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断章:無駄無の弓(13)

 世界的に有名な闘技場……とまではいかないが、エチェベリア城内の施設として造られ、御前試合の会場としての機能を果たしている円形闘技場『グエラ』に足を踏み入れる事は、王宮に身を置く戦士にとって最高の栄誉と言われている。

 事実、二〇〇〇人もの収容が可能な観覧席には、既に王族、貴族、その他来賓の高貴な身分の面々が顔を揃えており、この催しが特別であると示していた。


 しかし――――歩を進めるフェイルにとって、その栄誉は手段に過ぎない。

 手にしているこの武器の価値を世の中に示す為には、彼等権力者の持つ力が必要。

 それ以上でも、それ以下でもない。


「それでは、選ばれし二人を紹介しましょう! まずは――――」


 進行役と思しき男の声が闘技場内に響く中、フェイルは直径30メロの空間に視線を巡らせる。


 一対一の戦闘を行う場所としては、かなり広い。

 遠距離戦を行うのも可能なくらいに。


 一定以上の距離を保ち、そこから矢を射る。

 安全圏を常に作り続けられれば、完封する事も夢ではない。


 だが、その選択肢はフェイルの中にはない。


 御前試合は見世物ではあるが、あくまで誇りをかけた勝負なので、武器が壊れた場合は取り替えが利かないし、矢の補充も出来ない。

 現在矢筒の中に入っている矢の本数は、規定により八本。

 この数で圧倒出来るほど甘い相手ではないのは百も承知だった。


「では、この聖なる戦いに則しまして、まずはルールの説明をさせて頂きます!」


 進行役の説明が続く中、フェイルは視線をトライデントへと向ける。


 この御前試合のルールは、かなり単純。

 制限時間も場外もなく、武器は予め用意された殺傷力を落とした物のみ使用可能。

 剣の場合は峯のみを使用する事が義務づけられ、魔術士は武器の他に魔具の装着が許可されている。


 トライデントの槍は先端がカットされ、リングのようなものでコーティングされていた。

 フェイルの所持する先端を丸めた八本の矢も、当然毒などは塗っていない。


 これらの武器で敵を戦闘不能に至らしめる事は難しい。

 その為、審判が『本来ならば致命傷』の一撃が入ったと見做した場合、その瞬間に決着を宣告する。


 この他、どちらかが『降参の意を示す』『気を失う』といった場合も決着となるが、気絶した例は殆どなく、降参した者に到っては長い御前試合の歴史の中で一人もいない。

 当然、フェイルもその気はないし――――トライデントの目にも、その意思は明確に現れている。


「それでは両者、戦いの前に握手を!」


 コールと共に、フェイルとトライデントは互いに歩み寄り、闘技場中央で立ち止まる。


「色々なものを背負っている。そんな顔をしているな」


「そうじゃなきゃ、ここにはいませんよ」


「宜しい。全力で潰してやろう」


 トライデントの左手が差し出される。

 フェイルは、それを左手で握った。


「潰れるのは、あんたの野望だよ」


「……楽しみだ」


 その手が離れ、両者がそれぞれの所定の位置へと戻る。


 開始時の位置は、中央からそれぞれ反対方向に2メロ離れた位置。

 よって、両者間の距離は4メロ。

 デュランダルやガラディーンなら、一瞬で無に出来る距離だ。


「……」


 集中力を高めるフェイルの視線に、観覧席に座るその二人の姿が映った。

 この百日で身に付けた全てが、その瞬間に脳裏を横切る。


 自然と、笑みが零れていた。

 辛く、苦く、どこか朦朧とした日々が、脚を軽くし、腕を軽快に動かす。

 調子が良いのではなく、これが今の自分の標準的なコンディション――――そこでフェイルはようやく自分の上達を自覚した。


 そして、自分が強くなれば必然的に相手の強さへの理解度も増す。

 眼前に佇む男は、紛れもなく強い。

 以前よりもずっとそう感じる。

 


「――――だからどうした?」



 所定の位置に付いた瞬間、フェイルはそれまで感じていた重圧を、全て解き放った。


 

 御前試合、第一戦、開始。


「始めっ!」


 審判のコールが響くと同時に、フェイルの身体は舞っていた。

 しなやかに、膝より下が地面を蹴り、左方へと。

 その瞬間、フェイルを取り巻く景色は流れを帯びた。


 流動性を帯びたトライデントの横顔は――――不敵に笑っている。

 この動きは予測済みだったと言わんばかりに。


 ただ、それもフェイルにとっては想定内。

 不意を付いたつもりはなかった。

 単純に、『弓矢を用いた接近戦』の基本動作に過ぎないのだから。


 弓矢を接近戦の武器として扱う場合、ネックとなるのは当然、その武器の実用性だ。

 弓矢は遠距離から標的を射抜く為に作られた武器。

 近距離で活かすようには作られていない。


 そして、フェイルの弓矢もまた、遠距離用に作られたごく普通の弓矢。

 その武器で、槍相手に接近戦を挑む場合――――


『まずは足を止めない事。常に動き、一定以上の接近を許すな』


 師の言葉が頭に浮かぶ。

 フェイルはその通りに、足を動かし続けた。


 トライデントを中心に、円を描くように移動しながら、弓の上部の弦で矢筒の中の一本の矢羽に引っ掛け、右手の中に収める。

 そして、足を止めないまま構えを取った。


 弓術の大原則として、矢を放つ瞬間には下半身を安定させ、地面に根を張るように一つの芯を作るという基本が存在する。

 その為、本来弓矢は移動しながら使用すべき武器ではない。

 下半身の安定がなければ、狙った場所へ十分な威力の矢を放つ事は出来ない――――それが、これまでの弓術の常識だ。


 そしてそれは、圧倒的に正しい。

 狙いはどうにかなっても、十分な速度と威力の矢を射るには、下半身の安定は必須。

 その解決策を、フェイルは――――既に導き出していた。


「!」


 突然の出来事に、トライデントの顔から笑みが消える。

 フェイルは――――それまでの右回りを急に左回りへとスイッチした。

 そして、そのスイッチの瞬間に矢を放っていた。


 慣性力と逆の方向に体重を移動させ、その最中の一瞬の静止点において下半身を安定させ、力を上半身へと伝達する。

 重要なのは、この一瞬で全ての力を伝える為、膝の向きを誤らない事。

 フェイルの所作は完璧だった。


 闘技場内に、身を削ぐ音が鳴る。


 が――――その矢がトライデントの身体を直撃する事はなかった。


「……驚いたな。これがお前の戦い方か」


 観覧席から漏れる息吹を背に、トライデントは頬を伝う血を指で払う。

 同時に、その目に鋭さが宿った。


「一対一の戦いで弓を使うなら、距離を取りながらの持久戦以外に選択肢はなく、その為にはまず自分の接近を許さぬよう、執拗に動き回る――――その程度だと思っていたが、少しは楽しませてくれそうだな」


 トライデントの呟きはフェイルには聞こえない。

 既に次の動きに移り、今度は左回りで好機を窺っている。


 実は――――内心、唾棄したい気分に駆られていた。

 まだ戦略が表に出ていない上、嘗めてくれている一射目こそ、最も直撃の可能性が高かったからだ。


 それが脳天に直撃すれば、致命傷の判定を拾えた可能性もあった。

 だが、そうは上手く行かない。

 フェイルは高速でトライデントの周囲を回りつつ、苦虫を噛み潰したい衝動を必死で抑えていた。





「下半身がブレていない。執拗なまでに走り込んでいる証拠だ」 


 閲覧席に座るガラディーンから、感嘆の声が漏れる。

 剣聖の一言は、隣に座るデュランダルにのみ聞こえていた。


 いつもはその身分と兵法の造詣から、王の隣で解説を行う任に就いていたが、この試合に関しては必要なしと仰せ付かっていた。


 弓兵と槍兵。

 一対一でこの組み合わせの試合が成立した場合、誰もがその勝者を後者と確信するし、考える必要すらない。

 実際、もし何も知らなければ、自分もまたそう判断するだろうとガラディーンは漠然と考えていた。


「ですが、それを評価するのは貴方くらいです。普通の戦士であれば剣聖の称賛はこの上ない名誉ですが、あの男には何の意味ももたらさない」


「弓を天下に知らしめる……だったか。ならば、勝つしかないな」


「ええ。そしてそれは、絶対に叶いません」


 デュランダルの目は、息を切らしながら動き回るフェイルを追う事なく、その戦い全体を包み込むように静観している。


「勝つ事は出来ぬ。何故なら……『勝たされる』から、か」


 そして、ガラディーンのそんな呟きにも、反応を示さない。

 まるで試合会場ではなく、その先に在る何かを見ているかのような目で、独特の気を発していた。


「ほう。お前が怒っている顔など初めて見るな。戦場ですら見かけなかったというのに」


「怒っている? 私が?」


「某にはそう見えたが、違うかね?」


 デュランダルは視線をガラディーンに向け、目だけを崩した。


「他ならぬ貴方がそう言うのであれば、そうなのかもしれません。今だ自律が叶わぬ身で、お恥ずかしい限り」


「某もそうだよ。全てを制御出来る訳ではない。人間である以上、それは業だ」


「業、ですか」


「そう思わねば前に進めぬ事もある」


 諦観の念を吐き出すように、ガラディーンは嘆息した。

 あらゆる栄誉を手にした剣士とは思えない、陰りを乗せて。


「ガラディーン。デュランダル」


 そんな二人を呼び捨てにする声が、空気を揺らす。

 王族のみが座する事を許された特別観覧席を離れ、エチェベリア国王ヴァジーハ8世の息子、アルベロア王子が近付いて来ていた。


「殿下。如何なされましたか」


「なに。此度の二人の協力に感謝をと思ってな。お陰で手筈は整った」


「ありがたきお言葉」


 騎士の両名は、胸に手を乗せ、深々と頭を垂れる。

 その姿を満足げに眺めつつ、アルベロアは試合場に目を移した。


「まさか弓兵とはな。これ以上の配役はない。デュランダル、お前は演劇の演出家をやらせても、その道で名を馳せる存在となっていただろうな」


「……」


 頭を下げたまま、デュランダルは沈黙を守る。


「そして、もう一人は極めて優秀な槍兵。こちらも最高の配役だ。そしてこの上ない実験となるだろう。間違いなく、成果はあがろう。ようやく次の段階に計画を進められそうだ」


「御意」


 ガラディーンの言葉に、アルベロアから笑みが漏れる。


 エチェベリア国王位継承順第一位。

 幼少期よりあらゆる礼儀作法を身に付けてきた男の笑い顔としては、余りに不相応な表情だった。


「余興とは言え、このような組み合わせはそうそう見られるものではない。結果とは別に、物珍しい場面でも生まれれば尚良いのだが……流石にそれは贅沢と言うものか」


 その言葉が閉じるのと同時に――――鈍さと鋭さを混在したかのような大きな音が、闘技場内に響き渡った。


 同時に、どよめきが起こる。

 フェイルの放った四本目の矢が推進力を失い、回転しながら宙を舞う。

 それは神業と言っても過言ではい、そんな凄まじい光景だった。


 高速で迫り来る矢を、槍で弾く。


 止める――――でもなく、払う――――でもなく、弾く。


 回転しながら空中に浮遊していた矢は、程なくして地面に叩き付けられた。

 矢に人格があれば、この上ない醜態と己を恥じただろう。

 それほど、あり得ない防御だった。


「見事! これほどの腕を持つ者は王宮内にもそうはいまい。くくく……素晴らしい人材だ」


「殿下」


 デュランダルの目には、神業を前にしても尚足を止める事なく、肩で息をしながら懸命に隙を窺うフェイルの姿が映っている。

 圧倒的な力の差。

 先程のトライデントの防御に、観覧席の殆どの人間がそれを理解し、勝敗への興味から見世物としての関心に移行させている中――――


「もし、この試合に何らかの刺激をお求めになられているならば……」


 デュランダルは先程ガラディーンから指摘を受けたその表情で、王子へと宣告した。


「これからです」



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