断章:無駄無の弓(2)
フェイルが悲鳴にも似た声をあげたのは、目の前の二人の内の女性が、アバリスと並ぶもう一人の『苦手』だからに他ならない。
彼女の名はクトゥネシリカ=リングレン。
王宮騎士団【銀朱】の一員であり、デュランダルの部下――――の部下の、そのまた部下。
十五歳のフェイルより三つ上だが、王宮内においては最も若年層に属する世代で、騎士の叙勲を受けているものの、その地位は到底高いとはいえない。
加えて、エチェベリアの騎士社会には根強い女性蔑視が存在している為、今後も出世の道には数多の茨が犇めいている。
そんな苦悩多き女性剣士をフェイルが苦手としている理由は、ただ一つ。
「どうしてあの男が良くて、自分はダメなのですか!? 自分は剣士です! 奴より自分の方が弟子として相応しい筈です! デュランダル様!」
この日常的に見られる風景に、全てが詰まっている。
デュランダルに憧憬の念を抱く剣士は、この国には幾らでもいる。
国外にも存在するだろう。
が、それでも尚デュランダルは弟子を取らない。
師事されるのを嫌い、数多の志願を全て断ってきた。
クトゥネシリカもその中の一人。
ただ、彼女の場合はデュランダルの弟子になりたい一心で、王宮騎士団の一員となった程の執念を持っている。
十把一絡げには出来ないだけの、強い志が。
女性――――しかも十代で騎士団に入るのは、並大抵の努力では叶わない。
近年の騎士は、家柄と上納金の額が物を言う称号になっているが、技術も力もない人間ばかり騎士にしていては威厳が保てない。
何より、幾ら戦争がない時代とはいえ、クーデターを目論む過激派の鎮圧や抑止、有事の際の国防など、武力行使の場は幾らでもある為、純粋な戦力としての人材は必要不可欠。
クトゥネシリカは才能と勤勉さを買われ、武の面における貢献を期待され騎士となった一人だ。
女性なので筋力では男には敵わない。
筋力は一撃の重さ、速度を司る最重要能力だが、それを補うだけのセンスが彼女にはあった。
一切の無駄のない剣筋――――真っ直ぐ突き、真っ直ぐ振り抜く技術だ。
基本的なようで、それを実践出来る者はごく少数。
大抵は多少波打つか、軸がブレている。
その乱れが、攻撃の精度に多少の影響を及ぼしている。
クトゥネシリカにはそれがない。
これは生まれ持った身体のバランスの良さ、そしてそれを一切損なわず正しい身体作りをし、そこに技術を積み重ねてきたからこそ身に付いた、彼女の強みだ。
同時に、一直線にデュランダルを追い続けている彼女の生き様とも符合する。
それだけに、フェイルに対しての妬みは計り知れず、憎悪を飛び越え、今や怨念、或いは詛呪の域にまで達している。
フェイルにとっては、アバリス以上に苦手な存在だった。
「すまないが、何度来られても君の期待に応える事は出来ない。諦めてくれ」
「そんな!」
一体何度目の懇願だったのかフェイルにはわかる由もないが、その落胆振りから相当な回数なのは容易に窺える。
それをも無碍にし、踵を返したデュランダルと――――目が合った。
『後は宜しく頼む』
『嫌ですよ。自分の騎士団の兵士なんだから、自分で処置して下さいって』
『その手の行動は苦手だ。知っているだろう』
言葉ではなく、目での会話。
理不尽な請求を押し付けられ、フェイルは地獄に落とされたような心境で、半ば放心状態のクトゥネシリカに視線を向けた。
その刹那――――
「……フェイル=ノート……見ていたのだな……自分の、この無様な姿を……」
妖気のようなものが、全身から湧き出て来た。
「見たのは偶然だから、怒らないでよ……シリカ」
「自分をその呼び名で呼ぶな! リングレンさんと呼べ、と言っただろう!」
憤怒。
フェイルは基本、この王宮内では怒られっぱなしだ。
ただ、その殆どは隊長殿とこの女性によるもの。
頭痛の種を目の前にし、逃げ出したい心境で言葉を探す。
「そう言っても、僕はそのリングレンさんの身内とも知り合いだし……区別するには名前の方を呼ぶしかない訳で」
「あの子はお前より年下だ。呼び捨てにすれば良いだろう。そんな事もわからないのか。全く、何故デュランダル様はこんな脳の停滞した男を弟子になど……」
俯き、やさぐれた顔でブツブツと独り言を言い始めたクトゥネシリカに対し、フェイルは離脱を試みようと足に力を入れる。
しかし、既に19周を走破してきた蓄積疲労により、まるで言う事を聞かない。
「聞いているのか、フェイル=ノート。自分は嘆かわしいぞ。栄光ある我等が王宮騎士団【銀朱】の副師団長たるお方に師事する事を許された唯一の人間が、このような砂利にも劣る愚か者とは」
「人間と砂利を比較するその発想力には頭が下がるけどね。別に僕は誰かに許しを得た覚えもないし、師匠も僕を弟子って認めてる訳じゃない」
「その呼び方が何よりの証ではないか! おのれ……う、う、羨ましい……」
「泣かないでよ……体裁の悪い」
本泣きする女性剣士を目にし、フェイルの頭痛は悪化の一途を辿っていた。
その眼前で、著しい変化が生じる。
「……一体、どのような手立てでデュランダル様を口説いたんだ?」
不意に顔を上げたクトゥネシリカの目は、ドス黒く濁っていた。
「この際だ、誇りは捨てる。この世で最も忌み嫌う男に助けを請うなど本来あり得ないが……もうそんな事も言っていられない。フェイル=ノート、お前は一体どんな甘言を用いてデュランダル様を絡め取った? 吐け。さあ吐くんだ!」
「気持ちの悪い事言わないでよ! 誰が好き好んであんな天然ボケを絡め取るんだよ!」
「何っ!? お前……それはどういう事だ。デュランダル様は天然なのか」
クトゥネシリカは崇拝する人間が『あんな』呼ばわりされた事よりも、何故かそっちに食いついて来た。
「まあね。剣の次に料理が得意と公言して憚らないけど、実際の味は中の上なんだよ。余りにも中途半端で、こっちも褒めるに褒められなくて……」
「ふむふむ。そうなのか……いや、それは天然とは意味が異なるだろう?」
「香辛料の分配をうっかり間違えるんだよ。だから味付けは良いのに香りとのバランスが異常に変なんだ。あと、あんな家が何件も建ちそうなくらい高価な剣をよく置き忘れてくるし。この前なんて訓練用に支給されてる量産型のロングソードを間違えて持って帰って大騒動に……」
「ふむふむ。なんて心温まるエピソード……って、違う! 自分が聞きたいのはこういう話ではない!」
明らかに耳を大きくして聞いていたクトゥネシリカは、そこでようやく本分を思い出し、首を大きく振って自身を戒める。
フェイルはそんな彼女をジト目で眺めつつ、疲労の限界に達している筈の身体が更なる疲労を呼び込んでいるのを実感し、半笑いを浮かべていた。
そんな折――――
「盗賊だ! 盗賊が忍び込んでるぞ!」
耳を劈くような叫声が城の外に響き渡った。
同時に、フェイルとクトゥネシリカは顔を見合わせ、眉を顰める。
「このエチェベリア城に、盗賊だと……?」
「随分と大胆な盗人だね」
城という施設は、あらゆる建築物の中でも最も盗みに入り難い場所。
理由はいわずもがな、攻め込まれる事を前提に防衛を重要視した建物だからだ。
王城は、王を守る為の館。
それは国を守る為と同義でもある。
国の象徴として城の存在を挙げる者も少なくない為、城には国内最高峰の力を持つ実力者が常駐し、守護者となっている。
そんな城に、戦争時でもないのに忍び込むなど、正気の沙汰ではない。
このエチェベリア城は、約6メロの高さまで積まれたレンガ造の城壁に囲まれていて、更にその内側には堀もあり、注水もされている。
侵入は極めて困難だ。
更に、夜間であろうと城と城下町を結ぶ橋、城門のいずれにも複数の兵士を配置している為、潜入も不可能に近い。
そしてなにより、エチェベリア城には銀朱の師団長と副師団長が屯在している。
剣聖としてこの国の騎士団の象徴を担い、先の隣国デ・ラ・ペーニャとの戦争、通称"ガーナッツ戦争"において多大な戦果をあげ、その名を世界に轟かせているガラディーン=ヴォルス。
同じくガーナッツ戦争で活躍し、そのガラディーンさえも凌ぐ才能と称えられ、次世代の剣聖として国民の期待を一身に背負う副師団長デュランダル=カレイラ。
大陸を代表する猛者であるこの二人がいるというのに、わざわざ城内に盗みを働きに来るなど、無謀を飛び越えて最早喜劇としか言いようがない。
もし『誰にも気付かれずに城内に侵入し、気付かれないまま宝や貴重品を盗み、気付かれる前に逃走する』という神業が可能であれば、一応成功の可能性はゼロではないが、実戦経験豊かな猛者二名は気配の察知や悪意の感知にも長けている。
彼らがいる空間で盗みを働けば、高確率で気付かれるだろう。
そもそも、今回の盗賊は既に侵入を感づかれている。
侵入出来た時点で大健闘ではあるが、それ以上は望むべくもない。
「何をボサッとしているんだ。捕えに行くぞ」
が――――クトゥネシリカは限りなく鎮火に近い状況に甘んじる事なく、自ら追い立てる事を宣言し、あまつさえフェイルを巻き込もうとしていた。
「いや、別に僕たち下っ端が動かなくても、警備兵の誰かが捕まえるでしょ。下手に目立ったら『手柄を横取りした』とか思われそうだし。警備兵ってエリートが多いからプライド高いんだよね。出来れば関わりたくない」
「なんだそのやる気のなさは! 人任せの精神も気に食わん! お前には王宮に身を置く者の責任感はないのか!」
「弓兵は城に殴り込みかけてくる連中を追い払う立場ではあるけど、城内に侵入した輩に立ち向かう役所ではないと思うけど」
「なら既にお前は失態を犯している訳だな。賊の侵入を許している時点で」
無論――――フェイルに責任はないとクトゥネシリカも理解している。
本当に盗賊が城に侵入したのなら、それは城外の警備に携わる全ての兵士の責任であり、宮廷弓兵団も交代制で歩哨の役目を担っている為、現在その任に就いている者にも責任はある。
現在、フェイルは訓練中の身であり、どの役職にも就いていない。
弓兵である彼が城内で盗賊と戦うというのも、本来なら無理難題だ。
「それを挽回する為に、私と来い。お前がデュランダル様から何を教わっているのか知らないが、その教えを発揮する機会だと思わないか?」
剣士であるデュランダルが弓術を教える筈もない。
身のこなしや身体の使い方も、剣士と弓兵では全く異なる。
一体何を教わっているのか――――クトゥネシリカはその一点に強い関心を示していた。




