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第3章:メトロ・ノーム(6)

 深緑の目はまるで宝石のよう――――そんな印象をフェイルは受けた。


 ただし、歯の浮くような表現としてしばしば用いられる肯定的な意味合いではない。

 寧ろその逆。

 無機質な物質――――血の通っていない、生身の人間の目とは思えない不気味さを感じ、思わず神経が揺れ動く。


 その一方で、底冷えする程の美相である事もまた事実で、引き込まれてしまい目が離せない。

 自分の中にある美的感覚が、その一点に集約されるかのような、今まで味わった事のない感覚だった。


 アルマ。

 そう呼ばれた女性の目は、眺めるだけで自分の器や度量を測る試練であるかのような、一種異様な雰囲気を持っている。


「……」


 そんな彼女の視線に暫し晒されながら、フェイルは延々と居心地の悪さを感じていた。


「あの……」


「ああ、気にしないで。彼女のいつもの行動だから。貴方に興味があるとか、貴方の容姿が好みであるとか、その手の意味合いはありません」


 フェイルとて、そんな都合の良い解釈をしていた訳ではないが、それにしても容赦のない発言。

 アルマに対して、過去に幾度となく世迷い言のように向けられた誤解があったのだろうと推測するのは容易だった。


 その被害者の一人であろうマロウの顔には、何処か感情を超越したような色彩が見られる。


 女性としての純粋な嫉妬や歯痒さ。

 諦めと羨望。

 純粋に、理想像に対する憧憬と美的好奇心の充足。


 他にも様々な衝動が渦巻いていると推察される。


 フェイルはこの瞬間だけ、自分が男に生まれた事に心から感謝した。


「……」


 暫時の後、ようやくアルマはフェイルから目を逸らす。

 束縛の魔術を喰らったかのような錯覚が、フェイルの身体に莫大な疲労感を与えていた。


 いつの間にか、その様子を楽しそうに見つめていたマロウは、それが自分にとって数少ない恩恵だと言わんばかりに口元を弛ませ、その後アルマへと近付いて行く。

 その絶世の美女は、何を考えているのか全くわからない表情でマロウの接近を待ち構えていた。


 瞳は相変わらず無機質。

 けれど――――不気味という第一印象は早々に薄れつつあった。

 その超然とした美しさの中に、なんとなく人間味を感じたからだ。


 何がどうと説明する事は出来ない。

 敢えて言えば『瞬きをしたから』くらいのもの。

 少なくとも彫刻のような美術品とは全く違う印象を、ようやく抱く事が出来た。 


 アルマの直ぐ傍まで移動したマロウが、彼女に二言三言、何か言葉を向けている。

 しかし、アルマがそれに声で返答する事はない。


 聾唖という発想が一瞬フェイルの脳裏を過ぎるが、声は聞こえている様子。

 マロウの話す内容と、微かに見せる反応が一致している。


 となると、発話の方に問題がある事になる。

 単に無口なだけなのか、なんらかの理由で喋る事が出来ないのか。

 聞いていいものか迷っているフェイルに、話を切り上げたマロウが視線を向けてきた。


「取り敢えず、彼女の家に行きましょうか。ここで立ち話もなんですから」


「……いいんですか?」


 そこには、初対面の男を家に上げても大丈夫なのか、というアルマに対する問いかけも多分に含まれていたが、当の本人であるアルマは特に反応を見せず、代わりにマロウが頷いてみせた。

 言葉は聞こえているようだし、嫌がっている様子もない。


「それじゃ、お言葉に甘えてお邪魔させて貰いますね。ここから近いんですか?」


「ええ。目と鼻の先です。アルマ、行きましょう」


 未だ一声も発していないアルマは、宙を彷徨っていた視線をマロウに向け、コクリと頷く。

 その様子を、自分自身でもよくわからない感情のまま難しい顔で眺めていたフェイルに気付き、マロウは露骨に破顔した。


「彼女は無口なだけですから、気になさらないでね。貴方を警戒している訳ではないの」


 疑問はあっという間に氷解した。

 その一方で、初対面の相手に対してお互い名乗らず、それどころか全く会話さえしない現状の奇妙さをあらためて実感する。

 そもそも、名乗って良いのかさえわからない有り様だったので仕方がないのだが。


「自己紹介が遅れました。僕はフェイル=ノートと言います。薬草店を営んでいる者です。よろしくお願いします。まだ詳しい事情をよく理解出来てないまま、マロウさんにここへ連れて来て貰いまして……何か至らない点がありましたら、ご指摘頂けると助かります」


 低姿勢を貫き、深々と礼。

 毎日、少ないながらも接客業を勤めてきた経験から、多少なりとも初対面の相手に接する際の空気は整えられる。

 そんな自負がフェイルにはあった。


 だが――――


「……」


 アルマは一切反応を示さず、暫しフェイルの礼を眺めた後、特に感心を示す素振りもないまま踵を返した。


「……嫌われてしまったんでしょうか」


「う、うーん。どうでしょうね」


『いつもはここまで無愛想じゃないのよ』とでも言いたげなマロウの反応に、フェイルは自分の顔から冷や汗が滲むのを自覚した。


 今の自分を『毒にも薬にもならない性格』と自認しているフェイルは、初対面の時点で嫌われる経験を最近殆どしていない。

 薬草店の飾り付けなどでやらかした際に、信じられないものを見る目で見られた事はあったが、アルマのような反応をされた記憶はなかった。


 王宮にいた頃の記憶が蘇り、思わず苦笑いが滲み出る。


 当時、女性に嫌われたと自覚した瞬間が確かにあった。

 その頃のフェイルは若気の至りもあって露骨に尖っていたし、嫌われるのを恐れてもいなかった。

 だが、今ではそんな過去の自分の愚行を後悔もしていた。


 尤も、その女性とアルマは似ても似つかない。

 どちらかと言えば、フランベルジュの方が少し近い。

 それでも、フェイルの観点では全く別の人種という感覚だが。


 いずれにせよ、そんな回想に浸っている場合ではない。

 言いようのない虚無感を振り切るように、既にアルマの家へ向かって移動し始めていた二人の女性の後ろを追う。


 その移動中、メトロ・ノームの全景を視界に収め、同時に眉を顰めた。


 柱がある。

 それも無数に。


 現在地の近隣にはなかったが、視界を遮るものが何もない広大な空間だけに、遥か遠くまで見渡せるため、遠方に聳える数多くの柱が容易に視認出来た。


 建築物の柱ではなく、このメトロ・ノームの地面と天井を繋ぐように屹立している。

 当初は鍾乳石かと思ったが、鷹の目で確認したところ、明らかに人工物だった。


 その柱が、地上のヴァレロンの新市街地の地面を支える為に建てられた――――とは到底考えられない。


「……」


 一体どういった目的で作られたのか聞くべきかどうか一瞬悩んだフェイルだったが、最終的には沈黙を選択した。

 別に今ここで聞かなくても、後でマロウにでも聞けばいい。


 もし本当にアルマに嫌われてしまったのなら、無駄口を叩くのは得策ではない。

 ここで更に嫌われてしまったら、やっぱり家にあげるのは止めると言われてしまうだろう。


 或いはアルマの美貌が緊張させているのか――――フェイルは普段と比べ、やや消極的な姿勢になっていた。 


「こちらです」


 マロウの言葉通り、アルマの家は直ぐ傍にあった。

 あの石煉瓦で出来た展望台のような、或いは瓦礫のような山から十分と歩いていない。

 ただ、家までの道のりが傾斜になっていた為、家自体を視界に収めたのはかなり近付いてからだった。


 驚いた事に――――そこは完全に民家だった。


 石造りの家。

 ただし、地上にあるような民間の様式ではなく、直方体の建築物に入り口用と思しき石扉があるだけの、かなりシンプルな造りだ。


 その石扉は見るからに重々しく、とても女性が動かせるような物には見えない。

 アルマはそんな扉の前に立ち、今度は徐にしゃがみ込む。


「……?」


「解術ですよ。戸締りした家に入る為の」


「ああ、魔術で管理してるんですね」


「そう。彼女は封術と解術がとても得意なの」


 そんなマロウの説明が終わるのとほぼ同時に――――アルマの周囲に薄い光がまるで煙のように発生して、視界を遮る。

 だが、次の瞬間にはその光は音もなく消えた。


「……」


 それを無言で確認し、アルマは扉の接合点となっている中央に手を置いて、殆ど力を込める様子もなく、ただ静かに押す。

 それだけで――――重量感溢れる石扉は、木造のような質感であっさりと開いた。


「凄……」


 思わずフェイルは唸る。


 解術は封術と対になる魔術なので、自分でした封を解除するのはごくごく当たり前の事だ。

 けれどそれはあくまで、封術の解除のみ。

 物質を軽くするような効果はない。


 石扉は物理的に相当重い。

 それを楽々片手で開けたアルマの身体は、平均的な女性と比較しても華奢な部類に入る。

 

 つまり、アルマはただ解術を使っただけではなく、他に何かをしたと解釈出来る。

 フェイルは視線だけでマロウにそれを問いかけた。


「このメトロ・ノームはいわば地下街。ここには、地上ではお目に掛かれないような技術が多数あります。その中の一つですよ」


 具体的な説明こそなかったが、その言葉はフェイルにとってはかなりの衝撃だった。

 この地下では独自の技術が開発されている、と明言されたのだから。


 それはつまり異文化。

 この地下街と称されたメトロ・ノームは、地上のレカルテ商店街などがあるヴァレロン新市街地、或いはエチェベリア国とは全く別の発展を遂げている可能性さえある。

 もしそうなら、国の地下に別の国がある――――そんなあり得ない構図になる。


「取り敢えず、あがって頂戴……って私が言うのはお門違いですけど」


「いえ、お邪魔します」


 当人が何も言わないまま一人でズカズカ自宅を入っていく様を眺めつつ、フェイルは困惑ばかりが積み重なっていく自分の心を軽く小突きつつ、マロウに続き室内へ入った。



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