第3章:メトロ・ノーム(33)
期間にして、ほんの三日。
フェイルが地上から姿を消したその三日間で、レカルテ商店街は驚くほどに様変わりしていた。
『頭に尻尾を付けた優男風の二〇歳前後の人物を見かけましたら、薬草店【ノート】まで御一報を』
『人気のない薬草店の店主が姿を消しました。あまりお金は持っていないので、ひもじい顔をしていたら食料を与えてあげてください。無害です』
『フェイル=ノートという薬草バカの青年が行方不明になりました。情報求む。弓矢が上手です。爽やかっぽく見せたいのか微笑を好みます』
――――このような、フェイルを探すビラがあちこちに張られている。
「……連絡してなかったの? あいつ」
「そうみたいですね」
流石に三日不在となれば、尋ね人扱いされてもやむなし。
あまりに迂闊な店主に、フランベルジュは呆れ顔、ファルシオンはいつもの顔で商店街を闊歩し、ノートへと向かう。
その途中――――
「こんのダメ亭主がっ! 人に何日も店を任せて手ぶらで帰ってくるバカが何処にいんのよ! この役立たずの穀潰しが!」
「ひーっ! カミさん勘弁ーっ!」
武器屋【サドンデス】の手前で阿鼻叫喚が響き渡っていたが、二人は特に介入せず、そのまま歩を進め――――目的地へと辿り着いた。
未だ負債を支払えずにいるこの場所に、負い目がない訳ではない。
一刻も早く度を再開しなければならない事情もある。
それでも――――何故か、この店を見ると安らぎのような感覚を抱いてしまう。
そんな奇妙な状況にそれぞれ複雑な心境を抱え、無言で扉を開け――――
「いらっしゃいませー! お二人様ですか?」
突然謎の接客された事に、今度は困惑のまま絶句した。
その声と共にトコトコと現れたのは、近所に住む少女、ノノ。
「うなー」
頭上には飼い猫のクルルもいる。
ノノはちっさな身体にエプロンをまとい、ペコリとお辞儀して客を迎え入れていた。
「あら、ノノちゃん。何してるの?」
「え?……あう……えっと、えっと……」
ここでようやく顔見知りだと気付いたノノは、フランベルジュの笑顔に対し露骨に目を泳がせ、ジリジリと後退。
完全に怖がられていると確信し、フランベルジュはこっそり傷付いた。
「ね、ねえファル……私って性格変えた方が良いのかな?」
「そのままで良いと思いますよ。幼女に懐かれるフランを見ても、誰もフランとは思えませんし」
「くっ……悔しいけど確かに」
己を知るフランベルジュは無念の表情を浮かべつつ、膝を屈めてノノと視線を並べた。
「驚かせてゴメンね。えっと、ノノちゃん……? だったよね。何をしてるのか聞いてもいい?」
「えっと……ウェイトレスをしてます」
「ウェイトレス? ここ、薬草店よね?」
「どうやら、そうではないみたいですよ」
元々感情があまり乗らない事に定評のあったファルシオンの声が、更に平坦さを増す。
そんな棒読みに近い呟きに、フランベルジュは恐る恐る周囲を見渡し――――硬直した。
「いやあ、何と言う珍味。ネズミ臭さがハーブによってしっかり消えている。これはプロの仕事だ」
「こっちのコウモリもイケるぜ。こんなゲテモノ料理、他では食えないよなあ。我々のように年季の入った人間こそ評価してあげなければ」
薬草店【ノート】は、装いも新たに食事処となっていた。
商品陳列棚は隅に追いやられ、代わりに白いクロスを重ねたテーブルが規則的に並べられている。
椅子も、決して高価はないが上品で新しい物が搬入されていた。
そこまではまだいいとして――――テーブル上に並ぶ普段見慣れない料理、それを悪魔のような顔で食する自称グルメの客におぞましさを感じ、フランベルジュは肌を泡立てていた。
「説明をして貰えると助かります」
状況自体は即座に理解したものの、ここに至る過程を考察するのは流石にやる気が出ず、ファルシオンはノノに答えを聞く選択を採った。
「えっと……フェイル兄様が帰って来るまで、このお店を盛り立てよう作戦その2、です」
「そう言えと、貴女に指示した方はどちらに?」
「シェフはあちらになります」
ノノが指差す店の奥に、ファルシオンは上半分が隠れた視線を移す。
当然、アニスの姿が予想されたが――――
「こら! バタバタしない! ちょっと血を抜くだけだから! 大人しくて! 馬!」
「ヒヒィィィィィィィィィィ――――――――――――――――!」
ファルシオンはゆっくりと視線を戻した。
「……取り敢えず、このレストランは本日限りのスペシャルデーということで。張り紙も撤収しておきましょう」
「自分の店がゲテモノ料理屋になったって知ったあのバカ店主の顔も見てみたい気がするけど」
「そういう事を言うからアルマさんやノノさんに怖がられるのでは」
「う……わ、わかったからそういう傷付く事言わないで。閉店の看板出しとく」
いつの間にか、勇者一行はノートの経営の中枢を担う存在になっていた。
ちなみに、その代表的な存在である筈のリオグランテはというと、現在スコールズ家の食事に呼ばれている。
着々と親睦を深めている様子。
今回、令嬢失踪事件の解決報酬は得られなかったが、貴族と懇意にしておけば今後別件で臨時収入が得られる可能性もあるだけに、ある意味では勇者が最も頑張っている。
「あ、あの」
「何?」
「す、すいません何でもないです」
珍しく話しかけて来たノノに、フランベルジュはつい普段のような口調で返してしまい、口を押さえた時にはもう遅かった。
「……私、やっぱり性格ちょっと矯正した方が良いのかも」
「止めはしませんけど、無駄な努力に終わると思いますよ。ノノさん、どうしました?」
特に表情を変えずに問うファルシオンに対し、ノノは怖がる事なく視線をそちらに向けた。
「フェイル兄様は、今どこに?」
「うなー」
クルルも問う。
「フェイルさんは、ちょっと用事があって街に出ています。直ぐに戻ってくると思いますよ」
メトロ・ノームを紹介してくれた香水店に挨拶をしに行ってくる、とフェイルは言っていた。
コラボレーションの話は既に纏まっており、今後は薬草士であるフェイルが健康や美容に良い香水を開発する、という構想があるらしいので、それを伝えに行く意図もあるとのこと。
何気に悪くないアイディアだと、ファルシオンはひっそり感心していた。
何故、薬草なのか。
何故、薬草店でなければならないのか。
フランベルジュが以前本人に問いかけた疑問を、ファルシオンも関心事の一つとして抱いていた。
「これは何?」
目の前に差し出された金貨の山に対し、フェイルは顔をしかめ、同時に首を傾げた。
ここは香水店――――ではなく、諜報ギルド【ウエスト】ヴァレロン支部、支隊長室。
窓からは風が一切入り込まず、室内は淀んだ空気で覆われている。
その空気を生み出しているフェイルを前に、部屋の主の代理を勤めているデル=グランラインは、顔色一つ変えずに微笑んだ。
「何って、モチロン報酬だヨ。スコールズ家御令嬢失踪事件のネ」
リッツが自分の家に戻ったのは、自分の意思。
そして、それに同行したのは勇者リオグランテ。
その為、この事件の顛末は『家出した御嬢様がその道中に勇者候補の少年と出会い、彼に説得され戻った』という事で話は纏まった――――とされている。
この中に真実は殆ど含まれていない。
だが、スコールズ家にとってはこのシナリオが最も好都合だ。
以前噂になっていた勇者と繋がりが出来る事も、彼らにとってはお誂え向きと言える。
その為、現在ヴァレロンでは勇者ブームが再燃の兆しを見せているという。
当然、情報で商売をしている諜報ギルドのウエストがその流れを把握していない筈がない。
よって、この金貨の山は彼らによる独自の解釈に起因する報酬、となる。
「僕は何もしていない。ここでこれを受け取るのは、借りを作るのと同じ事だ。受け取れないよ」
「いやいや、これは正当な成功報酬だヨ。我々だってネ、依頼人の自己申告だけで成功か否かを判断するようなお遊び集団じゃないんダ。直接御令嬢を発見して保護した訳じゃなくても、キミの活躍でウエストの影響力が保たれた恩恵ってのがあってネ。報酬を支払う理由はちゃんとあるんダ。我々はキミの仕事を評価し、報酬を支払う。それを受け取るのは仕事を受けた人間の責任だヨ」
デルの言う『活躍』と『影響力』が、メトロ・ノームの酒場での一幕、アルマ=ローランと暫く行動を共にしていた点、そして何よりあのバルムンクとの一戦全てを総括しているのは想像に難くない。
この僅かな期間で、彼らは全てを把握している。
あらためて、諜報ギルドの恐ろしさを知ったフェイルは、嘆息すら生温い溜息を真下に落とした。
「さて、わざわざ御足労頂いて恐縮だケド、これでも少々忙しい身でネ。ここらでお暇して貰えると助かるんだケド」
「その前に、依頼したい事がある、って言ったら?」
俯いたまま、不意打ちのように発せられたフェイルの言葉に、デルの眉毛がピクリと動く。
「お客様ならどんな時でも大歓迎だヨ。話を聞こうじゃない」
「なら遠慮なく。封術士、って知ってるよね」
そんなデルの目を睨むようにしながら顔を上げ、フェイルは問いかけた。
そして――――暫くそのまま、お互いの目にお互いの目を映し込む。
「……もちロン。アルマ嬢と知り合いだしネ。それが何か?」
「そのアルマ=ローランの代わりが出来る封術士を一人、用意して欲しい。一日だけでも構わない」
「それは……まアまアの難題だネ。封術士は単なる魔術士とはワケが違う、極レアの存在ダ。お値段、結構張るよ?」
「これで足りるかな?」
フェイルは身動き一つせず、そう聞き返した。
デルは、目の前に積んだ金貨に一瞬目を向け、そして口元を緩める。
「了解。確かに引き受けたヨ。ウエストが総力を挙げて見つけよう」
「お願いします」
フェイルは小さく頭を下げ、踵を返し――――自身の目を押さえ、暫し俯いた。
「眩暈でもしたのかナ?」
「……ちょっと、疲れてるんだ。色々あって」
「無理もないヨ。あのバケモノと戦り合って、大したケガもなく生還するなんて、それだけでも信じられないコトだもの。暫く養生しなヨ」
「御厚意に感謝を」
フェイルは押さえていた手を離し、そのまま部屋を――――
「……」
「まだ何かあるのかナ?」
出る直前、部屋の左側の壁をじっと眺める。
そこには、様々な書物を収納した本棚が並んでいるが、外見上は特に奇妙な点などない。
けれど、フェイルは確信していた。
「古い手だね」
「……」
「それじゃ、失礼します」
そして、今度こそ支隊長室を後にした。




