第3章:メトロ・ノーム(13)
けたたましい咆哮と共に、酒場【ヴァン】の扉が蹴り上げられる。
侵入して来た連中は、総勢六名。
そして――――その中の二名に、フェイル達は見覚えがあった。
「……どんな強敵が現れるのかと思えば」
明らかに浮いている、そして目立っているその二人を視界に納めた瞬間、フランベルジュの士気が急激に落ちる。
無理もない話ではあった。
巨体を揺すりながら、先陣を切って意気揚々と乗り込んできたその二人とは――――それぞれハルとフランベルジュを相手に薬草店【ノート】内で大暴れし、一悶着を起こしたあの巨体のゴロツキ共だったからだ。
しかも、今回は別々ではなく並んで立っている。
更に不快指数が増すのは言うまでもない。
「あちら様も知り合いなのかな?」
アルマの声に、フェイルは暫し考え、考え、考え――――
「えっと……名前、覚えてる人」
挙手を促す声を発したが、反応するパーティメンバーはゼロ。
紹介しようがなかった。
仕方ないので、記憶の糸を辿り説明を始める。
「えっと、僕のお店で大暴れした挙句に壊した物を弁償せずに逃げ出した二名……とでも言えばいいのかな」
「それは可哀想だね」
果たしてどちらに同情したのか、アルマの言葉には重要な目的語が抜けていたのでわからなかったが――――フェイルは敢えて気にせず、名前も思い出せない巨体の二人にその視線を向けた。
「フッフッフ……聞きたい事があるゥんだが」
「この酒場にちっちゃい女のガキが来なかったァ? どーなの? どーなの? どおおおおなのよおおおおぉぉぉぉ!」
相変わらず頭の悪そうな物言いと、オカマ丸出しの口調。
その内の後者のみ面識のある勇者一行は、リオグランテ以外苦虫をかみ殺したような顔で、深い深い嘆息を吐き出していた。
アルマが目をパチクリさせ、その様子を眺めている。
怖がっている様子は微塵もない。
「その様子だと、あの両人はそんなに大した使い手じゃないみたいだね。見た事なかったから、体型で怖い人達だと思ったけど」
「ん、まあ……そっちの女性剣士さんが手玉に取れるくらいだったかな」
フェイルは答えるのと同時に、その視線を『巨体のマスターに因縁をつけている巨体の二人』という極めて暑苦しい場面から、そんなむさ苦しい様子を遠巻きに眺めている残りの連中へと移動させた。
問題はこの四名の戦力。
勇者一行は、以前あっさり退けたオカマがいる時点で、この残りの連中――――土賊達も大した実力はないと判断しているようで、明らかに緊張感が目減りしている。
「……」
一方、フェイルにはそこまで楽観視する事は出来ず、土賊と呼ばれている連中を洞察すべく注視を続けた。
最初に扉を蹴破った男は、髪を立て、額にバンダナを巻いている。
細身の身体だが、筋肉がない訳ではなく、しなやかさが際立っている。
得物は腰に差したナイフが濃厚だ。
そのすぐ後ろに、二人のローブを身にまとった人物が立っている。
共にフードで目の辺りを覆っているが、どちらも男である事は明白。
ローブは魔術士の正装ともいえる服なので、魔術士なのは間違いない。
双方共に杖型の魔具は持っておらず、指輪型の魔具を装着していると思われる。
そんな魔術士達の右隣には、中肉中背の男が一人。
その背には――――弓を背負っていた。
「……」
弓使いと思われるその男は、フェイルに視線を向けて来る。
短髪で目つきがかなり鋭く、その佇まいには独特の雰囲気がある。
狩猟者としての張り詰めた空気。
狙撃者としての鋭利な空気。
それは弓に"選ばれた"者だけが発する事の出来る気質だった。
フェイルは、無意識に弓を握っていた手に力が篭っている事を自覚した。
――――僕はあの男より上なのか? 下なのか?
薬草士ならば決して生まれる筈のない疑問。
それが脳を回り、離れない。
そんなフェイルの様子を、アルマは不思議そうに眺めていた。
「親分さんよォォォォ! ここにゃいねぇってよォォォ!」
「どうるすのォ? もうここ、やっちゃう?」
マスターとのやり取りでは埒が明かないと判断したのか、化物のような男と妖怪のようなオカマが揃ってバンダナの男に目を向ける。
その男がリーダーなのは明白だ。
「ったく、相変わらず血の気が多いなテメー等は。ま、そこだけが取り得なんだけどよ」
そのリーダー格の男は屈託なく笑ったかと思うと――――
「んじゃ、念の為に探させて貰うぜ。その棚の裏も、な」
まるで舌を出すような、余りに自然で瞬時の所作で"何か"を投じた。
「!」
フェイルは瞬時に弓を構える。
余りにその投擲が鮮やかだった為、反射的に身体が反応していた。
同時に――――最早これ以上自分を隠す事は不可能だと、その瞬間に悟る。
勇者一行に対し、弓兵だった頃の自分を見せるのは依然として好ましくはない。
まして、裏の仕事が休業中だった頃とは違い、今は依頼主を変え新たな役割を担っている。
可能な限りかつての姿を見せるのは回避してきたのだが――――今回は余りに敵である事があからさまな上、惚けた態度で制圧出来るほど甘くもない。
バンダナの男が投じたのはナイフだった。
ただし、普通のナイフではない。
柄とロープを一体化させている『縄標』のような暗器。
ロープはかなり長く、腰に下げた皮袋に収納していたらしい。
その縄付きの短剣が、容赦なく棚に陳列された酒瓶を叩き割る。
「流石にここにはいねぇか! ひゃははははハハハ!」
軽薄な叫び声とは裏腹に、続け様にビンを割るその投擲技術は素早く正確だった。
更に、ロープを使って投じられたナイフをまるで生物のように操る。
短剣は手元には戻らず、波を打ちながら棚の酒瓶を薙ぎ倒して行った。
人探しとは全く異なる、ただのお遊び。
それは"賊"と呼ばれるに相応しい行いだった。
「お前ら! このメトロ・ノームでそんな蛮行が許されると思うな!」
怒りを露にしたのは店の主であるマスターではなく、フランベルジュと睨み合っていた剣士。
瞬時に剣を抜き、リーダー格の男へ斬りかかろうと両腕を振り上げる。
決して鈍重な動きではない。
足の運びは、テーブルの隙間を縫いながら進むハンデを感じさせない程に滑らか。
その速度もまた、相当なレベルにある。
だが、剣士の武器が振り下ろされる事はなかった。
驚愕によって。
剣士は動けない。
その理由は、目の前で起こった出来事が全て。
聞いた事のない衝突音が、鼓膜を越えて脳を突き刺したからに他ならない。
そしてそれは――――剣士のみならず、その場にいる全員の目を釘付けにした。
フェイルの放った矢。
土賊の弓使いが放った矢。
それが、剣士の直ぐ目の前で衝突した。
「……え?」
フェイルの後方にいるフランベルジュが、剣を抜いた体勢のままでそんな声を漏らす。
一方、土賊のリーダー格の男もまた、目を丸くしていた。
「おいおい、マジかよ。曲芸のつもりか?」
「いや。どうやら……一人厄介な使い手がいるようだ」
弓使いが鋭い目付きを更に鋭利にし、ポツリと呟く。
その刹那――――ローブをまとった二人が同時に腕を上げ、指を光らせた。
「公共の場で暴れるのは良くないよ」
「!?」
その光が、瞬時に"破裂"する。
実際には爆発ではないので、殺傷能力はない。
が、施行される筈の魔術が途中でキャンセルされた事に、土賊の魔術士は顔色の見えない影の中で、たじろいでいるような空気を醸していた。
「今のは一体……?」
驚きを隠せず、ファルシオンが思わず呟く。
無理もない話。
このような魔術の封じ方は、まずお目にかかれない。
「封術を極めると、あのような芸当も出来るのですよ」
その様子を眺めていた客の魔術士が、丁寧な言葉遣いで解説を寄越す。
そして――――その声にフェイルは聞き覚えがあった。
「……ハイト司祭?」
自身が懇意にしている教会の司祭の名を呼ぶ事に、違和感を覚えずにはいられない。
このような血生臭い場所には最も不似合いな名前だったからだ。
が、そんな呼びかけに対し、客の魔術士は呼応するようにフードを下ろした。
「お久し振りですね、フェイルさん」
そこに現れたのは、見慣れた優男の凛然とした顔。
紛れもなく、アランテス教会ヴァレロン支部司祭、ハイト=トマーシュだった。
「尤も、ここでの私は司祭ではありませんが」
その言葉を証明するかのように、立ち上がるその姿に纏うのは、司祭のローブとは大きく異なる、動きやすさを重視して作られた軽く丈夫な布。
臨戦魔術士の纏うローブだ。
「感心しませんね、アドゥリスさん。奪略行為は自身の首を絞めるだけですよ?」
妙に似合うその格好と共に、ハイトは一歩前へ足を踏み出し、リーダー格の男の名を呼ぶ。
名指しされたバンダナの男は、唾棄しながら得物を手元へ戻し、器用に肩に掛け、そのまま竦めてみせた。
「こんな所で説教なんか聞きたくねーな。全てが自由、全てが無効。それがここのルールだろ?」
「ええ。だからこそ、私は貴方に説教をしているのです。それもまた、自由なのですから」
「ケッ。聖職者ってのは無駄に弁の立つヤツばっかだな」
視線が交錯する。
しかし、それは一瞬。
アドゥリスと呼ばれた男は、直ぐに人を食ったような笑みを浮かべ、その目をフェイルへと向けた。
「新しい住民か。テメーもスコールズ家のお嬢様を捕まえに来たクチか?」
実際、その仕事を請け負ってはいるものの――――このメトロ・ノームを訪れた理由は別にある。
フェイルは躊躇わず首を横に振った。
「チッ。そこの偽善者が連れてない時点で、ここにはいねぇ臭ぇが……まあ良い。おい! テメーら、洗い浚い探すぞ!」
何処か楽しげにそう告げるアドゥリスに、客の魔術士と弓使いが戦闘態勢を整える。
盗賊の人捜しは略奪と侵略を意味するのだから、彼らにしても決して他人事ではない。
そして、この酒場に特に思い入れのない勇者一行もまた、例外ではなかった。
無法者に見境などない。
まして、彼等の目的は勇者一行と完全に被っている。
このまま野放しにする事も出来ない。
「回避出来そうにないですね」
暫くじっと様子を見守っていたファルシオンが、決意と嘆息を同時に呟く。
その流れで、魔具も光らせていた。
「えっと……あの人達って、僕らが探してるリッツさんを攫おうとしてるんですよね?」
「そうです」
「させません!」
ワンクッション置き、勇者もやる気を見せる。
「えっと、此方は支援を担当するね」
「同じく」
やる気を見せた勇者一行に対し、アルマとフェイルは一歩下がる。
そんな二人――――特にフェイルへとフランベルジュは強い視線を向けた。
そして、何かを言いたそうな顔をして、結局止め、顔を土賊の方に向け直す。
アドゥリスは、軽薄な笑みをそのままに、舌なめずりをしていた。
「面白ぇな、やっぱココは面白ぇ。コレだよ、なぁ偽善者。このノリがこの地下のイイトコじゃねぇか。そうだろ?」
「……」
何故か話を向けられたハイトは、それには応えずに沈黙を守る。
その様子を暫し一瞥し、アドゥリスは視線を泳がせ――――最後にフランベルジュに定める。
まるで、玩具を見つけた子供のような顔で。
「随分イキがってんなぁ、金髪。つーか、さっき暴れ損なったモンな。そっちの剣士より反応が遅れて出遅れたの、見てたぜ」
「!」
図星だったのか――――フランベルジュの顔が途端に血気を増す。
結果的に勇み足を譲る形になったとはいえ、客の剣士に先んじられたのは確か。
それを指摘された事が、女性剣士の誇りに障った。
「で、どうすんだ? オレと勝負すっか? いいぜ、良い女を甚振るのは男のロマンだもんなぁ」
「アドゥリス」
「イイじゃねぇか。つーか、まさかお前、オレに指図する気じゃねぇよな?」
制しようとした弓使いに対しても、その鋭い目で威嚇する。
狂犬――――そんなチープな言葉が、フェイルの脳裏を過ぎった。
「……いや」
「だよなぁ? テメーのそう言うトコ、オレは好きだぜ。じゃあ……」
「ちょっと待ってくれるかしらぁ」
話がまとまりそうになった中で、今度は別の人間――――かどうか怪しい妖怪が巨体を揺らしながら、ある一ヶ所を睨み付けてた。
その瞳には、いきり立つフランベルジュの姿が映っている。
「ウフ……ウフフ……まさかこんなトコロで再会出来るなんてねぇ。嬉しいわぁ……!」
声を荒げるのと同時に、全身が膨張する。
ただでさえ巨体なのに、その脂肪の下に埋もれた筋肉が隆起した事で、更に巨大になっていた。
「ンだよ。知り合いか?」
「宿敵よッ!」
全身の筋肉を震わせ、妖怪は吠えた。
そこでフェイルはようやくこのオカマの名前を思い出したが、それに気を取られている余裕はなかったので、黙って見ている事にした。
「ここはワタシにやらせて頂戴! お願い!」
「ま、良いケドよ。テメー等は大事な『お客様』だからな」
「……?」
アドゥリスのその不自然な表現に、フェイルは思わず眉を顰める。
しかし疑問は疑問のまま、虚空を舞うだけに終わった。
「よぉぉぉし! さぁそこの金髪女! この前の恨み! 今こそぶつけてあげるわよぉぉ!」
「……ったく。懲りないオカマね」
指名されたフランベルジュは、面倒臭そうに剣を担ぎながら歩を進める。
が、突然振り向き――――
「後で話して貰うからね」
鋭い目付きで、フェイルに対してそう呟いた。
言うまでもなく、先程の"芸当"の事だ。
偶々放った矢が敵の矢と衝突した――――そんな陳腐な嘘は通用しそうにない。
尤も、フェイルにしても、もう隠す気はなかった。
もしあの時、臨戦態勢に入っていなければ、敵の弓使いの矢は確実に客の剣士――――ではなく、フェイルの頭を貫いていた。
偶々、剣士の目の前にその軌道があっただけの事。
フェイルは彼を守る為ではなく、自衛の為に矢を放っていた。
自分が狙われたと瞬時に察して。
そして、敵の狙いが正確だったからこそ、矢で矢を打ち落とす離れ業が成立していた。
少しでも敵の矢が想定とズレていたら、頭に大きな穴が空いていただろう。
何故あの状況で自分が狙われたのか、フェイルは全く理解出来ていない。
ただ、確実に殺気を込めて放っていたのは確かだった。
だからこそ瞬時に読めたのだが――――と思考に耽っていると、巨体が酒場の床を軋ませる鈍い音が聞こえて来る。
もう決着が付いたらしい。
しかも、オカマと同じ大きさのもう一人の男も同様に沈んでいる。
巻き添えになったのか、二人まとめて掛かって行ったのか、フェイルは見逃していた為わからなかったが、それを知る必要も最早なかった。
「弱い……」
フランベルジュが目を細めて呟く中、そのオカマ達の味方の筈の土賊達は特に感慨もなくその勝負を眺めている。
彼らにしても、折込済みの結果だったのだろう。
「さて、前座は終わりだ」
アドゥリスは首を回し、手首を回し、そして口角を大きく上げる。
禍々しいまでの威嚇。
一介の盗賊とは思えないくらい、その歪さは"怨"をまとっていた。
「じゃ、そろそろおっぱじめようや――――」
が。
それは一瞬にして消える。
消したのではない。
強制的に消失させられた。
一瞬。
全くの、一瞬。
それ以外に表現しようのない刹那の時間で、アドゥリスは吹っ飛んだ。
背後からの尋常ならざる衝撃によって。
「な……アドゥリス!?」
「おいっ、しっかりし――――」
魔術士二名が慌てて駆け寄ろうとするが、それも叶わない。
ほぼ同時に、まとめて吹き飛ぶ。
彼等は想定出来なかった。
入り口ではなく、壁だった箇所から"それ"が現れる事を。
床に、ついさっきまで壁だった物が粉々に砕け散っている。
その犯人は、それでいて悪びれる様子もなく、全身をいきり立たせていた。
「酒場で暴れるたぁ、随分とマナー違反じゃねーか。ああ?」
アドゥリスと同じような荒い言葉遣い。
しかしその重圧感は、アドゥリスの比ではない。
傭兵ギルド【ラファイエット】大隊長、バルムンクは白い歯を見せ仁王立ちしていた。




