第3章:メトロ・ノーム(11)
メトロ・ノーム二度目の来訪は、一度目の意図しない離脱から僅か二十分後。
諜報ギルド【ウエスト】の倉庫の扉まで戻った所で、一人静かに待っていたアルマと合流し、一旦そのアルマの家まで戻った。
その間、会話は一切なし。
ただ、この状態に気まずさを感じることはもうなくなっていた。
アルマ=ローランという女性は、この一言も発さない状態が自然であり、それを敢えてどうにかしようとする必要はない。
そう理解し、フェイルも考え事に没頭しながら歩行するようにした。
実際、考える事は沢山ある。
状況を整理すると――――現段階において、フェイルは二つの目的を達成する必要がある。
まず、そもそもこの地へ赴く要因となった、香水店【パルファン】との商品共同制作。
その契約をメトロ・ノームで行う事が出来れば、現在の困窮した経済状況は改善されるさろう。
第一の目標だ。
この件に関しては、既に進展を果たしおり、順風満帆と言える。
後はどのような商品を作るか具体案を考え、それをマロウに伝えれば良い。
期日は指定されていないが、立場上待たせる訳には行かないので、数日中に案を出して考えをまとめ、草案の書類を作る必要があるだろう。
ただし、この件に関してはファルシオンとも念入りに話をして、どのような商品が良いか熟考する形になる。
今から直ぐに、という訳には行かない。
何故なら、ファルシオンは仲間と共に別件で動いているからだ。
そしてフェイルもまた、その件に関与する事になった。
貴族として、レカルテ商店街を含むヴァレロン新市街地全土に強大な影響力を持つスコールズ家の一人娘、リッツ=スコールズの身柄確保。
これが第二の目的であり、現時点における最優先事項だ。
裏の仕事絡みなので、勇者一行と協力する訳にはいかない。
場合によっては彼らと敵対する事になるだろう。
それだけではない。
競合相手が多い――――そうデルは言っていた。
ウォレスやラファイエットといった傭兵ギルドも動いている可能性が高い。
そして、それは同時に、事態の深刻さ――――緊急性を示していた。
勇者一行の話では、家出による失踪との事だったが、それならとうに居場所は判明しているだろう。
少なくとも、諜報ギルド【ウエスト】が外部の人間にまで頼ろうとする事態には発展しない。
貴族の娘の行動力など高が知れているのだから。
けれど、現実はそうはなっていない。
考えられるのは、何らかの事件に巻き込まれ予想が付きにくくなったか、元々家出以外の理由で失踪したか。
いずれにせよ、身の安全が保証されていない不安定な状態であり、捜索は困難と考えられる。
とはいえ、だからダメでも仕方ない……とはならない。
ビューグラスの安全が掛かっている。
そして、自分自身の信用も同様に。
それはつまり、失踪した令嬢リッツ=スコールズの安否は関係ない、とも言える。
仮にフェイルではないウエストの諜報員の誰かがの身柄の確保に成功したとしても、フェイルにとっては失敗だ。
ギルドは依頼に過程を求めない。
結果が全て。
しかし自分自身は、決してそういう訳にはいかない。
よって、例えクラウ=ソラスやバルムンク、そしてリオグランテ達と争ってでも、リッツ=スコールズを自らの手で救わなくてはならない。
厄介な事態ではあるが、このような挽回の好機はそうそう得られるものではない。
そう自分に言い聞かせ、半ば強引に心を上向かせようと試みる。
「……あ」
気付けば、いつの間にか俯き加減になり、視線も下に向いていたらしい。
意識的に顔を上げたそこには、いつの間にかアルマの家があった。
考え事をしながら歩くと、移動が苦にならない代わりに道を覚えられない。
何かを得れば、何かを失う。
当たり前の事ではあったが、フェイルは思わず心中で苦笑した。
「羽根ペン」
そんなフェイルに、家に入りながらアルマが声を向ける。
「あ、そうだった。はい」
目的を一つ思い出し、フェイルは懐に忍ばせていた金色の羽根ペンを取り出し、それを差し出した。
「……」
特に感想もなく、アルマはそれを淡々と受け取り、足音もなく家へ入って行った。
その後、登録は滞りなく行われ、フェイル=ノートの名はメトロ・ノームの住人を記した帳簿に無事刻まれる事となった。
これで、この家及びメトロ・ノームで本日行うべき事は全て完了。
後は帰るだけなのだが――――
「……えっと、この辺りの地図って、持ってます?」
フェイルは帰り道を完全に忘れてしまっていた。
「……」
アルマの首は無情にも横方向にのみ振られる。
ウエストへ続く塔を使うにも、そっちの道も完全には覚えていない。
「じゃ、じゃあ……最寄の地上へ帰る道を教えて貰って良いでしょうか。地図を描いてくれると助かるんですけど」
「……」
今度は首肯。
フェイルは安堵しつつ、羊皮紙に羽根ペンを走らせるアルマの姿を見守り――――ながら、徐々に表情を曇らせた。
結果、完成したそれは地図というより川のせせらぎを模写した幼児の落書きのようだった。
「……」
アルマとしても痛恨の出来だったのか、その紙は瞬時にゴミと化し、新たな紙が机に敷かれる。
これまでで一番真剣な表情で、仕切り直し。
「……」
結果、完成したそれは、地図というより風にたなびく洗濯物を模写した嬰児の傑作のようだった。
「……」
再び紙が丸められ、ゴミ箱へと投じられる。
そんな繰り返しが延々と続き――――無駄に出来ない筈の時間が延々と磨耗して行く運びとなった。
「あ、あの。もう地図は良いので、直接案内して貰えないでしょうか?」
「……」
ブルンブルンと首が横に振られる。
意地でも地図で報せたいらしい。
とはいえ、このままでは一晩かけても終わりそうにない。
そう考えたところで、フェイルの頭には全く別の疑問が湧いてきた。
「話は変わりますけど、この地下世界って夜は存在したりします?」
時間帯としての夜は、普通に存在するだろう。
しかし、地上のような、日中の明るさが失われ闇に包まれる――――といった変貌があるかどうかには疑問を持たざるを得ない。
地下であるにも拘らず、ここには灯りが存在している。
魔術学と生物学、そして薬草学の粋を集めた技術によるものだとマロウは言っていた。
自然とは異なる照明。
それは、ランプのように簡単に消せるものとは到底思えないし、、その光景は全く想像出来ない。
ふと湧いたフェイルの知的好奇心に対し、疲労の見え始めたアルマは若干の間の後、小さく頷いた。
「……」
そして、突然何かに気付いたような顔になり、椅子から腰を上げ、隣室へ向かう。
視線で追うと、その部屋にはランプ時計が見えた。
時間を刻む道具が開発されてかなり経つが、一般家庭に時計がある事はまずなく、大抵は時刻は教会、修道院等の鐘の音で判断する。
当然、薬草店【ノート】にもランプ時計のような高級品はない。
ただ、フェイル自身は城やシュロスベリー家で何度も目にしていたので、驚く事はなかった。
そんなフェイルの視線を背に、アルマは時計を確認した後、慌てて杖を取り、外へと向かう。
その行動の意図がわからず、フェイルが後を追うと――――アルマは最初に見かけた際に下りてきたあの石畳の山を上っていた。
長い杖を引きずり、音を立てながら。
そして、頂上に着くと直ぐにその杖を掲げ、宙に文字を綴る。
僅か数文字。
しかし、その文字の後ろに自動的にその何十倍もの数の文字が並ぶ。
高速の文字の羅列は、まるでこの世のものとは思えないような異質な光景となり、フェイルの視界を蹂躙した。
そんな景色が消え――――同時に、少しずつメトロ・ノームの様子にも変化が訪れる。
周囲が微かに暗くなっていた。
「……危なかった」
その様子を確認し、アルマが呟く。
明らかにこれまでとは違うテンポで。
思わず怪訝な目をするフェイルに対し、アルマはダランと杖を持った左手を下げつつ、見下げてきた。
「このメトロ・ノームの夜は、此方が管理しているんだよね。もし遅れたら、また文句言われるところだったよ」
そして、これまでとは打って変わって饒舌に話し始める。
その変化に戸惑い――――というより唖然としつつ、フェイルは悠然と石畳を下りるその美しい女性に暫し目を奪われていた。
「驚くのも無理はないよ。今までの此方は、ほぼ全ての魔力をメトロ・ノームの管理に費やしていたから、最低限の言語以外は話せずにいたからね。今は照明を解除したから、多少の余裕はあるけど」
「そ、そうなんですか……驚いた」
「でも、貴方は落ち着いている方だよ。さっきまで一緒にいたマロウ女史は最初、暫く混乱してたからね」
意外な褒め言葉を受けても、フェイルは照れる事も出来ず、現状を受け入れるので精一杯だった。
それくらい、先程までのアルマと今のアルマは相容れない。
見た目は全く同じだし、表情だって劇的な変化は見られないが、それでも話し方が変わるだけで印象は別人のようになる。
何らかの真理に触れたような気がして、フェイルは肌が粟立つような感覚に襲われた。
「さて、帰ろうか。今なら少しは頭が働くから、きっと地図も書けるよ」
「は、はい」
まだ気持ちの整理が付かないフェイルを一瞥したのち、アルマは淡々と歩を進めた。
足取りも大きくは違わない。
別人のようと形容するには無理があるほどに。
「魔術に明るくないもので、見当違いかもしれませんけど……封術を使うと話せなくなるものなんですか?」
「此方の場合は、ね。普通の魔術士は多分、自分の魔力量の中で使える範囲の魔術しか使えないから、魔力を使い果たしてもせいぜい極度の疲労感で動けなくなるくらい。でも『封術士』の場合はちょっと違うから」
封術士――――その言葉もまた、フェイルにとっては初耳だった。
封術は、魔術士が使う魔術の一種。
その術に特化した者と考えられる。
理屈は何も難しくはないが、そのような存在は聞いた事がない。
「封術士は、自分の魔力以上の力を使って封術を使う。だから、人格にまで影響が出るんだよ」
サラッと説明したその内容は、かなり恐ろしいものだった。
人格に影響を及ぼす魔術――――もはやそれは、魔術と呼んでいいシロモノではない。
呪術や禁術の範疇。
或いは、命すら縮めている可能性もある。
しかし、その後姿には悲壮感は微塵もなく、何処か高潔ですらあった。
「デル君とは何を話してたの?」
不意に、今度はアルマが質問を投げ掛けてくる。
話し方だけでなく、フェイルに対する接し方も大きく変化していた。
尤も、これまでは話がしたくても出来なかったようだが。
「ちょっとしたお願いをされました。行方不明の女の子を探して欲しいって」
先に質問した手前、沈黙する訳にも行かず、フェイルは話せる範囲で正直に答えた。
「スコールズ家のお嬢様だね。リッツって名前だったかな」
しかし、アルマは既に核心を知っていたらしく、固有名詞まで出して来る。
「大変みたいだね。誘拐でもされたのかな」
「そうかもしれませんね」
それは、最も可能性の高い推測。
貴族の令嬢が行方不明になる理由として、真っ先に疑うべき事だ。
「情報を集めたいのなら、このメトロ・ノームにある酒場に行くといいよ。地上ではきっと詳しい事は教えて貰えないからね。場所を教えてあげるよ」
「あ、ありがとうございます。ここって酒場もあるんですね……」
二つの意外な事実に、フェイルは思わず感嘆の声を漏らした。
とりわけ、アルマから道を切り開いて貰えるとは全く想像もしていなかった為、自然と顔が引きつる。
これは幸運なのか、必然なのか――――そんな事を考えている間に アルマの家に到着した。
その家の主は長い杖を家の玄関先に置き、仄かに微笑んだ顔をフェイルに向ける。
明らかに感情表現の質は上がっていた。
「酒場に行くのは久し振りかな。少し緊張するね」
「え……? 一緒に行くんですか?」
「敬語は使わなくていいよ。その方がきっと、君らしいと思うから」
その意外な発言に驚くフェイルを置き去りにする勢いで、アルマは石造りの家を悠々と出て行った。




