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断章:無駄無の弓(16)

「あれは……紛れもなく魔術。あの男、魔槍士だったというのか?」


 崩れ落ちる闘技場の壁が破壊力を雄弁に物語る中、ガラディーンが驚いた様子で呟く。


 幾ら同じ騎士であっても、それを統べる師団長ともなると、近しい身分の者以外と接する機会は極度に少ない。

 将来の右腕候補とは言われていても、実際にはまだ若手。

 まして一度も公表していないとなれば、ガラディーンがトライデントの能力を知らなかったのは無理からぬ事だった。


 同様にデュランダルも。

 よって、対魔術の訓練など事前には一切行っていなかった。


「どうやら、コーティング用に見えるあの槍の先端のリングが魔具になっているようですね。まさか魔術を使えたとは。魔具の仕込みも含め、完全に虚を突かれました」


 それでもデュランダルの口調は変わらない。

 当然、表情も。


 例え自身が欺かれようと、その感情の動きは表面化されない。

 銀仮面の俗称は伊達ではなかった。


「……何が起こった? 余にわかるよう説明しないか」


 一方、アルベロアはあからさまに不機嫌な顔を作り、ガラディーンに問い掛ける。

 明らかに苛立っていた。


「あれは魔術による攻撃です。トライデントが魔術を使いました」


「それはわかっている。何故、騎士である筈のあの男が魔術など使える?  魔術は教会の使徒のみが使う技術ではないのか?」


「いえ……そうとは限りませぬ」


 アルベロアの言う教会とは、隣国デ・ラ・ペーニャを本部としたアランテス教会の事。

 その教会が広めた技術として、魔術は全世界に普及している。


 ただ、基本的には魔術アカデミーを卒業した人間にしか使用する事は許されず、アカデミーは魔術国家と呼ばれるデ・ラ・ペーニャ以外には殆どない。

 実際、エチェベリアに魔術士は相応の数が現存しているが、殆どはデ・ラ・ペーニャ出身の魔術士。

 騎士、それも槍を操る人間が魔術を使用する例は殆どない。


 最大の理由は、アランテス教会とエチェベリア国家の関係が、必ずしも良好でない事。

 加えて、剣や槍を扱う兵士が魔術まで修めるのは非現実的である事。

 それ故に、アルベロアの認識はある意味正しかった。


「僅かではありますが、魔術士以外にも魔術を使用する者はいます。まさか【銀朱】に所属している者の中にいるとは思いませんでしたが」


「ふざけた事を……! あの爆発を食らっては、弓兵は生きてはいまい。なんという事をしてくれたんだ。余は確かに刺激を求めたが、これは要らぬ刺激だ!」


 デュランダルの淡々とした説明は、アルベロアの苛立ちを増幅させた。

 彼の怒りは、魔術を扱う騎士がいた事へのものではない。


 その魔術がもたらした"結果"に、王子は憤慨していた。


「殿下。例えどのような御身分であろうと、全てが意のままになるとは限りません」


 そんな次期国王に対し――――デュランダルは明確に意見をした。


 ガラディーンの目が見開く。

 幾ら王宮騎士団の副師団長と言えど、王族に対し意見をするなど、本来許される事ではない。

 そういう意味では、フェイルの虚勢は師匠譲りだった。


 ただし、こちらは虚勢ではない。


「……何だと?」


「だからこそ策を練る。そしてそれが興となる。そうではないですか?」


 ガラディーンが冷や汗を頬に伝わせる中、デュランダルの陳述は更に続く。

 すると――――


「確かにな。全てが思いのままでは面白くない。このような事態も起こり得ると、肝に銘じておこう」


「御立派な心がけ、感服致します」


 アルベロアの怒りは、呆気ないほど早急に鎮まった。

 到底、王族と騎士の関係とは言い難い。


「……いや、まさに感銘の極み」


 胸を投げ下ろす反面、瞼を下げ灰色の眸を向けた剣聖がそう王子を称えた直後、観覧席から歓声が上がる。

 その意味を即座に理解した騎士二人とは違い、アルベロアは驚いた様子で顔を闘技場へ向けた。


「何だ? 何があった。もう勝敗は決したのではないのか?」


「殿下の懸念が露と消えたようです」


 デュランダルのその言葉に呼応するように、ガラディーンは感嘆の息を吐く。


「あれを避けるとは……偶然、ではない筈だ。お前の手筈か? デュランダル」


「いえ。私にとって、あの魔術は全くの想定外。フェイルの実力です」


「何があったというのだ! 余にわかるように説明せ……むっ?」


 再び苛立つアルベロアは、その答えを二人から聞くより前に、正解を知る。

 壁を破壊した際に生まれた煙が薄まり、闘技場の全景が鮮明になる中――――そこに立つ人影は、審判も含め三つあった。





「……信じ難い。避けたと言うのか……?」


 トライデントの顔には、それまでにない狼狽が克明に表れていた。

 それは、例えば自身より遥かに上の実力者を前に、絶望の淵に立たされるような、そんな焦燥や不安とは程遠い感情に属する。


 戦局は未だ、圧倒的に有利である事は変わりない。

 だが、終焉を確信した攻撃が、それも限りなく不意打ちに近い攻撃が鮮やかに回避された事実は、トラインデントの内部に動揺を生んだ。


 それだけではない。

 トライデントは今、胸部を抑えて蹲っている。


 遥か内部まで貫通し、体内の組織を突き刺したかのような、強烈な痛み。

 それをもたらしたのは一本の矢の襲来だった。


 魔術による爆発を起こした直後。

 突然それは現れ、トライデントは回避出来ず直撃を受けた。


 油断――――というよりは弱点。


 魔術は遠距離、近距離共に有効な万能の攻撃手段だが、出力するにはルーンという文字を空中に描かなければならない。

 それを省略する技術が隣国で開発されたという噂は流れているが、トライデントはそれを使用する術を持たない。


 が、それは今回、問題とはならなかった。

 問題なのはもう一つの弱点の方だ。


 魔術による攻撃は、その破壊力の大きさから巨大な音をしばしば生み出す。

 爆発系の魔術であれば、視界も一時奪う。

 そこを狙われた――――そうトライデントは解釈した。


 そして、それを狙うという事は。

 フェイルは、トライデントが魔術を使用出来ると知っていた、と解釈するしかない。


「まさか、クトゥネシリカが漏らしたと言うのか……?」


 通常、騎士が自身の上司の隠し事を他人にバラしはしない。

 それは例え騎士を辞めた後でも同様。

 まして、クトゥネシリカは堅物で有名な女性だった。


 仮に、恨みを抱えていても、名指しで情報の漏えいを行うなど決してあり得ない――――


「彼女は何も漏らしてなんかいないよ。僕が勝手に察知しただけだ」


 フェイルの声は、トライデントの後方3メロの位置から生み出された。

 その手には、先程矢筒から落とした矢の中の一本が握られている。

 爆発に乗じ、床に落ちた矢を拾い、その一本をトライデントにくれてやった。


 ただ、今の位置では矢のアドバンテージはないに等しい

 槍のリーチならば、ほぼ一瞬で埋められる距離。

 接近戦の距離だ。


「魔術には恨みがあるからね。ちょっとだけ過敏になるんだ」


「それは知らなかった。脅かすつもりで藪を突いたら、毒蛇を招いてしまった……差し詰め、そんなところか」


「さあ。ただ、負けられない理由は一つ増えたかな」


 弓矢を表舞台から引き摺り下ろした魔術。

 フェイルにとっては宿敵に他ならない。

 その魔術に対しての意地が――――上がらない筈のフェイルの左肩を上げさせた。


 最早、理屈はない。

 体調も技術もない。


 目の前の敵を、倒す。


 フェイルの中には、その遂行を残すのみ。

 完全に煙が晴れると、トライデントが再び槍先端部を地に付け、打突の構えを取っていた。


「構えろ。最後の攻防と行こう」


「……わざわざ待ってくれるの? この後に及んで……」


「疑うな。もう魔術は使わない。自分はあくまで槍兵。魔術など添え物だ」


 その発言に何ら信憑性はない。

 だが、フェイルは魔術による攻撃への警戒を解き、左肩を酷使して構えを取った。


 結果――――何事も起こらず、双方が双方へ得物を構える構図が整った。


「他者を蹂躙する感覚が好きだった。恐怖に歪んだ顔は、存分に嗜好を満たしてくれた」


 トライデントの体勢が、更に沈む。


「だがそれでも尚、満たされぬ渇望がある。お前がそれを満たしてくれると言うのか」


「知らないよ。興味もない」


 フェイルはとうに限界を越えていた。

 頭からの出血で、既に視界も奪われている。

 激痛は最早、意識を繋ぎ止めておく命綱にすらなっていた。


「僕の弓で、槍を、魔術を、あんたを討つ……それだけだ」


「それでいい。いや、それがいい」


 両者を隔てる空気に亀裂が生じたかのような、苛烈を極める対峙。


 呼吸が胸部を動かし、フェイルの右手と左手に力が伝達していく。

 そして、その一瞬の最中、トライデントもまた脚の筋肉を強張らせていく。


 火花散る刹那の接点。

 フェイルの矢が先か、トライデントの槍が先か。


 雌雄は、今まさに――――


「それまでっ!」


 ――――決した。


 二人が動くその直前、審判の宣告と両者の間に割って入る大げさな動作によって。


 同時に、怪訝な顔で両者はその方に目を向ける。


「フェイル=ノートの先程の爆発の際に放った一撃が、トライデント=レキュールの心臓を捉えたと判定! この勝負、フェイル=ノートの勝利とする!」


 その説明が御前試合第一戦の終焉の合図となった。



 フェイルは――――動かない。


 そこに歓喜はなく、驚愕の顔で審判を睨みつける。


 見えている筈がなかった。

 トライデントにも、審判にも、死角になっている状況で撃ったのだから。


 この試合で使用する矢は、人体には刺さらない。

 先端が尖っていないのだから当然だ。


 それでも、射撃が行われた事自体は、トラインデントの足元に落ちている矢で事後確認が出来る。

 ただし、それが正確に心臓のある胸部に直撃したかなど、わかる筈もない。

 煙で見えていなかったのだから。


 それなのに、何故――――


「……」


 一方、トライデントは数秒ほど呆然としてたが――――早々に動いた。

 構えを解き、槍を立て、無言で所定の位置へと戻る。


 そして、自身にではない歓声が鳴り響く中、深々と一礼をした。

 不満一つ漏らす事なく。


「……なんだよ、それ」


 フェイルは動かない。

 勝ち名乗りなどに意味はなかった。


 何一つ文句をつけず、抗議もせず、踵を返して闘技場を後にするトライデントの背中。

 そこに、敗者を裏付ける要素は何一つなかったのだから。


 勝敗は決した。

 けれど、それを観客の誰が目撃しただろうか。

 フェイルの勝利の瞬間を、一体何処の誰が実感したというのか。


 誰もしていない。

 弓矢の凄さなど、誰一人として目にしていない。


 審判の声だけが、無意味な記録の根拠となった。


「僕は……こんな結末、望んじゃいない……」


 取り残されたのは、勝者と告げられただけの、ただの参加者。

 誰も、弓が槍に勝ったとは思わない。


『爆発に紛れて放った矢が偶々当たった』


 ――――この戦いに意味を付けるなら、そんなところだ。


「……はは」


 フェイルは笑った。

 歓声に紛れ、誰にも聞こえない声で。


 この、大舞台の中。

 王族、貴族、そして二人の騎士が見守る舞台の中。


 フェイルは、ただ空虚に笑うしかなかった。

 




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