第3章:メトロ・ノーム(23)
ファルシオンの言葉通り、鍛冶屋に貴族令嬢が来る理由などないし、宿の裏事情など貴族令嬢が知る由もない。
仮に知っていたとしても、そんな怪しげな宿に単身で足を運ぶとは考え難い。
その事については、フェイルもとっくに気付いていた。
感心しているのは彼女の話術に関してだ。
ファルシオンはこれまで、宿に関する詳細を全く明かさずにいた。
この推論を正当化する為だ。
『余り話したくなかった真相』を明かしているように感じさせ、話に信憑性を持たせている。
情報の小出しは交渉事の基本だが、実はかなり難しい。
余程上手く構成しないと、何処かで不自然さが出てしまうもの。
それをいとも容易くやってのけるファルシオンは、思わず苦笑したくなるほど弁に長けていた。
「自発的であり得ないのなら、宿に訪れた理由は一つしかありません。彼女の外出を手筈した何者かがいて、その場所を訪れるように指定したのでしょう。それ以外はあり得ません。焦っていたのは、恐らく指定された時間に遅れていたから。家から脱出するのに手間取ったのではないでしょうか」
推論をスラスラと述べるファルシオンの姿を、アロンソとハルは舞台役者を眺める客のように凝視している。
彼女の世界に引き込まれている。
まるで、見た事のない魔法を見ているかのように。
「ただそうなってくると、その手筈をした人間が何者なのか……が焦点となってきます」
「逆に言えば、その人物を特定出来れば自ずと貴族令嬢の居場所も特定出来る」
アロンソの言葉に、ファルシオンは一つ頷いた。
「……興味深い推論だ。参考にさせて貰うよ」
これで、正式に協力体制が築かれた。
アロンソが最終的にファルシオンの推論を支持するにしろ否定するにしろ、参考にすると言った時点で納品は行われている。
勇者一行は無事、報酬を得る資格を得た。
「一晩考えて、明日の朝にも今後の行動方針を決める。このロッジは好きに使ってくれ。自分達の拠点があるのなら戻っても良い。明朝、ここを再度訪れてくれ」
「わかりました。お言葉に甘えさせて頂きます」
例によって表情を一切変えず、ファルシオンが頭を下げる。
それを確認し、アロンソは二階へと向かった。
若干の沈黙が流れ――――ハルが愉快そうに手を叩く。
「いやいや大したモンじゃねーか。こりゃマジで見つけられっかもな。じゃ、俺も寝るとすっか。また明日な」
機嫌良さげにファルシオンの肩にポンと触れ、隣のフェイルに微笑んだのち、ハルも二階へと上がっていった。
二度目の扉が閉まる音が一階に響き渡った直後――――
「……ふぅ」
ファルシオンは小さく息を吐く。
その少し珍しい光景を包み込むように、フランベルジュが破顔してファルシオンを背中から抱きしめ、その小さい頭を撫でた。
「偉い偉い。いつもながら口だけは達者ねー。魔術よりそっちの方が才能あるんじゃない?」
「……」
ムッとしつつも、ファルシオンはされるがままになっている。
どうやら不本意ではないらしい。
「にしても貴方、珍しく無口だったじゃない? 流石に口を挟む余地はなかった?」
一通り褒め終わったフランベルジュの視線が今度はフェイルに向く。
小馬鹿にしている様子はない。
『どう? 私達の頭脳は。凄いでしょ?』と言わんばかりの誇らしさを有していた。
「いえ。フェイルさんはあえて傍観してくれていました。私の意図を汲んで」
一方、ファルシオンは小さく首を横に振り、フランベルジュの発言をやんわり否定。
その照れた様子が一切ない顔をフェイルの方へ向ける。
「恐らく、フェイルさんは私に対してこう思っています。『リッツ=スコールズを外へと導いた犯人は、既に目星が付いているんじゃないの?』と」
「……今の、もしかして僕の真似?」
半眼で指摘するフェイルに、ファルシオンは肯定も否定もせず、無表情のままで別の答えを待っている。
すると――――ずっと存在を消していたアルマが、唐突に拍手をし始めた。
発言内容に対する賛美ではない。
アルマ的に、ファルシオンの物真似はかなり似ていたらしい。
不本意な思いを噛み潰しつつ、フェイルは待たれている答えを返した。
「まあ、その通りだけど」
「フェイルさんも何となく予想が付いている筈です」
「……」
『そうなのかな?』と言葉が聞こえてきそうな顔で、アルマがフェイルの顔をじーっと見つめる。
その無駄にキラキラした顔に妙な居心地の悪さを覚えつつ、フェイルは嘆息交じりに首肯した。
ちなみに、例によって勇者リオグランテは難しい話が始まった時点でぐーぐー寝ている。
「え? ちょ、ちょっと待ってよ。確か貴族令嬢は自分で家を出たのよね? で、その逃亡劇を手助けした奴がいる、って事でいいのよね。ここまでは」
「はい」
「だったら当然、二人は顔見知りよね。でないと成立しないし」
フランベルジュのその発言に対し――――ファルシオンとフェイルは同時に怯えたような様子で後退った。
その様子を暫し眺めていたアルマは、真似するように後退る。
一応、空気を読むべきと思ったらしい。
「……何のつもりよ」
「いや、何の突然変異なのかな、って思って」
「私は前から信じていました。フランはやれば出来るだって」
「うるっさい! どうしてアンタ等はそうやって私を頭の出来が良くない剣士に仕立て上げようとすんのよ! あとそっちの美少女! 真似しない!」
大声で怒られたアルマは、ショボーンと肩を落とし、本気でいじけ出した。
余り怒られなれていないらしい。
「フランの言う通りです。リッツ=スコールズを外へと導いた人間は彼女の顔見知りでしょう。それも彼女が絶対的な信用を置いている人間。もし彼女が自分だけで家出しているか、若しくは心を開いていない相手と逃亡しているのなら、これだけの大騒動になった今も隠れ続ける事はできないでしょう。精神的に参ってしまいますから」
「だとしたら……何か目的があって身を隠しているのよね。令嬢の逃亡の手助けをしている人間も、何か目的があって令嬢の家出を手助けしたの?」
「そう考えるべきかと。共通の目的があるのかもしれません」
ファルシオンとフランベルジュは、それぞれの椅子で天井を見上げながら、推論を繋ぎ合わせる。
特に示し合わせた訳でもないのにそれが出来るのは、同じ結論を出しているから。
「……恋」
ポツリと、アルマが呟く。
殆ど言葉を発する事が出来ない今の彼女の声は、音量とは反比例して、非常に大きな存在感を有していた。
「へ? こ、恋?」
「アルマさんの言う通りだと思います」
ポカンと口を空けるフランベルジュとは対照的に、ファルシオンは力強く頷いた。
「あくまで推論ですが、リッツ=スコールズは恋人、或いはそれに限りなく近い関係の男性と逃亡を図っていると思われます。考えられるのは……家の人間。使用人辺りでしょうか」
「勿論何の確証もないけど、可能性はそれが一番高いだろうね」
フェイルの言葉が、その推論を後押しする。
要するに――――駆け落ち。
陳腐極まりないが、現状を説明する上で何の矛盾もない。
フランベルジュは顔を引きつらせ、その後に思いっきり机に突っ伏した。
「……大手ギルドが総出で、女の子の駆け落ちに振り回されてるっての? 嘘でしょ?」
「せめてそこは愛の逃避行と言ってあげてください」
「どっちでも一緒よ! ったく……これって本当に謝礼出るんでしょうね」
がなるフランベルジュに怯えるアルマを落ち着かせつつ、フェイルはどっちとも言えない顔で嘆息した。
真相はまだ定かではないし、これはあくまでも推論。
ただ、仮にそれが真実だったとしても――――茶番や子供の微笑ましい背伸びでは最早済みそうにない。
実際、コロットという傭兵はこの件に首を突っ込み、その結果何者かに射抜かれ、壊された。
それだけ大きな出来事として、各勢力は今回の事件を捉えている。
少なくとも、コロットを壊した者とその勢力に関しては。
既にこのメトロ・ノームで二人の弓使いを目にしたが、クロイツと名乗った男があの獰猛な毒を持っているとは、フェイルには思えなかった。
戦闘能力を奪う毒を使うのは、弓使いにとって珍しくも何ともない。
ただ効果の高い毒は、それだけ高価。
コロットに刺さった矢の毒は、フェイルが逆立ちしても購入出来ないような高額の毒が含まれていた。
そして、もう一つ。
人間の筋肉を溶かすその毒は、明らかな残虐性の証。
アロンソ隊を狙い撃ちした事実を考えれば、その対抗勢力の牽制のように思われるが、牽制にしては明らかに度が過ぎている。
戦力の低下だけでなく、私怨やギルド間の闘争を持ち込んだ可能性も視野に入れる必要があるだろう。
コロット自身は非ギルド員でも、アロンソに被害を与える目的があれば、今回の狙撃は十分有効的だった。
もし、そうなら――――このロッジが安全という保証もない。
「アルマさんは家に返そう」
「そうね、それが良いと思う。もう十分協力して貰えたしね。さっきは怖がらせてごめんなさい」
フランベルジュの素早い反応は、彼女が以前からアルマの身の安全に気を配っていた現れ。
だが――――
「……」
当のアルマは少し嫌そうにしている。
外泊するのを楽しみにしていた子供が、やっぱり今日は家に帰ろうと言われたかのように。
実際、そんな心境だったのかもしれないと苦笑しつつ、フェイルはアルマが拒否出来ないよう綺麗な笑顔を向けた。
「ありがとう。おかげで凄く助かった」
「感謝しています。今度、あらためてお礼に行きますので」
フェイルに続き、ファルシオンにまでお別れの言葉を言われてはお開き以外の選択肢はない。
、アルマは小さく項垂れてしまった。
「……何があるかわからないし、私が送ってくる。貴方達は今後の事でも考えといて」
「うん。頼むね」
フランベルジュに促されロッジを出て行くアルマは、何度も振り向き、とても寂しそうな顔を見せていた。
そんな様子を、フェイルは複雑な心境で眺めていた――――




