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第3章:メトロ・ノーム(10)

「地下……あ、メトロ・ノームの事ネ。この地下では、基本的に何やってもいいし、それを咎める官憲や法律は存在していない。何故なら、メトロ・ノームはこのヴァレロンとは独立した、独自の国のようなものだからサ。尤も、国王もいないし、代表者すら存在してない、バラバラの国だけどネ」


「国……ですか」


 退屈そうなアルマから目を離し、フェイルはデルの言葉を静かに咀嚼していた。


 国の内部において、別国から領有権を主張されている地域は大抵の国に存在している。

 だが、このメトロ・ノームはそれらの地域とは意味合いが全く違う。


 領有権を主張する存在がそもそも何処にもいない。

 管理人と称されているアルマがこの様子なのだから、推して知るべし。

 それは、事情を全く解さないフェイルでも直ぐにわかった。


 だとしたら、何をもってこの地下空間を"国"とするのか。

 通常なら、主権という大前提のもとに国民、領土、政府、外交が存在し、機能している事が最低条件だ。


 メトロ・ノームには国民と領土は一応ある。

 だが政府が存在しているような気配はない。

 規律があるかどうかさえ怪しい。


 外交についても不明瞭だ。

 他国からの来訪者を封術で管理しているとはいえ、自国から地上に向けて何らかの意思表示を示さない事には、到底外交とは呼べない。


「そ。国。んで、国家である以上は秩序が必要なんだけど、皆面倒臭がりでサ。表で抑制されてる分、裏では開放的って言うか、そんなカンジなんだネ。仕方なく、若造の俺がこうやって、審査なんかしてるってワケ」


 審査と言う言葉は、先程の『本題』と掛かっていた。


 そう。

 もう本題は始まっていた。


「ま、危険人物じゃなさそうだし、問題ないかナ。もう登録は済ませちゃってるんだよネ? アルマちゃん」


 そして、フェイルは知らない間にその審査を通過していた。

 かなり緩い審査らしい。


「……」


 未だ首を傾げたい心境のフェイルを尻目に、アルマは躊躇せずコクリと頷く。

 ちなみに、実際には登録は終わっていない。

 それを隠す必要性がわからない事もまた、フェイルを混乱させた。


「はい了解。それじゃ、こっちでも処理しとくヨ。って訳で……あ、その前に鍵見せて。貰ってるよネ?」


「一応」


 先程マロウから受け取った【118】と書かれた鍵を差し出す。

 その際に、フェイルはようやくこの一連の流れの不自然さを具体的に察した。


 ――――何故、この鍵をアルマでもデルでもなく、マロウが差し出したのか?


「118ネ。はいわっかりましたー。んじゃもういいよ、お疲れ。アルマちゃん、今度はプライベートで遊びに来てヨ。夜にでも」


 フェイルの疑問は、デルの軽口の間も頭の中をずっと彷徨っていた。

 そして、既に答えは出ている。

 以前マロウに対する疑惑を感じた時から、考えていた事。


 最初から仕組まれていたのだ。

 フェイルがメトロ・ノームの住人となる事は。


 ただ、その場合、新たな二つの疑問が発生する。

 この状況の発端は、『香水店との共同制作のお伺い』というフェイルの自発的な行動。

 そこに外部からのコントロールはない――――筈だった。


 何故、それが他者から仕組まれた展開と合致するのか。


 そしてもう一つは、意図。

 フェイルをメトロ・ノームに引き込む事に、誰が何の利を生むのか。


「……わかりました。では失礼します」


 まるで状況が読めない中、フェイルはそれらの思考を取り敢えず外へと置き、軽く一礼した。


「あー、ちょっと待って。フェイル君はもう少しお話があるんだヨネ。アルマちゃんはもういいよ。お勤めご苦労さん」


「……」


『時間がない』と言った割に、デルは時間のかかりそうな形でフェイルだけを引き止めた。

 それも不自然ではあるが、アルマは反論せず頷き、マイペースな足取りでフェイルへと近付く。


 そして――――


「羽根ペン」


 それだけを発し、扉を開いて部屋を出た。

 つまり、羽根ペンを借りてきてもう一度家に来い、との意思表示。


 或いは、先程のアルマの嘘は単なる見栄だったのかもしれないとフェイルは邪推し、若干緊迫感を失った。


 しかし、次の瞬間――――


「へえ。噂は本当みたいだネ」


 緊迫感は完全に消えてなくなる。

 代わりに噴き出てくるのは、警戒心。

 冷や汗のように、体中を伝って行く。

 

 デルの顔は、それまでと一切変わっていない。

 口調も。

 にも拘らず、フェイルの経験の中に装備された警鐘が、その音を鳴らし続けていた。


「そんな虫も殺さないような顔して……しっかりと実戦派なんだネ。驚いちゃったヨ」


 諜報ギルド【ウエスト】の幹部は、半ば呆れ気味、そして何処か楽しげに呟く。

 値踏みするような視線はなかったが、それが却って不気味だった。


「……話って、何?」


 フェイルは自然と、敬語を止めていた。


「単刀直入に言うと、君に働いて欲しいんだヨ。要はお仕事の依頼」


 そんなフェイルの口調の変化に一切触れる事なく、デルは不躾にそんな事を要求して来る。

 何処か艶やかな流し目で、空間を裂くようにフェイルの顔を眺めながら。


「少し前の話になるんだケド、このウエストでちょーっと看過出来ない事態が起こってたんだよネ。今後悪い意味で語り草になりかねないような」


 その言葉に――――フェイルは嫌な予感を覚えずにはいられなかった。


「何者かが寄越した間者が、紛れ込んでいたのサ」


 刹那。

 これまで常に友好的だったデルの目が、不穏な揺らめきを見せる。

 もし事前に警戒していなければ、思わず驚嘆したかもしれない――――フェイルは思わず眉間に皺を寄せ、より警戒を深めた。


「諜報ギルドが間者に入られて、しかも生存を許すなんて末代までの恥なんだよネ。 幸い、致命的な問題が生じる前に処理出来たケド、このままだとメンツが潰れたままなんだ」


 デルが何の事を言っているのか、フェイルは理解せざるを得なかった。

 以前、ビューグラスの依頼を受けに彼の館を訪れた際に聞いた話が脳裏を過ぎる


『ウエストは知っているな。その中に一人、儂の子飼いの者がいる。しかしここ一週間連絡が取れない』


 その件をデルは話している。

 何故それをフェイルに――――それは言うまでもない。


 これは、脅迫だった。


「今ネ、ウエストでは主犯の処遇をどうするかでちょっと意見が割れててサ。何だかんだでこの街のお偉いさんで、影響力の強い彼を始末するのは、ちょっとリスクが高い。でも、このまま放置って言うのは他所の手前、難しい。で、折衷案として彼に楔を打ちつつ、ウエストの権威を回復したい、と思ってるんだよネ」


「……」


 フェイルは、眉間に刻んだ皺をそのままに、思考に耽る。


 以前、ビューグラスから受けたウエスト絡みの依頼。

 それは、このウエストに間者として送り込まれたビューグラス子飼いの人物を内密に生け捕りとする――――そんな内容だった。


 その間者はビューグラスを裏切り、何者かにビューグラスの情報を高額で売るつもりでいたらしいが、結果としてその人物はウォレスの代表クラウ=ソラスの手によって殺害された。

 それを依頼したのはウエストで間違いない。

 フェイルにとっては、依頼を失敗した苦い思い出しかなく、忘れたくても忘れられない過去だ。


 ただ、幾ら痛恨とはいえ今は自分を責める時ではない。


 何故ウエストが今、フェイルを脅しているのか。

 それは想像に難くない。

 フェイルとビューグラスの関係性をウエストが把握していて、楔を打ち込むのに最適な人材だと見なしているからだ。


 同時に、デルの発言から察するに、間者の主がビューグラスだったと断定しているのも間違いない。

 権力者のビューグラスであっても、世界屈指の諜報ギルド相手に情報戦で勝利するのは困難だったようだ。

 その皺寄せが、フェイルに今来ている。


「僕は……何をすればいい?」


 フェイルは思わず笑みを零していた。

 意図した含み笑いではなく、まして皮肉など込めてもいない。


 心からの歓喜。


 ようやく、尻拭いが出来る――――その一心だった。


 自分がメトロ・ノームへ呼び込まれた原因は、未だわからない。

 何より、マロウがビューグラスと接点を持っていた以上、彼の関与の可能性も否定することは出来ないだろう。


 だが、それを今考えても仕方がない。

 余りに判断材料が少なすぎる。


 今は、過去の失態の挽回が最優先。

 そして――――


「やってくれる、って事で良いんだネ?」


「僕がその依頼を無事にこなせば、間者の主に手出しをしない……って解釈で間違っていないのならね」


 何より重要なのは、そこだった。


 ビューグラスに死なれては困る。

 アニスが悲しむから。

 そして、フェイルにとっても薬草士の権威の存在は極めて重要だった。


「勿論。言葉遊びや不義理をするつもりはないよ。これでも世界を相手にしている諜報ギルドだからネ。君が依頼を果たせば、彼には一切手出しはしない。約束するヨ。契約書も用意しよう」


「……了解。依頼の内容は?」


 フェイルの両目に翼が宿る。

 戦闘頻度の減少に伴い、使う機会が極端に減った二つの目。

 それが今、役割を帯びようとしている。


「実は今、この街では面白い事が起こってるんだケド、知ってるかな。スコールズ家の一人娘の失踪事件」


「話だけなら」


「それなら話は早いヨ。その捜索依頼がスコールズ家から出てるんだケド、中々見つけられないみたいでネ。その娘をどの組織より早く身柄確保して、スコールズ家に帰す。それが依頼だヨ」


 失踪した貴族の娘を見つけ出し、安全を確保する――――

 それは諜報ギルドにとってこの上ない名誉。

 よって、かなりの大役だ。


「かなり色んなトコロとの競合になるから、簡単じゃないケド……ま、ガンバってネ」


 デルの口にした依頼に、フェイルは暫時の間もなく、一つ頷いてみせる。


「一つお願いしたいんだけど」


「何かナ? 経済的な支援は受け付けないヨ。情報も自分で……」


「いや、そうじゃない」


 そして視線を机の方に向け、告げる。

 とても大事な、そして重要な事だった。


「そこの羽根ペン、一本貰えると助かるんだけど」


「……好きなのを持っていけばいいサ」


 デルが肩を竦めるのを尻目に、フェイルは目を細めて色とりどりの羽根ペンを吟味し始めた。



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