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第3章:メトロ・ノーム(3)

 レカルテ商店街は、庶民の庶民による庶民の為の商店街として200年近く前に作られた。

 当初は食料品店や仕立屋、大工、パン屋などが立ち並ぶ場所だったという記録が残っている。


 しかし六十年ほど前、とある大会が開催され、商店街の運命を大きく変えた。


 エル・バタラ。


 まだ商店街が出来るより遥か以前に多くの戦士を輩出したヴァレロン総合闘技場という施設で行われたこの武闘大会は、瞬く間に人気イベントとして支持を集め、地域外、更には国外からも観戦者が訪れるようになった。


 これに伴い、血気盛んな戦士達が使用する武器防具、或いは戦闘用の暗具等が需要を伸ばし、そういった品物を扱う店が急増。

 酒場、更には当時この地域には存在していなかった傭兵ギルドが支店を構えるなどして、現在のレカルテ商店街の空気が出来上がった。


 また、大幅に増えた観光客を対象とした土産物の開発・販売も盛んになり、ガーナッツと呼ばれるエチェベリアの名産品や、ヴァレロン特有の木彫りの置物などを扱う雑貨店も増えた。


 その結果――――


「あらためて回ってみると……混沌とし過ぎじゃない? この商店街」


 フランベルジュのような余所者が頭痛を引き起こすほど、多種多様な分野の店が立ち並ぶ奇妙な一角となってしまっていた。

 無論、その中に薬草店【ノート】が入っているのは言うまでもない。


「取り敢えず、協力して貰えそうなお店のリストと、そのお店を示した地図はこれで完成です。それにしても……公式に用意されている商店街の地図が四十年前から更新されていないのは、ちょっとどうかと思います」


「僕も店を申請した時、それとなく指摘したんだけどね……」


 ヴァレロン新市街地の自治会は、基本的に全くやる気がない。

 しかし無駄にプライドだけは高い連中で構成されている為、本来自分達がすべき事を商店街が独自に行おうとすると、途端に遺憾の意を表明する困った集団だった。

 仕事をしていないと暗に示されるのが不快らしい。


 その為、商店街も公式に地図を作る事が出来ず、四十年もの間更新されないまま現在に至る。


 そこでフェイル達は、まず個人用の物として商店街の地図を作り、協力して貰えそうな店を整理するという下準備を実行。

 薬草店【ノート】では現在、次の段階としてどの店に協力要請をするかを会議中だ。


 尚、現在は営業中だが、全く支障がない所が物悲しい。


「取り敢えず、この店の周囲から探ろう。西側から順に、武器屋、防具屋、道具屋、武器屋、ここ。で、この店から東に行くと、食材店、道具屋、小物店、薬屋……」


「薬屋は職種として被っていますし、協力する旨味は少ないですね。飲み物を出す飲食店があれば狙い目なんですが」


「飲み物も良いけど、精力がつく食べ物とかもいいんじゃないの? 薬膳って言うんだっけ。前に立ち寄った街で女性受けが良いとか話題になってたし。私は嫌いだけど」


 フランベルジュとファルシオンが真面目に議論を重ねる中、勇者リオグランテは余り普段見せない真剣な表情で、地図の一点を凝視していた。

 何処か沸々と燃え滾るその顔に、フェイルは興味を引かれ、視線を追う。

 そこには『錠前屋』を書かれていた。


「……なんで錠前屋にそんなにライバル心剥き出しなの?」


「いえ、なんとなく」


 リオグランテは勇者以上に盗賊の素養を持っているようだ。


「そんな事より、貴方も良さげな店を探しなさいよ。他力本願でどうするの?」


「や、一応考えたんだけど……」


 今回の協力要請案に関して、フェイルは結構乗り気だった。

 花屋からの脱却という目標にも繋がるからだが、それだけではない。


 フェイル自身、薬草店の需要や自分の商才に限界を感じつつも、目的が極めて私的な事もあり、他店との協力については消極的だった。

 また、格上の病院との提携はまだしも、地理的にも立場的にもそう遠くない近場の店との商談は、断られた際のリスクがある。


『あの薬草店、あそこに協力を要請して断られたらしいぜ』『そんなに切羽詰まってるのか。その内潰れそうだな』等といった噂を流されたら、店の評判が下がるからだ。


 とはいえ、それを恐がり続けていたら狭い世界でひっそり萎んで行くだけ。

 薬草店でありさえすれば、経営方針には特に拘りもなく、まして職人気質でもないのだから、柔軟に考えるべき――――そう思い至っただけでも、フェイルにとって今回の案は一つの収穫となっていた。

 

「やっぱり、薬草店の特徴や長所をアピールする必要はあるから、それに関連する商品を作れる所が良いよね。可能性があるのは……」


 フェイルは思案顔のまま、六つの店をピックアップした。


 理髪店。

 洗濯店。

 パン屋。

 酒屋。

 飲食店。

 香水店。


 いずれも薬草を使用する余地のある店。

 理髪店や洗濯店では臭い消しとして使用出来るし、パン屋、酒屋、飲食店では飲食物に混ぜる事で滋養の良い商品を作れる。

 香水店は香草特有の香りを活かせるだろう。

 

 ただし、いずれの店もこの界隈からは離れており、ランニングコースでもないので、店の人間とは面識がない。

 分野、建物、人間関係、いずれも未知の領域だ。


「割とまともな選択です」


 そんなフェイルの心意気を知る由のないファルシオンは、極めて客観的な褒め言葉を述べた。


「理髪店は確か、歯の治療も行っています。よって、その治療に薬草を使用する事も出来そうですね。かなり相性は良いんじゃないでしょうか」


「うん。でも現実的には厳しいかもしれない。その歯の治療って時点で、既に他の薬屋と契約している所が殆どだろうし」


「そうですね。噛み合いそうな所ほど、先約済みの可能性が高いのは悩ましいところです」


 そんな二人のやり取りを、頭脳労働は管轄外のフランベルジュとリオグランテはただボーッと見ていた。


「……私たちって最近、こんな感じになる事多くない?」


「仕方ないですよ。それに、ファルさんが楽しそうで良いじゃないですか」


「楽しそう? まあ、活き活きしてると言えばしてるのかもしれないけど。顔に出ないからわかり難いのよね、あの子」


「そうですか? 結構態度というか、口数に出るタイプだと思いますよ」


 不意にリオグランテが発した一言に、フランベルジュが思わず目を見開く。


「……意外と、ちゃんと見てたのね。何も考えてなさそうな癖に」


「酷いですよー! 僕だって皆さんと仲良くなりたくて必死なんですから」


「そういう発言しても全然いやらしさを感じないのは、人徳なのかお子ちゃまだからなのか……」


 会議とは全然関係ないところで会話が弾む二人を余所に、ファルシオンとフェイルは熱のこもった話し合いを続けている。


「でも、幾ら利用価値があるとはいえ、それはあくまでもこちら側の一方的な願望です。向こうには向こうの都合がありますし、上手く行く可能性は決して高くありません。こちらには知名度もお金もないので」


「現実って獰猛だよね……」


 フェイルが片手で耳を塞ぎながら嘆息する、その刹那――――


「おう! なんか知らねぇけど花屋始めたんだってな! 鞍替えするなら一声かけやがれこの野郎!」


 近所の武器屋【サドンデス】の店主ウェズ=ブラウンが意気揚々と来店。

 その顔に、複数のアザを携え。


「……またケンカですか?」


「おうよ。だが今回は俺だっておめおめと引き下がっちゃいねーぜ。余りにも癇癪がひでーもんだからよ、こう言ってやったんだ。『テメーこのアマ、誰のお陰でメシが食えてると思ってんだバカ野郎』ってな」


 ウェズは堂々と、決して扶養家族に対して言ってはいけない一言を吐いた己の愚行を晒した。


「そしたらカミさんの顔が獲物見つけた爬虫類になっちまって、このザマだ」


「自業自得じゃない」


「……ん? 何だよおい、ずっと一人でやって行くっつってたのに、何時の間にこんなに従業員雇ったんだよこの野郎。しかも美人揃いとはな、やるじゃねーかバカ野郎」


 悪態を吐かれた事など気にする様子もなく、ウェズは勇者一行を眺めつつニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべ、フェイルを小突く。

 一方、そのフェイルは動揺と焦燥を禁じ得ずにいた。


 勇者狂想曲とも言うべきバッシングは流石に長引かず、既にレカルテ商店街では過去の騒動となりつつある。

 とはいえ、勇者がここにいる事実が露呈すれば、顰蹙を買う事は免れないだろう。


「ん? そっちの小僧、どこかで似たような似顔絵を見たような気が……」


「それより! ウェズさん、何か用事があるからここに来たんですよね! ね!?」


 珍しく大声を出すフェイルに、ウェズは若干驚きつつ視線をそちらへと移した。


「まあ、あるんだけどよ。花屋になったんだろ? だったらよ、カミさんの機嫌が直りそうな花束を作ってくれよ。金に糸目つけねーからよ」


「弱っ……そんな強面なのに」


 フランベルジュは呆れる一方、美人と言われた事に対しては全くリアクションを見せない。

 ただ、こっそり耳が赤くなっているのをフェイルは発見してしまったが――――口に出すのは災厄の元という高度な判断の下、沈黙が保たれた。


「えっと、もう花屋は店じまいなんです」


「あー!? マジかこの野郎! じゃあどうやってカミさんの機嫌直すんだよ! キレたカミさんの待つ家に帰るくらいなら鬼嫁グリズリーのねぐらで屁ぇコいた方がマシってもんだろこの野郎!」


 鬼嫁グリズリーとは、この世界で最も凶悪な生物の一つと言われる、人間の倍以上の身体をした大型動物。

 元傭兵らしい屈強な身体を縮めながら、負け犬の咆哮をあげるウェズに対し、フェイルは勿論、勇者一行の面々も流石に居たたまれなくなり、それぞれ機敏な動作で在庫の花をかき集め、あっと言う間に色鮮やかな花束を作り終えた。


「仲直り出来ると良いですね」


「あ、ありがとうよ嬢ちゃん。勇気を貰ったぜ」


 その花束を、これから戦地へ赴く特攻兵のような顔でファルシオンから受け取るウェズを見て、フェイルは結婚の恐ろしさを学んだ。

 そして同時に、これが好機だようやく気付く。


「あ、ウェズさん。帰る前に一つ良いですか? このリストの中に知ってる店があったら、口添えして貰えると嬉しいんですけど」


「んあ? どれどれ……なんだ、全部知ってるトコじゃねぇか。紹介して欲しいってんなら、明日定休日だから時間作ってやるぞバカ野郎」


 結果的に、花屋としての数日のキャリアが大きな意味を持った。


「助かります。では明日の朝に店へお伺いしますね」


「おうよ。その時にカミさんが笑顔で挨拶しても、俺が許されたって早合点するんじゃねぇぜ。アイツ外面だけは良いからよ」


 なんだかんだで仲の良さが窺える、半分のろけのような冗談を笑顔で言い放ち、ウェズは店を出て行く。

 このレカルテ商店街でも有名な武器屋の店主は、口と顔と経歴で一見さんから怖がられる事も多いが、心根は実に優しい男だった。


「なんかスラスラと物事が運びますね。逆に不気味な気がしてきました」


 リオグランテの不吉な発言を、フェイルは自分の心の声と重ねて聞いていた。


 そして翌日――――


 フェイルは何故か単身で、香水店【パルファン】を訪れていた。


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