第3章:メトロ・ノーム(18)
「え……誰?」
にこやかに近付いてきたハルに対するフランベルジュの第一声は、不審者を見る目を添えて発せられた。
「誰、って……俺ら何度か顔合わせてるだろーが! 若年性痴呆症かテメーは!」
「何で赤の他人に初対面で悪態吐かれなきゃならないのよ。何? ケンカ売ってんの?」
「売ってるのはお前じゃねーか! つーか初対面じゃねーっつってんだろ!? 人の話聞きやがれ冷徹剣士!」
お互いに剣を抜きかねない、一触即発――――といった空気は一切ない。
流石に数日前に会ったばかりの人間を本気で忘れるほど、フランベルジュは気の抜けた生き方をしていない。
要するに――――
「からかっているだけです。フランは基本、口が悪い割に弄られ役というか受身の体質なので……自分が弄れる相手が見つかって喜んでいるのかもしれません」
「フランさん、活き活きしてますねー」
一方のハルも、フェイルが知る限りでは女性に手をあげるタイプの男ではない。
特に問題はないと判断し、ギャーギャーと騒ぎ続ける二人を尻目に、フェイル達はカウンター席に並んだアルコールのない飲み物で口内を潤す事にした。
尚、アルマは一足早く蜂蜜入りのミルクをコクコク飲んでいる。
争い事に関与しない主義なのか、殺気のなさを完璧に読んでいるのか、判断不可能な無の表情で。
単に一心不乱にミルクを飲んでいるだけのようにも見えた為、フェイルは気に留めない事にした。
「くっそー、あのアマ……人をなんだと思ってやがる」
そのアルマの隣に、ハルは不満を垂れながら座る。
「……」
そのハルに対して、アルマは不思議そうな目を向け、首を小さく傾けていた。
「俺の事……覚えて……ないみたいだな」
こちらは冗談や煽りでないのは火を見るより明らか。
恍けた様子のないその視線に居た堪れなくなったハルは、フェイルの隣に席を替えてカウンターに突っ伏した。
「本当にこの人が、アロンソ部隊の一員なのですか?」
「一応、切り込み隊長的な役割を担っている筈だが……」
不安を隠せないファルシオンと、自分の情報に自信を持てなくなったマスターが険しい顔で俯く中、フェイルもまたこの奇妙な縁に幸運よりも懸念を禁じ得ずにいる。
これほど話を通しやすい相手はいないが、同時にこれほど仲間にするのに不安な人物もいない。
敵だったら脅威に感じるが、味方になった途端弱体化しそうなタイプの剣士だった。
「で、何でハルがこのメトロ・ノームにいるの?」
準々の末に発したフェイルの問いに、ハルが顔を上げる。
微妙に涙目。
何気に、アルマに覚えられていない事実がかなり堪えているらしい。
「……言うまでもねーだろ。テメー等も探ってる、例の令嬢失踪事件を追ってんだよ。貴族に恩を売る機会なんてそうそうねーからな」
「当たり前のように僕達の情報が漏れてるんだね」
「一応、そこは大手の傭兵ギルドだからな。それなりの情報網は整備済みよ」
したり顔のハルの背後で、フランベルジュが目を細くして二人の会話を聞いていた。
「大手ギルド所属の割には、随分と脳天気そうに薬草店で油売ってるのね」
それどころか身を乗り出して介入してきた。
彼女にとってはラファイエットの方が天敵だが、ウォレスに興味がない訳でもないらしい。
「いや、そいつの店に来るのは昼休みとか帰宅途中とかで……って、やっぱお前俺の事覚えてるんじゃねーか!」
「で、今はウォレス全体で動いてる訳?」
「ガン無視かよ……いや、ウチの大将はスタンドプレー大好き人間だからな。大将自体が一人で動いてるってんで、興味のある奴だけが各々に動いてんだ」
カウンターに頬杖を付きながら、ハルは荒んだ顔で結構重要な情報を口にした。
クラウ・ソラスが単独行動中なのは既に折り込み済み。
しかしハルの口振りでは、アロンソ隊と連携すらしていない事が予想される。
「アロンソという人物の部隊は、ウォレスのギルド員だけで構成されている訳ではない、と窺っていますが……」
そんなファルシオンの呟きに、ミルクを飲み終えて口の周囲を白く塗らしたアルマはコクコクと頷き、途中でその動作を止めた。
自分が質問されていると思ったらしい。
指摘するのも気の毒に思い、フェイル達は全員見て見ぬフリをした。
「あー、アロンソの事を聞きたいのか。あの野郎はちょっとな、特殊なんだよ」
若干顔をしかめつつ、ハルは回答がてらマスターに飲み物を注文していた。
「あいつは、所謂しがらみってのが大っ嫌いな奴でな。元来ギルドみてーな集団に属するのも嫌いなんだとよ。だから、そういうのが必要ないここでは最低限の人付き合いでやって行きてーんだと」
「だっだらギルドなんて入らなきゃ良いでしょうに……」
その説明に呆れながら、フランベルジュはカウンターの空席に座り、マスターに紅茶をリクエストしていた。
「ま、単独で動いてもデカい事は出来ねーって悟ってるのが理由の一つなんだろうけどよ、一番の理由は多分、ウチの大将に陶酔してるからだな」
「クラウ=ソラス……」
フェイルの言葉に、ハルが口の端を吊り上げて頷く。
傭兵ギルド【ウォレス】代表取締役として、ギルドのあるヴァレロン新市街地は勿論、エチェベリア全土にその名を轟かす使い手。
ラファイエットの大隊長バルムンクと並び、強さの象徴として語られる彼等には、騎士団すら一目置いていると言われている。
以前、フェイルはそのクラウ=ソラスと対峙した事があった。
刃を交わした訳ではない――――が、その力の一旦は感じ取れた。
怪物バルムンクほどわかり易くはないが、明らかな実力者。
そして、謀られた事も含め、頭もかなり回るという評価を下していた。
「あとは強さか。剣の腕はギルドの中でも指折りだな。だからこそ隊長を任されてるんだが」
「ハルよりも強いの?」
フェイルの小さな声での問い掛けに――――ハルの目の色が一瞬変わった。
だが、直ぐにいつもの人当たりの良い顔に戻る。
「……ま、そうだろうな」
そして、認めた。
フェイルはハルの本気を知っている訳ではない。
それを見物出来る環境が薬草店で整う筈もないのだから、当然だ。
ただ、少なくとも力自慢のゴロツキ程度なら欠伸したまま倒せるくらいの実力は確実に備えている。
アロンソがかなりの実力者なのは明らかだが――――
「こんな幸薄そうな場末剣士より上って言われても、ピンと来ないんだけど」
「うっせーよ誰が場末剣士だ! つーかお前ら、話の流れ的に俺にアロンソを紹介して欲しいんだろ!? もうちっと謙虚にしろよ!」
「そ、そうですよ。幾らお知り合いの人でも、こういう時くらいはちゃんとしましょう」
珍しく、勇者がまともな一般論を叫ぶ。
「おっ、流石勇者。良い事言うねー。やっぱ勇者ともなると、人格もそれなりのレベルに達してないとダメだよな。社会を知ってるぜ」
「フン」
そんなやり取りを鼻で笑いつつも、これ以上の悪態は今後の展開の迷惑になると理解しているらしく、フランベルジュはマスターの差し出した紅茶で溜飲を下げた。
その様子を横目で眺めつつ、ハルはフェイルの耳に顔を寄せる。
「あの女、いつもあーなのか? なんか毒々しくて会話したくねーんだけど」
「ちょっと色々あってね……機嫌悪いみたい。まあ、割と毎日あんな感じだけど」
「苦労すんな、オメーも。薬草店は大丈夫なのか? こんなん雇ってて」
「その再建が、今回の件にかかってるんだけどね」
フェイルは、自分達がこのメトロ・ノームに首を突っ込んだ経緯について話せる範囲でハルに話した。
そして、その上でアロンソ部隊との連携への橋渡し役を懇願する。
結果――――
「ま、別にいーけどよ。俺とお前の仲だしな」
ハルはすんなりと了承の意を唱えた。
「わーっ! ありがとうございます!」
「助かります」
リオグランテとファルシオンが素直に礼を述べるのに対し、フランベルジュは少し険しい顔をしながら、露骨にそっぽを向いていた。
そこでフェイルはピンと来る。
以前、ハルが会話の中で彼女を『物々しい用心棒』呼ばわりしていたのが聞こえていたのではないか――――と。
「……口は災いの元か」
「あん?」
「いや。それで何時なら大丈夫かな。ハルの都合に合わせるけど」
「何時でもいいのなら今から行くぜ。アルマの嬢ちゃんも来るのか?」
アルマは無言で頷く。
その手には二杯目のミルクが入った容器を持っていた。
お気に入りらしい。
「ちなみに、俺の事って思い出したりしたか? たまーにこっちに来る、中々良い腕をした美形剣士なんだが」
「……」
「……そ、そうか。いや、俺は全然気にしてねーぜ。誰かの記憶に残るって事は、誰かの記憶には残らないって事だ。何言ってるかわからねーと思うが、これは俺の愛読してる哲学書の一節で――――」
案内の道中、ハルは終始覇気のない顔で俯きながら、誰も聞いていない独り言をブツブツ呟いていた。




