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断章:無駄無の弓(7)

 エチェベリア王宮内における力関係は、現在において一定の拮抗が保たれている。


 王であるヴァジーハ8世は高齢ではなく、また持病を患ってもいない。

 その上、王位継承に関しても王位継承順第一位アルベロア王子で殆ど一本化。

 国内における平和状態は、王宮内においても同様――――というのが表向きの国家事情だ。


 実際には、そう上手く行く筈もない。


 世の中、何が起こるかわからない――――などといった定型句は、大抵の場合において不適合。

 事の多くは、誰かが明確な意図を持って仕掛けた規定路線だ。


「確か、そんな事を言ってましたよね、ちょっと前に」


「そうだったか。余り自分の発言は覚えていない性質だから、何とも言えないな」


 矢筒を担いだフェイルの発言に、デュランダルは鞘から露見した漆黒の刃を眺めながら応えた。


 長剣オプスキュリテの価値は、その稀少性のみではない。

 当然ながら、硬度、そして切れ味において、世界でも類を見ない剣である事は、持ち主の腕を見れば誰もが理解するところだ。


「察するに、用件は……クトゥネシリカの事か」


「ええ。当然、誰かが仕掛けた訳ですよね。この茶番は」


 副師団長室に響くフェイルの声は、普段よりも明らかに荒かった。

 その様子を横目で視界に入れ、部屋の主は剣の手入れを始める。


 よく切れる剣は、同時によく切れなくなる剣でもある。

 手入れを怠れば簡単にその性能を落とす。


 特に、厄介なのは柄の部分。

 ここから知らない間に腐食が進み、気付いた時には錆が浮いているケースは、例えそれなりの地位にいる剣士においても割とありがちだ。


 愛剣を持たない、王宮の採用している装備剣しか使わない剣士であれば、それであっても然程大きな問題とはならないが、自分の剣を持つ剣士であれば、手入れを頻繁に行うのは当然の事。

 それでも――――デュランダルの日常通りの行動と、平然とした対応に、フェイルは苛立ちを隠せずにいた。


「彼女は……シリカは、この王宮で伸し上がる野心を持っていた。女が剣士として大成する事の困難を知っていて、それでも果敢に挑戦した。その彼女が退くのなら、他の表現はありませんよ」


「断言か。目指すところは違うものの、無謀な目標を抱き邁進するお前が共感を覚えるのは、ある意味当然なのかもしれないが……」


 デュランダルは手を止め、フェイルの方に顔も向けた。

 その目に――――鋭さが宿る。


「余り詮索はするな。理由を知ったところで、お前にはどうする事もできない」


「何も出来ないからといって、何も知らなくていいとは思いませんよ。僕は納得できないだけです。別に何かを変えようって訳じゃない」


「とても主張通りの顔には見えないな。今直ぐにでも彼女の上司に食って掛かろうとしているだろう。なら到底看過出来まい」


 上司――――デュランダルのその言葉に、フェイルは大きく嘆息した。


「……やっぱり、そうなんですか」



 クトゥネシリカ=リングレンの退役。



 その報は、瞬く間に銀朱、そしてそれ以外の隊にも広がり、大きな話題となっていた。


 クトゥネシリカは一流の腕は持っているが、決して突出した剣士ではない。

 身分も同様だ。

 にも拘らず、その彼女が隊を退いた事が話題になっている理由は一つしかない。


 笑い者にされている。


 フェイルはその点に関しても強い憤りを感じていた。


 女性を蔑視する傾向が強いのは、どの国の王宮も同じ。

 が、世界の常識をフェイルが倣う理由は何処にもない。


「女性が在籍する騎士団。それは市民の支持を得る上では一つのステータスですよね。市民の半数は女性ですから」


 騎士を女人禁制の称号にしない理由の一つは、フェイルの発言の中にある。

 騎士を全員男性にしてしまえば、王宮への女性の支持は著しく低下するだろう。

 そのような打算による処置である事を承知の上で、クトゥネシリカは騎士になった。


 だが、市民の支持など無関係の立場にいる人間の中には、女性が自分と同じ地位にいる事を屈辱と思う者もいる。

 そして、万が一自分が下の立場になった場合を想定すると、発狂しかねないほどの焦燥に駆られる。


「それが我慢できない直属の上司と同僚が、彼女を脅して辞めさせた。違いますか?」


 デュランダルの瞳に、フェイルの目が入る。

 その目には鷹が映った。


 気高く宙を舞い、獲物を狙う野生の鷹。

 本来ならそこに憎悪は欠片もない。

 生きる為の本能のみ。


 が――――

 フェイルの目の中の鷹には、確かな感情があった。

 憤りがあった。


「詳細については、俺も把握していない」


 その翼を視界に納め、デュランダルは目を細める。

 瞼を覆う事で、羽の奥に燦然と輝く眩しさから眼を守る為に。


「ただ、そのお前の仮定が現実としてあった可能性を否定する気もない。俺はその件に関与する意思はないし、お前の行動を止めるつもりもない。自分の洞察に自信があって、それに怒りを感じるのなら、心のままに動くと良い。当然、その行動の全責任を自分で背負う覚悟があるのならな」


 今度はフェイルが瞼を下げる。

 眉間に寄った皺は、更にその深度を上げていた。


「……僕が許せないのは、間違いなくその脅しにフレイアが利用された事」


 そして、吐き捨てる。


「この王宮で女が生きていくのは、並大抵の覚悟じゃ出来ない。何をされても、どんな脅しを受けても、彼女なら屈しなかった筈だ。自分の事だったら。でも……フレイアの事を持ち出されたら、きっと折れる」


 盲目の少女、フレイア=リングレン。

 彼女がどのような人生を歩んできたのか、そして誰に寄りかかっているのか、それは誰の目にも明らかだ。


 クトゥネシリカが、足枷となるのを承知で彼女を傍に置いていた意味も。

 夢と現実の狭間で苦悩し、それでも前を見ていた意思も。


「それも含め、彼女の選択という事だ」


 デュランダルの言葉は辛辣だった。


 騎士として大成するならば、身内の安全や未来を天秤にかけ、それでも地面へ這い蹲る覚悟が必要。

 それがないのなら、ここにいるべきではない。


 それは、圧倒的に正論だった。

 正論だからこそ、フェイルは苛立ちを覚える。


「……師匠の事、随分と慕ってたんですけどね」


 クトゥネシリカはずっと――――ずっと、デュランダルに助けを求めていた。


 女性である事。

 妹の事。

 そして、周囲からデュランダル派と見做されている事。


 彼女がデュランダルに尊敬の念を抱いているのは公然たる事実。

 だが、それだけが師事を請う理由ではなかった。

 多重にわたる負の荷物を抱え、それでも自身の所属する部隊の中で生き残っていくには、『デュランダルの弟子』という特殊な肩書きを得るしかなかった。


 クトゥネシリカは、自分の夢と妹との共存を、最後の最後まで望んでいた。

 そして、最後まで足掻いていた。


 が――――それは叶わなかった。


 そして彼女は、妹を選んだ。

 フェイルはそう解釈していた。


 だからこそ、クトゥネシリカの退役に深い憤りを覚えていた。

 首を縦に振らず、助け舟も出さなかったデュランダルに対して。


「俺は剣士の弟子は取らない」


 その怒りへ、デュランダルは回答を示す。

 冷静に、そして冷淡に。


「そして、盲目の妹をこの王宮に置いたままで出世したいと願う彼女の生き方に、同調する事も出来ない。力を貸そうとは思わなかった」


 提示された言葉は、デュランダルがデュランダルである証であるのと同時に『銀仮面』と呼ばれる所以でもあった。

 そして、その精神性にクトゥネシリカが惹かれていた事も知っていたフェイルは――――


「そう……ですか」


 感情をぶつける事も叶わず、やり切れない思いを胸元で持て余していた。


「お前は他人の心配をするよりも、まずは自分の事をしっかりとやれ。今のままではトライデントに勝つなど到底叶わないぞ」


「もう師匠にまで届いたんですか、その話。だったら……」


「決定だ。御前試合の初戦。ある意味、最も重要な試合に選ばれた。光栄に思え」


 御前試合は、優勝者を決めたり一位を決定したりはしない。

 一戦一戦が決勝戦。

 ただ、そこにあえて序列をつけるとすれば、やはり最後の試合が最も注目度が高く、好戦が期待出来るカードだ。


 一方、一戦目は比較的余興に近い戦いが組まれる事が多い。

 不名誉のように思われがちだが、期待の若手がここで登場する年も多く、その後の試合の流れ、催しそのものの空気を決定付ける重要な役回りでもある為、デュランダルの発言は決して慰めではない。


 弓矢の力を誇示したいフェイルにとっては、現状において最高の環境が整ったとさえ言える。


「光栄、ね……」


 それでも、フェイルの心は晴れない。


 クトゥネシリカとフレイアは突然、この王宮から去った。

 別れの言葉もなく、唐突に。

 クトゥネシリカに嫌われているのを自覚していたフェイルは、それに関して仕方がないと割り切ってはいたが、同時にやるせなさも感じていた。


 彼女達を取り巻くあらゆるものに納得が出来ない。

 歯痒く、そしてやるせない。


 そんなフェイルの様子を察したのか、デュランダルは手入れ中の剣を置き、背後を向く。

 これは、苦手な科白を言う時の、彼の癖だった。


「お前が、横柄な態度や周囲に迎合しない生き方で、甘えを生まないようにしているのと同じように……彼女もまた、不器用なりに様々な策を講じ、強くなろうとしていた。その彼女が下した決断だ。今はただ、前途を祈ってやれ」


「……」


 まるで言葉でフェイルの頭を撫でるような、そんな発言。

 デュランダルから自分の生き方が看破されていた事への驚きは微塵もない。

 だが、それを理解してくれているとあらためて思い知ると、自然と気持ちに一区切りが付いた。


 デュランダルの視野は、自分よりも遥かに広く、そして鮮明。

 そんな彼が『前途』という言葉を用いたのは、せめてもの救いだった。


「一つだけ確認させて下さい。あの二人の安全と生活は……」


「保証されている。機密を守る事が条件だがな。元騎士とその身内に何かあれば、それは王宮および銀朱の恥だ」


「わかりました。ありがとうございます」


 詳細を知らないと言ったデュランダルの先の言に触れる事もなく。

 フェイルの礼の意味を問う事もなく。

 その話題は、ここで終わった。



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