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第3章:メトロ・ノーム(15)

 メトロ・ノームに空はない。

 星もなければ草木もない。

 月明かりも虫の鳴き声も存在しない。


 深く狡猾な闇に覆われた夜は、驚くほどの静寂に包まれている。

 それ故の、荒野の牢獄。

 地上の夜とは根本的に在り方が異なっていた。


「では、これより第一回『貴族令嬢囲い込み作戦会議』を行います」


 そんな深淵の闇をまとう石造りの家で、ファルシオンが普段と何ら変わらない口調で会議開始を宣言した。

 家主のアルマが水桶から汲んだ水を沸かす為、火打ち金を使って火を起こそうと何度もトライしている。


 魔術士なら、魔術で火を点ければ良い――――と思われがちだが、それは現実的ではない。


 魔術によって火を出力させる事は難しくない。

 ただ、魔術の炎はあくまでも擬似的なものであって、実際の炎とは性質が異なる。


 燃え移ったからといって、普通の炎と同じ炎になる訳ではなく、魔力の供給がなければ早々に消えてしまう。

 その為、このエチェベリアは勿論、例え魔術国家デ・ラ・ペーニャであっても、火を起こすのは火打ち金や火打ち石の役目。

 いちいち点け直すのが面倒な為、就寝まで火種を絶やさずにいるのが一般的だが、アルマは調理の度に火を消すようにしているらしい。

  

「会議って言っても、手がかりはこのメトロ・ノームに囲い込み対象のリッツ嬢がいる、くらいのものですが」


「ほぼ手詰まりだよね……」


 部屋の居間で、固まるでもなく点在するでもなく、微妙な距離を取ってそれぞれが寝転んだり座ったりする中で、フェイルは悲観を口にした。


「余りに情報が不足している状態です。リッツ嬢の身柄を確保しようとする勢力はかなり多いのですが、その勢力についても完全には把握出来ていません」


「競争相手の事より、リッツって女の子が何処にいるのか調べるのが先でしょ?」


 まだ少し険の残る顔で、フランベルジュが異議を唱える。

 それに対し、フェイルとファルシオンは同時に首を横へ振った。


「事態はそんなに単純じゃない、みたいだね」


 そこへ、アルマがトレイを持って現れた。


「昨日の段階で、各ギルドと教会、個人の賞金稼ぎが忙しなく動いてるみたいだよ。こんなにここが騒がしいのは、久し振りなんじゃないかな」


「各ギルド……ね。ここって地上での柵がなくなる場所じゃなかったの? ギルドの連中は、ここでもギルドの所属員として動いてるって事?」


 そのアルマに、フランベルジュがトレイに乗ったお茶を受け取りながら問う。

 余り人を招いている様子はなかったが、白磁のカップは全て綺麗だった。

 

「きっとそうなんだろうね。柵がないからといって、柵を持ち込んではいけないって訳じゃないから」


 つまり――――ギルド所属なのを無理に隠す必要がない人間は、このメトロ・ノームにおいて地上での立場を敢えて捨てる必要もない。

 それは教会の司祭ハイト=トマーシュに対してフェイルが行った推測を根底から覆す意見だった。


「そっか……自由って要はそういう事だよね」


 地上の柵を持ち込まずに過ごすのを許される場所――――それを耳にした時、フェイルには『柵を嫌う人間が集う場所』という先入観を抱いた。

 立場や人間関係を破棄して、自分が本当にしたい事、すべき事をする為にこの地下を訪れると。


 だが、実際にはそうとは限らない。

 例えば、先程酒場に現れたバルムンク。

 ラファイエットの大隊長と言う立場にいながら、彼が先程この地下を訪れた目的は、間違いなく――――アルマに対して良い格好をしたかったからだ。


 これほどの立場の人間が、極めて私的な目的で動いている。

 スコールズ家のお嬢様が失踪していて、それを追っている最中のギルドの代表が。

 こうなってくると、メトロ・ノームにいる人間の行動理念をその立場から推測するのはかなり難しくなってくる。


「手掛かりがない事以上に厄介な問題です」


 ファルシオンもその現状を十分に理解しており、半眼で嘆息を落とした。


「あんまり複雑に考えすぎじゃない? 要は迷子の女の子を見つけて、その娘の家に連れて行けば良いんでしょ?」


 一方、フランベルジュは単純論を繰り返す。

 尚、本来はその方向性を支持すると思われるリオグランテは既に就寝体勢を整えていた。


「うん。それで何も問題はないよ。もし貴女が誰にでも勝てるのなら、だけどね」


「……」


 アルマの物言いに毒気は一切ない。

 だが、宿敵と位置付けた相手に気圧され何も出来なかった今日のフランベルジュにはかなり堪えたらしく、眉間を押さえて俯いてしまった。


「此方、何か悪い事言ったかな?」


「いえ。私が言い難い事実を軽快に発言してくれたので、寧ろ感謝しています」


 そして、割とフランベルジュに手厳しいファルシオンは、アルマの発言を全面的に歓迎した。


 実際――――これだけ競合相手がいる状況で、単純に目標を追うだけでは到底上手くいかない。

 情報収集能力、地の利、戦闘能力、経済力、人員数……あらゆる面で劣っているのだから。


「もし、この状況で私達に優位性を見出すとすれば……」


 その言葉を続ける前に、ファルシオンはアルマに向けていた視線を固定した。

 つまり、その視線の先がそのまま答えに当て嵌まる。


「力添え、して頂けないでしょうか? 出来る限りの御礼はします」


「良いよ」


 二つ返事。

 フェイルは余りに話がわかり過ぎる管理人に対し、疑念の眼差しを向けざるを得なかった。


「……大丈夫なの? この地下を管理してる立場なんだよね?」


「此方の意思で、ね。ここはそういう場所だから」


 ――――そう。


 この場所に規律がないのなら、管理する人間が平等を保つ必要もない。

 それはフェイルも十分に理解している。


「でも、それで他の人から糾弾されたり、アルマさんの印象を悪化させたりする事態になったらダメだよ」


 ただ、それはあくまでもこの地下の風習。

 自由である事が前提なのと、個人の行動に対し周囲が抱く感情の間に、因果関係は存在しない。


 アルマが勇者一行に手を貸したとして、それを『個人の自由』だと笑って尊重する人間ばかりとは限らない。

 そこに悪感情を抱いたとしても、それもまた自由なのだから。


 もしそうなったら、フェイルにとっては不本意極まりない。

 彼自身、勇者一向に多大な迷惑をかけられた結果、ここにいる。

 その上でアルマに迷惑を掛けるとなると、負の連鎖と言う他なく、極めて無責任だ。


 ――――他人にされた迷惑を他の他人に返すな。


 フェイルは昔、育ての親からそう言われた事がある。

 決して口数の多い親ではなかった為、一つ一つの言葉を今もよく覚えていた。


「心配ないよ。此方の事は」


 だが、そんな背景など知る由もないアルマの返答は実に簡易な言葉だった。

 それが何の根拠に基づくものかはフェイルにはわからないが、当人があっけらかんとそう言っている以上、二の句を繋ぎようがない。


「そもそも、この界隈に来る人達は此方に助力を求めるほど困っていないしね。良くも悪くも、地に足が付いた人達だから」


「……それは、そうかもしれないけど」


「当人が良いと言っているんですから、良いと思いますよ」


 煮え切らないフェイルを、ファルシオンが柔らかい口調で諭す。

 実際、それしか手はない――――その双眸には、そんな切迫した色が見えた。


「フランはそれで良いですか?」


「……不本意だけど、言い返す材料もないしね。力添え、お願い」


 若干拗ねた目をしていたものの、フランベルジュも自分の希望を優先させる状況にないと自覚しているようで、小さく頭を下げる。

 それを、アルマは少し落ち着かない様子で眺めていた。

 余り頭を下げられた経験がないらしい。


「それじゃ取り敢えず、この件に関与してる組織の勢力を整理してみよう」


 そう纏めたフェイルに、周囲の女性三人が各々の深さで頷く。

 全員、リオグランテが熟睡しているのを特に気にも留めていない様子だった。


「アルマさん。わかる範囲で構わないから、スコールズ家の令嬢を追っている連中を羅列して貰えないかな?」


「いいよ。図にした方がわかりやすいかな」


 管理人であるアルマは、必然的に多くの人間と接する為、意識せずとも情報は入ってくる。

 ファルシオンが彼女に期待したのは、まさにそれだった。


 夜も更けてくる中、アルマは先刻フェイルから受け取った羽根ペンと新たな羊皮紙を持ってきて、勢力図を描き始めた。


「……」


 結果、世にも不気味な蜘蛛を俯瞰して見ているような絵が完成した。


「地図どころか図もダメなのか……」


「そ、そんな事ないよ。これはその、下書きだよ。ちょっと失敗したけどね」


 明らかに強力な毒を持ってると思われる蜘蛛が丸められ、ゴミ箱へ投げられる。

 そして、顔を引き締めて再度羊皮紙と格闘。


 結果――――


「……」


 蜘蛛の巣に引っかかったマンドラゴラが断末魔の声をあげている光景が克明に描写された絵が完成した。


「ど、どうして……こうなるの?」


「確か、勢力図を書いていた筈ですが……何者かが介入して意識を混濁させた……? だとしたら相当特殊な攻撃に分類されます」


 勇者リオグランテの奇行に慣れたフランベルジュとファルシオンの両名も、これには冷汗を禁じえない。

 

「……酷いよ」


 拗ねたアルマの目に、徐々に涙が溜まる。

 余りにも美しいその拗ね顔は、フェイルは勿論、同性の二人すら惑わせた。


「い、いや、その……よく見ればちゃんと纏まってる気がする。ね!」


「そ、そうね。じっと一点を眺めてみると、全体が紋様に見えるというか、芸術が爆発してる気がしない?」


「はい。これはトリックアートの一種かもしれません。上品さや荘厳さが滲み出ています」


 フォローは殆ど抽象的だったが、アルマはなんとか泣かずに済んだ。


「口で説明するよ」


 ただ、わかり難さは自覚したらしく、建設的な意見を力なく述べる。

 紆余曲折の末、説明は口頭にて行われる事となった。


 現在、貴族令嬢の身柄確保に尽力している組織は、傭兵ギルド【ウォレス】と【ラファイエット】、諜報ギルド【ウエスト】、アランテス教会の四つ。

 地上では官憲や自警団が必死に捜索しているが、このメトロ・ノームにおいては彼等の存在は確認されていない。

 ただ、組織ではなく個人の賞金稼ぎがスコールズ家からの報奨金および貴族への貸しを目的に、数人ほど動いている。


 ここで厄介なのが、ギルドの内外における相関だ。


 地上であれば、それは非常にわかりやすい構図となっている。

 商売敵同士であるウォレスとラファイエットは当然敵対し、ウエストはその双方をお得意様としていて情報を提供している。


 教会は名目上、ギルドと密接な関係を築くのは許されていないが、魔術士のギルド派遣は珍しくなく、蜜月の仲なのは周知の事実。

 ただ、魔術国家である隣国デ・ラ・ペーニャほど魔術士の権力や質が高くないこのエチェベリアにおいて、教会の影響力もまた、それほど強くはない。

 信者の数も、ヴァレロン新市街地においては然程多くはなく、その普及活動としてギルドをプロパガンダに利用する一方、各ギルドに対して上納金を収めたり、デ・ラ・ペーニャの各勢力との仲を取り持ったりして、一定の地位を守っているのが現状だ。


 よって、敵対するウォレスとラファイエットを軸に、それぞれの組織が持ちつ持たれつの関係を築いている。


 だが、この図式は必ずしもメトロ・ノーム内では適用出来ない。

 例えば、利害が一致していれば、ウォレスのギルド員とラファイエットのギルド員が手を組んでいる場合もあるし、教会の人間がギルド員を部下にしている場合もあるだろう。


 アルマは、メトロ・ノーム内における相関を、数十人の名前を挙げて説明した。


「最大勢力は、キュピリエさんが中心の部隊だね。彼を慕う人は多いんだよ。ラファイエットの中隊長二人とウォレスの副隊長、あとウエストの諜報員、フリーランスの魔術士も加担してるかな。それに次ぐ勢力がウォレスのアロンソ隊隊長、アロンソ=カーライルさんの率いる部隊。ギルド員と、それとは別に独自で人員を集めて動いてるみたい。そして土賊。さっき酒場を襲った連中だね」


「彼らも侮れませんね。ラファイエットの大隊長に一蹴されたとは言え、リーダー格の男はかなりの使い手でした」


「大した事ないんじゃない? あんなヤツ」


 半眼で露骨に強がる女性剣士に対し、フェイルは思わず苦笑を漏らす。

 それに目聡く気付き、目付きを鋭くして怒りを顕にしたフランベルジュだったが、今の自分が激昂する意味を噛みしめたのか、結局何も言わずそっぽを向いた。


「ウォレスの代表はここの住民ではないのですか?」


「いるよ。ただ、彼は単独でしか動かないみたいだね。だから、動きが把握し難いみだいだね」


「成程……厄介ですね」


 ファルシオンは、アルマの発言を逐一メモし、綺麗な相関図を描いていた。

 その様子に嫉妬のようなものを抱いたのか、アルマの表情の雲行きが若干怪しかったが――――取り敢えず競合相手に関する最低限の情報は入手出来た。


「この人達から有益な情報を引き出せるかどうかが鍵だね。各勢力とも未だ何の進展もなし、って事はないだろうし」


「はい。恐らく最も有益な情報を握っているのは……この二人です」


 ファルシオンは、自ら書いた相関図の中の二つの名前を円で囲んだ。


 ウォレス代表、クラウ=ソラス。


 そして、もう一人――――


「この人なら、割と頻繁に酒場にいるから、そこで待ってると会えると思うよ。話を聞いてみれば良いんじゃないかな」


「ええ、そうしてみます」


 実のある会議が出来た事に、ファルシオンは満足げだ。


「終わった? それじゃ、次の話題に移っても良いかしら」


 そんな納得顔を視界に納め、フランベルジュが突然切り出す。

 そして、その視線をフェイルの方へと移した。


「それじゃ説明して貰いましょうか、フェイル=ノート。貴方の素性を」



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