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第3章:メトロ・ノーム(34)

 暫し沈黙が流れ――――鼻から息が漏れる音が室内の空気を揺らす。


「大したものだネ。それとも、似たような仕掛けを見たコトがあるのかナ?」


 そう独りごち、デルは眼前の金貨もそのままに腰を上げ、本棚の並ぶその場所へと移動した。

 目的は、手前から数えて二番目に並んだ本棚の、上から二段目の棚にある書物。

 それを抜き取り、特定の一頁を開く。


 デルは魔術士ではない。

 だが、その書物を開いて直ぐに、彼の周囲にルーンが生まれた。


「封術士……随分と久々に聞いたネ、その言葉」


 そのルーンが霧散し、代わりに放たれた光が、本を失った棚に流れ込むように移動し――――本棚全てが瞬時に崩れ落ちる。

 そして代わりに扉が現れた。


「第二級幻覚指定、解除……と」


 デルはそれを開き、隣の部屋へと移動する。


 移動先の部屋の廊下側には、扉は存在しない。

 窓もない。

 だが、光源のない筈のその部屋は、隣の部屋と同じ明るさを保っていた。


 そんな隠蔽されし空間には、二人の先客が座っている。


「用事はもう宜しいのですか?」


 香水店【パルファン】主任、マロウ=フローライト。

 そして――――


「ええ、それはもう。流石にこれ以上貴方がたを待たせるワケにはいきませんしネ。特に、そちらの方は」


「……」


 デルの視線の先で腰を下ろす、薬草学の権威――――ビューグラス=シュロスベリー。


 こちらは、マロウの温和な表情とは対照的に、険しい顔つきで虚空を眺めている。


「これで『依頼』は果たしましたヨ、ビューグラス殿」


「……ああ。わかっている」


 その顔のまま、ビューグラスは足元に置いていた布袋をテーブルへ置いた。

 中身は金貨。

 デルの机に積まれたままになっているそれの、十倍以上の重さの。


「それにしても、色々と面倒なコトしてますネ。口実作りから誘導まで……上手く行っているウチはイイですケド、ボロが出たらこの上なく滑稽ですヨ、我々」


「それは大丈夫だと思います。少なくとも今のところは」


 マロウの断言に、デルは破顔し、その女性の隣に腰掛けた。


「フェイル=ノートがメトロ・ノームの存在を知り、実際にそこへ赴く。これで貴公が提唱していた『例の計画』の発動条件はクリアしましたよネ」


「発動条件と定義付けるほどの重要性はない。奴は中途半端な立場故にな。それでも、この国の中枢とさえ言える"あの二人"を呼び込めるかもしれない期待は持てる。それは無視出来ない」


「人望も立派なその人の力だと思いますケドね。特に諜報ギルドなんてやっていると、信用や信頼がどれだけ大事か嫌でもわかりますヨ」


「信用、信頼は金になる……か。儂もそれは何度となく実感している。優れた知識や技術の提唱よりも、名のある人物の凡庸な正論の方がよほど金を生む」


「真理の一つですね。もう一つの計画は、それを最大限に利用していますし」


「だからこそ、二つの計画を並行する事に意味がある、だったネ。でもその弊害もないワケじゃない。随分と苦労しているみたいじゃないノ?」


「それほどでも。進行が緩やかなのが少々歯痒いですが……」


 マロウは残念そうに呟き、その顔をビューグラスへと向ける。


「あらためて御礼を言わせて頂きますね。事前にお報せ頂きありがとうございます。歴史的瞬間を生きて目撃できる喜び……私は今、それを感じています」


「パルファンとは、君の父上の代からの付き合いだ。それを無碍にする事はない」


 ヴァレロンで長らく生きてきたビューグラスにとって、この地とここに根付く施設、それを営む人々には相応の思いがある。


 彼にとって、ヴァレロンは特別な場所だった。

 地上では国内有数の病院であるヴァレロン・サントラル医院を構え、地下では無法地帯ならではの様々な恩恵を享受出来る。

 そして、それらさえも霞むほどの大きな、途方もない価値が、この地にはある。


 よって、厳選されなければならない。

 この地が永遠にその価値を持ち続けるには、絶妙なパワーバランスが保たれ続けなければならない。


 病院が力を付け過ぎても、貴族が権力を増大させ過ぎても、崩壊の原因となり得る。

 この街は管理されなければならない。

 邪魔者や、不穏因子となり得る者は淘汰されるべきだし、人口が増え過ぎても減り過ぎても良くない。


 ヴァレロンが"守護街"として今後もその機能を保ち続けるには、"神の視点"が必要。

 ビューグラスはそう考えている。


「地元愛、では少々陳腐過ぎますかネ。貴方のその理想は」


「そうでもない。案外、人間の根源はそれくらい単純なものだ。我々の関係もそうだろう」


「金だけの関係、ですネ。確かに単純明快。わかりやすい方がイイですネ」


 かつて間者を送り込み、それを亡き者にされた立場の、街の権力者。

 諜報ギルドとしてのメンツを潰された、ギルドの権力者。


 本来ならば相容れる筈のない二人だが、現実にはこうして契約を全うし、報酬を支払っている。


 或いは、ここもまた――――メトロ・ノームそのものだった。


「では、私はお先に失礼します。『花葬計画』実行の折には、あらためてお報せ頂けると……」


「正式な発動の際には是非立ち合って貰うよ」


「ありがとうございます」


 丁寧な所作で、マロウが立ち上がる。

 その目には、この街を牛耳る支配層の二人に決して見劣りしない光が宿っていた。


 表すならば――――妖艶。

 香水の香りよりも遥かに雄を惹き付ける。


「急ぎの用事でモ?」


「これからデートの予定があるんです。女は男と違って、準備に時間がかかりますので」


「それはそれは。是非楽しんで来て下さいネ」


 微笑むマロウに、デルは目を細めて笑い返す。


 そして、口元で小さく囁いた。


「相変わらず、食えない女だネ」


 微かに声が聞こえる位置にいたビューグラスもまた、口元だけで笑んだ。





 その日の夕方――――





「それでは、契約は不成立という事でお願い致します。御縁がなく残念に思います。またお声を掛けて下さいませ」


 先刻、宣告された言葉の残骸が頭の中で遠鳴りする薬草店【ノート】の店主が、空っ風に蹂躙されるかのように店の前で途方に暮れている。

 もうかれこれ一時間はその体勢のまま動かない。

 ここまで辿り着くのに精一杯で、精根尽き果て燃え尽きてしまったらしく、目は灰になっている。


「折角、帰ってくる前に張り紙全部剥がして内装も元に戻したのに……何が不満なのかしら」


「臭いではないでしょうか? 私達にはわからない臭いがフェイルさんには感じ取れるのかもしれません。店内の薬草があの不適切な料理の数々に汚染されて、悪臭を放っているのかも」


「ふええ……フェイル兄様、かわいそう」


 フランベルジュ、ファルシオン、そしてノノがその様子を覗く中、店内にはゲテモノ料理店の突然の休業に納得出来ない客達が押し寄せ、アニスに抗議している。

 ちなみに、破談となった理由は『店の方針をコロコロ変えるような相手とは契約が出来ない』という、至極尤もなものだった。


「皆さん、落ち着いて下さい! 私は皆さんの敵じゃありません!」


 怒気にも近いアニスの声が、クレーマー達を一喝。

 店内の空気が一瞬にして張り詰める。


「私も納得していないんです。折角私の才能が花開きそうだったのに、突然の休業……私だって被害者なんです」


「何ィ!?」


「誰だ、そんなクソみたいな判断した奴は!」


 涙目のアニスが指差したのは、当然ファルシオン。

 店の出入り口の前にいた彼女は、それでも全く困惑した様子はなく、静かに首を横に振った。


「私は店主の意向に従い、判断したまでです。もし私がこのお店の全権を握っていたなら、直ぐにでも料理店を再開します。後、お花屋さんも併設するでしょう」


「アンタねえ……」


「事実です」


 呆れ顔のフランベルジュに、ファルシオンは一切目を合わせなかった。


 そんな二人を尻目に、客は勝手にヒートアップ。

 何しろゲテモノ料理屋などヴァレロンには殆ど存在しない為、愛好家にとってはそう簡単に諦められない。


「なんだよ、みんなの思いは一つなんじゃねぇか! 反対してるのは店主だけなのかよ!」


「だったら話は早ぇ! 店主を説得して再開だ!」


「そーだそーだ!」


 アニスも交え、拳を高々と突き上げ士気を上げるゲテモノ愛好家達。

 その様子を冷めた目で見ていたフランベルジュは、これ以上ここにいても仕方ないと判断し、店の奥へと向かって行った。

 中庭で剣を振る日課が最近滞っていたから、その分を取り戻しに行くのだろう――――ファルシオンは彼女の背中を見送りながら、そう推察した。


 そんな彼女の傍を、アニス達が通り過ぎる。

 店の外に立っているフェイルに抗議する為に。


「おい! おいっつってんだろ! お、おい……オイオイオイオイ! こいつ立ったまま死んでないか!?」


「ど、どうしたのフェイル……!? もしかして、こんな早く廃業になるなんて思ってなかったから食材買い込んじゃったのがそんなにマズかったの……!?」


 アニスのその問題発言の直後、フェイルの首がカクンと下を向き、全身がビクンと震えた。


「なんだ今の! 首で縄括ったみてぇになったぞ!」


「エア自殺止めろ! おい、この店主病院へ連れて行け!」


 店は大赤字。

 店の前は店主を囲んで大騒ぎ。


「わー、大盛況ですね。何があったんですか?」


 そんな様子を、今し方スコールズ家から帰ってきたリオグランテがツヤツヤな笑顔で見つめていた。





 それから、一悶着二悶着あったものの、薬草店【ノート】は無事復活。

 客足も元通りとなったが、閑散とする店内にはもう直ぐ開幕を迎えるエル・バタラの参加者を募る張り紙が貼られ、一応は時の移ろいを感じさせた。


 そして――――


「本当にもらってもいいの?」


「ノノは頑張ってくれてたみたいだからね。そのお礼」


「わーい! ありがと、フェイル兄様!」


「うなーっ」


 歓喜しながらパタパタと店を出て行くノノの手には、店頭の隅に置かれている小さなガラスケースにずっと入ったままになっていた指輪があった。

 長らく非売品として展示されていたその指輪は、とうに輝きも本来の目的も失っていたが、少しだけ長い時を経て、今日のこの日、小さな役割を果たした。


「……」


 空になったケースを暫し眺め、フェイルは天井を仰ぐ。

 とうに潰えた夢の、最後の残り香を惜しむかのように。



 そして。



 限りある景色を、その二つの目に焼き付けるかのように。










"αμαρτια"



 chapter 3 「メトロ・ノーム」













 



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