断章:無駄無の弓(6)
フェイルは――――自身の感情を隠す事に意味を見出せずにいる。
師匠であるデュランダルが"銀仮面"の二つ名を持ち、顔面による一切の感情表現を拒んでいる理由も知らない。
その為、いつだって素直に感情を吐露する。
「それは願ってもない話ですけど、一応理由を聞いても良いですか?」
更に、言葉でも心を剥き出しにして問いかける。
不敵にして不遜、それでいて不敬。
瞬間――――
「単純な話だ。君を完膚なきまで叩きのめしたいからに他ならない」
トライデントの口角が不気味に上がった。
不気味さを有しているのは表情だけではない。
表情が見えないフレイアが思わず怯えるほど、禍々しい敵意を発した。
彼もまた、心のままに己を出している。
故に、両者の衝突は必須となった。
「僕に圧勝する事で、師匠の評価を落とすつもりですか? それは無理じゃないですかね。弓兵に槍兵が勝ったところで、皆それが当たり前って思いますよ。弓兵の評価は元々地に伏すくらい低いですから」
「そうだな。だから、その狙いはない。目的はごく個人的なものだ」
トライデントの口の歪みは更に度合いを増していく。
そこに見えるのは、最早思惑や意思ではない。
「自分が一番快楽を感じるのは、他人の夢を潰す瞬間だ。夢が拉げるまさにその時、人間の顔は"化ける"。絶望などという陳腐な表現では到底表せない、顔中の筋肉が弛緩した、怪物のような顔だ。最高だろう? この世に存在しない、別の生物に逢える。一生忘れられない格別な贈り物だ」
気質、或いは性癖。
自身の本性を一切隠さず、他者に対する最上級の愚弄であり歪みきったその嗜好を告げる彼の顔は、それこそ怪物じみている。
驚くべきは、下品さがまるでない事。
声を荒げるでもなく、芝居じみた口調でもなく、淡々と説明するトライデントの姿は、万妖が憑依しているかのような異質感があった。
「……」
フェイルは思わず言葉を失い、顔を歪ませる。
単なる嗜虐的な人間はこれまで何人か見てきたが、その誰とも重ならない。
途中までは激昂を必死で抑えていたクトゥネシリカですら、その怒気を萎ませ、顔を蒼褪めさせていた。
「君の野望は聞き及んでいる。それに対する執着もな。自分はそれを壊したいだけだ」
「……わかりました。それなら遠慮なくお受けしますよ」
危険人物なのは嫌というほど理解した。
それでも、断る理由はない。
気圧された事を隠さないフェイルの返事に、トライデントは笑みの濃度を下げ、一つ小さく頷いた。
「やはり、胆力は相当なものだ。君は才能がある。弓なんて役に立たない武器は捨てて、銀朱の一員にならないか?」
「師匠と敵対する派閥の人間に脅されて入隊。そうなれば師匠の面目は丸潰れですね。それはそれで面白い顔が見れそうだけど……遠慮しておきますよ。弓矢であんたのその目的を粉々にする方が、よっぽど有意義そうだ」
「残念だな」
全く言葉とはそぐわない表情を見せ、トライデントは踵を返した。
「クトゥネシリカ。お前には後で通告がある。上司の部屋を訪ねるといい」
「え……それはどういう意味でしょうか?」
通告、という言葉は軽くはない。
良い知らせの際に使われる事はまずないからだ。
「ここでする話ではない。黙って指示に従えばいい。では、フェイル君。次に自分と会う時は……」
「開戦ですね」
フェイルのその回答に満足したのか、トライデントの顔に再び狂気が宿り――――直ぐにそれは見えなくなった。
周囲に呪詛を撒き散らした背中が完全に視界から消えた頃。
「……ぅ」
フレイアが地面にへたり込む。
「だ、大丈夫か? どうしたんだフレイア」
「フレイア……あの方が怖い、です。見えないけど、とても怖、い」
「……そうか」
怯えるフレイアに対し、クトゥネシリカはそっと手を差し伸べる。
そしてその手を、フレイアは一度も迷わず正確に取った。
言葉で何の示し合わせもしていないのに。
その様子に、フェイルは二人の絆の全てを見た――――気がしていた。
「ノートさん。あの方と戦うの、ですか?」
立ち上がったフレイアが、おずおずと問う。
クトゥネシリカの狭めた視線も、フェイルの方に向いていた。
その表情には、途方もない数の感情が入り混じっていて、とてもそれを特定する事は出来ない。
「……うん。折角貰ったチャンスだからね。大事にしないと」
不安そうな瞳を向ける盲目の少女に、フェイルは声で微笑む。
だが、安心を与えるには到らなかった。
「どうしてそうまで、して戦う必要がある、んですか?」
フレイアの質問はとても純粋だった。
純粋に、フェイルの人生を問いかける――――そんな本質を突いた質問だった。
「フレイア。私達は戦士だ。戦うのに理由は要らない。皆、戦う事が使命なんだ。だから毎日修練を積み、技術や己を磨いている」
それを察したのか――――フェイルより先に、クトゥネシリカが丸く収めようと無難な回答を提示した。
王宮に身を置く戦士は例外なく、戦う為の理由を自分の中に持っている。
戦時中であれば、共通の目的として『国家の為』という大義名分があるだろう。
だが、そうではない現状において、目的は必ずしも一致しないし、何より奇麗であるとは限らない。
中には『金の為』と割り切る者、『己の渇望や自己顕示欲を満たす為』といった先程のトライデントに近い回答を持つ者もいるだろう。
そして何人たりとも、他者の戦う理由を否定は出来ない。
余りに身勝手な理由で弱者の命を奪う輩だろうと。
だからこそ、法か刃で斬り伏せるしか出来ない。
そして、フェイルはそれを正直に話してしまうかもしれない。
他人を蹂躙する輩を、武力をもって阻止する。
それは決して正義などではなく、そんな醜い世の中の縮図をフレイアに聞かせたくはない――――そんな懸念がクトゥネシリカにはあった。
フェイルはそう理解した。
「……僕は、本当の親じゃない人に育てられたんだ」
それを考慮した上で、暫し言葉を選び、フェイルはフレイアに向き合う。
素直に吐露するのは感情だけ。
何もかも思ったままに発言するほど、フェイルは幼くはない。
「その人は弓を作る職人だったんだ。とっても腕の良い職人でさ、たくさんの弓使いが『自分の弓を作ってくれ』ってお願いに来たよ。自慢の……父さんだった」
その様子に感じ入るものがあったのか、クトゥネシリカは口を挟むまず、黙って見守っている。
「でも、少しずつ時代が変わって……弓は人気がなくなっていったんだ。父さんの腕が鈍ったんじゃない。ただ、別の理由でお客さんが離れていった。とっても落ち込んでたよ。僕は、それを見るのが凄く辛かった」
フェイルはそこで小さく息を吐き、空を仰ぐ。
上空では鷹が一羽、鷹揚とした様子で旋回していた。
「だから僕は、誰よりも強くて、誰もが知るような弓使いになって、父さんの愛した弓は終わった武器なんかじゃないって……そう証明したいんだ」
その鷹は、暫く空を遊ぶように飛び回ったのち、フェイルが話し終えた直後に何処かへと行ってしまった。
まるで――――失望したかのように。
「そうだったん、ですか。ありがとうございます、教えて、くれて」
「お礼なんていいよ。こっちこそ聞いてくれてありがとう。おかげで目標を再確認できた」
苦笑しつつ、フェイルはフレイアの頭にポンと手を乗せる。
いつもならば、そんな動作をした瞬間にクトゥネシリカが怒鳴り散らすのだが――――今日だけは違っていた。
「……では帰ろうか。フレイア」
代わりにそう促す。
フレイアはニッコリ微笑みながら頷き、クトゥネシリカの手を取った。
「またね」
「はい。またお会い、しましょう」
手を振るフェイルに、フレイアも応える。
見えている訳ではない――――が。
「フェイル=ノート」
そんな妹を傍らに、クトゥネシリカは半身の姿勢でフェイルに視線を向けた。
「目上の相手に対して、相も変わらず軽口を叩くその姿勢には、同じ王宮に身を置く者として憤慨を覚えるが……」
「悪かったね」
「だが、自分の誇りを気取らず、飾らず、真っ向から出せるその姿勢は心底羨ましい」
彼女の声は、寂しげだった。
今に始まった事ではない。
怒る時も、羨む時も、クトゥネシリカはいつだって、少しだけ寂寥感を背負っていた。
「御前試合、頑張ってくれ」
「良いの? 直属じゃなくても一応は上司でしょう? あの人は」
「ふん。デュランダル様を師匠と呼ぶ者が、同じ銀朱の騎士にあっさりと敗れる事など許されないぞ。必ず善戦するように」
ビシッ、と力強く指を差し、クトゥネシリカはそう命令した。
その指を払うように、フェイルはそっぽを向き、言葉を被せる。
「善戦で終わる気はないけどね。勝たなきゃ意味がないんだから」
「……強いぞ、あの人は。一つ上の世代にも、彼以上の使い手は銀朱にさえいない。ガラディーン様の片腕となる日も近い、とさえ言われているくらいだ」
「知ってるよ」
不敵にそう言い放つフェイルに対し――――クトゥネシリカは微笑んだ。
それは初めて、彼女がフェイルに見せた笑顔だった。
そして、同時に。
「なら、よし」
――――最後に見せた笑顔となった。




