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第3章:メトロ・ノーム(12)

 酒場【ヴァン】は、アルマの家から三〇分ほど歩いた先にあった。


 意外な事に、周囲に他の建築物はない。

 通常、酒場のような娯楽施設は、いわゆる『歓楽街』と呼ばれる数々の施設を集合させた地帯に構えるものだが、そのような地上の常識はこのメトロ・ノームでは通用しないと、フェイルはどんどん薄暗くなっていく景色を眺めながら、静かに実感していた。


「この照明って一気に暗くなるんじゃなくて、徐々に明度が下がっていく感じなんだ」


「そうだね。地上の夜も、こんな感じだって聞いているよ」


 酒場の前で歩を止めたアルマが、不意にフェイルの顔を覗き見る。

 今の彼女の発言は、地上の夜を一度さえも経験していない事を意味していた。

 或いは、地上に一度も出た事がないのかもしれない――――フェイルはそれを聞こうか聞くまいか迷った挙句、首肯するのみに抑え、酒場の方に視線を向けた。


 建築様式は、ヴァレロンにある施設と何ら変わらない。

 木材で骨組みを造り煉瓦を積んだと思われるその建物は、昼間の日差しのような温かみに溢れており、ここが地下街なのを忘れさせるには十分な、日常的に見かける建築物だ。


 そんな酒場の外観を一通り眺めているフェイルを尻目に、アルマは入り口の扉に手を掛けた。


 刹那――――


「アルマか。珍しいな、君がここを訪ねてくるとは」


 渋みのある声が店内から聞こえて来る。

 マスターと思しき人物なのは容易に推測出来たので、フェイルはその声から外見も渋い――――オールバックで整った口髭を蓄えた深みのある顔を想像し、アルマに続き店内に入った。


「ん? 新入りか? 今日は随分と新顔が多い日だな」


 その視界に入ったのは、今にも破裂しそうな巨体。

 身長はフェイルより頭二つほど高く、顔の面積も倍近い。

 そして、体重は恐らく四倍はあると思われるほど、横に膨らんでいた。


 その割に深い彫りの名残を微かに残す顔は、脂肪を削ればいかにもマスターといった顔つきだけに、かなりの違和感。

 髪型もピッチリと7:3で分けており、それもマスターらしい髪型だけに、余計異様な空気を醸している。


「……フェイル=ノートといいます」


 その巨体に対し、フェイルは目を見開きたい心境をどうにか抑え、にこやかな笑顔で一礼した。


「中々礼儀正しいじゃないか。良い心がけだ。この地下街は無法地帯だからこそ、それぞれの自制心がそのまま評価に繋がる。この酒場のマスター、デュポール=マルブランクだ。末永い付き合いをしたいものだな」


 言葉が中々頭に入って来ないフェイルに対し、デュポールと名乗ったマスターはニヒルに微笑んで見せる。

 その仕草だけで大量の汗をかいており、かなり活性な新陳代謝を見せていた。

 

「さっきの物言いだと、他にも新顔が来たって事なのかな?」


 そんな水分過剰気味のマスターに対し、麗らかな双眸を向け、アルマが問う。

 すると、デュポールの目が奥の席へと向けられた。


 そこには――――


「……う」


 フェイルにとって、非常に馴染みの深い三人が、勢い良く食事を口に含んでいる姿があった。

 同時に、嘆息を禁じ得ず目眩さえした。


「あれ? あそこにいるのってフェイルさんじゃないですか? フェイルさんフェイルさーん!」


 その中の一人、リオグランテが目聡く気付き、大きく手を振る。

 フェイルは他人の振りをしたい欲求を抑えられず、思わず無視してそっぽを向いた。


「人違いじゃないの? だってアイツ、今頃香水店の女主人と交渉中でしょ?」


「そうですね。少なくともここにそのお店があるとは思えませんが」


「いや、あの人はフェイルさんです! フェイルさーん! 僕ですよー! リオグランテ・ラ・デル・レイ・フライブール・クストディオ・パパドプーロス・ディ・コンスタンティン=レイネルですよー!」


 フルネームで叫ばれても、最初の六文字しか覚えていないので全く意味がない。

 とはいえ、その呪文を連呼されるのも体裁が悪い為、頭を抱えたい心境でフェイルは手を振り返した。


「ほら、やっぱり! 僕がフェイルさんを見間違える筈ないですもん!」


「更に体裁が……」


 気味の悪い事を言い出したリオグランテに対し、フェイルはついに眼精疲労を自覚し、指で眉間を揉んだ。


「知り合いみたいだね」


「一応……僕の店の臨時従業員」


 勇者一行と紹介するのは色々な意味で危険だと判断し、アルマの疑問に嘘のない範囲で答える。

 尤も、既にマスターには自己紹介している可能性があるが――――


「旅の一行と聞いていたんだがな。ま、訳アリなんだろ。アルマも余り深く追求してやるな」


 その辺りの事情を察してか、デュポールは酒場を切り盛りする人間ならば必要な器の大きさを見せつけた。


「……別に、そこまで知りたかった訳じゃないけどね」


 少し拗ね気味に呟き、アルマは勇者一行の方に歩を進める。

 その背中を追いながら、フェイルは他の席に目を移した。


 まだ"夜"になり始めの時間帯とあって殆ど空席だが、中には剣士と思しき長髪の男や、フードで顔を覆った魔術士と思しき人間、弓を携えた狩人の姿等が散見される。

 どの人物も一癖ありそうな雰囲気を醸し出していた。


「このメトロ・ノームに常駐している人間は、オレとアルマ以外には殆どいない。皆、地上とここを行き来して生活している。地上での柵や立場を持ち込む事なく、自分の理想や目的に没頭する為にな。この酒場はそんな『荒野の牢獄』にある止まり木のようなものさ」


「荒野の牢獄……」


 奇妙ではあるが、ある意味この地下街には適合した表現だと、フェイルは思わず感心した。


 その中には"自由"しかない。

 しかし、全ては天井と壁に囲まれた世界の中での出来事。

 そして、牢獄の中では地位も名誉も財力も関係ない。


 そんな場所に足を運ぶ人間は例外なく『訳アリ』なのだろうと、理解する事はそう難しくなかった。


「尤も、人間が二人いれば、そこには権力が生まれ、格差が発生し、争いが生まれるのも人間の持つ摂理。ここにはここの勢力図がある事も覚えておくといい」


 マスターはそこで話を区切り、フェイルに背を向け棚の整理を始めた。

 余り愛想は良くないらしいが、それもまた酒場のマスターらしさを際立たせている。


 話し相手を失い、仕方なく勇者一行のいる一角へと向かった。


 先に合流していたアルマは――――何故か同席して食事を取っている。

 早々に馴染み始めていた。


「どうして貴方がここにいるの? 用があるのは香水店だったんじゃなかった? もしかしてサボリ?」


 その隣に座るフランベルジュは、紫色の果実酒をグラスの上で回していた。

 既に頬が紅潮しているが、呂律はしっかり回っているあたり、それほどの量は飲んでいないようだ。

 

「その過程でここに連れて来られたんだよ。そっちこそ、貴族のお嬢様を探してるんじゃなかったの?」


「私達も、その過程でここへ」


 答えたのはフランベルジュではなく、その対面に座るファルシオン。

 こちらは酒類には一切手をつけておらず、野菜を小さな口で少しずつ食している。

 そして、喉にそれを通した後、声の音量を極端に下げ、囁くように告げた。


「そのお嬢様がここメトロ・ノームに来ている、との噂があって」


「え……? それって信憑性のある話なの?」


 思わずフェイルがそう聞き返すくらい、俄かに信じ難い話だった。


 一応、ここの上に位置する土地で数年ほど生きてきたフェイルですら、その存在を知らなかったメトロ・ノームに、貴族のお嬢様が迷い込む可能性は極めて低い。


 何より、ここはアルマによって出入り口を管理されている。

 もし侵入者がいれば、アルマが気付く筈だが――――


「此方は把握してないよ」


 殊更強い口調でそう断言した事が、更なる疑惑を生んだ。


「だとすれば、噂が噂に過ぎないか、それとも……」


「此方を欺く方法を用いたか、だね。ないとは言い切れないかな。此方も万能じゃないからね」


 普通に考えれば前者。

 まだ噂の段階であり、確信を得た話ではない。


 ただ、その噂はメトロ・ノームの存在を知っている人間が流している事が前提としてある。

 状況的に、かなりの情報通、或いは権力者でなければ、この地下街の情報を知る術はないと推測されるだけに、その辺りのチンピラがホラを吹いただけとは到底考えられず、後者の可能性を無視する訳にはいかない。


「……あの、一体どういう事なのでしょうか」


 置いてきぼりにされた格好のファルシオンが、珍しく少し尖った声で聞いてくる。

 表情こそ変えていないが、不満がかなりあったらしい。


 フェイルは苦笑したい心持ちで、アルマを紹介しようと口を――――


「マスター! 大変だ!」


 開こうとした瞬間、酒場の入り口から悲壮な声があがる。

 血相を変えて叫ぶ男の姿に、フェイル達だけでなく、他の客も食事の手を止め、何事かと視線を向けていた。


「狼煙があがった! 土賊の連中、活動を始めやがった!」


「何?」


 土賊――――


 余り危機覚えのない言葉に、フェイルは眉を潜める。


「このメトロ・ノームで不埒な行為を行っている盗賊団だよ。ただし確固たる組織じゃなくて、健全なお仕事をしていない人達が一時的に組む感じだね。人数が必要な場合に徒党を組む……みたいな。それを便宜上、土賊って呼んでるんだけどね」


 的確な解説がアルマから行われる。

 つまり――――この地下街にも、地上と同じように盗賊行為に及ぶ無頼漢がいて、それらが集団で活動する場合にそう呼んでいるらしい。


 狼煙は、盗賊が指揮を上げる為の儀式に良く使われるもの。

 土賊もそれを実行しているようだ。


「地下街の情報が集まるこの酒場も狙われるぞ。どうする? 今からバルムンクを呼んで来て貰うか?」


 バルムンク――――土賊出現の報を届けに来た男は、確かにその名を口にした。


「……」


 瞬間、フェイルの後方にいたフランベルジュが、殺気に似た感情の炎を放つ。

 彼女にとっては屈辱を味わい、辛酸を嘗めた忌み名も当然の名前。

 リオグランテが思わず身を竦ませる中、フランベルジュは静かに前進し、話し合いが行われているカウンターへと近付いた。


「バルムンクって男も、ここの住人なの?」


「え? あ、ああ。彼はかなり昔からいるよ。このメトロ・ノームの治安が維持されているのは、あの人の影響力がかなり大きい」


「……嬢ちゃん。バルムンクと知り合いなのか?」


 男の返答、そしてマスターの問いに、フランベルジュは小さく頷く。

 そして意を決した顔をファルシオンへと向けた。


「はぁ……」


 そのファルシオンが溜息を落とす。

 何かを察した顔。

 そしてそれは、フェイルもある程度予想出来るものだった。


「是非その男を呼んで。それまでは私達がここを守ってあげるから」


 やはり――――そんな言葉がアルマを除く三人の頭に落ちてくる。

 ここを再戦の場とするつもりなのは明白。

 既にフランベルジュの頭からは、貴族のお嬢様を捜索するという目的は消え失せている様子だ。


「どうします? このままだと一騒動起こりそうですけど。そちらの女の人には退避して貰った方が良いんじゃ……」


 リオグランテが珍しく気の利いた問い掛けをしてくる中、フェイルは確認を促す視線をアルマに向けた。

 ファルシオンとは違い無表情ではないが、感情の読み辛い笑みを浮かべている。


 喋るようになってから、表情を緩めた時のアルマは終始そんなふうだった。


「此方は暫くここにいるよ。杖がないから大した事は出来ないけどね」


「なら、僕も残るよ」


 フェイルは用意していた答えをそのまま告げ、頬を掻く。

 その様子を、半眼で眺めるフランベルジュの立ち姿が視界に入った。


「ふーん。美人には優しいのね。ま、アンタも男だものね」


「別にそんな訳じゃないよ。実際、貴女には特に優しくはしてないでしょ?」


「……」


 フェイルの返しは予想外の内容だったらしく、フランベルジュは閉じかけていた瞼を上げ、若干頬を赤らめていた。

 やはり守備力に難がある――――そんな自分の感想で苦笑を漏らしながら、フェイルはカウンター席まで歩きマスターと対峙する。


「ここ、弓とか矢って置いてませんか?」


「弓矢……? それは置いてないな。お前、弓使いだったのか?」


「一応は」


 再び頬を掻きつつ、フェイルは改めて酒場全体を見渡し――――今度は客の中の一人に近付いて行く。


「すいません、もし弓と矢を複数持ってたら、貸してもらえませんか? お金は払いますから」


 それは、狩人と思しき客。

 突然の不躾な願いに対し、明らかに怪訝な顔つきで――――


「……予備のでよければ」


 それでも、あっさりと許可してくれた。

 ここに土賊が現れたと想定するならば、戦力は多い方が良い。

 そう判断したのだろう。


 異論などある筈もないフェイルが頷くと、狩人の男はカウンターへ向かい、預けていたと思しき手荷物を受け取り、大きな皮袋からかなりコンパクトな弓と矢筒を取り出す。

 あくまで預かり物なので、マスターはああ答えるしかなかったようだ。


「予備だから、質は保証しないぞ」


「十分です。ありがとうございます」


 受け取りつつ、礼と共に借賃を渡す。

 一応、契約の際に必要な雑費があるかもと踏んで持ってきていた、なけなしのお金。

 それでも、状況的に惜しむ事は出来ない。


 矢筒に入った矢は五本のみ。

 多くはない――――が、少なくもない。

 フェイルはそう判断し、筒内の矢を全て取り出す。


 矢は、それだけでは武器として不十分。

 ここに付加を持たせ、はじめて脅威となる。


「それじゃ、俺はバルムンクを呼んでくる。君達、ここを頼んだよ」


 作業中、有益な情報をもたらした男は、再び酒場を全力疾走で飛び出して行った。


 その姿を見る事なく、一通り矢に手を加え終えたフェイルは、勇者一行のいるテーブルへと戻る。

 いつの間にか、フランベルジュも席に戻っていた。


「意外だね。戦える人には見えないけど」


 アルマの余り驚いた様子のない問いかけに、フェイルはうなじの当たりに手をやり、答えを探した。


「ま、支援くらいなら、ってところ。主戦力はそっちの三人だし」


 結果、勇者一行に主役の座を譲るのが最も適切という結論を得た。

 そもそも勇者とは元来そういうものだ。


「任せて下さい! 何かの縁があって来た場所ですから、頑張って守りますよ!」


 覚悟が伝染したのか、リオグランテも意気込む。

 ファルシオンは無表情のままだったが、特に異論はないらしく、魔具である指輪を布で拭いて実戦に備えていた。


「随分と頼りになりそうな奴等じゃないか。俺の出番はないかな?」


 そんな勇者一行に、長髪の剣士が近付いてくる。

 一目でわかるほど無駄を削ぎ落とした肉体が、革鎧の上からもわかる。

 明らかに実力者だ。


 フェイルがふと周囲を見ると、彼以外の数人の客も、こちらに視線を向けている。

 流石は勇者一行。

 このような場所であっても瞬時に注目の的になるのは、紛れもなくその素養の成せる業だ。


「どうでしょうね。貴方がその外見に違わない実力を持っていれば、見せ場は十分あるんじゃないの?」


 気の強いフランベルジュは、予想通り強気の口調。

『この酒場を守る』という点においては仲間となる二人の筈だが、この場での主役を所望するのなら、明らかに相容れそうにない。


 そんな好戦的な二人を尻目に、フェイルは現状についてアルマから情報を仕入れる事にした。


「土賊って、良く活動してるの?」


「そうでもない、かな。最近は特に、大人しくなってたんだけどね。結構強い人達が多いから、ここの住人には」


「みたいだね。でも、だったら何で……」


 そこで言葉を止め、フェイルは一つの可能性を頭中で仮定した。



 もし本当に、スコールズ家のお嬢様がこのメトロ・ノームにいるとしたら?


 もしそのお嬢様を、土賊とやらが狙っているとしたら?



 それは活動を始める理由としては十分だ。


「もしかしたら――――」


 フェイルのその言葉は、数多の足音と叫び声によって遮られる。


「ちょーっといいか? 聞きてぇコトがあんだけどよ」


「あるんだああァァァァァァ!」


「あるのよォオォォォォォォ!」


 予想よりも遥かに早く――――その連中は、酒場【ヴァン】に現れた。



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