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断章:無駄無の弓(17)

 弓兵が、最高の舞台である御前試合で、槍兵を相手に一対一の戦いに勝利した――――



 この事実を誰もが純粋に受け止めるならば、それは手放しに賞賛され、弓という武器の必要性や応用性にまで言及されるだろう。

 接近戦でも戦える武器だと一般的に知られていない中での虚を突く攻撃や、攻め入られた際の思わぬ反撃、或いは防衛。

 戦略は果てしなく広がり、軍事力の底上げに繋がる。


 ――――筈だった。


 だが、現実には必ず多面性が存在し、その中には先入観や個人の感情、そして悪意も含まれる。

 先日開催された御前試合の第一戦は、その典型的な例となった。


 結果だけを見れば、弓兵が槍兵を下す世紀の番狂わせ。 

 だが、まずそこに余興じみたカードが組まれやすい『第一試合』という不純物が含まれる。

 戯れの域を出ない戦いだと切り捨てる者も、少なからず生まれてしまう。


 更にそこへ、『弓兵が槍兵に白兵戦で勝てる筈がない』という先入観も加わる。

 対戦相手が手心を加えた、やる気がなかった、体調が悪かった、賄賂を受け取った――――そのような全く根拠のない憶測が飛び交う土壌が、既に出来上がってしまっている。


 そして極めつけは『疑惑の判定』。

 観客席からも状況が見え難い中で審判の下した勝敗の判断に、観戦者の殆どが疑問を呈し、中には一笑に付した者もいた。


 大方、不利な弓兵に甘い判定を下し、御前試合を盛り上げるよう事前に命じられていたのだろう――――


 そんな風評が、実しやかに囁かれていた。


 結果、この戦いにおいて波及が見られたのは『期待の若手槍兵が弓兵に苦戦した』といった部分のみ。

 他の要素はものの数日でアッサリと風化してしまった。

 

 無論、それがフェイルにとって最悪の結果である事は、言うまでもない。

 弓矢に一切光が当たっていないのだから。


 しかもこの結果によって、王宮内において『弓兵が白兵戦で勝利する事』の意義が殆ど失われてしまった。

 もし同じような戦況をフェイル、またフェイル以外の弓兵の誰かが作ったとしても、その戦いを見ていない人は嘲笑しながらこう口を揃えるだろう。


『どうせ、またあの時みたいに温情で勝たせて貰ったんだろ?』と。


 それはつまり――――フェイルの夢が潰えた事を意味した。


 戦いには勝利した。

 その結果、トラインデントは御前試合の一週間後、自ら除隊を申し出た。

 だがフェイルを賞賛する声、そして弓矢を見直す声は一切聞こえてはこなかった。


 御前試合から二週間後。

 自分に下された審判を噛み締めるように、フェイルは毎日見上げていた空を、この日も漫然と眺めていた。


 本来、この時間は宮廷弓兵団の合同訓練が行われている最中。

 だがフェイルはその場にはいない。


 理由は複数ある。


 現在、フェイルは合同どころか個人訓練も行っていない。

 御前試合で負った怪我は、全治二ヶ月と診断されていた。


 左上腕骨の頚部骨折。

 頭部裂傷および線状骨折。

 いずれも重症だ。


 特に頭部の負傷に関しては、今後に後遺症が残る可能性も否定できないと宮廷内の医師に告げられていた。

 幸いにも、今のところ頭痛や吐き気、或いは意識の混濁などは生じていない。

 偶に目が霞む程度のものだった。


 頭を包帯で覆い、左腕を固定した状態でまともな訓練は出来ない。

 脳が揺れるため走るのも禁じられている。

 ただ仮に、その負傷がなかったとしても、修練に臨む意義を見出す事が出来なかっただろうとフェイルは自覚していた。

 

 この場所で出来る事はもう何もない。

 けれど出ていったところで、この場所以外で夢を満たせる場所もない。

 八方塞がりのまま、怪我が癒えるのを待つだけの日々が続いている。


 もしクトゥネシリカとフレイアが今も王宮内にいれば、どうだっただろうか?


 クトゥネシリカは『勝利は勝利だろう! いつまでクヨクヨしているんだ!』と叱咤し、フレイアは素直に称賛してくれていただろう――――と、そんな無意味な空想がやるせない溜息を生む。

 それで癒やされたところで、未来は何も変わらないというのに。


「フェイル=ノート」


 フルネームで呼ばれ、一瞬身を振るわせる。

 だがその声が男性のものだと理解し、また一つ息が漏れた。


「……何か用ですか」


「無理して畏まる必要はない。もう自分は王宮騎士ではないのだからな」


 フェイルの頭上から見下ろすトラインデントの顔は、逆光で見えなかったが――――そこには志半ばで去り行く者の悲哀はないように、フェイルには思えた。


「恨み節なら聞きませんよ。僕だって辛酸を嘗めた口ですから」


「今まで数多くの夢を摘んできた身だ。逆恨みが正当化されるほどの徳はない」


「……」


 クトゥネシリカの件もあり、フェイルのトライデントに対しての心証は最悪に近いものがあった。

 それは試合を終えた後も変わらない。

 ただ、彼の不意打ち気味に放った魔術を躱した事で、若干ではあるが溜飲が下がっている自分もいた。


「辞めるって話は結構前に聞いてましたよ。まだここにいたんですね」


「これでも一応、挨拶をしなければならない相手が多い身だ。礼儀を尽くして去るにはそれなりに時間はかかる。特に、自分は嫌なものを後に回す性格だ。ここ数日は余り生きた心地がしなかった」


「そうですか」


 特に興味もない会話に、フェイルは生返事で対応する。


 有望な若手の将来を潰した――――そんな実感は、フェイルにはない。

 寧ろ、自分が潰された実感の方が遥かに強かった。


 あの戦いに、勝者はいなかった。

 あったのは破滅のみ。

 どちらにとっても呪われた試合だった。


「こっちも礼儀として聞いておきますけど、なんで辞めたんですか? 恥かいて居場所をなくしましたか」


「そうだな。弓兵相手に敗北を喫しても居残り続けるほど恥知らずではない。だが正式には辞任ではなく解任だ」


「……」


「そんな顔をするな。弓兵に負けた槍兵など不要……などといった君への侮蔑的な理由ではない。試合中に使った魔術だ」


 その理由は、フェイルも頭の片隅にあった。


 エチェベリアにおいて魔術の使用が禁じられている訳ではないが、使用出来る事を申告していなかったのは、規定には反しないまでも、著しく忠誠を疑われても不思議ではない。

 普段、トライデントは魔具を身に付けていない。

 意図的に隠蔽しているのは明らかで、その理由が『切り札にする為』であるならば、それは自軍――――銀朱の切り札ではなく自身の切り札という事になる。


 敵を欺くには味方から、との信念を持つ者も中にはいる。

 しかし背中を預け合い国家を守り抜く騎士団において、その信念は反逆に等しい。


「隠していた理由は聞きませんよ。興味もない。でもあの試合で使った理由は多少、気になりますね。使わずともそっちが押していたでしょう?」


「君はそう感じていたのか。自分は違う。試合の流れは君に向いていた。自分は苛立っていたし、平常心を失っていた。床に散らばっていた矢に足を取られはしないか……とすら考えていた。神経質になっていた」


「だから、焦って使用した……」


「その通りだ。万が一を考え魔具を仕込んでいたが、どちらかと言えば精神の安定を目的としたものだった。いざとなれば不意打ちで倒せる……と。まさか裏目に出るとはな」


 トライデントが真相を語っている保証などない。

 ただの対戦相手に対するリップサービスであっても、何ら不思議ではない。


「接近戦で弓矢を使われる事が、あれほど厄介とは思わなかった。何せ経験がない為、戦略の予想がつかない。口惜しいが、あの御前試合の一日は自分の日ではなかった」


 だから、フェイルの気持ちは晴れない。

 認められたかったが、それはあくまでも多数の人間に対して。

 対戦相手に認められたところで、何かが変わる訳でもないし、報われもしない。


 ただ無駄な時間が、静かに流れていく。


「余り関心もないようだし、手短に話そう。自分はこれまで何人もの夢を潰して、その都度、夢破れた者の顔を見てきた」


「知ってますよ。そんな顔を見るのがお好みって嗜好は理解しかねますけど」


「好きになるしかなかった。そうしなければ……耐えられなかった」


 突然の予期しない言葉に、フェイルは思わず眉を顰める。


「この宮廷で伸し上がろうとするならば、数多の夢を潰し、その残滓を踏み台にして上り詰めなければならない。言い換えれば、他人の夢を肥やしにする事でしか上へは行けない。その作業を延々と繰り返す日々は、陰惨でしかなかった」


「……」


 同時に、何故そんな事を話すのか、その意図の理解にも苦しんだ。

 今更、善人を演じたところで何になるのか。

 この告白を真実だと判断しても、それが何を生み出すのかさえわからず、フェイルは内心首を傾げていた。


「もし今後、君がこの宮廷内で何かを成そうとするなら……その事を頭の片隅にでも入れておくと良い。自分は歪んだ解決策しか導き出せなかったが、君には別の答えもあるかも知れない」


「仮にそうだとして、僕が貴方と同じように、他人の夢を潰す事に苦痛を覚えるとは限らないんじゃないですか?」


「それならそれで構わない。世の中には鈍感な人間が大勢いるし、それが悪いとも言えない。が、自分を踏み台にした人間が、自分と同じ理由で躓くのでは、自分が今までやって来た事が余りに無意味ではないか……そう思ったまでだ。他意はない。今更、何を自己弁護したところで見直されもすまい」


 トライデントは饒舌に語る。

 それはまるで、長年の重荷を下ろした事による開放感がそうさせているかのようだった。


「以前も言ったが、フェイル=ノート。君には才能がある。今後どのような選択をするかは君次第だが、ここにいる間は全てが可能性を有している。見切りをつけるのは辞めてからでも遅くはあるまい」


「……まさかとは思いますけど、僕の事を気遣いに来たんですか?」


「さてな」


 トライデントは短くそう締め括ると、別れの言葉も告げず、視界から消えて行った。


 何の事はない。


『思い通りに行かなかったからと言って、ふて腐れるな』


 彼はそれを言いに来た。

 自分の夢を潰した、年下の男に。

 果たして、同じ事を自分に出来るものなのか――――フェイルはそんな事を考え、再び空を仰ぐ。


 雲一つない青空。

 最後に見せたトライデントの顔は、そう形容しても違和感のない、憑き物が落ちたような表情だった。


 だが決して善人の顔でもない。

 フェイルは終始、トライデントの発言に胸をざわつかせていた。


 言葉だけを追えば、良い事を言っていたように思える。

 実際、そう解釈しても構わないだろう。

 今後二度と会う事がないのであれば、正解だろうと不正解だろうと実害はない。


 けれど、トライデントの発言は、何処にも心模様が見えなかった。

 最後までクトゥネシリカへの謝罪がなかったのが、大きな理由かもしれない。

 ただ、それだけとも言えない何かが、決定的に欠けているようにも感じられた。


 トライデントは、何の為に伸し上がろうとしていたのか。

 何を成し遂げたかったのか。

 誰の力になりたかったのか。


 もし、騎士という立場でしかそれを成し得ないのであれば、あんな顔は絶対に出来ない。

 ならば彼は、これから何を――――


「……バカバカしい」


 気付けば、興味がないと断じていた筈の事ばかりを考えている自分に苛立ち、意図して舌打ちする。

 

 トライデントはフェイルがここへ残るのを前提に話していたが、残って一体何が出来るというのか。

 残る事が果たして正解なのか。


「……」


 フェイルは、自分に残された可能性と向き合い、もう一つ息を風に混ぜた。





「……暗殺技能?」


「そうだ」


 ある程度怪我も治り、ようやく体が動くようになったフェイルに、デュランダルは普段の口調のままその言葉を発した。


「言葉は悪いが、弓矢とは元々、暗闘に使用される事の多い武器だ。暗器と言っても過言ではない。その技能を取得しておくのも、弓術の幅を広げる上では有用だ」


「僕に暗殺者になれと?」


 半眼で問う。

 デュランダルは特に表情を変えず、鞘を磨く手を止めた。


「それを身に付けたからといって、暗殺者にならなければならない決まりなどない。単純に、群れたがらないお前には最適な技術と判断しただけだ」


「ま……確かに。でも良いんですか? 栄えある副師団長様が、そんなドス黒い技術を教えるなんて」


「余計な心配は不要だ。それより、もう動けるのか?」


「ええ。もうとっくに」


 実際は違和感が残っていたり、突っ張ったりする所が残っていたが、フェイルは強がりを言い放った。


 兎に角、何かをしたかった。

 折れた心を奮い立たせる為の、何かを。

 その為には、新たな技術の取得はまさに最適だった。


 暫しの間、フェイルはデュランダルから直々に暗殺技能を習い、それを吸収した。


 通常の弓術との最大の違いは、毒草を用いる事。

 一撃必中、一撃必殺が必須の暗殺において、矢の殺傷力だけでは心許ない。

 そこで毒の出番となる。


 古来より、矢には毒が使用されており、狩りに弓矢を使う場合は重宝もする。

 それを人に使うだけの事だった。


 更に、暗殺における弓使いは、狙撃手としての行動が必要となる。

 集団で後方支援を行う宮廷弓兵団の在り方とは真逆で、常に単身で動き、一人で全てを成す。

 標的を確実に仕留める為、その標的の行動パターンを調べ、誰にも見られない場所を探し、そこに身を潜め、標的が所定の場所に現れるのを待ち、狙い撃つ。


 この一連の行動全てが『暗殺技能』だった。


 その技能を、フェイルは数ヶ月の間、みっちり叩き込まれた。   


 そして――――


「毒草の知識も入れておけ。状況と場合に応じて使い分けが出来れば尚良い」


 ありがたい師匠の言葉の元、フェイルは宮廷内の書庫で毒草の資料を漁るようになった。


 毒草と薬草は、実のところ全く同じカテゴリーのもの。

 人間の身体に害となるか益となるかか、それだけの違いで区分されているに過ぎない。

 その為、薬草の資料がそのまま毒草の資料でもあった。


 既に薬草とは縁がある。

 ここへ来る前に暮らしていた街で、世話になっていた家族の長が薬草士だった。


 それも名のある薬草士で、大屋敷を構えるほどの実績と才を有した識者。

 屋敷内で幾度となく遊んだフェイルは、幼少期より薬草に慣れ親しんでいた。


 無論、どれがどんな名前で、どのような効力がある草なのかは全くわかってはいなかったが、子供の頃に印象に残ったものは、例え歳を重ねても覚えているもの。

 資料に絵付きで載っている草の多くは、その記憶の中に残っているものだった。


 こういった土台もあった為、怪我が完治する二ヶ月の間、フェイルは1000種以上の薬草・毒草を頭の中に叩き込む事が出来た。

 ただ、それでも全資料の半分にも満たない量。

 フェイルは当初の目的も忘れ、薬草を覚える作業、そして薬草の持つ魔力にも似た効能やそれに纏わる逸話に没頭していた。



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