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第2章:遠隔の地(19)

 スティレット=キュピリエと名乗った赤毛の女性が所有しているこの屋敷は、その面積の広さの割に然程部屋数は多くない。

 中央に玄関とエントランスを構え、その東西に長く伸びる廊下が一路通っているのみ。

 階段もない。


 扉も、西館、東館共に五つずつ。

 つまり、部屋は全部で十。

 客人用の部屋は三つしかなく、昨日は男一部屋女二部屋だったが、今日はフェイルの『リオグランテは戦闘で疲れただろうから一人で寝させた方が良い』という主張が通り、女性二人は同じ部屋で眠っている。


 フェイルの部屋は東館の一室。

 そこから最低限の足音で移動し、現在は同じ東館の応接間にいる。

 作戦会議の際に使用していた、この屋敷で最も慣れ親しんだ場所だ。


 そこで息を潜めながらカバジェロを待つ。

 しかし――――息を整える暇もなく、扉は開いた。


 同時に、その奥の廊下の壁に掛けられたランプの光が室内に進入し、薄く輪郭を作る。

 ちょうど扉の向こうにランプがあった為、おぼろげながら室内を見渡せるほどに明るくなった。


 梟の目の有利性は消えたが、そもそもこの屋敷はカバジェロに圧倒的地の利がある。

 フェイルは目に頼る戦術を最初から捨てていた。


 この戦いは、心に隙を作ってしまうと致命傷になる。

 そんな気がしていた。


「待ち伏せかね。王道だ。弓兵である以上、剣士である自分と接近する訳にはいかないのだから、そうするしかない。さて、どう出るかな?」


 勇者との戦いの際以上に饒舌に言葉を紡ぎ、カバジェロは一歩、二歩と光化粧に彩られた部屋で前に進む。


「……僕を倒しても、名は上がらないよ」


 既にここにいるのが把握されている以上、隠れている意味はない。

 だが、この場が特定された理由は情報として欲しい。

 その為の会話だった。


「貴方は、僕が副師団長の弟子か何かと思ってるみたいだけど……実際にはそんな良いものじゃない。彼の道具代わりに利用されたってだけだから」


「一向に構わんよ。デュランダル=カレイラの道具……十分に価値がある。少なくとも、自分には関心がある」


「貴方が期待するような強さは持ち合わせていない、としても?」


 足音が消え――――暫く沈黙が続いた。


「貴殿と勇者候補一行がこの街を訪れて直ぐの事を覚えているか? 賞金稼ぎが貴殿等を襲撃した時だ」


「……」

 

 フェイルのその沈黙に、一つ足音が重なる。


「あの時、自分は貴殿等の動きを遠巻きに見ていた。酒場の二階の窓からだ」


「……随分と勤勉な試験官だね」


「勇者候補として相応しいか否かは、あのような予期せぬ戦いや遊撃戦などで見定める必要がある。生憎、勇者が真価を発揮するには少々危機感が不足していたようだったが。しかし、予想外のところで面白い動きをしている者がいた」


 足音とは違う、床を金属で叩く音が室内に響く。


「その者は、眼前で繰り広げられている魔術戦の勝敗を早々に読み、視点を別の場所へと向けた。そして、遠方の街路樹の葉に潜んでいる敵こそが危険因子と判断したのだろう。そこへ向け矢を放った。悟られぬよう高く、急角度の放物線を描くよう。あの射ち方で正確に標的を射る弓兵など、自分は他に知らない。あれは一流の先にある技術だと見受けた」


 まるで自分の手柄を妻に話す夫のように、カバジェロは先日の戦局を切々と語った。


 一流の先――――その表現は、実際にその先にある光景を知らない人間の言葉ではない。

 何故なら、知らない人間は、一流の上にある技術だと誤解しているからだ。


 しかし実際には違う。

 どの分野に関しても、一定のラインを越える術は、それ以前の術とは全く別のものになる。

 延長線上ではない。


 カバジェロの言葉は、それを的確に言い表していた。


「……そんな大げさなものじゃないよ。あれも、僕も」


 心の中で呟き、フェイルは眉間を弓に当て、嘆息する。


 その位置はカバジェロの死角なので、視認こそされていないが、話している時点で声の方向によって位置は筒抜けだ。

 通常ならば『考えられない失態』と言われてもおかしくない。


 にも拘らず、カバジェロはそれを指摘せず、フェイルも気にも留めていない。

 そこには両者の駆け引きがあった。


 カバジェロは、この部屋に入る前からフェイルの位置を特定していた。

 ほんの少ししか立てていない、フェイルの微小な足音によって。


 人間離れした聴覚の持ち主。

 それ故に、意識を集中すれば遠く離れた呼吸音すらも聞き取れる。

 カバジェロはその常人離れした聴覚を活かし、騎士団の中でも誉れ高い【銀朱】への配属を勝ち取った。


 かつてカバジェロは、己の耳を『神託を聞く為の耳』と信じて疑わなかった。

 だがそんな神々しい声など聞こえず、鼓膜に響くのは雑音ばかり。

 特に雨の日は騒々しく、彼の真価が発揮される事はなかった。


 現在、カバジェロは余程の事がない限り、耳に頼った戦術を封印している。

 神託は聞こえない。

 己の中にある声だけが、騎士道の中にある声だけが、正解の音だと信じている。


 そのカバジェロが、この日は己の聴覚を解放した。

 そうしなければ勝てない――――と判断したからに他ならない。

 封印していた事で、フェイル達がこの屋敷へ来てからの数日間、カバジェロは一度として『耳が良い』という情報を彼等に与えていなかった。


 そして逆に、カバジェロは知っている。

 フェイルは目が良い。

 これは先日の賞金稼ぎとの戦闘を見るまでもなく、元弓兵という情報だけで容易に想像出来た。


 この部屋は、扉を開ければ光が差し込む。

 逆に廊下から暗闇に包まれた部屋に入れば、幾ら廊下の光が差し込んでも、明度の極端な落差によって目が慣れるのに時間がかかる。

 

 カバジェロは、この部屋の中に入った瞬間にフェイルが矢を放つと読んでいた。

 だがその読みは外れた。

 彼は現在、フェイルの心理を図りかねていた。


 一方、フェイルの方は居場所を特定された理由について、ほぼ聴覚に間違いないと特定していた。


 当初は嗅覚の方を疑っていた。

 マンドレイクをフェイルが所持していると決め付けたかのような夜間の来訪だったからだ。


 とはいえ、薬草士のフェイルがマンドレイクを保持するのはごく普通に想像出来る事。

 何より――――マンドレイクを匂いで識別出来るなら、フェイルが肌身離さず持っていたのも事前にわかっただろう。

 先程カバジェロが言っていた不意を突いてマンドレイクを奪おうと試みた作戦は、彼がマンドレイクの位置を把握出来ていない証だ。


 情報は十分に得た。

 前哨戦は終了だ。


 フェイルが応接間を選んだ理由の一つは、その広さにある。


 客室よりも遥かに広く、フェイルが現在隠れているのは、中央を取り囲むようにして配置された長椅子の最も奥の影。

 隠れる所自体が少ないとはいえ、切り込む為に居場所に向かうにはそれなりの動きが要る。


 そして、当然ではあるがフェイルもカバジェロの位置は把握している。


 距離がある以上、遠距離攻撃の弓矢が有利な状況を作れてはいる。

 だが迂闊に身を乗り出して矢を放つ訳にはいかない。

 もし避けられたら、戦局は一瞬で変わってしまうだろう。


 リオグランテでの戦闘におけるカバジェロの動きは実に滑らかだった。

 足捌きは軽やかに、体重移動は俊敏に。

 身のこなしの上手さはかなりの水準に達しており、直線的な攻撃に対しては相当な回避力を有しているとフェイルは読んでいた。


 弓矢は攻撃と攻撃の隙間が長い。

 次の矢を補填する準備もままならない中、簡単に切り込まれるだろう。

 それ程の圧力がカバジェロにはあった。


「謙遜か否かはわからないが、自分はそうは思わない。自分がこの部屋の扉を開けた瞬間という最大の好機を敢えて利用しなかった事からも、十分に貴殿の力の程が窺える」


 そして、その圧力を発しているカバジェロもまた、緊張感の中に身を置いていた。


「自分がこの応接間に侵入する方法は二つある。窓ガラスを割り外から入るか、普通に扉を開いて入るか。貴殿がどちらと読んでいたかは、その隠れている位置でわかる。貴殿は、自分がこの屋敷を傷付ける事を良しとしていない……そう読んだのだろう。ガラスを割るような真似はしない、と。違うかね?」


「……」


 よく喋るカバジェロに対し、フェイルは沈黙で返した。


 実際、その通りではあった。

 借り物の屋敷を傷付けるなど騎士道精神に反するだろう――――と。


 騎士の心。

 フェイルは必ずしもそれを知っている訳ではない。

 騎士ではないのだから当然だ。


 ただし理解はしていた。

 身近に騎士がいた時期があったから。


 遠距離から一撃で敵を仕留める必要のある、暗躍を遂行する特殊な弓兵は、相手の行動パターンを知る必要がある。

 性格、性質を知る事が出来れば、尚良い。

 そう習って、フェイルは今の技術を得た。


 カバジェロという男の真意は未だ掴めていない。

 しかし行動パターンに関しては、ある程度把握出来ている。


 敢えてフェイルを部屋の外に逃がし、屋敷の中全体を戦闘の舞台とし、弓使いとしての利点が活きる広大な環境を提供している点。

 闇討ちではなく堂々と現れ、正面から見据えて来る点。


 カバジェロは、真に戦い甲斐を求めている。

 それを確信したからこそ、フェイルはこの応接間での待ち伏せを選んだ。


「……さて」


 カバジェロが、もう一歩前に出る。

 まだそこは、フェイルの隠れる場所からは少し離れていた。


「そろそろ良いだろう。ここが自分の境界。この距離ならば、貴殿が射る矢を避けながら接近し、第二射が来る前に仕留める自信がある。貴殿はどうだ? 自分をそこから射抜く自信があるか」


 それは、決闘の申し込み。

 既に行っている戦いの合図とは質が違う。

 お互いに自信のある距離でお互いが最大限の力を発揮し、戦闘力を競おうとカバジェロは言っている。


 フェイルには、自信が――――


「ないよ。全く」


「……その割に声質が変化したと見受ける。戦闘の準備が整った、と告げている」


 呟くその声には、より一層の歓喜が混じっていた。

 カバジェロの膝が、拳一つ分だけ沈む。


「自分にとって、極限での戦いは騎士道精神の向上を意味する。己に克つ好機と認識している。フェイル=ノート! 自分には野心がある事を認めよう! 騎士として再び王宮に戻る渇望があるとここに宣言しよう! いざ、勝負だ!」


 まるで――――遥か昔、闘技場で行われていた果たし合いの前口上のような咆哮が、応接間に響いた。


 フェイルは応えない。

 当然だった。

 これは、果たし合いではないのだから。


 フェイルは、自分の身を守る為――――そして、自分の救うべきものを救う為、その意識を沈めた。


 刹那。

 フェイルの中で、あらゆるものが消える。


 弓を持つ感覚も。

 殆どの視界も。

 嗅覚も聴覚も。


 残ったのは、弦を引く感覚と、照準を定める狭い視野。


 そして――――カバジェロが跳ぶ。

 彼の瞬発力は、先程リオグランテとの戦いで見せたものの比ではなかった。


 一直線。

 カバジェロは構えすら取らず、長椅子のある方へその身を跳ばした。


 対するフェイルは、長椅子の影に隠れたまま鏃を固定し、矢を放つ。

 それと同時に全力で膝を浮かせ、上半身のみ長椅子から出す。

 予備動作を隠したまま、矢を放つ瞬間だけを外部に晒した。


 矢は椅子の僅かに上を通り、一直線にカバジェロへと向かい――――その身を掠める事さえなく、そのまま後方の空気を切り裂き続けた。


 フェイルの読み通り、カバジェロの動きは精敏だった。

 直線的に動きながら、右足の膝の下の力だけを使い、床を蹴ってその動きをそのままの速度で大きく向きを変えた。


 更に、今度は左足だけを使い、最短距離でフェイルへと向かう。

 その瞬間、カバジェロは一層口元を引き締めた。


 既にフェイルの攻撃は外れている。

 だが、それでもカバジェロの緊張は全く解けていない。

 間に合わないであろう第二射に対しても、警戒を怠ってはいなかった。


 それもまた騎士としての心構え。

 残心と呼ばれる類の精神論だ。


 カバジェロは完璧だった。

 一つ。

 自分の後ろに"何があったか"を失念していた事だけ除けば。


「!」


 次の瞬間、室内から光が消える。

 それと同時に、何かが割れる音が扉の向こうで聞こえた。


 フェイルの放った矢は、壁に掛かったランプを正確に射抜いていた。

 その衝撃で中の火が消え――――瞬間的に硬直したカバジェロに対し、フェイルは次の瞬間、矢筒の中の矢を一本、右手で掴む。


 一方、周囲の光を失ったとはいえ、勝手知ったる空間でいつまでも身を竦ませるほどカバジェロも甘くはない。

 直ぐに体勢を立て直し、再度フェイルのいる長椅子へ突進を再開する。


 弓を番える。

 剣を振り上げる。

 両者の動作は全くの同時だった。


 月が弧を作る夜空には、風切る音は響かない。

 屋敷の天井だけが、それを聞いていた。

 そして、次に天井が聞いた音は――――フェイルの弓が真っ二つに切断される微かな裂音だけだった。



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