第3章:メトロ・ノーム(8)
メトロ・ノーム――――
そう呼ばれる地下空間を形成するのは、地上を遥かに上回る建設技術によって施工された人口の壁と道、そして天然の天井だ。
特に目を惹くのが、石造りの地面。
ある程度の規模の街であれば、街路は大抵石によって舗装されているが、それでも所々傷んでいる事が多く、実際フェイルの住むレカルテ商店街も穴の開いた箇所は多数見受けられる。
にも拘らず、このメトロ・ノーム内の地面にはそういった形跡が殆ど見られない。
尤も、それは人の行き来、或いはそれ以上の重量の馬車等の地面を磨り減らす要素が殆どない事が大きな要因と思われる。
フェイルはアルマの後ろを歩きながら、この奇妙な空間の理解に努めていた。
「……」
一方、アルマは一切の言葉を発せず、ただ淡々と歩を進めていく。
彼女の家があった場所から、既に十分以上の歩行を沈黙のままで行っていた。
尚、方角も全くわからない。
未知の都市を目的地もわからず歩き続けるのは、かなりの疲労を生み出すと共に、まるで少年の頃に戻ったかのような躍動感を心の中に芽生えさせる。
とはいえ、初対面の相手との沈黙の時間はやはり耐え難いもの。
「まるで神殿の中を歩いてるみたいですね」
フェイルはコミュニケーションを図るべく、自身の素直な感想を述べ、アルマが食いつくのを待った。
結果――――
「……」
沈黙の維持。
頭を抱えたい心境で、歩を進める事態になった。
ただ、このメトロ・ノームはそんな心境であっても尚、知的好奇心をいたずらに刺激してくる。
地下とはいえ通常なら存在し得ない筈の柱には、それぞれ貴族の屋敷のような彫刻が施されている。
先程フェイルは神殿を例に出したが、実際それだけの神秘性がそこにはある。
彫刻からは宗教色は窺えず、芸術性を突き詰めたかのような、それでいて無機質で得体の知れない紋様が刻まれていた。
そして暫く歩くと、それらの柱の間隙を縫うように、少ないながら建物が散見された。
「紹介」
突然――――
本当に唐突に、アルマが呟く。
思わず身を縮ませて驚きを表現したフェイルは、慌てて視線をアルマの背中に移した。
特に振り向くでも立ち止まるでもなく、ゆったりとした歩調にも変化はない。
つまり、コミュニケーションの続きを行うには『紹介』という先程の言葉から何かを汲み取るしかない。
「えっと……つまり、僕をここの偉い人とかに紹介してくれる、とか?」
フェイルは熟考した結果、最も妥当な見解を示してみた。
「……」
結果――――首肯。
心なしか今までより首の振りが鋭かった。
「……その偉い人って、誰なんですか?」
恐る恐る、フェイルは次の質問を投げ掛ける。
しかし返答は帰ってこない。
「その人に紹介しないと、登録して貰えない、とか?」
今度はコクリと、振り向かないまま眼前の女性が首肯する。
どうやら『はい』か『いいえ』を答えて貰う質問になら、円滑に答えて貰えるらしい。
フェイルは意思疎通の方向性をようやく見出した。
「それは、いつも貴女が紹介してるんですか?」
コクリ。
「紹介をするのが、貴女の仕事?」
フルフル。
フェイルの矢継ぎ早の質問に対し、アルマは逐一首振りだけで応対してくる。
ただ、反応速度は中々素早い為、ストレスにはならない。
何より、この一連のやり取りで先程抱いた懸念の一つである『嫌われている』は当てはまらないとわかり、何となくフェイルは安堵した。
「えっと、それじゃ……」
そして、新たな疑問を告げようとした刹那――――アルマの歩が止まる。
同時に、質問に夢中になっていたので周囲の視覚的情報処理を怠っていたフェイルは、今し方ようやく気付いた。
いつの間にか、巨大な柱の前に辿り着いている事に。
柱と言っても、どちらかと言えば塔に近い造り。
人が中に入って三人ほど並べる太さの円柱だ。
「……」
そこで、アルマは持って来た巨大な杖を振りかざし、空中に何らかの文字を描いた。
文字とフェイルが判断できたのは、光の帯がそれを形成したからだ。
ただ、それは日常の中で使う文字ではない。
「ルーン……?」
魔術文字と呼ばれる、魔術士が魔術を施行する際に綴る文字。
それが一文字だけ、杖を包む光によって空中に描かれた。
そして、その直後――――文字の右側に幾つもの文字が自動で連なって行く。
以前ファルシオンが言っていた『オートルーリング』と呼ばれる魔術士の新技術だ。
この技術によって、大掛かりな魔術を使う際にもいちいち大量の文字を自分で綴る必要がなくなった。
フェイルはその技術を、ファルシオンの行使した魔術を通して見た事がある。
ただ、その時に自動的に編綴された文字は、僅か数文字だけだった。
「凄……」
今、目の前に並び、徐々に塔の周囲を取り囲むように紡がれていく文字は、ゆうに100を超えている。
魔術に明るくないフェイルでも、それが通常の魔術ではないと容易に想像出来る数だ。
「……っと」
数多の文字が並ぶ目の前の何処か幻想的な光景に目を奪われていたフェイルは、突然聴覚を刺激した謎の音に思わず身をよじる。
それは、何かが大きく崩れる音。
ついさっき回想した、昔ビューグラス家でガラス彫刻を落とした時のそれに良く似ていた。
「……」
その音がした瞬間、アルマは杖を下ろす。
そして、柱に近付き――――蹴った。
「え?」
すると、その箇所が扉に変わる。
「……第一級幻覚指定、解除」
今度の説明はわかりやすかった。
どうやら幻覚を見せる魔術を解除したらしい。
幻を見せる魔術など教科書には載っていないし、フェイルも全く知らない。
濃い霧を発生させ、敵の視界を奪う【氷霧】という青魔術はあるが、幻とは全く違う。
恐らく『幻覚作用による対象物の秘匿』を目的といた封術、若しくはその亜種――――フェイルは目の前で起こった事をそう解釈していた。
つまり『本来ある筈の扉を幻覚によってないように見せかける』といった類の魔術だ。
通常、攻撃魔術は効果が永続せず、僅かな時間で殺傷力は大きく減衰する。
それだけ強いエネルギーを生み出しているからだ。
その一方、封術はそこまで巨大な力は必要ない。
だから長時間効果が保ち続ける。
何より、そうでなければ成立しない類の分野なのは言うまでもない。
幻覚を見せる魔術があるとしたら、それが数秒で消えるようでは意味がない。
よって、攻撃魔術のように僅かしか効果が持続しない魔術とは考え難く、封術の範疇と見なすのが妥当だった。
何故、蹴る事が封術の解除に繋がったのかは不明だが、つい先刻まで柱だった筈の円柱は、いつの間にか印象通り塔の外見へと変わっている。
幻覚は扉どころか柱全体に作用していたらしい。
アルマは眼前の扉を開き――――ゆっくりとフェイルに視線を向けた。
「入れ、って事?」
コクリ。
その首肯に思わず苦笑しそうになるのを堪え、フェイルは素直に従った。
知的好奇心もあるが、何より眼前の女性に逆らうのは、この状況では得策とは言い難い。
フェイルにとって、マロウとの契約は死活問題。
ここでアルマに対して悪い印象を与えてしまうと、マロウの心象まで悪くしかねない。
初対面の無口な女性の心象を気にかけなくてはならない生き方に辟易しつつ、フェイルは扉を潜り、塔の中へ入った。
そして次の瞬間、塔という表現は誤りだったと気付く。
内部には――――天へ向かって長く伸びた壁と、それに等間隔で取り付けられた格だけがあった。
つまり、天井へ向かう梯子だ。
「これを……上れと」
無表情でコクリと頷くアルマから視線を戻し、フェイルは天を仰いだ。
視認する限り、天井までの距離そのままの高さ。
尤も、弓兵時代にこの手の梯子の上り下りは何度も行っていたので、全く問題はない。
弓兵は高い場所を確保するのも仕事の内。
その頃を思い出し、格に手をかける。
幸いにも、かなりしっかりと接着しているようで、落下する心配はなさそうだった。
「……この先に紹介する人がいる、って事ですよね?」
フェイルは首肯するアルマを確認したのち、嘆息交じりに梯子を掴み、本格的に上り始めた。
一つ、また一つ、格を足蹴にして行く度に腕が疲労していく。
店を構えて以降、筋力は明らかに衰えていた。
元々、弓兵には一定の腕力は必要だが、その必要性は背筋、胸筋には大きく劣る。
腕の力は、ある程度あれば良い。
それより、弓を引っ張る上で重要なのは、背筋と胸筋、そして下半身だ。
特にフェイルの場合、一対一で敵を制圧できる弓兵を目指していたので、鍛錬の中心は主に瞬発力と機動力の向上だった。
人間、一瞬の動きの速度を向上させるのは極めて難しい。
地道に鍛錬を繰り返したところで、めざましい成果が出る訳ではない。
だが、動きをより滑らかに、より洗練したものにすれば、筋力が同じであっても瞬発力は向上する。
瞬発力が高まれば、自然と機動力も良化するもの。
それは、梯子の上り下りにも言える事だ。
一つ、また一つと上へ進むにつれ、手と腕の動きに無駄がなくなっていく。
腕と脚にも連動性が生まれていく。
この瞬間瞬間の身体の動かし方によって、効率化は進められていく。
そんな鍛錬のような移動を続けること五分、ようやくフェイルは柱内の天井へと辿り着いた。
ここは地下なので、この天井は地上と地下を隔てる壁でもある。
周囲のような天然の岩石ではなく、整備された石造りのもの。
特に取っ手は付いていないし、アニスに聞いても返事が得られるとは思えない。
このような場合、出来る行動は一つ。
押す。
原始的だが、最も理に適ってる。
というより他に手立てはなかった。
それでダメなら、ここまで上った意味が全くないが――――幸いにも、浮いた感触が腕を通して確認出来た。
片手でも割と楽に持ち上がる石板で、穴を塞いでいる状態らしい。
フェイルは落ちないよう注意しながら、右手で少しずつ石板と思しき天井を横へとずらし、身体が通るくらいの空間を作った。
そして、頭から侵入――――
「……」
と同時に、得体の知れない何かと目が合った。




