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断章:無駄無の弓(11)

 御前試合までの残りの五十日は、フェイルにとって熾烈を極める日々の連続となった。


 磨耗するのは体力や精神力だけではない。

 連日の走り込みに加え、近距離戦の為の訓練として弓を構えながら前後左右に細かく動く動作を繰り返し行い、特に爪先を意識した動きを取り入れた結果――――牛革で作られた比較的丈夫な筈の靴さえも、あっという間に磨り減ってしまい、五日と持たず穴が開いてしまった。


「またかい……? ちょっと乱暴に扱い過ぎなんじゃないの? 今までこんな頻繁に靴を壊す子はいなかったよ?」


「すいません。足癖が悪いもので」


「全く……サイズがあってないのかしら。ちょっと待ってて。採寸し直すから」


 備品担当者に新しい靴を貰いに行く度に肩身が狭い思いをするのも含め、あらゆる面で削られる日常が続く。


 そして、七足目の靴に大きな穴が開き、残り二十日を切った日の夜。

 フェイルの元に、正式な御前試合の参加通達が届いていた。



 予定通り、第一試合。

 対戦相手は、こちらも予定通り――――トライデント=レキュール。

 元々は別の弓兵が相手となる予定だったが、トライデントの意向によって急遽対戦相手が変更になったという噂も立っており、その原因や確執などが王宮内でちょっとした話題になっているという。


 そういった下らないゴシップも、注目を集める為には必要。

 弓矢、弓兵の力をアピールしなければならないフェイルにとっては好都合だった。


 尤も、どれだけ注目を集めたところで、勝利しなくては意味がない。

 その可能性を少しでも上げる為、自室のテーブル上に散布した、手垢の付いた対戦相手の資料にあらためて目を通す。


 何か見落としはないか、付け入る隙はないか。

 事前の準備を突き詰めるのが、弱者に通れる数少ない番狂わせへの近道だ。

 当然、近道といっても目的地は遥か彼方なのだが。


 トライデントの経歴は、同年代の騎士の中では一つ抜けて華やかなものだった。


 若干十七歳で王宮騎士団【銀朱】に入隊。

 当時既に隣国デ・ラ・ペーニャとのガーナッツ戦争が終結した後で、大きな戦乱のない時代に加入した『牧歌世代』の一員だ。


 そんな彼が、僅か五年で分隊長に上り詰めている。

 この戦果なき時代で、二十代前半で分隊長となるのは至難。

 実現した理由は当初、家の経済力だと噂されていた。


 トライデントの祖父は医師だった。

 親はその跡を継がなかったが、それは祖父自身の願いでもあったという。

 理由は定かではないが、祖父は長らく大病院に勤めていて、少なくとも三代先までは食べていける蓄えを残しているらしい。


 そこから上納金を捻出したのではないか――――そんな陰口は、彼が対外試合を行う度に減っていった。


 御前試合は特例だが、異なる部隊同士の試合自体は王宮内で頻繁に行われている。

 あくまで試合ではあるが、各隊のメンツを賭けた戦いとなれば、緊張感を有した戦闘にはなる。

 そこでトライデントはめざましい結果を残した。


 その最大の理由は、言うまでもなく――――槍術の腕。

 そして、槍という武器自体のトレンドにも由来する。


 通常、使用者の背丈と同等、場合によってはそれ以上のリーチを誇る槍を使用する場合、機動力は大きく損なわれる。

 動き回って戦うのを想定した武器ではないのだから当然だ。

 本来は突進してくる動物をより安全に、より確実に狩る為にと開発された武器であり、横へ自在に動ける人間を想定した物ではない。


 それでも槍が対人、それも白兵戦に使用する武器として適正を得た要因は、その自重がもたらす破壊力だ。

 余り技術を有しない兵でも、両手で槍を持ち先端を前に向け突進すれば、ある程度の攻撃力となる。

 大人数でそれをすれば、尚の事効果的だ。


 頭を使わなくても戦力になれる為、技術や知恵がない平民にも重宝された。

 竹槍のように、金属を加工しなくても作る事が出来る点も普及の一助となった。


 その後、槍は強力なパートナーを得る。

 馬だ。

 馬上で戦う騎兵の登場により、自身が機動性とは関係なく戦えるようになった事で、槍の長所はより輝き、短所は一気に小さくなった。


 一方で、槍の役目は馬上で使用する武器に特化されるようになり、馬上槍試合が定着すると、更に白兵戦における槍の意義をより狭義なものへと変えた。

 歩兵が槍を使用する意義が失われた訳ではないが、より大きな需要が生まれた事で相対的価値を落とした結果、『槍は騎兵が使う物で歩兵が使う物ではない』と印象付けられてしまった。


 だが、その騎兵の存在意義が問われる事態が発生する。

 魔術国家デ・ラ・ペーニャとの戦争――――ガーナッツ戦争だ。


 騎兵の強みは、重い槍や頑丈な鎧を身に纏った兵士が高い機動力を有して戦える事にある。

 敵がどれだけ矢の雨を降らせようと、顔まで覆う全身鎧なら死の危険は小さい。

 馬が負傷し兵士も地面へ投げ出されるリスクはあるが、その圧倒的な突進力は戦争時において必要不可欠であり、騎兵は長らく戦略の要となった。


 だが、相手が魔術士の場合は勝手が違ってくる。

 馬は音に敏感な生き物なので、魔術で爆発を起こされると途端に混乱が生じてしまう。

 分厚い鎧も、炎や雷撃の前では無力化してしまう。


 僅か十日足らずの戦争ではあったが、魔術士の台頭著しい現在において、騎兵に以前ほどの信頼は置けないと印象付けるには十分な舞台となった。

 

 だが――――それでも槍は生き延びた。

 現在のエチェベリア国内においても、槍は白兵戦に使用する武器として定着し続けている。


 その背景にあるのが、槍術の発展。

 槍を愛し、その生涯を槍に捧げた天才達が危機感を覚えたことで兵学を勉強した結果、打突と刺突が基本の形だった槍術に、剣のような斬撃、棒術のような打撃、更には回転などの戦術を加えた。

 

 変化が生じたのは使い手だけではない。

 槍を作る職人達もまた、その熱意に応え、様々なアイディアを出そうと頭を捻った。

 その結果、単純な軽量化をはじめ、槍の先端を斧の形状にした戦斧や、槌にした戦鎚などが開発され、従来の槍とは全く異なる戦い方が出来るようになった。 


 槍はまだ発展途上の武器――――そう見なされる事で槍自体の存在感も増し、可能性のある武器だと証明された格好だ。


 派生武器によって種類が豊富になれば、これから戦士、騎士になりたいと願う子供達の目を引く事にも繋がる。

 トライデントもまた、そんな先人達の知恵と努力の結晶を手にした一人だ。

 そして彼自身も、類い希な潜在能力を遺憾なく発揮し、エチェベリア国内における槍の存在感を引き立てている。


 弓矢の可能性を広げようとしているフェイルにとって、槍はいわば『先駆者』。

 つまり――――フェイルにとって、トライデントは敵であるのと同時に、お手本である武器の専門家とも見なせる。


 もし、その男を弓矢で倒す事が出来れば、それはただの一勝に留まらない。

 より没落した武器で先人を越えたならば、間違いなく歴史的快挙となる。

 何しろ、弓兵が一対一の戦いで槍兵を下すなど、誰も想像すらしていないのだから。


 落とす訳には行かない。

 負ける訳には行かない。

 フェイルは何度も何度も自分にそう言い聞かせ、眠れない夜を明かした。





「どうした、随分と動きが悪いな」

 御前試合まで残り十日に差し迫ったその日、デュランダルは自室で大の字になって横たわるフェイルに愛剣を担ぎながら近付いた。


 息の乱れる様子はない。

 今尚、フェイルはその師に対して何一つ動揺を与えられずにいた。


「……色々ありまして」


「重圧を感じるのも良い経験だ。だが、今のままでは敵の前に立つより先にその重圧に潰されてしまうな」


「ですね。こんなの初めてです。自分の脆さを痛感してます」


 連日の寝不足。

 食事も喉を通らない。

 口の中が常に乾いている。

 身体が重い。

 足も重い。

 頭が上手に回らない。

 唐突な息切れ。

 呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうになる。


 これまでに感じた事のない様々な負の症状が、フェイルを蝕んでいた。


「戦場が闘技場の外にあった頃は、こんな苦労を誰もがしてたんでしょうか」


「試合と殺し合いは、似て非なるものだ。重圧の種類も違う。場合によっては、今のお前が感じている重圧の方が苦しい事もある。命のやり取りよりもな」


 デュランダルは、まだエチェベリアが今のような平静の世でなかった時代に戦場を駆け回った、戦争世代。

 その経験に裏づけされた言葉は――――重い。


「残り十日。その苦しみを克服出来なければ、お前は多くのものを失う。そして、試合が近付くにつれて重圧はより大きくなるだろう。逃げ場はないぞ」


「……覚悟しておきます」


 天井を見上げながら、動かない身体を呼吸で律動させ、フェイルは目を細めた。





 そして、師匠の言葉はいつだって正しかった。

 残り五日に迫る頃、フェイルの体調は更に悪化していた。


 身体がまるで動かない。

 思い通りに動かない程度ではなく、本当に動かない。

 疲労ではなく、明らかに精神的な面に原因があった。


『こんな筈じゃない』


 その苦虫のような歯痒い思いは、更なる強張りを生み、集中力も奪う。

 弓を扱う為に必要な精密動作など望むべくもない。


「どうしたどうした! 五連続で的を外すなんて、随分とらしくないんじゃないか!?」


「もっと的の奥を見ろ! 的の更に先を撃つ感覚で狙え!


「いや、的の手前だ! 的まで半分の距離にもう一つ的を頭の中で作って、その的を射抜くイメージで狙え!」


 先輩方の助言が飛び交う中、フェイルの意識は徐々に溶けていった。


 疲労。

 重圧。


 そして――――不安。


 多くの苦痛が心を溶かす。

 そして、意識をも溶かす。


 五感が薄れ、浮遊感すらも感じる中で、フェイルは延々と当たらない矢を射った。


「……」 


 そんなフェイルの沈みゆく様子を、アバリスは険しい顔で見守っていた。

 


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