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第3章:メトロ・ノーム(27)

 バルムンクと敵対するリスクは極めて大きい。

 当然、命の危険もある。

 当人が言う『殺さない』など、全く信用には値しない。


 が、ここで『仕方ない。諦めよう』と恍けて、裏でこっそりウエストから報酬を貰って終了――――という訳にはいかない。

 少なくともフェイルはそう判断した。

 リスク以上に、勇者一行を、ファルシオンを謀る事への抵抗が勝った。


 それに、この決断によって目的は明確化した。

 バルムンクに先んじてアロンソ隊と合流し、事の真相を暴いた後、リッツ嬢をスコールズ家へ帰す。

 それだけだ。


 行動に至るまでには、あれこれ考えて複雑なステップを踏む。

 でも行動そのものはシンプルであればあるほど好ましい。


 フェイルは静かに呼吸を深くし、覚悟を決めた。


「ただし、仮にバルムンクに追いつけたとしても……あの化物を力で足止めするのは不可能に近い。何か手立てはない?」


「あります」


 今度はファルシオンが断言する。

 彼女にしても、以前バルムンクの殺気を浴びており、その脅威を知らない訳ではない。

 それでも尚、淀みなく言い切った。


「オートルーリングによる制縛系封術を使用します。対人封印です」


「そんな魔術あるの? 初耳なんだけど」


「はい。攻撃魔術ばかり開発されていた一昔前とは違って、今はそれ以外の魔術も色々開発されているんです。デ・ラ・ペーニャの代表……教皇が変わってから」


 その話はフェイルも聞き覚えがあった。

 三年ほど前、デ・ラ・ペーニャの前教皇が崩御し、新教皇を決める選挙が行われ、保守派の枢機卿が選ばれた。

 しかしその人物は、攻撃魔術ばかり優先して研究・開発する従来の姿勢を良しとせず、改革に乗り出した――――と。


 その為、デ・ラ・ペーニャは現在一枚岩ではないという。

 尤も、一枚岩だから良いという訳でもないが。


「対人封印は建物に対して行う封術と違い、魔力の消費が激しいので、長期間縛り続ける事は出来ません。でも足止めに特化しているので、今回のようなケースでは有効です」


 魔術は、その魔術を使用する人間の魔力を使用・消費する事で具現化される。

 その魔力が魔術として力を有し続ける時間は、使用する魔力量と魔術そのものの威力や硬度が関連してくる。


 そしてもう一つ――――抵抗力。

 人間は誰しも魔力を持っている為、魔力を有さない建築物とは違い、人に対して放たれる魔術はその人と接した瞬間に魔力同士がぶつかり、大量に摩耗する。

 

「それでも、ある程度は効果は持続出来ると思います」


 ファルシオンは強い目でそう訴えた。


 ならば、信じるしかない。

 フェイルは一つ頷き――――


「僕の目を使う」


 覚悟を決め、『酷く乱暴な方法』について話し始めた。


 鷹の目、梟の目について進んで他人に話すのは、決して本意ではない。

 しかしそれを話さなければ、これから行う『方法』の説明がつかない。

 嘆息したい心境で、フェイルは己の身を削った。


「目……とは?」


「僕の目は、常人より遥かに遠くまで見渡せるんだ。その目を使って、この建物の屋根の上から周囲を見渡してみる。施療院らしき建物か、バルムンク当人を見つけられるかもしれない」


 フェイルのその言葉は、普通の感覚であれば瞬時に切り捨てられるような無謀な意見ではあった。

 ただ、ファルシオンの顔には非難の色や呆気に取られた様子はない。


「……その目は、どの程度の距離まで見渡せますか?」


 寧ろ、落ち着いた様子で尋ねる。

 そんな魔術士の佇まいに、もう一つ嘆息を心の中で重ね、フェイルは事実を述べた。


「限界を試した事はないんだ。やってみないとわからない」


「……わかりました。私が風を起こして、貴方を屋根へ運びます」


 ファルシオンはそれだけを告げ、リオグランテを起こし、一足先に外へ出て行く。


 先に言った『ハルを追いかける』という自分の提案は勝算が薄いと自覚していて、藁にも縋る思いなのか。

 フェイルを全面的に信頼しているのか。


 間違いなく前者であると確信し、寝ぼけ眼のリオグランテと共にフェイルはロッジの扉をくぐった。


 そして――――次の瞬間。


「うわっ!?」


 リオグランテ共々、突然舞い起こった【風巻】によって、屋根の上まで運ばれた。


「時間がありません。直ぐに捜索を」


 距離が離れているにも拘らず、ファルシオンは声を張らずに急かす。

 殆ど聞き取れないくらいの音量だったが、何かを話している時点でそんな内容だろうと推考し、フェイルは左目を閉じた。


「きゅ~」


 尚、巻き込まれたリオグランテは屋根にしこたま頭をぶつけ、気絶していた。


 その姿に同情を覚えつつ――――捜索開始。


「……」


 二階建てのロッジは然程高い建物ではないが、地理的に標高が高い場所だった事が幸いし、捜索する上で支障はない。

 建築物が少なく見通しが良いのも幸いだった。

 広大な街の中から特定の建物や人間を探すのは困難を極めるが、このメトロ・ノームにおいては不可能ではない――――その心証を胸に、フェイルは神経を尖らせ、右目に集中させた。


 一点を明瞭にするこの鷹の目は、広範囲を一度に探すのには不向きだが、時間の経過で標的の姿が隠れる心配が少ない状況では問題ない。

 順番に、懇切丁寧に、視界内に建物や動くものがないか必死に捜す。


 程なくして――――二人の女性を見つけた。

 フランベルジュとアルマだ。


 今のところ、何者かに襲われている気配はない。

 間引きの対象となる可能性のあるフランベルジュだが、それを知る術はなく、余り緊張感のない様子でアルマの指の細さに関心を示しているのか、ジロジロ手を眺めながら歩いている。


 剣士である以上、指の美しさはどうしても放棄しなければならない。

 或いは、羨望や憧憬よりも懐古に近い感覚なのかもしれない――――などと考えた時点で、二人から視線を少し引く。


「……あ」


 その直ぐ手前に、人影を視認。

 が、それがハルである事は明白で、ソロソロと近付き彼女達を脅かそうとしている様子が窺える。

 その後の展開に興味がない事もなかったが、切羽詰っている現状でそれを楽しむ余裕はなく、フェイルは視点を別の方向へ移した。


 歩行者は殆どいない。

 元々住人はかなり少なく、地上とここを行き来する者が大半なので、当然と言えば当然だった。

 店も自然もないこの空間を好きこのんで散歩するような者はまずいないのだから。


 建築物から施療院であると判断するのは難しく、看板等がある保証もないので、フェイルは人物に捜索物を絞り、動くものを捜す。

 精神がより鋭利に尖って行くのを自覚していた。

 集中する事で視界が広がるような都合の良い能力はないが、視線を素早く動かし、その上で克明に視界内の光景を視認する事で、似たような効果を生み出す。


 そして――――


「……いた」


 ポツリと、フェイルは思わずそう呟いた。


 明らかに常人より体の厚みが違うその人間は、相応に分厚い剣を腰に下げている。

 紛れもなくバルムンクだ。


 方角は――――不明。

 ロッジの入り口の扉から右へやや大きく傾けた所の延長線上にいる。


 その移動している方向に施療院らしき建物はない。

 建物で施療院かどうかを判断するのは難しいが、そもそも建物自体がまばらで殆どない状態だ。


「ファルシオンさん! 風を!」


 気絶中のリオグランテを起こしつつ、飛び降りる為の風が発生するのを待つ。

 返事はなかったものの――――即座に先程同様の、小規模の竜巻が下から発生した。


「あ、あの……何がなにやら……全然わからないんですけど、僕が寝てる間に一体何が?」


「移動しながら話すよ。今からバルムンクを止めに行く」


 一足先に飛び降りながら、フェイルは以前狙撃した事もあるそ大男の姿を思い浮かべていた。


 先程ロッジを訪れたのは、バルムンクであって、そうでない人物。

 フェイルの脳裏に焼きついているのは、膨大な殺気を一束にまとめ、信じ難い速度で迫り来る、あの姿だ。


 言葉での足止めはもう通用しない。

 一戦交える事になるかもしれない。

 そう考えると、自然と湧いてくる感情がフェイルの中にはあった。


「見つかったんですね?」


 気付けば、直ぐ傍にファルシオンの姿があった。

 フェイルは一瞬驚き、直ぐに頷く。

 いつの間にか、地に足は付いていた。


「こっちの方角。距離は……一〇分強歩く程度かな。移動速度はゆっくりだった」


「好都合です。行きましょう」


 躊躇なく、ファルシオンはフェイルの指した方へ先陣を切って走り出す。

 フェイルとリオグランテも、それに続いた。


 が――――


「……うう」


 女性の、それも魔術士の体力がフェイル達のそれを上回る筈もなく、程なく失速し、みるみる差が開いていく。

 一方、リオグランテは苦もなくフェイルと同じ速度で走りつつ、そのフェイルからこうなるに到った経緯を聞いていた。


「はー。つまり、アロンソさんが黒幕の仲間で、犯人を匿っているかもしれない、って事なんですねー」


「あくまでも可能性だけど。正直ここまで勢力が入り乱れてると、本当は誰がどの勢力に属してるのかも良くわからないよね」


 嘆息しつつ、フェイルは速度を緩めずに足を動かす。


 走りながら話をするのは結構な体力を使う。

 だが、リオグランテには余り疲労している様子はない。


 やはり、基礎体力と身体能力は相当なもの。

 勇者と呼ばれる人間の潜在能力を実感し、今度は苦笑を漏らした。


「あ、いました!」


 そんな移動を五分ほど続けた後――――リオグランテの目が、バルムンクの背中を捉えた。



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