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第3章:メトロ・ノーム(4)

 香水店に男性が単身で入店する機会はまずない。

 その所為もあってか、フェイルが店に入った瞬間、店内には異様な空気が瞬時に発生し、同時に店員が総じて警戒心を隠せずにいた。


「あの……【サドンデス】の店主の知り合いの者で、フェイル=ノートと言います。こちらの代表の方は……」


 その空気に、居心地の悪さを超えた有害領域的なものを感じ取りつつそう問うと、カウンターの前にいた女性が更に顔を曇らせる。

 一応笑顔の部類に入る表情で留まっているのは、社員教育の証でもあった。


「どのようなご用件でしょう」


「あ、はい。実は……」


 フェイルはそんな気まずさに辟易しながらも、商品を共同で開発する案を恐る恐る口にする。

 言葉が上滑りしているのを自覚しながら。


 そもそも――――この役回りに相応しい人間は他にいた。

ファルシオンだ。


 女性であり、説明口調が最もしっくり来る上、理路整然とした物言いには貫禄さえ感じられる。

 その隣に顔立ちだけなら気品のあるフランベルジュが並べば、彼女達が勇者候補一行である事を提示するまでもなく、今とは全然違う空気になっていただろう。

 少なくとも歓迎されていたのは間違いない。


 しかし、それは叶わない事態となってしまった。

 

 本日早朝、勇者一行が泊まっている宿屋に一人の少女が尋ねて来た。

 外見から十五歳前後と推測される、あどけない容姿の女の子。

 微かに癖のある金髪と利発そうな瞳が特に印象に残ったという。


 その少女は名乗らず、空き部屋の状況を宿屋の主人に尋ねた。

 それに対する返答は『満室』。

 明らかに怪しいその少女を警戒しての事だ。


 勇者一行の泊まる宿屋【カシュカシュ】は、表向きには鍛冶屋になっているので、普通は少女が一人で近付いて来る事などない。

 しかも早朝。

 夜なら寝床を探し彷徨った挙句、片っ端から泊めてくれそうな店を尋ねたとしても不自然とまでは言えないし、主人としても年端も行かない少女の安全を優先しただろう。


 だが、その少女は余りにも危険な香りがした。

 そして、その僅か一時間後――――彼の予感は的中する。


 この区域を統括する貴族、スコールズ家の一人娘リッツ=スコールズが家出をしたと判明。

 彼女の捜索隊が表立って宿屋を訪れたことで明らかになった。

 理由は伏せられていたが、かなり切羽詰っている事態らしく、主人は『見つけたら相応の褒美を与える』とまで言われたらしい。

 

 当然、勇者一行はその貴族の一人娘の探索に打って出た。

 もし見つける事が出来れば、エル・バタラに出るまでもなく目的以上の金銭を得られる可能性が高い。

 フランベルジュは若干不満顔だったそうだが、流石にそれを口に出すほど子供ではなかったらしく、現在三人で捜索を行っている。


 ちなみにウェズも捜索に加わっているらしい。

 目的は褒美や貴族への恩だけではなく、単純に人助け。

 彼の人となりを知っているフェイルは瞬時に納得した。


 一応フェイルも捜索の加勢に名乗りを上げたのだが、大して役に立つとは思えないと言われてしまい、結局一人で予定通りに動いている。


 貴族の娘の家出と捜索。

 大きな問題に発展しそうな気配が濃厚な一大事件だ。


 それに恙無く絡む辺り、さすが勇者候補――――などと呑気な事を考えられる余裕もなく、フェイルは不慣れな環境下で説明に励む。

 その必死さが伝わったのか、或いは仲間外れにされた悲哀が滲み出てしまったのか、店員の顔は徐々に同情する方向へ変化していった。


 単に薬草店【ノート】の現状が余りにも悲惨だったから、という可能性もあるが。


「話はわかりました。では、主任を呼んできますので暫くお待ち下さい。大丈夫です。主任は優しい方ですから、きっと力になってくれますよ。元気を出してくださいね」


 言葉の全てから哀れみが感じられる。

 初対面の、少し前まで顔をしかめられていた女性に、フェイルは猛烈に励まされていた。


 そんな悲しい現実から目を背ける意味もあり、店内を見回す。

 女性をターゲットにしている店らしく、装飾には淡い色彩が使われていて、華やかさの中にも可愛らしさをしっかり表現している様子。

 何より、香水店だけあって店内のみならず外にまでその強い香りが漂っている。


 飲食店が周囲に敢えて美味しそうな匂いを流すのと同じで、これも一つの経営戦略なのだろう――――


「お待たせしました」


 そんな思考に耽るフェイルに、落ち着いた女声が届いた。


「香水店【パルファン】主任のマロウ=フローライトと申します。どうぞ、こちらへお越し下さいませ」


 マロウと名乗った中年の女性は、かなり濃く化粧したその顔を微かに綻ばせ、フェイルを応接室へと案内した。

 彼女が現れてから、明らかに店内の香りの濃度が上がっている。

 相当強い香水を使っているらしい。


 長く伸ばした亜麻色の髪は妖艶でありつつ、どこか計算され尽くしたような淫靡さも漂わせている。

 フェイルにとっては、余り免疫のないタイプの女性だった。


「商談という事で宜しいのですね?」


「はい。香草の扱いには覚えがあるので、何か役に立てる事があるんじゃないかと」


「素敵なお誘いですね。詳しく窺いましょう」


 好意的な言葉は、必ずしも本心とは限らない。

 寧ろ、この時点では下に見られて当たり前。

 それでも、幾つかある候補店の中からこの香水店を選んだのにはそれなりの勝算があったからなのだが――――フェイルは応接室に行くまでの廊下を歩きながら、既に敗北を痛感していた。


 売り場の奥に広がっていたのは、香水開発の為の様々な道具。

 そして開発中の香水を入れた美しい容器の数々。

 特に容器に関してはかなり力を入れているのが一目でわかるほど、試行錯誤の形跡が窺える。 

 

 こんな規模の店が、ノートと共同開発する意義など何処にもない。

 身の丈に合わない商談なのは火を見るよりも明らかだ。


「実は先客がおりますの。それで少しお待たせするつもりだったのですけれど、先客の方が同席でも構わないと仰られたもので」


「そうだったんですか。貴重なお時間を割かせてしまって申し訳ありません」


 更に居たたまれなくなる。


 店を持ち、商売の世界に身を投じ、わかった事。

 それは自分自身がちっぽけな存在になっていくのを日に日に実感する、無力感の階段の存在だ。


 かつて宮廷弓兵として城で生活していた頃は、自分自身が何にでもなれるような錯覚を抱いていた。

 しかし今は、平均的な商売人になる事さえ難しいと感じている。

 特に勇者一行と出会って以降、そんな嫌な自覚が毎日のように芽ばえていた。


「こちらです……どうされました?」


「いえ。広いなあ、と感心していただけです」


 そんなフェイルの自嘲気味な苦笑に小首を傾げつつ、マロウは応接室の扉をゆっくりと開けた。


 視界に飛び込んでくるのは、一目で部屋のほぼ全域を収められるほどの広さの空間。

 以前見たアルテタのあの屋敷の応接間よりも面積は控えめだ。


 ただ、フェイルにはこれと同じくらいの広さの部屋に見覚えがあった。

 応接室とは少し違うが、いつもそこで屋敷の主と話をした。

 

 強い既視感を抱いたのは必然だった。


 その主が――――ビューグラス=シュロスベリーがそこにいたのだから。


「……!」


 失態を犯して以来、顔を合わせるのは初めて。

 その予期しない瞬間の到来に、様々な思いが駆け巡る。


 フェイルにとって、この薬草学の権威は紛れもなく恩人だった。

 ただ、その記憶に一番残っている事柄については、自身の弓術を買われて王宮に雇用された時代よりも遥か昔、子供時代にまで遡らなければ辿り着けない。


 かつて、幼き日のフェイルがシュロスベリー家でアニスと無邪気に遊んでいた頃の話。

 フェイルは、誤ってエントランスに飾っているガラス彫刻の置物を落としてしまった。


 鷹を模した美しい彫刻が見るも無残に粉々になる様は、子供心に大きな傷を残すには十分過ぎる壮絶さがあった。


 ガラスの価値は国によって異なり、隣国デ・ラ・ペーニャにおいては裕福な家庭であれば入手するのはそう難しくはない。

 一方、このエチェベリアにおいては宝石に匹敵する価値を持つ。

 そのガラスで作られた彫刻には、財宝と同等の値が付く事も珍しくなかった。


 ただ、その頃の知識でガラスの価値など知る筈はなく、フェイルは単純に美しい物が粉々に砕け散る様に多大なショックを受けていた。


 同時に、その家の主であるビューグラスからの叱責は免れず、恐怖心も湧き出る。

 幼いフェイルは身動き一つせず、蒼褪めた顔でその場に立ち尽くしていた。

 程なく使用人が駆けつけ、怪我がないか聞いて来た時も、首肯するだけでその問いの意味すら理解出来ずにいた。


 そんな中――――彼は穏やかな顔で近付いて来た。

 ビューグラスは、フェイルではなくガラスの欠片に視線を向け、その中の一つを手で摘む。

 使用人が負傷を懸念し制止するのも聞かずに。


 そして、厳かでもなく、険しくもなく――――


『形はいずれ崩れる。だが崩れた後もまた、それは同じ場所に在り続ける。それを忘れるな』


 ただ力強く、そう教示した。


 子供には余りに難解な高説。

 現在ですら理解出来ていないのに、当時のフェイルにわかる筈もない。


 しかし、言葉は記憶に残った。


『怪我がなくて何よりだったな』


 その次の言葉と、そして不器用な笑顔と共に。



「……あの」


 そんな記憶が脳裏を蠢く中、フェイルの言葉が路頭に迷う。

 視線が惑い、心の置き場が定まらない。

 それは、ガラスの彫刻を壊したあの時と酷似していた。


 そして――――


「掛けなさい」


 ビューグラスは今日も、穏やかに言葉をかけて来た。


 しかしフェイルは違う。

 子供の頃から今に到るまで、様々な事を知った。

 様々な経験を積み、造詣を深め、そして――――弱くなった。


 当時は呆けただけだったフェイルは、今はその言葉の持つ幾重もの意味を理解する程度には成長している。

 そして瞑目し、小さく頭を下げた。


「マロウ殿。この時間を使って熟考したのだが……やはり、例の件は辞退させて頂きたい。力になれず申し訳ないのだが」


「そうですか……仕方ありませんね。無理を言える立場でもありませんし」


「すまない。では、失礼する」


 ビューグラスは話を長引かせる気はなかったらしく、直ぐに席を立つ。

 それがどのような商談で、どういった経緯を辿ったのかは知る由もないが、フェイルはなんとなく、それが大きな意味を持つ破談である事を空気で悟った。


「あの……!」


 しかしそんな他者との商談より、フェイルには気にすべき事が腐るほどある。


 致命的な失態の後、お詫びすらしていない。

 それが例え、依頼人へ危険が及ぶのを防ぐ為の常識的な行動であっても、気持ちは収まらない。

 フェイルはこの機会に、それだけは伝えたかった。


「すいませんでした」


 手短、かつ最小限の言葉。


 ビューグラスは――――視線だけで応えた。


 何も言うな、と。


「……」


 俯くフェイルを見届け、ビューグラスは応接室から出て行った。


「やはり、お知り合いでしたのね」


 二人のぎこちないやり取りを黙って見ていたマロウは、上座にあるソファに腰掛けながら納得した様子でそう呟き、フェイルに右手で着席を促した。


「貴方の名前が出た途端に表情が変わりましたから。あの御仁が人前で顔色を変えるなど、滅多にありませんのに」


「長い付き合いなんですか?」


 フェイルの言葉に、マロウは薄く頷く。


「このお店を構えて直ぐだから、もう十年になるかしら。持ちつ持たれつ、良くして貰っているのだけれど……今回は縁がなかったみたい」


「すいません。何か僕が話の腰を折ったみたいで」


「良いのよ。寧ろ、貴方が来てから機嫌が良くなったみたいだし……ね。それで、貴方の方はどんな話を聞かせてくれるのかしら。確か、ウェズさんのお知り合いとの事でしたけれど」


「はい。実は――――」


 その後、フェイルは自分がここへ来た目的を簡潔に説明した。

 当然、断られるだろうと踏んでいたが――――


「どのような商品プランがあるのか、お聞かせ願える?」

 

 マロウは特に悩む様子もなく、乗り気を示した。

 そして同時に、その理由をフェイルは悟る。

 結局――――ここでも決め手となるのは自力ではなかった、と。


 これは偶然の産物。

 ここにビューグラスがいて、そのビューグラスとの関係性を考慮し、フェイルと関わりを持った方が有利とマロウが判断したとしても、それは偶発的なもの。

 それならば敢えて拒否する事もないと、フェイルは思い切り嘆息したい衝動を辛うじて抑制した。


「薬草はやはり人を癒してこその商品です。ですから、コンセプトとしては『人を癒す香水』をと考えています」


「へえ……」


 今度は先程とは明らかに質が違う感嘆の声。

 ファルシオンと散々話し合って決定したこの商品案は、思いの外マロウの関心を勝ち取れた。


「ありがとう。刺激を求めるお客様のニーズに応える余り、強い香水ばかり開発していた自分に気付けたみたい。癒す香水……か。ちょっとその発想はなかった」


 着想だけを奪われて追い返されるのではと一瞬懸念を抱いたフェイルだったが、立ち上がったマロウは扉の方へ向かうのではなく、契約書が積まれている棚の方に足を運んでいた。


「現時点では仮だけど、取り敢えずお互いの意思を形にしておきましょう。具体的な材料と製造はこちらが受け持ちますから、使用する薬草と方向性を纏めて、またいらっしゃい。後で店の者に正式な契約書を作らせます」


 その場で商談は成立。

 まるで嘘みたいに、トントン拍子で事が運んだが――――フェイルに笑顔はない。

 緊張感のある面持ちのまま一礼し、感謝の意を示したのみだった。


「良い顔ね。ところで……貴方はメトロ・ノームを御存知?」


 席を立とうとしたフェイルに、マロウは突然脈絡のない質問を投げ掛けてくる。

 思わず眉が動きそうになるのを、瞬きでどうにか誤魔化した。


「いえ、知りませんけど」


「あらそう。私達は正式な契約の際は『そこ』を利用するのだけれど……どうしましょうかしら」


 戸惑うフェイルを他所に、マロウは一人で悩み出す。


 メトロ・ノーム。

 その言葉に、フェイルは聞き覚えが――――あった。


 ただし、形骸的な記憶に過ぎない。

 中身に関しては何一つ知らない。

 ただ、一度耳にした事のある言葉ではあった。


 この街ではなく、城にいた頃に。


「わかりました。契約を交わす以上、我々は同列であるべき。私が貴方をメトロ・ノームへ導きましょう」


 そんな記憶を辿る暇もなく、マロウはそう結論付けた。

 そして、徐に席を立つ。


「いらっしゃい。案内して差し上げます。このヴァレロンのもう一つの顔、メトロ・ノームに」


 その言葉に導かれるまま――――フェイルもまた、席を立った。



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