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断章:無駄無の弓(14)

「……これからだ」


 自分の身体が徐々に重くなる中、フェイルは心中で誓いのように呟く。


 これまでの四度の攻撃の内、トライデントの身体を捉えたのは、頬を掠めた最初の一撃のみ。

 四度目に到っては、曲芸に近い方法で完璧に防がれた。

 

 今後、同じ攻撃を繰り返したところで直撃を取れる望みはない。

 寧ろもう危険はないと判断したトライデントが、フェイルの動きを見切り、槍と共に飛び込んでくる頃合だ。


 そして――――その瞬間こそが、フェイルにとっての『これから』だった。


 現在の動きと攻撃は、その為の布石。

 トライデントが飛び込んでくる事を想定し、その対応が可能なギリギリの距離を、体力を総動員して保ってきた。


 意外だったのは、四度も攻撃をする時間があった事。

 二度目の射撃が終わった時点で、フェイルは飛び込まれる事を覚悟しながら戦っていた。


 が――――トライデントは意外にも、弓兵相手に慎重な試合運びで臨んでいる。


『君は才能がある』


 かつて言い放ったその言葉通りに、一定の警戒心を持っているのか。

 或いは――――純粋に、弓兵が一対一でどのような攻撃手段をもって仕掛けるのか興味を抱いていたのか。


 五分間、動きっ放しでいるフェイルだったが、まだそれだけの事を考える余裕があった。

 壊れる一歩手前までやり抜いた訓練の日々が、それを可能としていた。


「さて」


 刹那――――


 試合場の中央から殺気が放たれる。

 それはまるで竜巻のような勢いで、一瞬にして観覧席まで波及した。


 尤も、それを感じ取れる人間は限られているが――――フェイルはそちら側の人間だった。

 思わず足が止まりそうになるほどの圧力。

 試合前に感じていた重圧すら上回る、常軌を逸した気の暴力が、烈風の如く襲い掛かってきた。


「そろそろ終わらせようか。どのような顔で潰れてくれるものか、楽しみだ」


 フェイルの耳に、力を宿したその声が届く。

 それは、これまで慎重に戦っていた理由を明確に述べた文言だった。


 ある程度の善戦は、より敗北の落胆を増す調味料――――


「……!」


 烈風が更に勢いを増す。


 フェイルの足運びにミスはない。

 だが、その間隙を縫うかのような完璧なタイミングで――――トライデントはその牙をフェイルへと向けた。


 槍は、決して軽い武器ではない。

 それを扱う戦士の大半は、パワー重視の戦闘兵。

 それ故に、機動力は然程ないのが定説だが、トライデントにそれは当てはまらなかった。


 まるで小兵のような足捌きと体捌きで、フェイルの進行方向に先回りし――――


「ふん!」


 腕が一瞬消えたかと錯覚する速度で槍を突き出す。

 


「……くっ!」


 フェイルの上体が不自然に右側へ曲がる。

 その苦しい回避は、槍の直撃と引き換えに、大きなバランスの損失を生んだ。

 結果、弓矢を構えた体勢のまま、勢いよく地面へと倒れ込む。


 ついに――――足が止まった。


 そして、矢筒に入った矢も全て落ちてしまった。


「さあ、見せてくれ」


 一方、トライデントは穏やかな顔で突いた槍を身体へと引き戻し、地面に転がったフェイルへと槍先を向けた。

 突き下ろし――――安全対策で尖ってこそいないが、その威力は推して知るべし。

 顔面に直撃すれば、陥没は免れない。


「どのような顔で啼いてくれるのかなあああああああああああ!」


 世にも恐ろしい絶叫の最中――――


 フェイルの頭は冷静に現状を分析出来ていた。


 絶体絶命。

 回避可能な体勢ではないし、直撃すれば死の危険すらある。

 そんな中――――自身でも驚くほど、頭の中は鮮明だった。


 接近戦で弓を活かす方法。

 当初は弓そのものを武器とするしかないと、フェイルは考えていた。


 矢を使わず、弓を白兵として扱う。

 そうする事で、弓は遠近両方で活かせる――――そう結論付け、王宮に来る以前には弓と似た形状の武器を探し、その技術を学んだ事もあった。


 しかしそれは無意味だった。

 単なる投擲に過ぎないからだ。


 例えば剣を投擲する攻撃方法を取り入れたところで『剣は遠距離戦にも使用出来る優れた武器』とは誰も思わない。

 同じように、弓を打撃武器に見立てても、ただの破れかぶれにしか見えないだろう。


 それに気付いた時、フェイルは一つの可能性を追求し始めた。


 もし――――弦を引くだけではなく、弓の胴を押し込みながら撃ったとしたら?


 接近戦では細かな的中精度は必要ない。

 重要なのは、早く、強力な射撃。

 その為には、一刻も早く弾力を生み出すのが好ましい。


 通常、弓は矢を番えた状態で、弦を持つ腕を後方へと引き、それを離して矢を放つ。

 だが、もし固定しているもう一方の腕を、前方へ伸ばせば?

 当然狙いはブレるが、それと引き換えに弓の弾力は増す。


 遠距離戦では無駄でしかないこの動作は――――近距離戦において、最大の鍵となる。


 フェイルはずっと、その訓練を繰り返してきた。

 その技術を応用すれば、転がりながらでも矢は放てる。

 弦を持つ右腕に十分な引きがなくとも、胴の握りを持つ左手を前へ突き出す事で、弓の弾力を得る。


 そして――――


「な……!?」


 突き下ろしの体勢で勝利を確信していたであろうトライデントは、フェイルの所作に驚きを隠せずにいた。


 攻撃の意思を見せただけなら、無駄な足掻きと嘲笑っていただろう。

 だが、フェイルのその円滑な動きはトライデントの危機察知能力を刺激した。


 地面に転がったまま、フェイルの矢は放たれる。

 その刹那、矢と槍が交差し――――先に届いたのはフェイルの矢だった。


 トライデントの眉間の上を抉るように掠め、宙へと凄まじい速度で舞い上がる。

 鮮血が舞い、今日一番の深い傷がトライデントに刻まれた。


 だがこの攻撃は諸刃の剣。

 相手の攻撃に対する対応は完全に遅れてしまう。

 負傷しながら歯を食いしばり突き下ろしたトライデントの槍は、フェイルの――――左肩を直撃した。


「うがっ……!」


 フェイルの鈍い叫び声が響く。

 だがその激痛は決して悲観すべきものではなかった。


 トライデントが狙っていたのは心臓だった。

 直撃すれば致命傷の判定は免れない一撃。

 だが、先に放った矢がトライデントの手元を狂わせた。


「こ……のっ」


 それでも痛いものは痛い。

 顔をしかめつつ、痺れる左半身を強引に無視し、フェイルは足払いを仕掛ける。


 目的はトライデントの転倒――――ではなく、避けさせる事。

 それは同時に、両者の距離を生む。

 狙い通り、トライデントは足払いを後方に跳んで躱し、フェイルはその隙に立ち上がって距離を取った。


 暫しの沈黙――――そして、歓声。

 盛り上がりの期待薄と目されていた試合だったが、この攻防を境に観客は一気にヒートアップした。


 睨み合う両者に、先程までの表情の差はない。

 トライデントは口元を歪め、フェイルは引き締める。

 対照的なようで、その実抱いている感情は同種のものだった。


 だがダメージの差は明らか。

 フェイルの左肩は、動きに支障が出るほど痛んでいた。

 体重を乗せた一撃がモロに入ったのだから、当然だ。


 痛みは引くどころか増すばかり。

 良くて骨にヒビ。

 最悪完全に砕けている――――そう実感せざるを得ない。


「矢を拾え。更にその顔が絶望に染まるのを見たくなるような戦いを所望する」


「必要ない」


 冷や汗が伝う額を拭い、フェイルはその右手をそのまま真横へ伸ばし――――落ちてきた矢を掴む。

 先程、転倒しながら放った矢だ。

 

「素晴らしい」


 その曲技に、素直な賞賛の声が生まれる。

 そして、それに応える余裕は今のフェイルにはなかった。


 既にかなり体力は消費している。

 足も止まってしまった。


 左肩は、腕を微かに動かすだけで激痛が走る状態。

 弓を構えられるかどうかも怪しい。

 少なくとも理想のフォームは不可能だと、フェイルはそう自己判断を下した。


 遠距離からの攻撃に多くは望めない。

 トライデントはそれを見抜いている。

 そこまで見越し、大きく息を吐いた。


 御前試合第一戦は、佳境を迎えていた。



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