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第3章:メトロ・ノーム(31)

 ヴァレロン新市街地において、スコールズ家は良家の象徴的存在として圧倒的な存在感を放っていた。

 だが、その誇らしい筈の事実は、必ずしも全ての人間を幸せにする訳ではない。


 犠牲になったのは、スコールズ家の一人娘、リッツ=スコールズだった。

 徹底した箱入り戦略で育てられた彼女は、家から出る事すら殆どなく、館という名の檻の中で『何不自由ない』と教え込まれた生活を強いられていた。


 だが、幾ら壁で遮ったところで全ての情報が遮断されるとは限らない。


 まして、人間は『知る生物』。

 リッツは生を受けてから然程年月を要せず、自分が不自由であると知った。

 同時に、特に恋愛方面に対しては相当に融通が利かないとも。


 時代錯誤と言われ続けても尚、貴族社会には必ず潜む『政略結婚』の文字。

 一人娘として生まれ、育てられたリッツには選択の余地などなかった。


 だが、周囲から抑え付けられるほど燃えるのが恋。

 まして彼女は親に反発するお年頃。

 リッツはそれがさも当然であるかのように、使用人の一人に恋をした。


 身分違いの恋――――それが叶わない事を知っているように装い、そんな自分に酔う。

 恋に恋する少女に、罪はない。

 ただ、その少女が行動的である場合、周囲は非常に大きな迷惑を被る。


 そして今回、実例が誕生した。


「……令嬢の方が首謀者だった、って事?」


 メトロ・ノームは決して施設が多い訳ではなく、治療施設に至っては一つしかない。

 唯一の施療院【ヴァレロン・サントラル医院 地下支部】の建物内で、フェイルは打ち身に良く利く多年草のアルニカを処方しながら、今回の『令嬢失踪事件』の経緯と顛末を聞いていた。


 話しているのは、スコールズ家の使用人を名乗る男性、ウォーレン。

 フェイルの推論では、彼は保守派――――即ちシナウトの関係者で、資金繰りの為に御嬢様であるリッツを誑かしたのではと目していたが、彼はその意見に対し真っ向から否定した。


 その代わりに真相として口にしたのが、普段からのリッツの無茶苦茶な要求、そして奔放かつ我侭し放題の行動の数々だった。


 まだ12歳でありながら、事ある毎に太股を強調し、女性である事をアピール。

 誰かの影響を受けたのか、彼女なりに独自で調べて男を誑かす方法を模索していたのかは定かではないが、かなり大胆に露出していたらしい。


 尤も、その幼さに加え、貴族令嬢としての英才教育の一環で体型は上品さ優先で管理されている為、非常に細くしなやかに育っており、妖艶さどころか色気さえ皆無。

 それだけなら可愛いものだが、少しでも相手の反応が自分の満足いくものではなかった場合、激怒して的確に急所を射抜く蹴りが飛んでくるらしい。


 それも、倒れた相手に執拗に蹴り続ける念の入れよう。

 照れ隠しの域を優に越えている。


 他にも、水桶の中に獣肉を入れて放置し、腐った頃合いにそれを使用人の顔面に叩き付けて大笑いしたり、背後から抱きついて頸動脈を締め卒倒させようと試みたり、まとめ買いさせた香水を全部混ぜてそれを男の使用人の股間に塗り込むよう命じたり、実にやりたい放題の日々だったという。

 一応、貴族令嬢としての教育には従い、それなりに日課をこなしてはいたそうだが――――

 

「御嬢様にとっては苦痛だったようで、ある日とうとう爆発しました。『お勉強も、ダイエットも、お父様の口臭も、もうウンザリなの! この街の地下にメトロ・ノームって所があるそうじゃない。このわたくしをそこへ連れ去って、下らない日常から解放して! あ、おやつは1000ユロー分持って行くから』と、こう仰ったのです」


 尚、1000ユローとはフェイルの食費数ヶ月分に匹敵する金額だが、それはこの際どうでも良い事。

 重要なのは、メトロ・ノームの存在をリッツ嬢が知っていた点にある。


 この地下の真上にあるレカルテ商店街で一定期間を過ごしてきたフェイルですら、つい先日までは存在さえも知らなかった地下世界。

 外の世界に関する情報制限が著しいであろう貴族の娘となれば、知る機会は相当限られてくる。


 だとしたら、その情報源は――――


「それは秘密です……と、そう固く口を閉ざしていました。それだけは話してくれなかったのです。兎に角、この度はお騒がせしてすいません」


「僕からもお詫びする。出来れば穏便に事を運びたかったんだけど、結果的にギルド総出の大騒動に発展してしまった」


 ウォーレンと共に、施療院にいたアロンソまで深々と一礼した。


 このアロンソとウォーレンは、騎士時代の友人との事。

 一人はギルドへ、一人は貴族の使用人へと職場を変えても親交は続いており、今回の件でウォーレンは真っ先にアロンソを頼ったという。


 だが、令嬢が失踪した時点で、当然スコールズ家としては誘拐を軸に様々な事態を想定する。

 当然ながら悪い方に考えるのが普通で、駆け落ち紛いの家出ごっこは可能性として考慮はしても、そんな楽観的で緊張感に欠ける推察は誰も口には出来ない。

 貴族令嬢がいなくなった時点で、真相とは関係なく大事件になるし、体面上そうでなければならない。


 その結果、アロンソだけではなく数多くのギルド、その他の機関に捜索を依頼する運びとなり、今回のような事態を招いた。

 一方、ただのありふれた家出のつもりで出て行った当人は、アロンソ達から現状を聞かされ、当初こそ御嬢様特有の高笑いをしていたが、次第に事の重大さに気付いて尻込みし、表に出て行く事を頑なに拒否し始めた。


 ――――それが、ウォーレンの語る令嬢失踪事件の経緯だった。


「これだけの騒ぎになってしまうと、いつものように『実は家出でした。勝手に騒いで何やってんの? ねえ今どんな気持ち?』と煽る事も出来ないようで、御嬢様はすっかり怯えていらっしゃいます。元々彼女は純粋な子供だったのですが、いつからか少し歪んでしまって……どうか心を開いてあげて下さい。それが出来るのは、勇者である貴方だけです」


「わかりました! やってみます!」


 ウォーレンの熱弁に心を打たれたのか、勇者リオグランテはやる気を漲らせ、要望に応えるべくリッツが閉じ篭っている奥の部屋へと向かった。

 その様子を、フェイルは嘆息しながら眺め――――隣で壁に寄りかかっているファルシオンへ視線を送る。


 交差は一瞬。

 その時点で相互に理解する。


 意見は一致した、と。


「上手く行くと良いが……」


「行くのでしょう。確実に」


 アロンソの希望的観測の如き発言に対し――――ファルシオンは少し早い口調で断言した。


「そのような段取りになっているようですから」


「……どういう意味だ?」


「わざわざ説明が必要ですか? こんな茶番に」


 変化のない表情とは対照的に、ファルシオンの言葉は明らかに苛立っていた。

 そして、フェイルも似たような心境だった。


「真実を明かす必要がないのであれば、それはそれで一向に構いません。ただ、延々と稚拙な脚本を聞かされるのは、正直言って苦痛極まりないです」


「ど、どうされたんですか? 何が何やら……何故そんなに怒っているのでしょう」


 ウォーレンは、蝶ネクタイをつけている胸元に手を置き、不安げな顔を見せている。

 それもまた、不快な気分を誘った。


「別に良いよ。ここで僕達が何を言っても、本当の事は話されない。それはわかってる。ただ僕達は今、酷く疲れてる。虫の居所が悪い。察して貰えると助かるんだけど」


 思わず口を挟んだフェイルに、視線が集中する。

 ウォーレンは特に変化を見せなかったが、アロンソの目の色は明らかにファルシオンを見る時とは異なっていた。


 その理由は一つ。


『バルムンクを追い返した男』


 それが、アロンソに警戒心を与えていた。


 フェイルは、先刻の闘いにおける経緯に関しては何一つ語っていない。

 ただ、バルムンクと直接対決し、彼を退散させた事実は、助けを求めに来たリオグランテやファルシオンの必死な姿、フェイルが立ち尽くしていた場所にあった幾つもの凹みからも明らか。


 メトロ・ノームの地面は硬質で、魔術を使わず窪みを作るのは難しい。

 それが可能なのは、バルムンクのような一握りの強者のみだ。


 バルムンクは確かにそこにいて、駆け付けた時にはもういなかった。

 必ずしも実力によって退散に追い込んだとは限らないが、少なくともラファイエットの大隊長が撤退したのは確か。

 その状況証拠への認識が、アロンソの顔色を変えている。


「僕は元騎士だ。今はギルドの人間だけど、騎士道精神を捨ててはいない。僕が君達を陥れるような姦計を働かせていると誤解しているのなら、それは解いておきたい」


「つい先日、別の元騎士に陥れられたばかりなんだけどね。アルテタの」


「……」


 反応は――――ない。

 ただ、こうも立て続けに退役した元騎士が自分達に関わってくる現状を偶然で片付けられるほど、楽観的な人生を送る自信はフェイルにはない。


「元騎士にも色々いるって事は、覚えておくよ」 


 それだけを告げ、フェイルはアロンソから視線を外した。


 その後、リオグランテの勇者ならではの正義感溢れる説得に、貴族令嬢のリッツは大感動。

 自らの足で地上へと戻り、両親に謝ると約束した。


 ただし条件として、リオグランテに付いてきて欲しいと彼女は訴えた。

 とはいえ、特に断る理由もない為、二つ返事で了承。


 こうして、ヴァレロンを揺るがした令嬢失踪事件は、尻つぼみのように呆気なくその幕を下ろした。


 ちなみに、最終的には令嬢が自分で戻る事となり、それは勇者一行の手柄とは見なされなかったらしく、報酬の支給はなし。

 薬草店【ノート】への弁償、および路銀の確保といった目論見は露と消えた。



 そして――――



「全部……嘘? その使用人の言ってる事が?」


 リオグランテが一足先に地上へと戻っている最中、フェイルとファルシオンはメトロ・ノームの管理人アルマ=ローランの住む家を再度訪ねていた。


 現在、この地下世界は夜を迎えている。

 星の光もない暗闇に囲まれたアルマの家には、無事に彼女を送り届けたフランベルジュとハルも滞在しており、合計五人が犇く事となった。


「うん。もう本当、聞いてて苛々したよ。まるで整合性がない」


 フェイルの答えに対して、フランベルジュは難しい顔で首を捻る。 

 そして同時に、アルマの淹れたお茶を口に含んで――――微かに眉を引きつらせた。


「……またダメだったんだね」


「え? そ、そんな事はないのよ。結構、その、独創的っていうか、体験する機会が中々ない個性的なお茶だから、損はしてないって気になれるし」


 上達したのはアルマのお茶淹れの技術ではなく、フランベルジュの心遣いスキルだった。

 だが、それも余り意味を成さず、アルマは肩を落としてすごすご奥へ引っ込む。

 その様子を複雑な心境で眺めつつ、フランベルジュとフェイルは話を続けた。


「色々辻褄の合わない部分はあったけど、一番あり得ないのはメトロ・ノームにお嬢様が立ち入った事実」


「そう? 貴族の家に情報通が出入りするのは珍しくないし、そこからここへの出入り口に関する情報が漏れ聞こえるくらい、普通にあり得るんじゃない?」


「問題はそこではありません」


 その会話に、ファルシオンが割り込んで来た。


「まず、この地下世界は現状、紹介制に近い状態です。封術による管理がなされているので、仮に存在を知ったとしても、おいそれとは立ち入る事が出来ません。ですよね? アルマさん」


「そうだね。此方の知る限り『鍵』を持たなくて入って来れた人はいないかな」


 戻って来たアルマのその回答に、フェイルもゆっくり頷いた。


 メトロ・ノームに入るには、アルマによる封術を一部解除しなければならない。

 フェイルもまた、マロウが用意した鍵を使い、ここへ来た。


「そういえば……君達は一体誰の紹介でここに来たの? 僕は交渉の流れで香水店の店長から紹介されたんだけど」


 ふと湧いた疑問を、フェイルは半眼で呟く。

 ここで再会して以降、ずっと他の事で頭がいっぱいだった為、確認さえしていなかった。


「いえ、実は紹介ではないんです。鍵は自分達で入手しました」


「令嬢失踪事件を追ってたら、ここに入る鍵が必要って話を聞いて、今度はその持ち主を探してたら、昔ここを利用してたけど最近亡くなった父がいるっていう中年の男を見つけてね」


「でも、そこから苦労しました。鍵の在処は説明されてなかったようで、家中探しても中々見つからなくて。最終的には倉庫の中の隠し部屋のタルの中からリオが発見したんです」


「相変わらず勇者だね、彼」


 その様子を想像し、思わず苦笑する。


「そんな場所に保管するとは考え難いし、意図的に隠してたんだろうね」


「此方もそう思うかな。捨てるような場所とも思えないからね」


 アルマの発言の通り、倉庫ならまだしも、わざわざ隠し部屋に鍵を捨てる理由はない。

 まして、タルの中に入れる理由など他にない。


 持ち主は敢えてそこへ隠した。

 そこには、身内にメトロ・ノームに関して一切関わらせないようにという意図と、鍵は捨てられないという意図が混在している。


「一度受け取った鍵は絶対捨てちゃいけないって決まりは……」


「特に設けられてはいないかな。そんな決まりがあったって、捨てた後に『失くした』って言えば良いだけだしね」


「確かに」


 つまり、個人的な事情という事になる。


「フランベルジュさん、その中年男性がどんな人物だったか知ってる?」


「確か……医者だったって言ってなかったっけ。ファル、覚えてる?」


「はい、間違いありません。ヴァレロン・サントラル医院に務めていたそうです。息子さんは医療の道には進んでいなかったようですが、家は大きかったです。倉庫も広くて、物が沢山置かれていました」


「あの中から隠し部屋の入り口を見付けたリオって、つくづく勇者よね」


 先程の想像よりもトレジャーハンター寄りの現実がそこにはあった。


「ま、細かい事は良いじゃない。それより、さっき言ってた『問題』ってのは何処の事なの?」


「答えは簡単です」


 小難しい話が好みでないフランベルジュの話題転換に、ファルシオンが乗る。


「貴族令嬢が偶然聞いたメトロ・ノームという場所に、スコールズ家の使用人が偶然入れる鍵を持っていた、若しくはそのツテを知っていた……取り敢えず、百歩譲ってここまではあり得るとしましょう」


「だけど、一つ大きな問題がある」


 今度はフェイルが割り込む形で話を紡ぐ。

 そして、神妙な面持ちでその『問題』を呟いた。


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