第2章:遠隔の地(23)
勇者一行の再訪によって妙に賑わっていた各宿泊施設も軒並み落ち着きを取り戻し、同時に彼等に対する誤解も解け、アルテタは静けさを取り戻した。
しかしその僅か二日後、その街並みは悲劇に襲われる。
記録的豪雨――――
街の近くを流れる川の氾濫もあって、多数の死者を出す大惨事となってしまった。
しかしこの件、単なる自然災害では説明が付かない幾つかの不審な点があった。
一つは、被害者が偏っている事。
通常、このような水害が発生すると被害の多くは貧民街に集中する。
家自体がかなり痛んでおり倒壊するケースが多く、また多くの人間が路上生活をしている為だ。
実際、貧民街の人間の中には死者も出ていた。
だがそれ以上に――――この水害で死亡した者の多くが、宿屋を経営しているという奇妙な共通点を有していた。
尤も、この件に関しては一応の説明が付く。
宿は建物が痛めば致命的。
雨漏りのする宿に泊まろうとする者はいない。
そして、雨が止んでから修理を行えば、その日は宿を休まなければならなくなる。
ただでさえ豪雨の期間は客など来ないというのに、更に一日休むとなれば、かなりの機会損失となる。
致命的とまではいかなくとも、経営難の遠因になりかねない。
そこで、豪雨の中を無理してでも修理していた宿の主人が、氾濫した川の水に流され命を落とした――――との推察が成り立つ。
よって大きな話題にはならなかった。
しかし、その宿泊施設の経営者全員の遺体がどこにも保管されていないのは、一般市民には知られていない奇妙な事実。
これも不審な点の一つだ。
通常、遺体は身内が身元引受人になり、引受人のいない遺体は街の修道院などに保管されるが、遺体は全て所在不明となっていた。
そして――――
「亡くなった宿屋経営者全員が、勇者の宿泊を拒絶した人達……ですか」
まだ雨雲の残る上空を窓越しに眺めつつ、生物学の権威は嘆息交じり呟いていた。
「中立の立場なので、余り口を挟むつもりはありませんけど。少々露骨過ぎませんか?」
「そうかしらン? でも、これくらいじゃないと中々納得してもらえないのよン。頭を使う人間も、使わない人間も大勢いるこの国ではねン」
自身の保有する屋敷の一室――――真紅に染められたその部屋で、経済学の権威は肩を竦ませつつ、美しく彩られた真っ赤な爪で下唇を軽く弾いた。
その挙動一つとっても、何処か常人離れした雰囲気を醸し出していた。
「重要なのは、勇者ちゃんを拒否した人達が酷い目に遭ったって事実を一般市民の皆さんがキチンと理解しちゃう事なのン。露骨なくらいが丁度いいのよ♪ 自然災害での不幸なんだから、別に不自然じゃないでしょ?」
「……その徹底した姿勢は元々でしたっけ?」
「さあ? でも、貴方の所為で悪化したのは確かよねン♪」
経済学の権威は苛立ちを覚えた様子はなく、笑顔を覗かせてそう答える。
傍らには誰もいない。
部屋にいるのは、対峙する二人の権威だけだ。
「その尻拭いをする人は大変ですよね。同情します」
「そう? あれで割と、楽しんでるんじゃないの?」
「貴女に尽くすという点では、そうかもしれませんけどね。マンドレイクなんて稀有な代物を秘密裏に堰き止めさせていたなんて……驚嘆を通り越して感心しますよ。行動の読めない人は、一緒にいて楽しいですから」
今度は生物学の権威が笑った。
尤も、こちらは苦笑。
ただ何処か懐かしそうな、何か記憶の一つを重ねているような、そんな表情だった。
「それで今回はどういったご用件なのン? 『あの集い』以外であたし達が会うのって、良かったんだっけ? それに、お互いの行動に干渉するのは御法度じゃなかったかしらン」
「偶然だから良いんじゃないですか? 貴女がここにいる事、僕は知りませんでしたから」
「あら、そうなの。それなら問題ないわねン♪」
時折雷鳴が鳴り響く中で、二人は会話を止める事なく、流暢に言葉を連ねる。
しかし、視線は合わせていない。
まるで、そうする事が致命的な失敗を生むと確信しているかのように、徹底的に。
「それで、推進派の方々が張り切ってるのは良くわかりましたけど……実際、どうなんです? 貴女が言うところの『お金の臭い』はしますか?」
「ええ、それはもうバッチリ♪ この計画は"当たり"ねン。準備段階でも結構いろんな所から仲介の依頼が来るもの。本番が始まったら、もっと大きな流れが出来るわよン♪」
両者の間に漂うのは、不穏さを優しく覆う黒煙のような空気。
、経済学の権威はその中で、舌を出しておどけてみせていた。
「でも実際、国王陛下は人心をおわかりになっていますね。このやり方は有効ですよ。まあ十中八九、、誰かの入れ知恵なんでしょうが」
その"誰か"を一瞬だけ捉え、生物学の権威はテーブルに置いてあった花瓶を手に取り、自分の目線の高さから下へそれを落とした。
鈍い音が響く。
だが、絨毯によって衝撃が吸収され、割れはしない。
その花瓶を緩慢な動作で拾い上げ――――今度は同じ高さから、天井へ向けて放った。
花瓶は徐々に速度を失い、天井に当たる事なく、ある地点でその浮力を失う。
そして落下。
まったく同じ場所へ着地したにも拘らず、今度は盛大に砕け散った。
何処か心身を清めるかのような爽快な破壊音が、室内に響く。
「そ、有効♪ カバジェロちゃんがこの街で警吏として信用を得ているのも、スムーズに事が進んだ要因よねン♪ あたし、もっと褒められてもいいんじゃない?」
「そうかもしれませんね。『呪いの人形』事件の解決だけでは恐らく失敗だったでしょう。再訪した事で全てが上手くまとまった。仕向けたのは……確か僕と同じで中立だった筈ですよね、あの人」
「そうね。そうだったと思うわ」
「……」
この日、初めて会話のリズムが狂う。
とはいえ、それは雨音の中に紛れ、殆ど歪さを感じさせるには至らなかった。
「ま。いずれにしても、もう少し準備は必要でしょう。そろそろ"あの人達"も動きそうな頃合いですね。積極的にって訳にはいかないでしょうけど。あんまり目立つのも良くない方々ですし」
「そうねン♪ あの中の何人が生き残るのやら……エル・バタラにも出るのよねン?」
「みたいですね。まあ、経営って大変ですからね。大金が手に入るなら断れないでしょう。それだけが目的かどうかは……わかりませんけど」
嘆息が漏れそうなのをどうにか堪え、生物学の権威は再び窓の外に視線を送った。
代わり映えしない光景。
それが崩れる瞬間、人はカタルシスという名の快楽を得る。
「一つ引っかかるとすれば、名前ですね。"勇者計画"……随分と安易ですよね。これ」
「そう? わかりやすくてあたしは良いと思うけど。ビューグラスのオジサマのアレよりよっぽど」
「まあ、あっちはあっちで不親切なのは否めませんけど。でも僕は勇者計画よりは好みです」
「あらン、だからオジサマには協力的なのねン。でも意外と、人の行動理念なんてそんなものかもねン♪」
「ええ。貴女のように悪趣味な嗜好でいたいけな少女を弄ぶような人間とは違いますから。同じように、あの家族の味方をする立場であっても」
静かに――――
――――流通の皇女が嗤う。
その微笑は、口の歪みのみで形成されていた。
黒目が極端に狭まり、その周囲が真紅に染まる。
「フフ……」
雨脚は更に勢いを増し、次第に二人の会話もその音に飲み込まれていった。
小さく、それでいて美しい街、アルテタ。
まるでその街を永遠に愛でるかのように。
或いは、陵辱するように。
水滴の群れは間断なく、彼女の欲するその世界へ向かって染み入っていた。
"αμαρτια"
chapter 2 「遠隔の地」




