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断章:無駄無の弓(1)





 ――――高くも、低くもなく。


 やけに耳に馴染む、短い律動を刻んだ音と共に、その矢は的の中央に突き刺さった。


 暫く矢羽の振動音が小さく響き渡り――――最後に、遠く矢より離れた所から呼吸音が聞こえる。


 その呼吸の音は、かなり乱れていた。


 短い感覚で、忙しなく吐き出される息は、同じ頻度で吸われ、周囲の空気の流れを乱している。


 そんな、疲労感を滲み出した状態で――――フェイル=ノートはその顔を上げた。


「王宮騎士団【銀朱】が公式に使用している採用剣の剣身部の長さは、0.88メロ」


 室内訓練場に、無機質な声が響く。


 メロという長さの物理単位は、ルンメニゲ大陸全土において共用と定められている。

 国によっては、それよりも自国で昔から使用されていた単位が根付いてしまっている為、普及していない所もあるが、エチェベリアにおいてはメロが一般的だ。


 メロとは、かつてルンメニゲ大陸の横断を試みた人物で、最終的には完走出来ず力尽きてしまったが、彼の遺した地図や足跡はその後の探検や測量に多大な貢献をした為、その偉大な生き様に敬意を表し、彼の制作していた地図の横幅の長さを『1メロ』と定めた。


「そして、騎士団の人間が瞬き一つする間に動ける距離は、平均で1.1メロ。つまり――――2メロの距離にいれば、反応出来ず斬られるような事態にはならない。なら、その2メロの距離を常に保つ為、足を止めずに動き続けながら、正確に的を射る事が求められる……か」


 フェイルと的の距離は2メロ。

 それを目測で瞬時に見抜き、淡々と、そして正確無比に、訓練の趣旨を突く。


 だが、フェイルに驚きはなかった。

 その必要はない。

 ほぼ毎日、これくらいの指摘はされている。


「弓矢による接近戦。どうだ? 手応えは」


「動かない的相手じゃ、手応えも何もありませんよ。ただの運動です」


 ようやく呼吸が整ったところで、フェイルはぶっきらぼうにそう答え、的へと近付き、刺さった矢を無造作に引き抜く。

 別に貧乏性だからではない。

 的に射た矢を抜くのは、弓使いの責務だ。


「自主訓練は大いにやるべきだ。自分でメニューを考え、自分で効率を試し、自分で改善して行く。それだけでも実戦に活かせる応用力を鍛える事に繋がる」


「師匠もやってるんですよね?」


「……何度も言っているが、その呼び方はいい加減止めろ。周囲が煩くて敵わない」


「文句は、中途半端に長い名前を付けた親にどうぞ。流石に銀朱の副師団長を愛称で呼ぶわけにもいかないですし」


 半眼で嘆息する、王宮騎士団【銀朱】副師団長――――デュランダル=カレイラに対し、フェイルは笑いながら答え、矢筒に矢をしまった。


 このエチェベリア随一の剣士と、エチェベリア宮廷弓兵団史上最年少の弓兵が出会い、初めて双方の武器を交えてから、早一月。

 フェイルはデュランダルへの呼び名を頑なに『師匠』とした。


 使用する得物が違う相手に師事するなど、普通では考えられない事。

 実際、デュランダルもそれを認めている訳ではなかったが、言葉以上の拒絶は特に見せず、いつの間にかそんなやり取りが定着していた。


 そして、その事実は――――デュランダルの発言通り、周囲に大きな波紋を生んでいる。


「一人の弟子も取った事がない、己の研磨のみを信条としていた最強の剣士が、事もあろうに弓使いを囲っている……噂は真実だったようだな」


 その波の一つと言うには、余りに巨大な存在。

 白髭を蓄えた、実年齢よりやや老態の進んだ顔とは対照的に、その身体付きは今尚『肉体の鎧』をまとっている――――と表現するに相応しいその男の入室に対し、二人は同時に振り向き、小さく嘆息した。 


「その言に対しては、三つの訂正をさせて頂きたい。一つは、私はそのような信条を持った覚えはないという事。一つは、この少年を囲っているつもりはない事。そしてもう一つは、最強の剣士は私ではなく、貴方である……という事です。剣聖」


 剣聖――――そう呼ばれた中年の男は、厳かな顔を破顔させながら、頑強なその肩を竦めてみせる。


「ガラティーンさん、こんにちは」


「ああ、こんにちは」


 フェイルの挨拶に対し――――剣聖ガラティーン=ヴォルスは気さくに返す。

 その一方で、デュランダルは眉間を指で揉みながら、険しい顔を作っていた。


「様をつけろと、これも何度も言っている筈だが……」


「某が禁じているのだよ。そのような敬称は、王族の方々にだけ付ければ良い。王と某が同じ敬称を使われているのは、甚だ不本意なのでな」


「だ、そうです」


「それを鵜呑みにするな……アバリスが聞いたら卒倒するぞ」


 眉間の皺がより一層濃くなるデュランダルに、ガラディーンは再び苦笑する。

 そんな、大陸有数の剣士二人の様子を、フェイルは半眼で眺めていた。


 鎧を纏わず、軽装であるにも拘らず、その迫力は体型からも十分窺える。

 共に身長も高く、フェイルより頭一つ分以上大きい。


 もし、この二人に本気で睨まれれば、国王すら沈黙せざるを得ないのではないか――――そう思わせるのに十分な、権力すら超越した有無を言わせない力が彼からは滲み出ている。


「ところで、デュランダル。此度の御前試合だが……やはり出る意思はないのか?」


 唐突な問い掛け。

 だが、当の本人は驚く様子など微塵もなく、寧ろ回答を用意していたかのように、スムーズに頷いていた。


「陛下も、無理に出る必要はないと仰ってくれておりますので」


「勝敗のわかりきった勝負は面白くない、か。確かにそうかもしれん。しかし、実戦を交えなくなって久しい我等騎士団にとって、緊張感を伴う試合場でお前の剣技を見る機会こそが大きな経験となるのだがな……」


 隣国デ・ラ・ペーニャとの戦争が終わり、十年が経過しようとしている。

 その間、エチェベリアは平和の限りを尽くしてきた。


 内戦らしい内戦もなく、治安も格段に向上。

 傭兵ギルドも見違えるほどに整備され、城下町だけでなく国内の各地域においても、目立った争いの火種は生まれていない。


 そんな中にあって、騎士団の実戦経験不足をガラディーンは憂慮していた。


「残念ながら、緊張感は得られないでしょう。私以外の誰かが出た方が余程実戦に近い空気になるかと」


「弱い物イジメって思われるだけですもんね。師匠が出ても」


「うむ……確かにな」


 相手が誰であれ、例え相応の実力者だとしても、見る側にしてみれば最初から勝敗が決しているという認識でいる限り、緊張感など生じようがない。

 そしてデュランダルに善戦出来る相手など、この王宮内どころか国内全土を見渡してもほぼいないのが実情だ。


「無論……対戦相手が他ならぬ貴方であれば、話は別ですが」


 一瞬――――


 本当に刹那の時間、デュランダルの目に薄い光が宿った。


 普段は漆黒に包まれているその瞳が、怪しい色を纏う。

 フェイルは思わず目を丸くし、絶句した。


 それは、まごう事のない――――挑発。

 王宮騎士団【銀朱】副師団長が、国内最高の剣士に与えられる 称号【剣聖】を持つ師団長に対し、誘いを掛けている。


 もしこれが公の場なら、間違いなく王宮内戦争の勃発だ。

 師団長派と副師団長派に二分され、仁義なき戦いが繰り広げられるだろう。


 そこには、或いは王族も加わるかもしれない。

 それくらい、この二人の持つ影響力は大きい。

 国を二分しかねない程。


 が――――


「中々興味深い提案だが、今の某に心技体いずれも充実期を迎えているお前の相手は最早務まるまい。世代交代を印象付けるだけだ。それが本意であるなら受けても良いが……」


 そんなガラディーンの見解に対し、デュランダルは小さく溜息を落とす。


「本気で戦り合えば、まだ貴方の方が上というのが、私の偽らざる本音なのですが……ね」


「それは見解の相違だ。剣聖などいう身に余る称号の輝きが、衰えを隠しているに過ぎぬ。老いは決して恥ではないが、同時に確実な劣化でもある。尤も、次世代への引継ぎを悩む心配がないのは救いだが」


 天上人二人の会話を、フェイルはただ静かに聞いていた。

 実際、銀朱の世代交代など一介の弓兵に過ぎない者には何の関係もない。


「御前試合の参加者は、私が適当に考えておきます。若手の実戦経験が不足しているのは由々しき問題ですから、ある程度年齢層を下げておきましょう。やはり、自分で勝敗を決める場に立つ事が、一番の経験となりますから」


 参加する本人は勿論だが、その参加者と同世代であれば、嫌でも刺激を受ける。

 それを見越した上での、デュランダルの提案に対し――――


「宜しく頼む」


 ガラディーンは小さく頷き、満足気に微笑んだ。

 或いは、その暗黙の要求が本来の目的だったのか――――


「さて……フェイル、だったな。君はそろそろ弓兵団へ戻るんだ。アバリスが血相を変えて探していたぞ」


「うげ」


 そんな余計な邪推をしていた罰が当たったと言わんばかりに、フェイルは思わず顔をしかめる。


 宮廷弓兵団隊長、アバリス=ルンメニゲ。

 この王宮内で、フェイルが苦手としている二人の中の一人だ。

 そして同時に、直属の上司でもある。


「自主訓練は結構だが、団体行動を乱す者に兵は務まらん。良いな?」


「了解しました、剣聖殿」


「また……お前は何度言えば……」


 敬礼をするフェイルに対し、デュランダルが三度眉間を揉む。

 その様子を、ガラディーンは愉快そうに眺めていた。





「――――バッカも~ん! 貴様! 貴様! 貴様は! 貴様という男は! 貴様という下郎は! 訓練を何だと思っておるんだこのバカもんが! この! この!」




 目を血走らせ、言葉を区切るごとに矢を射て来る隊長に対し、フェイルは冷や汗を散らしつつ、その全てを避けてみせる。


「た、隊長! その辺にしないと本当に殺してしまいますよ!」


「落ち着いて下さい! 部下殺しは重罪です!」


 そんな暴走気味なアバリスを、他の弓兵が必死になって止める中、フェイルは壁に刺さった矢を一つ一つ丁寧に抜いていた。


「反省の色を見せんか! 貴様はどうしてそう生意気な態度ばかり取るんだ!」


「何故かと問われれば、貴方のその怒鳴り声が生理的に苦手だからです。アバリス隊長」


 キッパリと――――本心からそう言い放つフェイルに、複数の隊員から失笑が漏れる。

 一方、嫌悪宣告を受けたアバリスは、血走った目を更に血走らせ、黒目すら真っ赤にして顔面を崩壊させた。


「何処の世界に上司の目の前にしてそんな発言するバカがおるかーーーーーーーーっ! 罰だ! 城壁の周りを20周! 止まる事は許さんぞ!」


 城壁の外周は、約2000メロ。

 つまり、40000メロ走れという命令だ。

 どんなに急いでも三時間くらいはかかる。


「はい、わかりました。フェイル=ノート、謹んで20周の旅に出ます!」


 それを嬉々として受け入れ、フェイルは大きく一礼。

 その後、止めに入っていた先輩の弓兵にも会釈し、射的場を後にした。


 この一連の流れは、ある種恒例行事になっている。


 弓矢を用いた接近戦を学びたいと主張する、フェイル。

 遠距離からの攻撃こそが弓兵のアイデンティティと断言するアバリス。

 お互い相容れる筈もなく、衝突した回数は最早誰も覚えていないほどに積み重ねられていた。


 勿論、正しいのはアバリスであり、フェイルの試みは明らかに弓兵の役割を逸脱している。

 上司に対しての物言いも完全に不適切だ。


 それでも除隊とならずに済んでいるのは、デュランダルという強力なバックが存在しているから――――ではない。


 史上最年少の宮廷弓兵。

 その宣伝文句の力だ。


 王宮の中では一際存在感が薄く、また力も弱い弓兵団にとって、フェイル=ノートの広告力は大きな魅力。

 その為、フェイルがどれだけ団体行動を拒否しても除隊出来ない。


 尤も、フェイルは決して宮廷弓兵団やその隊長を見下している訳ではない。

 技術では自分を上回る人間が何人もいると承知しているし、隊長に対しても、尊敬は兎も角として、弓術の腕に対しては感嘆の念を抱いている。


 また、他の弓兵との関係も決して悪くはない。

 面倒見の良い先輩が多く、寧ろ可愛がられている。

 あの隊長に対して生意気な口を利く子供が、見ていて面白いのだろう――――それが当人でもあるフェイルの見解だった。


 決して環境は悪くない。

 ただ、フェイルが欲しているのは、従来の弓兵のスタイルではない。


 一対一、或いは一騎当千で敵を倒す能力。

 弓矢で接近戦をもこなす、遠近両方に対応可能な戦闘技術だ。


 多をもって制す弓兵の基本スタイルは、それとは対極にある。

 その為、フェイルは敢えて集団訓練はボイコットしていた。


 実際、現在のように長距離走で体力と下半身を強化する方が、その目的には近付ける。

 言い付けを守るという、隊長への最低限――――と言うよりは最底辺――――の敬意を示すという意味合いもあり、この長距離走は大きな意味を持っていた。


 一騎弓兵。

 それをフェイルが目指す理由は、弓矢という武器の衰退を防ぐ為だ。


 育ての親が生涯の相棒に選び、作り続けた弓矢。

 それはある種、フェイルにとってもう一つの親でもある。

 弓矢があったからこそ、フェイルは育てられる事が出来た。


 その弓矢が、魔術の台頭もあり、武器としての価値を徐々に失いつつある。

 多くの弓職人が失業を余儀なくされている。


 それを覆すには、弓の新たな可能性を示すしかない。


 一人でも戦える弓兵。

 剣や槍のように、子供が憧れる武器。

 それこそが、フェイルの目指す目標であり、この場所にいる理由だった。


「……げ」


 外周を走る事、三時間。

 流石に下半身と心肺が限界に達しつつある中、汗だくのフェイルの視界に、二人の男女の姿が映った。



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