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断章:無駄無の弓(4)

 御前試合とは、年に一度開かれる兵士・騎士の公開模擬戦で、国王や大臣などの王宮内における権力者達が親覧する事が最大の特徴だ。


 王族にとっては緊迫感のある娯楽。

 王宮騎士にとっては権力者に名を売る好機。

 戦争で名を上げるのが困難になった現在、純粋に強さで出世を勝ち取るには最高の舞台であり、名を上げる数少ない機会とあって、出場を望む声は多い。


 ただその一方で、無様に敗北を喫してしまおうものなら、大きな損失となるのも明白。

 騎士の昇級には王族、大臣等の意向が大きく加味されるだけに、その負の心象は人生をも左右しかねない。

 腕に絶対の自信があるのに、中々上司に認められない――――そんな兵士が参加を希望する一方で、ある程度出世コースを約束されたエリートは見送るのが毎年見られる傾向だ。


「些か驚いたな。まさか、御前試合に弓兵を推薦するとは。二つ返事で参加を決める弓兵も弓兵だが」


 王宮内の大広間で派手に開かれているセレモニーに背を向けながら、フェイルはガラディーンの愉快そうに笑う声を、嘆息交じりに聞いていた。


「弓兵同士の戦いは迫力に欠けるとの理由で近年は敬遠されていたが……よく国王陛下は許可を下されたものだ」


「……そんなに、弓兵って人気ないんですね」


 更に嘆息が濃くなる。


 大広間の一角、テーブルの上の普段は絶対に食べられない豪華絢爛な料理に舌鼓を打つ気にもなれず、フェイルは視線を周囲に向けた。

 その半数程度が、こちらに何かしらの形で視線を向けている。


 当然ではあった。

 剣聖ガラディーン、そして隣にはデュランダル。

 王宮騎士団【銀朱】師団長と副師団長が同席している時点で、注目を集めない訳がない。


 一方で、フェイルに対しての注視も少なからずある。

 王宮弓兵団最年少の弓兵で、デュランダルが世話を焼いている少年。

 それに加え、御前試合にエントリーした弓兵となれば、それなりに話題性はある。


 ただし、関心の的になったからといって、フェイルにとって有利に働くものでもない。

 注目されなくてはならないのは、個人ではなく武器。

 今はただ、風変わりな存在に対して好奇の目が向けられているに過ぎない。


 そんな現状は、フェイルを少し苛立たせていた。


「余り気負うな。選んだのは俺だ。お前は、お前のすべき事をすれば良い」


 沢山の大人に囲まれて育ち、少なからず精神的に早熟となってはいるものの――――実像はまだ十五歳の少年。

 涼しい顔で好奇に晒され、平常心でいられる心の余裕はない。

 それを理解し、デュランダルは敢えて少し的を外した言葉を発した。


「気負ってる訳じゃ……ないんですけどね」


 フェイルはそれに気付けず、でも少し肩の力が抜けていくのを感じながら、デュランダルの言葉に苦笑する。

 そんな二人の様子に、ガラディーンは感心したように破顔していた。


 現在、この場で執り行われている式典には、王族、元老院の一部、港町トリスタン周辺の貴族、王宮の上流階級、そして御前試合の参加者が集っており、それぞれの顔見世が行われている最中。

 この後、対戦の組み合わせが発表され、参加者がそれぞれ壇上で決意表明を口にする。


 組み合わせは独断と偏見で決められる訳ではない。

 ある程度公平を期する形で、参加者を見物している面々が話し合いを持ち、また『武』における専門家にそれぞれの戦力や相性を分析させ、最終的には採決を取って決定とする。


 それは何故かというと――――御前試合が賭けの対象となっているからだ。


 賭けは、結果がわかっていては成立しない。

 ある程度実力が拮抗して、初めて成り立つ。

 当然オッズも定められるが、それが大き過ぎる、或いは小さ過ぎる数字になると、賭け事としての関心度は嫌でも落下の一途を辿る。


 よって、相手が誰であろうと苦戦する姿さえ想像出来ない人物、例えばデュランダルの参戦を望む声は極めて少ない――――かというと、実はそうでもない。

 彼の戦う姿を見たいと希望する者は、同業者でなくても相当な数に上る。

 希代の剣士による戦闘は、ただそれだけで芸術品の鑑賞と同等の価値がある。


 無論、ガラディーンも同様。

 年齢を重ね、その腕は熟練という言葉さえも生温いほどに磨き抜かれ、特に攻防の切り替えの早さと無駄のなさに関しては機能美さえも感じさせるほどの域だ。


「いずれにしても、人前での戦闘は訓練とは大きく異なる。緊張もすれば硬くもなる。焦りも生まれる。実戦には及ぶべくもないが、現在考えられる環境では最も良い経験となるだろう。頑張りなさい」


「ありがとうございます、剣聖殿」


「また……」


 ガラディーンの金言に対するフェイルのおどけた敬礼に、デュランダルは頭を抱えて嘆息した。

 尤も、デュランダルにフェイルの目に余る態度を是正させる意思はない。

 彼にとって、フェイルの不遜な態度は意味あるものだからだ。


 礼儀がなっていないのは、礼儀知らずだからではない。

 知識はあり、虚勢を張るほど無駄なプライドも持っていないフェイルは、意図的に生意気な態度をとっている。

 露悪と言うほどの破綻ではなく、傲慢と呼べるほどの劣悪さでもなく、まして実力者相手に同格のような口の利き方をして自分の立場や存在までもがそうだと錯覚させるような人間ではないと、デュランダルはフェイルをそう評価していた。


 ガラディーンやアバリスに対し、不躾な態度をとる事の意味。

 これは確実に存在するが――――デュランダルはフェイルの真意を図りかねている。


 大抵の事は見透かせる彼にとって、それは珍しい事だった。


 尤も、これはデュランダルが理解出来ないのも当然だ。

 彼は弱者の理論を知らない。

 生まれながらに強者だった彼には知りようもない。


 処世術とは明確に違う。

 フェイルはずっと"探していた"。

 自分が、格上を相手に勝てる方法を。


 弓矢を復権させるには、格上の実力者と戦い、勝利するのが絶対条件。

 ならばどうすれば格上の相手に勝つ事が出来るのか?


 技術で劣り、身体能力で劣り、戦闘経験で劣る相手に、万人が認める問答無用の勝利を収めるには、月並みだが精神力が重要となってくる。

 まず格下は『勝てる訳ない』もしくは『絶対に勝てる』といった極論をどうしても浮かべてしまい、無駄に気負ってしまう。

 その時点で既に勝ち目はない。


 これは意外と厄介な問題で、気の持ち方一つでどうにかなるという類いのものでは決してない。

 考え過ぎてしまうのは人間の本能。

 容易には抜け出せない。


 そして更に鬱陶しいのは、平常心さえも害悪になり得る点。

 自分より遥かに強い相手に平常心で戦っても、勝てる訳がない。

 通常時よりも高揚し、戦闘に最適な精神状態になれて、初めて勝ちの芽を植えられる。


 フェイルはまだ、その芽を植えていない。

 どうすれば、自分よりも上の相手に理想的な精神になれるのか、それを模索している最中だ。


「失礼します!」


 刹那――――周囲の喧騒をひれ伏させるかのような一際高い声がフェイルの直ぐ近くであがる。

 視線を向けると、そこには直立不動で構える男の姿が見えた。


「自分は王宮騎士団【銀朱】分隊長、トライデント=レキュールと申します! この度は、ガラディーン様の御推挙の元、栄えある御前試合への参加をお許し頂く所存となりました! 身に余る光栄、身の引き締まる思いであります!」


 歯切れの良い言葉の後、最敬礼。

 そんな、いかにも騎士といった所作に対し、ガラディーンはフェイルに向けていた笑顔とは正反対の、厳かな顔で一つ頷いた。


「話には聞いておる。己の培っていた経験、育んできた技術を存分に発揮し、国王陛下や元老院の方々に見て貰いなさい」


「はっ! ありがたき御言葉!」


 再び最敬礼。

 騎士とは斯くあるべき――――そんな主張が、一つ一つの挙動から滲み出ている。


「デュランダル様におかれましても、この度の御承諾を賜り、感謝の極みであります! お二方の名を汚さぬよう、精一杯尽力したい所存です!」


「ああ。君には期待している。頑張ってくれ」


「ありがたき幸せ! それでは、失礼させて頂きます!」


 デュランダルに対しても大きく頭を下げ、最後にもう一度ガラディーンに一礼し、トライデントと名乗った男は粛々とテーブルから離れて行った。

 その姿を少しの間目で追っていたデュランダルは、瞼を半分落としてフェイルに向ける。


「何故あれが出来ないのか」


「いや……僕には無理でしょう。育ちが違うって感じですし」


 デュランダルの皮肉に、フェイルは皮肉で返す。

 尤も、半分は自分自身への皮肉だったが。


「名前だけは以前から聞いていたが……トライデント=レキュールか。まだ20代半ばであれだけの気概を持っているのは立派なものだ。次から次へと良い人材が出てくる。素晴らしい戦いが観られれば良いがな」


「彼には銀朱の未来を背負って貰う必要がありますから。恐らくはその期待に応えてくれるのではないでしょうか」


 同じ銀朱の一員であっても、ガラディーンやデュランダルのような最上位に位置する騎士が、分隊長クラスと接する機会は滅多にない。


 戦争時の騎士の仕事が国を守る為に戦う事であるのに対し、戦時下にない時代における騎士の日常については、実はかなり個人差がある。

 領土を貰い統治する騎士はごく一部に過ぎず、一般市民と余り変わらない暮らしをしている騎士さえも少なからず存在する。

 合同訓練が毎日行われている訳でもない為、ただ単に漫然と一日を過ごす騎士もいれば、己の強さを追求し、日々自主訓練に勤しむ者もいる。


 そのような自由な空気の中で隊の行動を管理するのは、その隊における長――――すなわち分隊長であり、隊長。

 それより上の位の騎士は、直接の指導はせず、国家や外国を相手に仕事をする。


 つまり、部下に対し指導力を発揮するというよりは、象徴としての役割を担っている。

 フェイルが今、席を共にしている二人は、そのような雲の上の存在だ。


「師匠は特殊部隊とか持たないんですか?」


 遥か上を見上げるつもりもなく、フェイルは頬杖をつきながら疑問を口にした。


 身分が高い騎士の中には、所属している騎士団とは別の、私兵を中心とした部隊を持つ者もいる。

 無論、非公式の軍事組織を持つのは国への裏切り行為に等しく、当然のように禁止されている。


 けれど武力以外の面に秀でた部隊であれば、その限りではない。

 特に斥候のような目立たない役割については、騎士が行えば権威に関わってくる為、騎士が独自に雇用している兵を使って行う方が好ましいとされている。


 ただし、デュランダルはその部隊を表立っては作っていない。

 それも、彼の神秘性を持たせる一因となっている。


「フェイル。デュランダルはそのような事を公の場で話す男ではない。某にすら、殆ど報告は来ないからな」


「それは困った部下ですね。下克上を虎視眈々と狙ってるに違いないですよ。今の内に無理難題をふっかけて、失脚させた方が良いんじゃないですか?」


 軽口を叩く遥か年下の少年に、デュランダルは眉間を指で覆い、俯いた。

 既にこのやり取りも、日常的に定着している。


「にしても、剣聖と天才に期待される若手ですか……大変ですよね、あの人も。とてつもない重圧でしょうに」


「お前は他人の事より、自分の心配をしろ」


 デュランダルが呆れ気味に指を顔から放し、壇上の方にその先を向ける。 

 フェイルがその指先を目で追うと、困った顔を浮かべている進行役の男の姿へと辿り着いた。


「決意表明、君の番のようだ。トライデントに負けぬよう立派な姿を師匠に見せてくると良い」


「わかりました。頑張ります!」


「……真面目にやれよ」


 釘を刺すデュランダルに一つ頷き、フェイルは少し急ぎ気味で壇上へ赴き、参加者一同に深々と一礼した。


「この度、御前試合という大変立派な舞台に立たせて頂く事になりました。一介の弓使いとして、とても嬉しく思います」


 それは、ごく普通の挨拶のようで――――実はそうではなかった。

 フェイルは名乗らなかった。

 自身の名前を犠牲にして、弓使いである事を強く主張した。


 そして――――


「ここからは大変身勝手な要求ではありますが……出来れば同じ弓兵ではなく、剣士や槍士の皆さんと相見えるのを期待しています。宜しくお願い申し上げます」


 不敵にそう言い放った。

 無論、それが掟破りである事も、自分に対して大きな負債が圧し掛かる事も、全て承知の上で。


 遠くにデュランダルの頭を抱える姿が映り、流石に気まずくなった為、フェイルはその視線を別の人物へと向けた。


 それは同じ参加者。

 トライデント=レキュールは先程の騎士然とした顔を何処かへ仕舞い、口の端を微かに釣り上げていた。



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