入れる筈もない。

 いつ生まれてもおかしくない新たな火種が、いよいよ投げつけられた――――その可能性が十分にある事態に、フェイルも緊張を隠せず、全速力で弓兵団の宿舎へと走り出す。


 まだ完治はしていないが、多少は動ける以上、戦力とはなり得る。

 そして、この宮廷に身を置く以上は、外敵から城を守る必要がある。

 何時ぞやの盗賊とは意味合いが違う――――


「……?」


 そこで、フェイルは思考を留めた。


 前回は潜入のみ。

 今回は爆破。


 この事実だけを切り取れば、誰もが前回を『下調べ』、今回を『襲撃』と判断するだろう。

 フェイルも実際、思考が自然にそう流れていくのを傍観していた。


 それがもし、意図的な誘導だとしたら?

 表層とは別の、真の目的が内部に潜んでいるとしたら?

 今回"こそ"が、盗み目的の進入ではないのか――――?


「……」


 フェイルは一瞬の逡巡の後、踵を返した。


 爆破はフェイク。

 城を混乱させ、警戒レベルを引き上げ、外部からの新たな襲撃に備えさせる。


 盗賊なら、侵入者だけを捕らえれば良い。

 が、襲撃であれば、先行部隊の陽動の後に本隊が現れる可能性が高い。


 当然、注意は外に分散する。

 内部で窃盗を行う上では邪魔になる、城内にいる人間を外へ追いやる上では、有効な手段と言えるだろう。


 もし今回の侵入者の目的が盗みだとしたら、今頃城内で詮索をしている筈。

 ただし目的の物がわからない以上、侵入者がどの部屋を目指しているのかはわからない。


 まして、今のフェイルは武器も持たなければ万全でもない。

 それでも城内を疾走し、怪しい人影を探したのは――――意地だった。


 何かを成したい。

 王の為でも、まして国の為でもない。


 弓も持たないその手でも、自分だけの何かを掴みたい。

 まだ掴めると信じたい。

 その一心で、城内を駆け巡った。


「はっ……はっ……ぜっ……」


 怪我の影響で走り込みを余り出来てなかった為、体力が落ちている。

 足腰を鍛える重要性を、身をもって体験した格好となったフェイルは、今後の人生でも決して怠らないようにしようと決意した。


「……はっ……くっ」


 息を切らし、肩を大きく上下動させながらも、侵入を許されている領域全てを走破。

 不休で走り続けた結果――――何も成果はあげられなかった。


 それが人生。

 生きるのなら、挫折と虚無感はこれからも味わい続ける。

 ならこの経験も、耐性を付ける為の一助になるだろう。


「……はっ」


 切れた息を自嘲気味に漏らし、廊下の壁に寄り掛かる。

 直ぐ傍には、先程まで調べ物をしていた書庫。

 ふと、自分用に書き溜めている帳面を置きっ放しにしていた事を思い出し、苦笑しながらその扉を開く。


「――――!」


 そこに、人間がいた。

 一切の気配を放っていない、まるで幽鬼のような佇まい。

 何時ぞやの盗賊同様、不気味な白色の仮面を被った侵入者は、悠然とフェイルの帳面を読んでいた。


「貴方のですか? とても良く纏めてますね。何より見易い」


 そして、感情のわからない、篭った声で賛美を示す。

 フェイルは吹き出る冷汗をそのままに、目を鋭くし、その様子を睨んだ。


 戦闘の様相は――――呈さない。

 見つかったにも拘らず、侵入者に殺気や敵意の類は見られず、寧ろそれを歓迎しているような節さえあった。


「確か貴方は、以前来た時に矢を放った方ですよね」


「……やっぱり、同一人物だったんだ」


 そう告げつつ、内心では冷や汗が止まらない。

 この盗賊から自分が認識されていた事実に。


 自分と同じ『鷹の目』の持ち主なのか。

 達人級に気配の察知に優れているのか。

 それとも、他に何か方法があるのか。


「目的は何? 城に眠ってるお宝……なんて感じじゃないけど」


 いずれにせよ、フェイルは自分の中の強い警戒心を、警戒心の中で押し留めるのに必死だった。

 一つ間違えば、それがたちまち恐怖心に化けてしまうのを知っているから。


「襲撃じゃなく劫盗である事を見抜いていましたか。大した洞察力ですね。見たところ、まだ相当若いのに」


「お褒めに預かり光栄だね」


 得体の知れない相手に対し、無闇に刺激を与えるのは良くない。

 かといって、弱気な姿勢を見せるのは論外。

 フェイル自身、完璧に考えてのものではなかったが、実はこの侵入者にとって軽口は最良の対応だった。


「大した事じゃないんですけどね。ちょっと身分照会が必要な人がいまして、その資料を貰いに。何せここには、歴史上この国にとって意味のある人間となった全ての方々の資料が揃っていますから」


「……え?」


 仮面を被った侵入者の言葉に、フェイルは思わず間の抜けた声を返す。


 この国にとって意味のある人間――――余りに曖昧な定義だが、余程深読みしない限り、夥しい数になるのは必定。

 そんな膨大な書物が、フェイルでも出入り出来る書庫にあるなど、とても現実的ではない。


「知らなかったみたいですね。ま、当然です。隠し部屋にしてますからね。ついて来ます? 今から行こうと思ってたところなんで」


「……僕があんたをひっ捕まえようとしてる、って心配は全くしてないんだね」


「ええ。していません」


 侵入者の断言は、単にフェイルの心理を読んでのものではない。

 戦えば楽に勝てる――――圧倒的な戦力の優位性が前提だった。


 フェイルもまた、それに異存はなかった。

 力量を測りかねる相手。

 すなわち、計りきれない相手だ。


 しかも、先程の爆発音が彼の仕業なら、魔術士の可能性が高い。

 武器もなく、万全でないこの状態では、善戦さえ出来そうになかった。


「どうします? 貴方にとってもきっと、有意義な資料があると思いますよ。貴方自身の資料もある筈ですから。その目とか……出生の事も書いているんじゃないですかね」


「!」


 フェイルの目が大きく見開かれる。

 もし、本当にこの書庫に隠し部屋があり、そこに自分の資料があるのなら――――自分さえも知り得ない自分自身の事が記されているかもしれない。


 王宮が自分をスカウトした理由については、フェイルは今も知らされていない。

 そういった情報が記載されているのなら、是非知っておきたい。


 何故、自分はこのような目を持っているのか。

 本当の親は――――


「知りたいですよね。誰だってそうです。誰もが自分を知りたい。自分を知れば、自分の可能性を認める事が出来ます。何より、自分の中に未知の部分があるという状態は、余り気持ちの良いものではありませんからね」


「……」


 フェイルは、頷いていた。

 殆ど無意識に。


「こちらです」


 それを先程の回答と判断したらしく、侵入者はフェイルの帳面をテーブルに置き、奥の方へと歩き出した。


 そして、背中越しについて来るフェイルには一瞥もくれず、最奥の右から二番目に並んだ棚の上から、二段目の棚にある資料を全て無造作に投げ捨て――――


「解約系魔術は苦手なんですが……えっと、これはこうだから……ハガル、ソエル、マン……と」


 棚の奥に手を入れ、ルーンを描き出した。


 そして――――


「ん、どうやら正解です」


 そんな言葉と同時に、ガラスが割れるような音が鳴り響き、そこにあった本棚は音もなく崩れ落ちた。

 上下の棚に収まっていた資料は全て床へ落ち、その先に――――扉が現れる。


 紛れもない、隠し部屋。


「情報というのは、お金や権力と一緒なんですよ。一箇所に集めておくと大抵ロクな事にならない。程良く分散させておく方が良いんです。それと、やっぱり適材適所って大事ですよね。自国の情報は自国のシンボルが管理するのが一番。そうじゃない情報は、多くの国から人が集まる場所にしまっておくのが自然です。だってそうしておけば、無用な混乱を生まずに済みますから。『これが知りたいならここ、だってここはこういう場所だから』って筋の通った説明を出来る方が面倒なくていいと思いませんか?」


「……」


「っと、喋り過ぎましたね。前にいた所では、それで失敗したんですよ。あ、喋りついでにもう一つ」


 扉に手を掛けながら、侵入者はそれまでと変わらない口調で、穏やかに告げた。


「ここで見た事は全て御内密に。その方が色々と楽です」


 それに頷く事も、拒否する事もせず、フェイルは顔をしかめたまま、隠し部屋へ侵入する仮面の者の背中を追った。





 ――――そこでフェイルは、様々な事を知った。


 自分の事。

 自分を取り巻く人々の事。

 故郷の事。


 そして、ある女性にこれから訪れる重大な危機を。



 複雑に絡まった糸の存在を知ったフェイルはその日。





 夢から身を引く決心をした。









「――――お世話になりました。ここでの生活、貴方に教えて貰った事、全て忘れません」


 夢のように淡く、そして儚い日だった。

 フェイルは今日、王宮から、そしてデュランダルの元から去る。


 それは、必然の選択。

 知ってしまったのだから。


「ひっそりと生きる事だ。日の当たらない場所で、静かにな」


「そのつもりです」


 師の言葉に惜別の念を覚え、それでも見るのは、遥か前方。

 その果てに新たな道がある。


 それはもう、夢とは呼べない代物になっていた。


 夢なら、例え潰えても許される。

 次の道を作れる。


 だが、これから歩む道の代わりはもうない。

 失敗は決して許されない。


 慎重に事を運ばなくてはならない。

 悟られてはならない。

 もし自分のしようとしている事が当事者に露呈した場合、最悪の結果が待っているだろう。


 その中で出来る事をするしかないのだが、決して平坦な道ではない。


 "彼女"を正常な状態――――と言えるかどうかは兎も角、普通の何処にでもいる人間にする為には、正攻法は存在しないらしい。


 望みがあるとすれば、人間を正常化させる何か。

 異常を人体に影響なく取り除ける、何か。

 そういう物をフェイルは欲していた。


 熟考の結果、可能性があるとすれば、それは薬草だと思い立った。

 治癒という現象を『人間の元々の姿に戻す』と解釈するならば、それが可能なのは薬草しかないからだ。


 既に薬品として加工した物では意味がない。

 彼女の状態に特化した薬草でなければ。


 だが、彼女の"容体"はどうにも深刻で、単なる病気や怪我とは次元が違う。

 治せる薬草があるとしても、それは通常の流通には出回っておらず、自然に生えている物を探すしかないと当初は考えた。


 けれど、それは不可能だと思い知らされる。

 フェイルの頭の中には、既にこの世界の薬草の大半が入っているが、可能性のある薬草は全て既に自生していない絶滅種。

 特別な効能があると信じられていた物だけに、乱獲されたのが主な原因だ。


 自然の中を探しても無駄。 

 なら、誰かが入手したその薬草が市場に流れるのを待つしか方法はない。

 鉱石などと違って、オークションに出る可能性も皆無だからだ。


 その為にまず、薬草店を出す。

 それ自体、完全に未知の世界だ。

 まして、そこで店主として働く自分など、まるで想像が出来ない。


 それでも、やらなければならない。

 夢ではなく、もっと切実な使命なのだから。


「フェイル=ノート!」


 突然上がった声に、フェイルは思わず身を竦める。

 いつの間にか地面を向いていた顔を上げると、そこは既に王宮の門だった。


 その門の傍に、アバリスが立っている。


 アバリスだけではない。

 エチェベリア宮廷弓兵団の面々が集結していた。

 除隊し、これから王宮を離れるフェイルの為に。


 そんな予定など一切聞かされていなかったフェイルは、驚きを禁じ得ず、目を見開く。


「おいおい、そんなしょぼくれた顔すんなよ!」


「そうだ! お前は紛れもなく、この宮廷弓兵団の一員として立派に戦った!」


「お前は勝ったんだ! もっと胸を張れ! 明るく別れようや!」


 先輩方のそんな言葉が群れを成し、フェイルを容赦なく包み込んでいく。

 全く未知の出来事に、フェイルはただただ翻弄され、たじろいだ。


 狼狽し、翻弄され、怖気づき、萎縮する。

 それくらい、あり得ない事だった。

 フェイル=ノートの人生の中では、決してあり得ない出来事だった。


 恵まれた周囲を敢えて拒絶し、目標の為に疾走した日々に後悔はない。

 夢破れた事への悔恨はあるが、それでも自分の選択は間違ってはいないと胸を張れた。

 だから、それと引き替えに切り捨てた多くのものは、決して自分に寄り添ってはくれないと、そう決め付けていた。


「……」


 だから、対応が全くわからない。

 戸惑いの中で、フェイルの目は救いを求めるかのようにアバリスへと向いた。


 別の得物の使い手を師と呼び、自身を『苦手』と明言した若輩者に対し、その男は――――


「酒が飲める歳になったら訪ねて来い。酔い潰して、身の程をわからせてやる」


 決して得意でない冗談を、餞に送った。


「……返り討ちですよ。全員、盛大に潰してやります」


「ぬかしおって」


 フェイルは、これまでで一番、耐えた。


 目の前のアバリスは、気持ちの良い笑い顔を覗かせている。

 それに応えるには――――涙ではなく、笑顔。

 とても苦手で、まるで慣れていない満面の笑顔。


 それだった。


「フェイル、最後に一矢撃ってみたらどうだ? 虚空に向けて撃つのは気持ちが良いぞ」


 先輩のそんな声をきっかけに、弓兵団から『一矢』コールが生まれる。

 普段、訓練の最後の一射の際に叫ばれるコールだ。


「了解」


 フェイルは、背負っていた弓を手に取り、矢筒から一本の矢を取り出した。


 的も標的もない所へ撃つ事をしなくなって、どれ程の年月が経過したのか。



 最初は、ただ矢を放つ事が楽しかった。


 弦の弾力に驚き、想像以上に力が必要な事に驚き、まるで飛ばない矢に驚き。


 その驚きが、楽しかった。



 そして、今。



「フェイル=ノート、撃ちます!」



 まるで違う、でも極めて近い感情を乗せ、宮廷弓兵団――――史上最年少の弓兵だった少年は、子供のような顔で矢を放った。


 無限に広がる青は、少しずつ前へ進む力をなくしていく矢を優しく包み込み、そして再び力を与える。


 次第に強く。


 そして速く。


 風を裂き、流星のような勢いで墜落するその矢は、いつまでも、フェイルの心の中に残像となって残り続けた。





 こうありたい。


 あんなふうに生きていこう。





 そう願って、一つめの旅は終わった。











"αμαρτια"




 chapter 0.5 「無駄無の弓」
















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