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第3章:メトロ・ノーム(25)

 例えば、そこに重厚な扉があるとする。


 その扉は、鍵を使えば簡単に開くのかというと、必ずしもそうではない。

 鍵を掛けずとも、その扉には『そこにある』というだけで、大きな存在感が生まれる。

 まるでその扉の向こうに『仰々しい何か』があると、そう暗示しているように。


 そうなってくると、扉をくぐる事に対して少なからず抵抗が発生する。


 本当に踏み込んでいいのか?

 この中へ入って、果たして無事でいられるのか?


 そんな懸念、不安、そして恐怖が、自然と発生する。

 今、ここにいるバルムンクを何かに例えるとすれば――――そんな表現なのかもしれないと、フェイルは階段を下りながら考えていた。


「随分と品の良い拠点じゃねーか。羨ましい限りだぜ」


 そのバルムンクは、機嫌の良さそうな顔でロッジの全方位を眺めている。

 獰猛な肉食動物が迷い込んできたような違和感――――は、今のところない。

 フェイルがその訪問に気付かない程、バルムンクは気配を抑えていた。


「……用件は?」


 そんな来訪者にではなく、ファルシオンに問う。

 が、首を横に振るのみの回答。

 今しがた訪れたばかりらしく、女性魔術士もまたその意図を掴めずに困惑の色を隠せず、表情に出ずとも彼女の感情が明瞭に伝わってきた。


「おう。まさかテメェがアロンソ隊に加入するたぁな。奴はあの偽紳士野郎の片腕だ。そいつに与するってこたぁ、ウォレスに加入するも当然――――」


 バルムンクの手が、腰の剣の柄に手を添える。

 その剣は、以前フェイルを襲った時に背負っていた物。

 禍々しいほどに巨大な鞘は、そのまま剣身の大きさを示している。


 普通なら、模型としか認識出来ないような巨大な剣。

 だがこのバルムンクならば、それを容易に操る事は想像に難くない。

 そしてそれを抜くとなれば、最早フェイルやファルシオンに太刀打ちする術もない。


 ところが、やはり殺気はない。

 あの、周囲の人間をも巻き込む暴風のような圧迫感は、已然として鳴りを潜めていた。


「――――って事にならねぇのがここの流儀だからな。ま、いずれにせよ俺はここじゃ人は殺さねぇって決めてんだ」


 まるで二人を値踏みするかのように、バルムンクは一度柄に添えた手を下げた。


「デストリュクシオン、ってんだ。特注のシロモノよ。どうだ? 俺に似合ってるだろ? この姿見たら、管理人ちゃんも俺の事ちったぁ見直すに違えねぇと思わねぇか?」


「……まさか、それが目的って言うんじゃないよね」


 猛獣相手に白い目を向ける自分に違和感しかなかったが、それでもフェイルは半眼でそう呟く。

 一方、ファルシオンは緊張状態を崩さず、全身に力を入れたまま直立していた。


「そのまさか……に決まってんだろ? 何でも管理人ちゃん、テメェらと同行してるらしいじゃねぇか。どうなってんだよ。管理人ちゃん、滅多に家の周りから離れねぇってのに。なぁ。どうなってんだよ!」


「いや、知らないけど……泣かれても困るし」


「で、慌てふためいて参上したってのに、不在ときたもんだ。泣きたくもならぁ。一世一代の好機だったんだがなぁ……」


 仄かに漂う、薔薇の香り。

 明らかに高級な香水の匂いだった。

 フェイルはおぞましさより微笑ましさを覚えたものの、それ以上に疑念を抱き、思わず首を捻った。


「彼女へのアプローチなら、直接彼女の家へ行けば良いんじゃないの?」


「阿呆ッ!」


 咆哮。

 余りの声に、フェイルは思わず顔をしかめた。


「い、家なんてテメェ、家に直接なんて、そんなこたぁダメだろ! こぉゆぅのはだ、順番ってのがあんだよ! それすっ飛ばしたら嫌われるじゃねぇか! そしたらどうすんだ、俺の生きる意味がなくなっちまう……」


「……」


 ここで苦笑したら人生が終わりかねない状況で、フェイルはなんとか耐えた。

 居心地の悪さが尋常ではない。

 ファルシオンもまた、余り見せない疲労感を目元に滲ませている。


「ま、いねぇ以上は仕方ねぇ。『ついで』の用事をこなしとくか」

 

 ――――刹那、ロッジ内の空気が一変する。


 森林の奥、巨大な洞窟に一歩足を踏み入れた時のような感覚の激動。

 それが、全く風貌を変えないバルムンクによって生み出された。


「アロンソは何処にいる」


 問いは極めて質素。

 けれどその言動には、これまでにはない背景が刻まれていた。


 正確に、そして慎重に。

 さもなくば命は――――そんな強迫観念に駆られる。


「施療院へ向かいました」


 それを察知し素直に答えたのは、ファルシオンの慄然とした声だった。

 それでも震えてはいないし言い淀みもない。


「良い胆してるぜ、嬢ちゃん。せいぜい頑張りな」


 そんなファルシオンに対しバルムンクは好感を抱いたらしく、激励の句を告げた。

 勇者一行としての役回りに対してのものなのか、他の何かなのか――――


「そう言えば」


 その回答はさておき、フェイルには踵を返そうとするバルムンクを足止めする必要があった。

 二階にあったメッセージ通りならば、もしバルムンクが今施療院へ向かえば、かなり厄介な局面が生まれる。


 時間を稼ぐ。

 協力体制を築いた以上、その役目は果たさなければならなかった。


「貴族令嬢失踪事件、あんたも追ってるらしいね。首尾はどう? 一番強い勢力だってもっぱらの評判みたいだけど」

 

 その極めてフランクな発言に、ファルシオンが思わず不安を混ぜた視線をフェイルへと向ける。

 一方、当事者のバルムンクは――――動かしかけた足を止め、口の端を大きく釣り上げた。


「そうでもねぇさ。無駄に俺の周りをウロチョロする奴等が多いってだけよ。意外と、別の隊の方が先に行ってるんじゃねぇか?」


「得てして、そんなものなのかもね。それに僕には皆、真剣に探してるようには見えない」


 フェイルのその答えは、バルムンクの関心を引きつけるには十分なものだった。


「そりゃ、どういう意味だい? 小僧」


「確かに、貴族令嬢を保護したとなれば名誉は得られる。謝礼も相当なものだろうね。でも、少し大げさ過ぎる。二大ギルドの代表が揃って動く類の事件とは思えない」


 それは――――ずっとフェイルが感じていた違和感だった。


 ギルドが動く、それ自体はわかる。

 競合相手から一歩先んじる上で、自分達の界隈内で強大な権力を誇る貴族に恩を売るのは大きな利であり、必要な事だ。


 が、それでも実際にやる事と言えば、少女の捜索。

 わざわざギルドの長が自ら動く必要性は何処にもない。

 人捜しに長けた特殊能力を有しているならまだしも、そのような理由がないのであれば、大物の存在は寧ろ動きを重くするだけだ。


「アロンソからは何も聞いてねぇのか?」


「生憎、隊に与した訳じゃないんだ。協力を依頼して、受理されたばかりだよ」


 それは事実。

 敢えて話したのは、更なる時間稼ぎの為であると同時に、情報交換の可能性を探る為だ。


 バルムンク隊も、まだ事件の解決には到っていない以上、何かしらの情報を欲している筈。

 与したのではなく、協力体制を築いたのであれば、アロンソ隊がそれに値するメリットをフェイル達に見出したのは明白。

 バルムンクが興味を抱くのは必然だった。


「小僧、自分なりの回答を持ち合わせてんなら、言いな。特別だ。採点してやるぜ」


 その笑みが更に深くなる。

 比例して、空気が重くなる。

 豪雨の中のような感覚に溺れそうになりながら、フェイルはファルシオンに視線を預けた。


 実のところ――――フェイルは明確な回答を持ち合わせてはいない。

 時間稼ぎの為の放言なので、当然と言えば当然だ。

 フェイルは、ファルシオンに助力を求めていた。


 ただし、それはファルシオンに回答を提示するよう促している訳ではない。

 欲しいのは、荒野に薄っすらと残った轍のような言葉に過ぎない。


「一つ推論を組み立ててみるとすれば、着目すべき点は『実力者が動いている』点だと思います」


 ごく自然に、ファルシオンは唱えた。

 彼女とて回答を持ち合わせている訳ではない。

 ただ先の見えない筋道を、乱暴ながら立てている。


「実力者が動いている。それはつまり……直接的な戦いが起こるのが前提の争い。舌戦・論戦じゃなく、戦闘力をぶつけ合う物理的な衝突が起こる」


「そうなりますね。でなければ、二大ギルドの実力者が少数精鋭の隊を組む訳がありません。そして、それの意味するところは――――捜索とは考えられない。簡単な理屈です」


 ファルシオンは断言する。

 それ自体にも大きな意味はあった。


 今、二人がしているのは即興の推察。

 発言しながら思考を組み立てて行く作業だ。


 だが、それを行っていると悟られてはいけない。

 あくまで『元々このような考えを持っている』という雰囲気を作る必要がある。


 バルムンクは『自分なりの回答を持ち合わせてるならば』と前置きした。

 そこに反故があるからといって、激昂するとは限らないが――――この化物の何処に沸点があるかはわからない。

 わからない以上は、筋道通りに事を運ぶ必要がある。


 今、フェイル達に要求されているのは、極めて高度な辻褄合わせだった。


「捜索じゃないなら、貴族令嬢失踪事件と何も関係がない事で動いているのか? いや、それもないだろうね。失踪事件に合わせて各勢力が動いている。少なくとも、関連がある事は間違いない」


「ですが、スコールズ家のお嬢様と各ギルドに他の接点があるとは考え難いです。例えば、リッツお嬢様が何処かのギルドに幽閉されているなど、彼女の失踪がギルド同士の軋轢を生み出す事由となり得るならば、或いは現状の状況も納得出来ますが……それは考えられません」


「ギルドの中にスコールズ家と密接な関わりがある幹部がいる、って仮説も、複数のギルドが動いている時点で少し考え難いかな」


 少しずつ考えを纏め、答えまでの道のりを歩む。

 可能性を狭めて行き、照準を絞るその作業は、少しだけ弓術と似ていた。

 或いは、魔術とも。


「そうなると、彼女が直接関与していると言うより、別の何かに起因しているのではないか、と考える事が出来ます」


「例えば、貴族令嬢を失踪に導いた存在が、各ギルドにとっての火種である場合」


「或いは、このメトロ・ノームにとっての」


 ファルシオンのその言葉の直後――――


 バルムンクの顔が、更なる笑顔で歪んだ。


「ほう……そこまで辿り着いたとなると、ちっと認識変えにゃならねぇな」


 それは、フェイル達の推考がある程度の成功を収めた事を意味する。

 全力で安堵の溜息を落としたい心境の中、フェイルはこっそり奥歯を噛んで気を引き締めた。


「シナウト。これを知ってるか?」


「一応」


 先程ハルから聞いた言葉に、フェイルは肯定を掲げる。

 メトロ・ノームの住民を間引く保守派。

 その連中が、今回の件と関連している――――バルムンクはそう告げた。


「表向きは、令嬢のケツを追っかける長閑な事件ってなもんだが……実のところはそうじゃねぇ。シナウトとギルドの、メトロ・ノーム内での抗争だ」


 バルムンクの言葉に、フェイルは瞼を落とす。

 それは、最悪の事態だった。

 血生臭い争いに巻き込まれかねない事態だ。


「そこまで対立構造がはっきりしているのなら、リッツ嬢を失踪に導いた人間をギルドは把握しているんですね?」


 ファルシオンの指摘は、ほぼ確信を帯びていた。

 でなければ、その構造は成立しない。


「そうなるな。ま、そんなワケだから、もしテメェらがこれ以上ヤバい橋を渡る気がねぇなら、とっとと退散しな。シナウトとギルドの抗争にこれ以上首を突っ込むなら遠慮なくハネるぜ。殺しはしなくても、二度と足腰立てなくするくらいは造作もねぇ」


 淡々とそう言い残し――――バルムンクはロッジを後にした。

 次にこのメトロ・ノームで会う時は敵と見做すと、目で語って。


 時間稼ぎは十分に行った。

 重大なヒントも得た。


 が、フェイルの心と視界は晴れない。

 霞がかったような風景に、何度も瞬きをする。

 今後の行動に大きな制限が生まれたのも、また事実だった。



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