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断章:無駄無の弓(5)

 御前試合のセレモニーから数日後――――


「フェイル=ノート。聞き及んだぞ」


 訓練を終え、矢を片付けているフェイルの元に、二つの人影が訪れる。


 一人はクトゥネシリカ。

 もう一人は――――その背中に隠れてフェイルの方を窺っている。


 しかし、その目は開いていない。


「あ、フレイア。こんにちは」


「あ……こ、こんにちは。お、お久し振り、です」


 その少女に対し、フェイルは似合わない満面の笑みを浮かべ、手を振るという更に似合わない行動をとった。


「フェイル=ノート! 妹を名前で呼ぶな! リングレン若しくはリングレンちゃんと呼べといつも言っているだろう!」


 そんなクトゥネシリカの突然の咆哮に、後ろのフレイアが大きく身を竦める。


「怖がってるから、大声は出さないであげてよ」


「くっ……お前が大声を出させているんだろうが」


 震える握り拳の行き場に困り、クトゥネシリカは呼吸を荒げて深呼吸をしている。

 そんな意味のない様子を、フレイアはおろおろしながら――――見てはいなかった。


 依然として彼女の目は見開かれてはいない。

 そして、それは彼女にとって、ごく自然な事だった。


「あ、あの……し、シリカお姉様、どうしてそんなに怒っていらっしゃるので、しょうか? フレイアは、名前で呼ばれても構いは、しません」


 怯え続けるフレイアは、ついにはしゃがみ込んでしまった。


「ち、違うんだフレイア。私が怒っているのは、この野蛮人が……ああっ、そんな顔をするな。おい、フェイル=ノート! 何というかその……助けてくれ」


「妹の面倒くらい自分で見たら?」


「おのれ……と、兎に角だ。フレイア、今のは何でもないんだ。別に私は怒っている訳じゃない」


「そうそう。僕とシリカは仲良しなんだよ。全然怒ってなんてないんだ。きっと、昼食に白くて柔らかいパンを奢ってくれるくらい仲良いんだよ」


 フェイルが柔和にそう告げると、ようやくフレイアは落ち着きを取り戻した。


「ほ、本当に? シリカお姉様」


「あ……ああ。確かに、それくらい良好な関係だな。ははは……白パンは高いんだぞ……お前にはいつか天罰が下るよう呪っておいてやる」


 後半は、フレイアに聞こえないような小さい声での呪詛。

 フェイルは特に気に留めず、矢の回収を再開した。


「それで、今日は何の用? 散歩のついで、って訳じゃなさそうだけど」


「ふん。フェイル=ノート……御前試合に出るらしいな。しかも式典でデュランダル様に恥をかかせた、と聞き及んでいる」


 先程までの激昂をようやく抑え、クトゥネシリカは本題を唱える。


 王宮は決して広くはない。

 このような噂は直ぐに伝わる。


「恥をかいたかどうかは、本人に聞いてよ。良い口実になるでしょ?」


「ば、バカを言え! 既に一昨日、弟子入りを志願して断られてる身なんだ! 中二日での来訪は厚かましいだろう……って、そうじゃない! 話をすり替えるな!」


「すり替えてるのはそっちだと思うけど。ねえ、フレイア」


「あ、あう……す、すいません。フレイアにはよくわかり、ません」


 狼狽する妹と、楽しげに矢を拾い続ける宿敵を交互に見ながら、クトゥネシリカは猛烈に嘆息した。


「全く……反省の色を少しは見せたらどうなんだ? 仮にも、あのデュランダル様が『師匠』と呼ばれる事を許している男だというのに、何故そうも野蛮なのか」


「野蛮ってイメージは僕にはないと思うけど……あと、シリカの説教って何か回りくどい」


「貴様の事をデュランダル様の弟子などと言いたくないからこんな物言いになるんだ! うう、羨ましい……自分も師匠、弟子と呼ばれる関係になりたい……」


 両手を戦慄かせ、大声で叫ぶ姉の背中を、フレイアは困った様子で擦っている。

 気を静めようとしているらしい。


「ま、それは置いといて」


「置いておくような軽い事ではない!」


「シリカは、御前試合は出ないの?」


 それは――――純粋な疑問。

 騎士である彼女は、少なくともフェイルよりは参加し易い立場にいる。


 そのフェイルの問い掛けに対し、瞬時にクトゥネシリカの表情が沈む。


「出たかった……が、出させて貰えなかった」


「あ……そ、そうなんだ。ん、ん……まあ、参加者を決める人の好みとかもあるしね」


 謝る訳にもいかず、全く中身のない取り繕いも意味をなさない。

 重い空気が、場を支配する。


「貴様に気を遣われると死にたくなる。いつものように遠慮せず罵ったらどうだ?」


「人聞きの悪い……僕は確かに口は悪いし性格も酷いものだけど、シリカを罵った事なんて一度もないよ」


「ついさっき、私の説教が周りくどいと言っていなかったか?」


「そういうのは罵倒って言わないの。ね、フレイア」


 フェイルは定期的にフレイアに話を振る。

 それは彼女といる際、強く意識している事だった。


「そ、そうです。シリカお姉様はぜ……贅沢です。ノートさんはとても優しい方です……」


「なっ……フレイア! 言って良い事と悪い事があるぞ! こいつが優しいなどあり得ないだろう!」


「えっ、そっち……?」


 とはいえ、どちらかといえばクトゥネシリカの発言に正しさを感じ、フェイルは沈黙するしかなかった。


「兎に角、承認を頂けなかったのは自分の力量不足に他ならない。だが悲観はしていない。女が剣で名を上げるのは、そう容易い事でもないからな」


 その事実は――――フェイルも感じていた。


 クトゥネシリカの剣士としての技量は、一流と呼んで何ら差し支えはない。

 少なくとも分隊長クラスの力は持っている。


 だが現実として、彼女には階級は与えられていない。

 それが女性剣士の現実。

 だからこそ、御前試合のような大舞台は彼女にとって起死回生の場となる筈だったが――――


「そのような言い訳ばかりしているから、いつまで経っても半人前なんだ。お前は」


 不意に、その現実をより重くする言葉が、三人以外から発せられる。


 フェイルは視界を動かし、そして眉を顰めた。


「女だから認められない。女だから不当に扱われている。女だから。女だから……そのような態度では、到底栄えある銀朱の一員ではいられないぞ、クトゥネシリカ」


 そこには先日見た時とはまるで違う、歪んだ顔をした――――トライデント=レキュールの姿があった。


「レキュール殿……」


 自身より身分が上の騎士が現れた事で、クトゥネシリカは背筋を伸ばし、敬意を表す。

 それは縦社会の集団に身を置く人間として、当然身体に染み込んでいる所作であり、意識はしなくても、また不本意な物言いをされたとしても、条件反射的に生まれる体勢だ。


「この度は御前試合への御出場、心よりお祝い申し上げます」


「それは良い。それよりも、もう少し愁傷な態度でいる事を心がけるんだな。女である以上、それが出来なければ、どの世界においても生きては行けないと知れ」


「……」


 それでも、決して譲れない信念があるとすれば、沈黙をもって答えるしかない。

 フレイアが心配そうに様子を窺う中、クトゥネシリカは項垂れ、視線を逸らした。


「弓兵訓練場に何か用ですか、銀朱のホープ殿。弓兵に鞍替えするなら歓迎しますよ」


 重くなる空気を切り裂くように、フェイルは笑顔を作らずに軽口を叩く。

 その様子を一瞥し、トライデントは足元に落ちていた矢を一本、緩慢な動作で拾った。


「弓矢……か。最早時代に取り残された武具を、敢えて選ぶ意味はまるでない」


「へぇ」


 クトゥネシリカとは違い、フェイルには騎士特有の精神は身に付いていない。

 その為、譲れないものがある場合、それを護る為には牙を剥く。

 その顔には露骨な険が浮かんでいた。


「子供だな。やはり、デュランダル様の弟子という話は本当のようだ。まるで教育が出来ていない」


 その顔にいち早く気付いたトライデントは、嘆息交じりに非難を口にした。

 ただ、その愚弄の対象は眼前のフェイルではなく――――敬称の対象とした銀朱の副師団長であるのは明白。

 フェイルはそれを、デュランダルを崇拝するクトゥネシリカに対しての揶揄と邪推した。


 実際、その非難を聞いたクトゥネシリカの顔色は露骨に変わっている。

 同じ事をフェイルが言えば、躊躇なく得物を抜いていただろう。


 ただ――――トライデントの話はそこで終わらなかった。


「あの方の腕は確かだ。素晴らしいと言うしかない。寧ろ、世間の評判はまだ低いとさえ言える。その才能に疑いの余地はない……が、所詮はそれだけだ。剣聖であられるガラティーン様とは人間としての完成度がまるで違う。比肩するには到底及ばない」


 その演説にも似た物言いで、真実はすんなりと発覚した。


 現在、銀朱には複数の派閥が存在している。

 大所帯である以上、それは自然な事ではある。


 どれ程崇高な精神性を説こうと、利権の為に長いものに巻かれるのは人間の性。

 寧ろ、騎士団のような組織こそ派閥は生まれやすい。


 が、銀朱において最大派閥とそれに準ずる派閥は、いずれも冠となっている人間に派閥意識がまるでない。

 群れる事に一切の関心がなく、己の技量と強さを研ぎ澄ませる、その一点のみを追求していた。

 だが、そのネームバリューは共に格別とあって、名前だけが旗となり、その元に多くの騎士やそれ以外の連中が集っている。


 よって――――トライデントはその最大派閥であるガラディーン派であり、対抗勢力であるデュランダル派に嫌悪感を抱いている、というわかりやすい構図が完成だ。


「あ、あの、お言葉ですが、レキュール殿。デュランダル様はこの男など……」


「黙っていろクトゥネシリカ。お前の妄言に付き合う気はない」


 そして、クトゥネシリカをデュランダル派と見做している事は、その露骨な態度からも確実。

 既に相容れる事はあり得ない。

 つまり、今のままではクトゥネシリカの出世は絶望的な状況にある訳だ。


 クトゥネシリカがデュランダルの弟子になりたがっているのは、単に尊敬しているからという理由だけではない――――フェイルはそれを確信し、やり切れない思いで溜息を吐いた。


「さて。自分がここに来た用件が聞きたいのだったな、フェイル=ノート君。君は確か、弓使い以外の人間と戦いたいと所望していた」


「ええ。そうですけど」


「自分と戦うが良い。了承するなら、自分が委員会と掛け合おう」


 紛れもなく宣戦布告。


 フェイルは思わず口元を緩める。

 理由は単純。


 これは――――理想通りの展開だった。




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