断章:無駄無の弓(10)
そんな、思わぬ収穫があった日の翌日――――
「お届け物だぞ」
フェイルの寝泊りしている小屋に、郵便物を届けに王宮騎士団【銀朱】師団長 兼 国内最高の称号『剣聖』を預かる人物がやって来た。
尚、剣聖が郵便配達人を務めた記録は存在せず、前代未聞の珍事である事は言うまでもない。
「……あの、体裁悪いんで止めて貰えませんか? 誰か見てたら、僕打ち首ですよ」
「はっはっは。偶々配達人と重なってな。で、どうだ? 訓練は進んでいるのか?」
「師匠が言うには順調だそうです。僕は朝起きる度に絶望してますけど。身体のどの部分をどう動かせば三十分以内で身体を起こせるか、毎日自分の身体と格闘中です」
郵便物を受け取りながらのフェイルの本音に、ガラディーンは愉快そうな苦笑を浮かべていた。
「デュランダルが順調と言うのであれば間違いはあるまい。続けて精進すると良い」
「……そうですね」
「どうした?」
いえ、と返事をしつつ、フェイルは嘆息を禁じ得ずにいた。
デュランダルは国民からの支持も熱狂的なほど厚いが、それ以上に王宮内における信頼の厚さが群を抜いている。
彼の言う事ならば絶対に正しい。
彼のやる事に間違いはない。
直属の上司で剣聖のガラディーンすらも、何の疑問も挟まずそう見なす。
これは普通ならあり得ない事だ。
信頼とは別の次元の何かだと思ってしまうほど、デュランダルへの信望は絶対的なものになっている。
無論、フェイルも例外ではない。
彼の言葉を疑うくらいなら、自分自身の認識を疑う方が余程建設的だと考えている。
ただ、ほぼ毎日顔を合わせ、時に食事を共にし、稽古をつけて貰う間柄とあって、周囲から半ば神格化されつつあるデュランダルの人間味ある部分も若干は見てきている為、純粋な疑問や心配もある。
ここまでの期待、ここまでの信頼、ここまでの責任を背負う事に苦痛はないのかと。
デュランダルは間違いなく人間であり、人間には限界が存在する。
だとしたら、デュランダルの限界は何処にあるのか。
どれだけの精神的負担を心の中に収納する事が可能なのか。
自分の事で手一杯ではあるものの、そんなフェイルの素朴な疑問は日に日に募っていた。
「……それで、泣く子もひきつけ起こす剣聖殿が一体このボロ小屋に何の用ですか?」
「人を鬼のように言うでない。寧ろ、慈悲の心でやって来たまでだ」
ガラディーンの顔から、朗らかさが消える。
フェイルは郵便物の封筒をテーブルに置き、更なる言葉を待った。
「フェイル。槍という武器を相手に命懸けで戦った経験は?」
「……ありません」
「ふむ。槍は剣の次に普及している接近戦用の武器ではあるが、この王宮内には余り使い手がおらぬからな。無理もない話だが……今のままでは、かなり不利だぞ」
それに関しては――――フェイルも不安材料の一つとして自覚はしていた。
トライデントの得物は槍。
現在、デュランダルを相手に修練を行っているが、そのデュランダルが使用している剣が幾ら長くとも、槍とは根本的にリーチ差がある。
それはフェイルにとって脅威以前に、未知の世界だった。
「奴の事だ。何かしら考えは持っているのだろうが……そろそろ槍を意識した訓練も取り入れるべきだろう。どうだ? もし望むならば、今から指南をしてやろうと思っておるのだが」
「……良いんですか? トライデントってお方、貴方の右腕候補って話ですけど」
明らかに直属の部下。
その部下の対戦相手を指南するとなれば、単純に敵に塩を送るだけに留まらない。
何しろ、ガラディーンには派閥が存在する。
彼自身は関与していなくても、彼の行動の影響力は計り知れない。
自身の部下の敵、そしてデュランダルの弟子を指南したとなれば、政治的問題に発展する可能性さえある。
「今のままでは何も起こらず凡戦のまま試合は終わる。それでは陛下の興も削がれると言うもの」
「成程。適度に強くあれ、ですか」
「そうだ。ただ、もし何かの弾みで君が勝つ事があれば……それはそれで、御前試合も大いに盛り上がろう。ついでに言うならば、あくまで個人的な見解ではあるが……少々生意気で可愛い友人が勝利するのであれば、その結果に何ら不満などあろう筈もない」
「ガラディーンさん……」
友人という言葉に深い意味はなく、あくまでも激励の一環であって肩入れとは違うもの。
そう理解しつつも、フェイルは素直に感動した。
そんな眼前の少年に笑顔を見せ、ガラディーンは一旦小屋を出て――――真顔でやけに長い棒を一本担ぎ戻って来た。
槍ではなく棒。
ただし、側面の所々に棘のような鋭い突起があり、刺々しいフォルムをしている。
「……何なんですか、その害意しか感じない武器は。感動を返して下さい」
「まあそう言うな。表に出て間合いを取れ」
溜息を落としつつ、フェイルは言われるがままに外へと出向いた。
幸い近くに人はなく、気配も感じられない。
目撃者の心配はないと判断し、目測から間合いを計る。
ガラディーンの持つ棒は、所持者の身長より明らかに長い。
目測で優に2メロはある。
それを見越し、フェイルは剣士を相手にする際より1メロほど長めの間合いを取り、構えた。
「そこでいいのか?」
「はい」
「ならば終わりだ」
フェイルは、そんな何気ない剣聖の言葉を聞き返そうと、口を開――――こうとしたその刹那、自分が構えた足場を離れて転がっている事に気付いた。
「な……ったたたたたた!」
直後、額に激痛が走る。
そのまま転がり続けて近くの木に激突する頃、ようやく自分が何をされたのか理解した。
棒による打突。
単純な正面からの攻撃に、全く反応出来ず突き倒された。
ガラディーンの踏み込みの速さは、デュランダルに匹敵する。
とはいえ、相当な重さの棒、それも空気抵抗を存分に受ける形状の得物で、視認さえ出来ない攻撃を繰り出してくるのは流石に想定外。
剣聖の恐ろしさを、フェイルは初めて身をもって実感した。
「痛ぅ……酷いですよ、いきなり襲いかかってくるなんて……死んだらどうするんですか」
「そこまでヤワではなかろう。今のが槍の厄介な点だ。理解は出来たな?」
「出来るか! 気付いたら額から煙出てましたよ!」
「そう。そこが重要だ。しっかり覚えておけ。では、そろそろお暇するよ」
指南と言うには余りに乱暴で、余りに短時間。
揚々と引き上げるガラディーンに、フェイルは悪態とお礼のどちらを言うべきか判断がつかず、沈黙のまま見送った。
「……ん?」
そして、小屋に引き上げようとした際、先程までガラディーンがいた箇所に凹みが出来ている事に気付く。
地面が抉れていた。
先程の打突の踏み込みだけで。
とはいえ、大地を抉る踏み込み自体はそこまで驚くには値しない。
凄まじいのは、その凹みの面積。
強く踏み込み後ろに体重をかけ、地面から受ける反発力をもって推進力にするため、通常は後ろに荒く削れる筈なのだが――――ガラディーンの作った踏み込み跡は、人為的に整えたとしか思えないほど綺麗で、面積も小さい。
一方で、抉った深さは相当なもので、力が後ろではなく下に向けられているのがわかる。
何故このような踏み込みで、爆発的な前方への推進力が得られるのか。
フェイルはその場に立ち尽くしながら、暫し熟考の時を過ごした。
「……指か?」
そして、その結論に達する。
足全体で地面を蹴るのではなく斜め下に踏みつけ、その反発力を足の指でより前方に向かうよう調整する。
そうすれば、踏み込んだ力が損なわれる事なく、全て推進力へと換えられる――――かもしれない。
あくまで憶測。
そもそも、そんな理論が存在するかどうかさえ疑わしいし、実現するとなると以ての外。
それでもガラディーンならやりかねない、と感じさせるような踏み込み跡だった。
「常軌を逸してるよな……」
そう呆れつつ、凹んだ場所を確認し、自分の構えた位置との距離を計ってみる。
2メロ――――を、やや超えていた。
見込みよりも明らかに長い。
「……いや、違う」
そこでようやくフェイルは気付いた。
槍という武器の性質を考えれば、それは当然の事だった。
槍は突きによる攻撃が基本。
一方の剣は、薙ぎ払いや振り下ろしがスタンダード。
そこには、必然的に腕の長さによるリーチの差が生まれる。
腕を伸ばしきった突きと、腕を畳んだ薙ぎ払いでは、当然ながら前者がより長いリーチでの攻撃となる。
剣でも突きはあるし、突きを主体にする剣士もいるが、その場合は構えから既に定型とは違っている。
しかし槍士の場合、そちらが定型となる。
ガラディーンは、それを教えたかったのだろう。
「……ありがとうございました」
若干ふて腐れつつも、フェイルはその抉れた地面に頭を下げ、小屋へと戻った。
そこでようやく、自分宛に郵便物が届いていた事を思い出し、手に取ってみる。
封筒にはフェイルの名前しか記されておらず、差出人が誰なのかはわからない。
不審に思いつつも、開けてみる。
「……指輪?」
その中には小さな指輪、そしてクトゥネシリカからの手紙が入っていた。




