断章:無駄無の弓(3)
クトゥネシリカの瞳が妖しく光る。
――――ようには一切見えず、フェイルは顔をしかめて一歩引いた。
「鬼畜……弓兵を前線に立たせて、それを観察する気? 趣味悪いよシリカ」
「ち、違う! 私はこの機に乗じてお前とデュランダル様の師弟関係を暴こうとしているのではなく……う……ううう……やっぱり嘘だ! あわよくば知りたいと思っている! おのれフェイル=ノート! 私の良心を弄ぶとは、なんて巧みな……!」
「単に嘘がつけないシリカの人間性の問題だよね」
実際、城内には警備兵がいるし、屯所にも相応の人数が控えている。
現在城の外にいる、新米のフェイルたちはお呼びではない。
気を利かせて駆けつけたつもりでも、先程のフェイルの言葉通り、功名心の為にやって来た邪魔者と見なされるのは火を見るよりも明らかだ。
だからこそ、クトゥネシリカは理由を欲していた。
城内へ自分が赴く理由。
今の時代、そしてこの王宮内において、女性で若輩者の彼女が騎士としての正義感、責任感、義侠心を貫き通すには、多少低俗だろうとそういうものが必要になる。
彼女は奸計を巡らすような性格ではない。
『この機に乗じてデュランダルがフェイルに何を教えているのか見極めたい』という思いも、『それを口実に騎士としての本分を全うすべく盗賊を捕まえたい』という気持ちも、どちらも本物。
普通ならどちらかを隠すものだが、彼女にはそれが出来ない。
フェイルは、そんなクトゥネシリカの不器用さを知っていた。
まだ十五歳と彼女以上に若いが、彼女と同じくらい不器用で面倒な女の子と何年も一緒に暮らしてきた為、その思考パターンはある程度までは読める。
かなり休んだ事もあり、消耗してた体力は既にかなり回復している。
例え罵られる為だけに行くようなものであっても、クトゥネシリカの為に一肌脱ぐのも悪くない。
フェイルがそう結論付けた矢先――――
「応援を頼む! 動きが速い! 少人数では捕らえられない!」
明らかに焦燥を交え、先程とは違う者の声が城の外に響きわたった。
一国を代表する騎士団が集団でも捕えられない盗賊。
そのあり得ない人物像が、徐々に現実味を帯び始める。
フェイル個人に盗まれて困る物は特にない。
城内にどのようなお宝があるのかも知らないし、然したる興味もない。
その為、盗賊の行動そのものには全く関心はなかったし危機感も微々たるものだったが、狂想曲のような城内の喧騒に俄然好奇心が湧いてくる。
この、騎士団を混乱に陥れている賊を弓矢で制する事が出来れば、フェイルの存在感は王宮内で急騰するだろう。
当初は自分達が城内に入る頃にはもう捕まっているとタカを括っていたが、どうやらそう簡単に終わりそうにない。
ならばこれは好機だ。
王宮騎士団の顔の一人であるデュランダルを師事している時点で、フェイルの立場は思想と関係なく体制側。
弓矢をアピールする機会など、国王の前で他の兵士と戦う御前試合か、今回のような滅多にない緊急事態くらいしかない。
一方で、この騒動の主役が単なる個人で活動している盗賊とは思えないという懸念も、フェイルの中にはあった。
幾らすばしっこいといっても、万全の体制で警備しているこの王城に侵入など出来るものなのか?
普通ならば出来ない。
だが内部に協力者がいれば、その限りではない。
警備の交代の時間を知らせたり、会話によって隙を作ったり、やりようは幾らでもある。
無論、城に盗賊を招くメリットなど、王族や騎士にはない。
メリットがあるのは――――体制側に不満を抱いている勢力だ。
戦争で圧倒的な勝利を収めながら、国王ヴァジーハ8世の求心力はジリ貧。
圧倒的ホームの王宮内ですら、その空気を感じる事がある。
この騒動が反体制派の仕業だったとしたら、目的は盗みではなく『恥をかかせる事』と推測出来る。
要は、王城への侵入を許し、しかも取り逃がしたという恥を体制側にかかせ、国民の求心力を一層低下させる……という狙いだ。
可能性が高いとは言えないが、もしそんな事情に起因する騒動だとしたら、下手に関われば面倒な権力争いに巻き込まれてしまう。
クトゥネシリカの希望に応え、弓矢の復権の為に盗賊を追うか。
面倒事に巻き込まれるリスクを回避する為、この場に留まるか――――
「もういい! 私一人で行く!」
結論を出す前に、クトゥネシリカは駆け出してしまった。
これで、城へ向かう理由の半分は消えてしまった。
しかし同時に、クトゥネシリカが行った事で、応援要請が聞こえる位置にいた事実を惚けようがない事態になった。
逆に言えば『しゃしゃり出てきた』との印象を持たれる事はほぼなくなった訳だ。
「……僕も行くか」
心中でそう呟き、先程の前の訓練よりも速度を上げ、城の方へと走り出す。
その途中――――
「人影だ! いたぞ! 向こうだ!」
活き活きとしたクトゥネシリカの声が聞こえてきた。
城を荒らす盗賊を討伐したいという、騎士道精神に溢れる凛とした声。
フェイルには一切存在しない、光のような輝きを放っている。
矢はどれだけ力を込めて射ても、決して真っ直ぐは飛ばない。
必ず放物線を描く。
フェイルはその生き方に後ろめたさなど全く感じてはいないが、時折クトゥネシリカの真っ直ぐな生き様に羨望を抱いてもいた。
美しいとも思っていた。
「うぐっ、しまった! もうこちらにはいない……! また城内に入って行った!」
そんな女性の切羽詰った大声が聞こえて来る。
クトゥネシリカは取り逃がしたらしい。
盗みを働いた人間の逃走ルートではない。
明らかに陽動。
だからこそ、クトゥネシリカには読めていない。
それもまた、彼女らしかった。
フェイルは城門から城へと続く橋の前で立ち止まり、大きく息を吸って、それを小さく吐きながら、矢筒の中の矢を一本、右手に取る。
そのまま、その矢を弦に乗せ、大きく弦を引いた。
そして左目を閉じ、右目を凝らす。
鷹の目。
遥か遠方を明瞭な視界で収める、奇跡の目。
その目が次の瞬間――――人影を捉えた。
瞬時の判断。
それが盗賊であると、フェイルはそう確信した。
何故なら二階から飛び降りて来たからだ。
鷹の目が、その瞬間を捉えていた。
同時に、弦を離す。
その距離――――実に20メロ。
飛び降りている最中の盗賊に、フェイルを視認する事は到底出来ない。
一方、フェイルの射撃は盗賊が着地する瞬間を狙っていた。
距離は遠いが、もし命中すれば防御不可能。
フェイルは、狙い通りの射撃が出来た手応えを感じていた。
確実に盗賊の身体を捉える。
そう確信していた。
――――が。
「……!」
着地した、まさにその瞬間。
盗賊は、矢が接近しているのをわかっていたかのように、地面をそのまま蹴り、半ば強引に右へと大きく跳んだ。
ただ、本来は高所から飛び降りた衝撃を逃がす必要があった着地が、躱す事を優先した着地となった為、体勢は大きく崩している。
フェイルは直ぐに矢筒の矢を取り、二射目を放つ構えを取る。
そして――――
ふとその顔を捉えた鷹の目が大きく見開かれ、その手も止まった。
正確には、顔ではない。
笑い顔を模した白色の仮面。
生理的に受け付けないような、実に不気味なデザインだった。
それだけではない。
盗賊は、その仮面の下からフェイルを視認している――――ように感じられた。
次の攻撃に移っている事や、筒にあと何本の矢が入っているかなど、何もかも見透かされているような、そんな気がした。
その邪念が、一瞬の隙を作る。
盗賊はそのまま、城門に続く橋を渡る事なく、堀へと飛び込んだ。
だが、これは完全に悪手。
堀の周囲は高い城壁に囲まれている。
それを上るというのなら、確実にフェイルの矢の餌食だ。
にも拘らず、フェイルはそれが叶わない事を、何となく予感していた。
そして――――事実、その盗賊が堀の水中から上がってくる事は二度となかった。
「フェイル=ノート! 盗賊は!?」
他の数名の騎士団と共に、城内からクトゥネシリカが出てくる。
フェイルは、まだ波紋の残る堀の方を指差し、逃走経路を示唆した。
その後、騎士団は堀の中にまで入っての捜索活動を敢行したがそれも実らず、盗賊を見つけ出す事は叶わなかった。
「不甲斐ない……これだけの騎士が集まりながら、盗賊の侵入を許すばかりか、取り逃がすとは」
日が暮れるまで捜索に参加し、ずぶ濡れになったクトゥネシリカの搾り出すような声が聞こえる中、フェイルは一人、その盗賊の姿を思い返していた。
或いはその仮面の奥に、自分の鷹の目と同じ目を持つ人間がいたのかもしれない。
そう思うほど、あの一瞬、フェイルは『見られている』とはっきり感じた。
一体、盗賊は何者だったのか。
何が盗まれたのか。
逃げ延びたのか、それとも水中で息絶えたのか。
何故、ガラディーンやデュランダルがいながら、みすみす取り逃がしたのか――――
「くちゅっ!」
思考をやたら可愛いくしゃみに邪魔され、フェイルは小さく頭を抱える。
「……そろそろ着替えて来た方が良いんじゃない?」
実は先刻から、かなり目のやり場に困る状態になっていたりする。
濡れた女性騎士の身体は、皮製の防具に守られ透けてこそいないが、完全に身体の線を浮き彫りにしており、一つ間違えると、とんでもない所が露見しかねないような危うさがあった。
「い、言われずともそのつもりだ。おのれ、盗賊め……くちゅっ」
「なんでくしゃみだけ別人みたいな可愛い声になるの……?」
そんな、様々な謎を残した騒動は『該当者行方不明』との線引きによって、静かにその幕を下ろした。
――――そのような騒動も忘却の彼方に流されかけた、とある日の事。
「何ですか。話って」
フェイルはデュランダルに呼ばれ、副師団長室を訪れていた。
無駄に広く、無駄のない飾り付けが施されているその部屋は余り居心地は良くなく、部屋の主であるデュランダルも余り出入りはしていない。
だから、その部屋に呼び出される時点で何かしらの厄介事が舞い込んで来ると、そう確信せざるを得なかった。
「フェイル。俺の持つ権限を行使し、一つ命令を下す」
有無を言わせない口調。
フェイルがデュランダルと顔を合わせてから、初めて聞く声だった。
「御前試合に参加しろ。国王陛下、そして観衆の目の中で、一対一の闘いをやれ」
そして、その命令に――――フェイルは身体を自然と震わせ、口元を強く引き締めた。




