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第3章:メトロ・ノーム(17)

 翌日――――


 メトロ・ノームで迎えた初めての朝に、フェイルと勇者一行は驚きを禁じえず、目覚めて直ぐにそれぞれの寝床で暫し呆然としていた。


 この地下における朝は、地上のそれとは全く別ものだった。

 輝かしい朝日の新鮮な光に包まれ、鳥の囀りと辻馬車の蹄の音がシンフォニーを奏でるこの時間、メトロ・ノームは辛気臭いまでに薄暗く物静かで、空気が冷えている。

 夜の暗闇ほどではないが、とても『今日も一日頑張ろう』と思えるような環境ではない。


「これが、アルマさんが管理してるって言う照明の光なんですねー。どれくらい経つと、昨日の昼間みたいに明るくなるんですか?」


 そんな特殊性など意にも介さず、アルマの家の前で空を仰ぐリオグランテが呟く。

 玄関先で一夜を過ごした割には、特に体調を悪くした様子はない。

 勇者はかなり頑丈な身体をしているようだ。


「……」


 一方、夜が明けてこの世界の管理を再開したアルマは言語を発する事が困難らしく、勇者の問い掛けには答えずにボーっとしていた。


「あ、あの……」


「この時間帯は質問の仕方に一工夫いるんだ。アルマさん、あと三時間くらいするともっと明るくなるかな?」


 そんなフェイルの問いに――――アルマはコクコクと頷く。


「だって」


「はー。なるほろー」


 勇者は寝ぼけ眼でいたく感心していた。


 その傍らで、荷物をまとめていたファルシオンとフランベルジュがその支度を終えたらしく、アルマの方に遠慮したような視線を向ける。


「本当に良いの? わざわざ酒場までついて来て貰って。日課とかあるんじゃないの?」


 そう問い掛けたフランベルジュに対し、アルマは真顔のまま親指を立ててみせた。

 大丈夫という意味の、世界共通のボディランゲージだ。


 このメトロ・ノームに何の繋がりも持たない勇者一行にとって、彼女は心強い存在。

 同行して貰えるだけで『怪しい者ではない』とわかるし、寧ろ好意的に見て貰える。

 この上ない協力者の同行によって、情報収集の足がかりは出来た。


「……」


 更に、アルマは羊皮紙に羽根ペンを走らせ、それをフランベルジュへと差し出した。


「これは……?」


 その紙を、全員が覗き込む。


「察するに、自分が不在の場合にはこれを見せれば同等の効果を得られる……サインのようなもの、なのでは」


 思慮深いファルシオンの分析に、アルマは満足げに頷いた。

 手厚い保証に、更に感謝を示す勇者一行だったが――――


「にしても、このサイン……なんて書いてあるかわかる? っていうか、そもそも文字なの?」


「難解ですね。この国の近隣の言語は大方把握しているつもりでしたけど、これはちょっと……ルーンでもないですし……何らかの紋様、或いは写実?」


「きっと、おまじないとか呪文とか、そう言う関係の言葉なんじゃないでしょーか」


 ヒソヒソと小声で話し合う勇者一行を傍目で見ながら、フェイルはアルマにこっそり問い掛けた。


「あのサイン……もしかして自分の名前?」


 とても悲しい首肯が、そこにはあった。





 ――――と、そんなこんなありつつ。


 アルマとフェイル及び勇者一行は、令嬢失踪事件に関する情報を得る為に先日訪れたばかりの酒場【ヴァン】を再度訪れてみた。


「ほとほと珍しいな、二日連続でアルマがここに来るとは。いいだろう、昨日の詫びもあるし何でも聞いてくれ」


 マスターのデュポールはあっさりと了承。

 一切言葉は発しないものの、アルマ同行の効果は絶大だ。


 まだ昨日の爪痕が残るカウンター席に座った勇者一行は、予想以上の成果と厳しい現状を知る事が出来た。


 まず――――肝心の令嬢の居場所。

 当然だが、マスターもそれ自体は知らない。

 それでも、どの勢力がどれくらいの情報を得ているか、どの程度進展しているか等の競合相手の状態を教えて貰えれば、アプローチをすべき対象を絞る事が出来る。


 現状、フェイル達がこの令嬢失踪事件において出来る事といえば、既に情報を掴んでいる勢力と接触し、その情報を買い取る事くらい。

 他の勢力を出し抜けるような人脈もはないし、頭数も知れている。

 他の勢力に先んじて手を打てるような能力も財力もない。


 となれば、なるべく早い段階で有力な情報を入手出来る環境を作る必要がある。


 競合相手に情報を売るなど普通はあり得ないが、自分達よりも遥か格下相手なら遅れを取る筈がないと油断してくれれば、交渉の余地はある。

 逆に高く評価してくれる相手なら、協力を仰いでくるかもしれない。

 何処かの勢力に合流する道を模索するのが最も現実的だ。


 勇者一行の目的は金。

 全額でなくとも、報酬の一部を貰えれば最低限の収穫にはなる。

 

 問題は――――


「私達が取り入る隙がある人達かどうか、ですね……」


 情報を整理し終えたファルシオンは、席上で思わず瞑目してしまった。

 

 まず、勇者一行を招き入れる確かなメリットが各勢力にはない。

 寧ろ、報酬や御礼の分割人員を増やすのは明らかなマイナス要因。

 それを補えるだけの探索能力は各自にはない。


 そうなってくると、頼りはアルマの存在だ。


「?」


 ファルシオンの視線に、当の本人はキョトンとしていたが――――このメトロノームの管理人である彼女と御近づきになりたい勢力があれば、取り入る事は十分可能だろう。


 が。


「言っとくけど、あの男の集団に加わるのは絶対嫌だから」


「それはわかっています」


 その最有力候補であるバルムンクに関しては、フランベルジュが修羅のような顔が拒否している為、没。

 となると、他は――――


「取り敢えず、他の勢力をざっと整理してみよう」


 フェイルは、昨日アルマから聞いた話と先程マスターから聞いた情報を統合し、令嬢失踪事件に関わっている勢力をあらためて羊皮紙にまとめてみた。

 




1.傭兵ギルド【ラファイエット】の大隊長バルムンク=キュピリエ中心の勢力


2.傭兵ギルド【ウォレス】のアロンソ隊隊長アロンソ=カーライル中心の勢力


3.土賊アドゥリス中心の勢力


4.司祭ハイト=トマーシュ中心の勢力


5.傭兵ギルド【ウォレス】代表取締役クラウ=ソラス





「……他にも、昨日酒場にいた人達とか色々な面子が動いてるみたいだけど、特に注視すべき勢力はこの五つかな」


 まとめ終え、改めてその図のそれぞれの勢力を検証する。


 勢力1――――バルムンクとその部下で構成させた勢力は、ラファイエットとして動いている訳ではないようだが、それでも精鋭を揃えた強力な部隊。

 そして同時に、この勢力が最も多くの情報を得ていると、マスターは言っていた。


「恐らく、強力な支援者がいると思われます。ウエストと組んでいる可能性も否定できません」


 そのウエストに依頼を受けているフェイルも、それには同意した。


 この諜報組織は、独自でも動きつつ様々な別組織にラインを伸ばし、それぞれに情報を流す事で、多数の人員を確保していると判断すべき。

 個人で力もないフェイルに特別な肩入れをするとは考え辛く、他の契約先を本命としているのは明らかで、今以上のサポートは期待出来ない。


 逆に、最有力の取引先と思われるラファイエットには、より多くの情報を流していると考えられる。

 最も令嬢救出に近いのは、この勢力に他ならない。


「上等よ……絶対にコイツ等より早く貴族の子を助けてやろうじゃない。で、バルムンク以外の連中の中では、何処と組むのが一番望ましいの?」


 キリキリと歯軋りをしつつ、フランベルジュはやる気を見せているが――――


「難しいところです」


 逆にファルシオンはキリキリと音を立てそうなくらいに頭を抑えていた。


 勢力2――――アロンソ=カーライルを中心とした集団は、バルムンク部隊より戦力は劣るが、情報戦では負けていないらしい。

 ウエストとは違う情報源、或いは支援者が存在している可能性が高い。

 指揮を執っているアロンソ個人の人脈という事も考えられ、独自のルートで情報を得ているとすれば、バルムンクに対抗する上で心強い協力者になり得る――――が、顔見知りがいないので接触が極めて難しい。


 土賊は論外。

 昨日の様子を見る限り、とても組めるような連中ではない。


 クラウ=ソラスはアロンソ隊とは別に、またウォレスとして動いている訳でもなく、単独で捜査を行っているという。

 ギルドの代表者が一人で失踪した令嬢を探すなど普通では考えられないが、フェイルは以前夜の街で彼が単独行動をしていた場面に出くわしていた為、それほど違和感を覚えなかった。

 とはいえ、やはり組むには怪し過ぎる相手だし、そもそもマスターも彼の進展具合は全く把握していないらしい。


「……」


 アルマに所在を聞くも、首は横にふるふると振られた。


「なーんだ。じゃ、勢力4の一択じゃないの。フェイル、前にいたあの司祭と知り合いなんでしょ?」


「うん……まあ、そうなんだけど」


 実際、この勢力図の中では最も接しやすくはある。

 パーティーにアランテス教を信仰する魔術士がいる事も、それを後押しする材料となるだろう。


 ただ――――フェイルは昨日のハイトの発言が気になっていた。


『尤も、ここでの私は司祭ではありませんが』


 このメトロ・ノームでは、それがまかり通っている。

 つまり、教会の人間が必ずしも教会のパイプを使っているとは限らない。


 では、何故こんな地下まで訪れ、令嬢を助けようとしているのか?

 そもそも――――本当にそれが目的なのか?

 この五つの勢力の中で、一番行動の真意が読み辛い、厄介な存在だ。


「フェイルさんが躊躇うのも当然です。得体の知れない部分は否定出来ませんから」


 それを察してか、ファルシオンがフォローを入れる。


「とはいえ、教会関係者として動いていても、仮にそうでなくても、所有している情報には期待出来ます。ギルドと協会は通常接触を禁じられていますが、ここではその縛りもありませんから」


 つまり、教会の情報網とギルドの情報を一括出来る存在。

 リスクはあるが、相応の魅力もある。


「平行線ね。それじゃ、いつも通りリーダーにお任せって事にしましょうか」


 そんな中、唐突にフランベルジュが決定権を特定した。

 その『いつも通り』に含まれていないフェイルは、思わず首を捻る。


「リーダー? 誰が?」


「決まってるじゃない。私達のリーダーは勿論、勇者よ」


 リオグランテに、四人の視線が集まる。


「ぼ、僕ですか?」


「今までも私とファルで意見が分かれた時は、最終的に貴方が決めてたでしょ? 今回も同じ。さ、早く決めて。何処に話を持ちかけるか」


 殆ど何もしてなかった勇者に、命運は預けられた。

 それを預けるファルシオンとフランベルジュに投げやりな態度は一切ない。

 信頼――――とは少し違うかもしれないが、似たようなものを寄せているのかもしれないとフェイルは感じ、この三人の関係性を少し理解した。


「そ、それじゃ……この人達なんてどうでしょう?」


 恐る恐る、リオグランテが指したそれは――――


 意外にも、アロンソを中心とした勢力2だった。



「……また、随分と脈絡のないトコロを選んだものね」


「らしい選択かと」


 フランベルジュは失笑、ファルシオンは真顔で顔を見合わせる。

『またか』と言わんばかりに。


「えっと……理由を聞いても良い?」


「はい。勘です」


「か、勘?」


 唯一不安を隠せないでいるフェイルに、リオグランテは堂々と頷いてみせた。


「昨日見かけただけなんですけど、あの司祭の人はちょっと怖い印象を受けたんですよね。よくわからないですが……兎に角、怖かったんです。それと、クラウって人は見つけるのも無理そうだし」


「怖い……か」


 リオグランテの示した理由は、まるで子供の発言のようだった。


 感覚に特化したそれは、確かに勘なのかもしれない。

 そして、それだけに――――本質を見抜いている可能性があった。


 日常の中でハイトと接しているフェイルは、それを否定する事は出来る。

 しかしこの世界では、そんな日常の中の人物像がそのまま当てはまるとは限らない。

 先入観が仇となるケースは決して少なくない。


「良いかもしれません。確かこの勢力は『ウォレスに拘らない独自の部隊』とアルマさんは言っていましたよね?」


 確認するファルシオンに、アルマはコクンと頷いた。

 アルマがウォレスのギルド員を全員把握している訳ではないだろうから、そういう説明をアロンソかその仲間から聞いたと思われる。


「身内意識が小さいのなら、私達が入り込む余地があるかもしれません」


 その補足は、事実上の方向性の決定を意味した。


 ウォレス所属アロンソ=カーライル――――その名前がフェイルの目に焼き付く。

 名前を聞いた事は、この地下に入るまで一度もなかった。


 どの程度の人物で、現在何処まで真相に近付いているのか。


「マスター、アロンソって人の事、詳しく教えてくれない?」


 それを探るべく、フランベルジュが質問を投げ掛ける。

 しかし、その回答を彼が話す事はなく――――


「それなら、俺より向こうの客に聞く方が早いと思うぜ。その勢力の一員だからな」


 寧ろ、より有難い情報を掲示してくれた。

 最も難易度が高いと思われた接点の生み出し方を考える暇もなく、それが現れたのだから。


「ね。凄いでしょ? もし勇者に幸運の加護が必要だったら、間違いなくこの子はその候補筆頭よ」


 異常な幸運に目を丸くするフェイルに対し、フランベルジュはリオグランテの頭に手を置きつつ、したり顔を見せていた。

 実際、御伽噺の勇者はこのような幸運を何度も掴んでいる。

 それを現実にしてみせた彼が、フェイルの目には輝いているように映った。


「運が良いのは結構だけどな」


 刹那。


 そんな勇者一行の後ろ――――今しがたマスターが顎で指した方向から、席を立つ音が聞こえて来た。

『勢力の一員』というその男に会話を聞かれていたらしい。

 あくまで例え話という体だった為、勇者候補だと特定されるまでの発言ではなかったが、フランベルジュは露骨に失態を犯したと言わんばかりの顔を見せていた。


「その手の会話はもっと小声でした方がいいぜ。誰が聞いてるか、わかったもんじゃねー」


 そして、カウンター席の方へ近付いてくる。

 勇者一行が微かな緊張を帯びる中――――フェイルだけは、全く違う顔で振り向いた。


 何故なら。

 その声、その姿――――いずれにも覚えがあったからだ。


 この地下で会った人間ではない。

 地上で幾度となく対峙した男。


「……ハル?」


「おう。結構久し振りだな」


 信じ難いその縁に、フェイルは思わず顔をしかめながら、間近まで来た剣士の肩を竦めた姿を眺めていた――――



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