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第3章:メトロ・ノーム(14)

 酒場【ヴァン】の雰囲気は、この数十分の間に二転三転し、混沌の様相を呈していた。

 そんな中でも終始毅然とした態度を見せていたマスターは、バルムンクの不遜な笑顔を見て、大きく安堵の息を吐く。

 両者の関係性を雄弁に語る一瞬だった。


「思ったより早かったな。助かった」


「褒めるなら、俺を呼びに来た若造だ。かなりムリしてたぜ。まっ、そこまでするほどのトラブルじゃなかったようだが……」


 一方、駆けつけるや否や三人もの土賊の連中をあっという間に吹き飛ばしたバルムンクは、早々に別のところへ関心を移した。

 無造作に周囲を見渡したのち、破顔一笑。


「その分、面白ぇメンツが揃ってるじゃねぇか」


 豪快という言葉が良く似合う立ち姿に、フェイルは自分の目がいつの間にか鋭くなっている事を自覚した。


 一度目の邂逅の際に全身で浴びた圧力は影を潜めており、気圧されるような迫力は感じない。

 だが、この眼前の男が敵意を示した時、果たしてまともに正対する事が出来るのか。

 そんな心配すらしなくてはならないほど、バルムンクの放つ圧力は常軌を逸している。


 果たして、これ以上の純粋な力を持った人間が何人、王宮にいるのか?

 エチェベリアの誇る最強の騎士団【銀朱】であっても、せいぜい二人――――つまりは国内でも最高峰の実力の持ち主。

 それほど、フェイルはバルムンクの力を高く見積もっていた。


「……ようやくお出まし、ね」


 そんな悪魔のような男の出現を待ち望んでいた女性剣士が、ポツリと呟く。

 それは、歓喜――――とは程遠い声色だった。


 フランベルジュは明らかに平常心を失くしている。

 顔中を冷や汗で濡らしていると形容しても、決して過剰ではないくらいに。


「さて。残りはテメェ一人だが……どうする?」


 その視線の先にいるバルムンクは、一通り状況を確認し、自分が叩き倒した三つの背中をつまらなそうに見下ろした。

 次に、土賊の弓使いへと視界を移す。

 悠然としながらも、先程よりは目を光らせて。


「当然、降参だ。一介の弓使いが世界有数の剣豪相手に出来る事など何もない」


「一介……ね。とてもそうは見えねぇがな。少なくとも、そこに転がってる連中よりは使えそうだぜ?」


「買い被りだ」


 降伏宣言を受け、バルムンクは再び視線を移動させる。

 そして、次に向かう先は――――


「で、こっちにも弓使いか。どうだ? ウチのギルドに入る気になったか?」


 まだ五体満足のバケモノやオカマでも、そして勇者一行でもなく、フェイルだった。


 その事実に、そして言葉の内容に、フランベルジュの顔色が変わる。


「どういう……事?」


「……」


 答えに困窮するフェイルに対し、勇者一行の残り二人の視線も重なる。

 それを好機と見たのか、バケモノとオカマは物言わず巨体を揺すり、全力疾走を開始。

 慌てふためきながら逃げ去った。


「アイツら、確か偽紳士野郎ンとこの……何でこんなトコいんだ? ま、別に良いケドよ。弱ぇヤツにゃ用はねぇしな」


「つまり私もあの連中と同じ扱いって訳? さっきから随分露骨に無視してくれてるけど。それとも私の事は覚えてもいないの?」


 俯きながら、フランベルジュが呟く。

 その声は、聞かせるつもりだったのか、独り言だったのか、判断が難しい音量。

 ただバルムンクには聞こえたらしく、そこで初めてフランベルジュに顔を向けた。


「ンなこたぁ言ってねぇけどよ。俺は、ビビったヤツにゃもう用はねぇのよ」


「!」


 それは逆鱗に触れる言葉。

 長い金髪が逆立ちそうなほど、フランベルジュの身体から怒気が溢れ出す。

 仲間のリオグランテやファルシオンすらも目を見開くほどの。


 しかし――――


「止めときな。粋がる分にゃ幾らでも見逃してやる。が……」


 バルムンクは眉一つ動かさず、その様子を寧ろ愛でるような眼差しで眺めている。

 そして、刹那。


「懐に飛び込んでくる相手にゃ加減は出来ねぇ性質だ、俺は」


 膨張した圧力が恐ろしい速度で周囲を取り囲み、まるで海の中に沈んだような重苦しさを生んだ。


 特に何かをした訳ではない。

 単なる殺気。

 それが、表現手段どころか攻撃手段として成立している。


「……!」


 我を忘れそうなほど怒りを覚えていたフランベルジュが、即座に身を竦ませる。

 無言のバルムンクは、それでも『次元が違う』と訴えかけていた。


「フランさん……ダメです。この人は怖い……怖いです。戦っちゃダメです……」


 そして、良くも悪くもお気楽さが取り得だったリオグランテすら、首を何度も降り、停戦を促す。

 ファルシオンも、呼吸を乱して戦慄を顕にしていた。


「それでいいぜ。怖がるのは、正しい危機管理能力と生存本能を持ってる証拠だ。それが麻痺してりゃ、生き残れるものも生き残れねぇ。そこのバカみてぇにな」


 笑みながら、バルムンクは視線で一人の男を指す。

 その先にあるのは――――目を血走らせて立ち上がるアドゥリスの姿。


「バルムンクゥ……」


「まだこんな事してやがるのか。それとも、新しいボスにでも巡り会えたか?」


「うるせぇ! 卑怯だぞテメー! 後ろから不意打ちしやがって! クソが! クソが! クソが! テメーはいつもそうだ! いつもそうやって、美味しい所だけを取っていきやがる!」


 それは先刻のフランベルジュに匹敵する、或いはそれ以上の取り乱し様だった。


「喚くんじゃねぇよ。大きな声は嫌いなんだよ俺は」


「うるせぇ喋るなクソボケカスがぁ! 見てろ! 貴族のガキ捕まえて、オレぁ成り上がってやる! テメーを超える為にな! おい、いつまで寝てんだ! ここにゃガキはいねぇ! 別のトコ探すぞ!」


 そして、その勢いのまま魔術士二人をムリヤリ引き起こし、弓使いに視線を向ける。


「……行くぞ」


「わかった」


 その小さな声のやり取りを最後に、土賊は全員、酒場から退散した。

 嵐が去ったのを確認し、マスターは巨顔を揺らしてバルムンクに向け肩を竦める。


「いつも済まないな」


「ここは良い酒場だ。落ち着いて飲めるし、何よりマスターが話せる奴だからな。それに引き替え、上にゃロクなトコがねぇ。潰されたらこっちが困んだよ」


 そして、再び高笑い。

 その様子をフェイルは意外な心持ちで眺めていた。


 相変わらず覇王のような気を発してはいるが、上で感じたような禍々しさは、ここではまだ一度も発揮していない。

 単に抑えているのか、それともメトロ・ノームという場所、そしてこの酒場がそうさせているのか。


 その答えは、直ぐに明らかになった。


「……お、おお。誰かと思えば、管理人ちゃんじゃねぇか。ひ、久し振りだな」


 突然――――何の予告もなしにバルムンクの語調が変わる。

 何処か緊張したような、はにかむような声。

 フェイルや勇者一行は、彼の登場時以上に驚愕を覚えたが、その一方でマスターやハイトら他の客、そしてその声を向けられたアルマは特に驚く様子もなく、そんな変化を自然体で眺めていた。


「そうだね。最近、見てなかった気がするよ。元気にしてたのかな?」


「お、おうっ。そりゃもう、アレだ。アレ……アレだ」


 言葉すらまともに出て来ず、情緒不安定な様子で首を小刻みに動かす姿は、小鳥にさえ見える。

 そしてその顔は、アルコールを大量に摂取したかのように紅い。


 誰が見ても、明らか。

 これ以上わかりやすい事はないというくらい――――バルムンクはアルマに対して好意を示していた。


「……道理で、ラファイエットの大隊長が全力で駆けつけてくる訳だ」


 フェイルは嘆息を禁じえず、思わず最寄の椅子に腰を下ろした。 


 何の事はない。

 カッコ付けたかったのだろう。

 呼びに行った若者に『アルマさんが来ています。チャンスですよ』とでも言われたのは明白だった。


「ところで、キュピリエさん」


「バルムンクって名前で呼んでくれって言ってるだろ? いや、それより"バルちゃん"の方が……いや、すまねぇ。今のは忘れてくれ」


「本当に、ここにスコールズ家のお嬢様が来てるの?」


 バルムンクの提案を無視し、アルマが聞いた質問に――――


「本当です」


 それまで沈静を保っていたハイトが口を開く。

 ただ、その沈黙は怯えていた訳でも、臆していた訳でもない。

 彼もまた、先程の騒動の際に全く動揺を見せていなかった。


「どうやら、何者かがリッツ様をこのメトロ・ノームへ誘ったようですね。無理矢理連れ出したのか、彼女の要求に応じて連れて来たのか、それは定かではありませんが」


「あ、テメー。俺の台詞盗んじゃねぇよ」


 アルマの質問に自分で答えたかったのか、バルムンクが気持ち悪い非難をする中、そのアルマは肯定されたことを受け、思案顔を作り始めた。

 何か思い至る事があるらしい。


「やっぱり、本当にここに来てたんですねー」


「はい。どうやら正解だったようです」


 情報元が余り信用出来ないものだったのか、リオグランテとファルシオンはここでようやくホッと胸を撫で下ろしている。

 一方、その隣でフランベルジュは未だ歯痒さと格闘していた。

 傷つけられた誇りが大量出血するかのように、彼女の顔色を悪くしている。 


「ウチの連中も捜査中だぜ。俺等だけじゃなく、他所もな。あの家に貸しを作るのは、この街で伸し上がるにゃ一番手っ取り早ぇからな」


 他所。

 その言葉がウォレスやウエストといった他のギルドを指しているのは明白だった。


 尤も、フェイルがウエストに依頼されている事は知る由もないが――――


「って訳で、俺等の捜索の邪魔をするってんなら容赦はしねぇ。覚悟しておくんだな。そこの優男も、そしてテメーもな」


 バルムンクはハイトと、そしてフェイルに脅迫の混在した忠告を発し、最後にアルマへ小声で別れの言葉を述べ、揚々と引き上げて行った。


 残された面々は、荒らされた酒場にそれぞれ視線を向け、黙って片付けを始める。

 この場で唯一免除されるべき立役者は、もうこの場にはいない。

 

「……ここまで不様を晒すなんてね」


 そんな中、フランベルジュだけは動き出せず、その場に立ち尽くしていた。


「余り気に病む事はない。あの男はヴァレロン……いや、エチェベリア国内でも最高峰の使い手だ。目標にはしても、敵視すべきではない」


 その背後から、客の剣士が話しかける。

 この男もフランベルジュ同様、殆ど存在感を示せなかった現実に少なからず屈辱感を抱いているらしく、諦観した物言いとは裏腹に、渋い顔をしていた。


「闘り合う前から白旗なんて、冗談じゃないってのよ」


「強気だな。が、あの男に睨まれてそう言えるのは大したものだ。俺の名はフライ=エンロール。機会があれば、一度剣を合わせよう」


 それでも、最後には口の端を無理矢理釣り上げ、フライと名乗った男は片付けを再開した。

 その直後――――


「手伝いありがとう。椅子を元に戻してくれたら、後はこちらでやる。ただし今日はお開きにさせてくれ。割られた酒の補充をしなくてはならん」


 マスターは皆にそう告げ、巨体を揺すりながら入り口の札を『準備中』へと変える。

 反論する理由などある筈もなく、酒場に無数の足音が響き渡る。

 その帰り際、フェイルは弓使いの男に借りた弓を差し出し、小さく頭を下げた。


「弓矢、ありがとうございました。助かりました」


「いや……君はスゴいな。同じ弓使いとして尊敬するよ。あのような真似はとても出来ない」


 最大限の賛美を受け、フェイルは頬を指で掻きながら、逆の手で握手を交わす。


「僕はクロイツ。また会う機会があれば、弓について語り合おう」


「ええ、是非」


 一足先に、弓使いクロイツが去る。

 それを見送るフェイルの傍に、いつの間にかハイトが立っていた。


「驚きましたよ。まさかフェイルさんが凄腕の弓使いだったなんて」


「あれは偶然ですって。あんなの狙って出来る人はいませんよ」


 実際――――飛んでくる矢に矢を当てるなど不可能に近い。

 限りなく狭い的、すなわち『点』を狙うのは、弓をある程度極めた人間であれば可能。

 だが、動く点を、それも迫り来る点を狙う行為は、その難易度を遥か上へと設定しなくてはならない。


 狙ってはいた。

 しかし、上手くいったのは偶然と呼んで差し支えないくらいの確率を偶々引き当てただけだった。

 仮に外れても、弓を縦にして矢を防ぐ自信があった。


「それは兎も角……ハイト司祭も、貴族の子を探しに来たんですか?」


「ええ。迷える羊を導くのは教会の使命ですから。では、私はこれで」


 ここでは司祭ではない――――そう言った筈のハイトが、教会という言葉を使った意味は決して軽くない。

 教会に属しつつ、司祭という身分を破棄している。 

 この場におけるハイトの立ち位置は、つまるところそういう事だ。


 教会の中には『聖輦軍』と呼ばれる臨戦や工作を得意とした特殊部隊もある――――弓兵時代に聞いた話を、フェイルは遠い記憶の中から引っ張り出し、嘆息した。


 ハイトも去り、酒場の前には勇者一行とフェイル、そしてアルマのみが残る。

 そこでようやく、両者はまともに挨拶すらしていない事を思い出した。


「あ、えーっと、はじめまして! リオグランテ・ラ・デル・レイ・フライブール・クストディオ・パパドプーロス・ディ・コンスタンティン=レイネルって言います!」


「長い名前だね」


「良く言われます!」


 思わず脱力しそうになる両者の挨拶を苦笑しながら見守りつつ、、これからどうするかをフェイルは一人静かに考えていた。


 ウエストからの依頼がある以上、スコールズ家の娘リッツはどうしても自分が見つけ、身柄を確保しなくてはならない。

 だが、勇者一行と共に行動し見つけた場合、話はややこしくなる。


 弓の使い手としての自分を見せたのは、流れ上致し方なし。 

 だが、裏の仕事まで知られる訳にはいかない。 

 つまり、フェイルが自分の手柄だと主張する事は出来ない。


 そこまで思案したところで、フェイルはデルに告げられた依頼内容をあらためて克明に思い出した。


『その娘をどの組織より早く身柄確保して、スコールズ家に帰す。それが依頼だヨ』


 つまり、身柄をウエストに引き渡す必要はない。

 フェイルがスコールズ家に娘を返した時点で、ウエストの手柄である事はギルド側で証明するのだろう。

 事前に根回ししておけば、それほど難しい事ではない。

 

 それならば――――勇者一行と協力する事に支障はない。


「考えはまとまりましたか?」


 そんな頭の中を見透かしている訳ではないのだろうが――――思案に耽っていたフェイルの隣に、いつの間にかファルシオンが立っていた。


「一応ね。そっちは?」


「恐らく同じ結論だと思います。複数のギルドが競合する中、私達が個別に動いていては、余りにも旗色が悪いですから」


 ファルシオンは笑顔こそ見せないが、声をやや強くして同調を促す。

 彼女なりの、精一杯の意思表示だった。


「これは千載一遇の好機です。貴族の御令嬢を私達が見つけて家に返せば、借金返済は勿論、デ・ラ・ペーニャへの旅費も確保出来ると確信します」


「あ、やっぱりそういう話になるんだ」


「リオだけは別みたいですけど。勇者として、年齢の近い女性を助けるのは当然の事なんだそうです」


「立派な志だけど……」


 それを実現出来るだけの地力は、まだまだ付いていない。

 尤も、それはここにいる全員に言える事。

 そして、その不足を最も嘆いているフランベルジュは、ムスッとした顔で腕組みしながら遠くを見ていた。


「フェイルさーん! 今日はアルマさんの家に泊まって行っても良い、って言ってくれてますけど、どうしますー?」


「え……良いの?」


 管理人という立場上、特定の住民に対してそこまで親身になるのは意外だった。

 尤も、この酒場までわざわざ案内した時点で、その理論は破綻しているのだが――――


「別に良いよ。家に他人を泊めるなんて凄く久し振りだから、ちょっと楽しみかな」


 実際、アルマは薄く笑み、その美しい容貌を小さく揺らしていた。


 斯くして。

 フェイルと勇者一行は、アルマの家で世話になりつつ今後の方針を練る事となった。

 

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