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第2章:遠隔の地(17)

「……え?」


 微かに息を切らせながら、フランベルジュは思わず身を竦める。

 体調不良も多分に影響しているのだろうが、突然の宣戦布告に驚愕と焦燥を覚え、身体が自然と不安を抱いている。


 一方、リオグランテの方は――――驚きの表情を見せつつも、その身体に目立った変化は見られない。


 その様子を密かに視認していたフェイルは、二人の戦士としての性質を理解した。

 そして同時に、二人の眼前のカバジェロも。


「そうだな。まずは勇者、貴殿と立ち合いたい。剣を抜いて貰えるか?」


 足元の躯を部屋の隅に引きずりながら、普段と変わらない口調で矢継ぎ早に告げる。

 亡骸なのか否かは判別出来ない。


「ちょ、ちょっと! なんで私達が貴方と剣を交える必要があるのよ!」


 フランベルジュの咆哮は当然のもの。

 つい先刻まで警吏としての立場で勇者一行に接していた人間が、突然修羅の如き形相で柄を握る様は、まるで親の敵だと知ってしまったかのような変わり様。

 混乱を生じない方が不自然なくらいだ。


「戦士の本分を忘れたか? 女剣士フランベルジュ。我々は常に実戦を求めなければならぬ。自分がこうしてここにいる理由。この屋敷に身を置いている理由が、貴殿には想像できぬか?」


「……まさか」 


 フランベルジュの視線が、床に伏したまま動かない二人に注がれる。


「御名答。その視線こそ立派な正解だ。そう。この屋敷に自分が留まるのは――――ここにいれば、敵に不自由しないからだ。このような輩が不規則に、しかし定期的に襲撃してくれる。騎士とは常に精神を研ぎ澄ませておく者。そして己に克つ。敵は襲撃者ではない。襲撃者に備える準備を怠る自分自身だ」


 カバジェロは饒舌だった。

 人間、自分の思想を語る時は誰しもが流暢になるが、特にその傾向が強いのは――――思想家。

 学者、哲学者、宗教家と言った、自分の中に信念を閉じ込める職業だ。


 そして――――騎士もまた、その人種の含まれる。

 一見、思想家とは対極にあるような、肉体的反応こそが仕事となっている騎士だが、騎士ほど精神論に重きを置く職業は他にない。

 騎士の強さは如何に信念を強固なものとするか、この一点に集約される。


「騎士とは、常に危機の中に身をおき、己を削る者。炎の中でその身を磨く剣のようにな。女剣士フランベルジュよ。貴殿にはその覚悟がまだないようだ。しかし、隣の勇者候補にはそれがある。故に自分は勇者リオグランテを指名した。さあ、剣を抜け。そして自らが戦士である事を証明しろ。貴殿にはそれが必要だ」


 カバジェロの剣が、四隅に揺れる炎の光を映す。

 その剣身には微かな歪みすらないが、驚いた事に――――剣先がない。

 途中で折れている。


「この剣を気にする必要はない。これもまた、己に克つ為の戒めの一つ。自分は突きは使わない。この剣が自分にとって最高の武器だと断言しよう」


「……」


 カバジェロの言葉に狂気を感じ取ったのか。

 フランベルジュは眉間に皺を寄せ、何かに耐えるようにしてリオグランテの肩に手を置いた。


「ここに泊まらせて貰ったのは感謝してるけど、私達は理由のない相手に剣を向けるような野蛮な習慣は持ち合わせていないの。帰らせて貰うから」


「そうか。それならそれで構わない。貴殿等に勇者一行の資格なし――――そう判断するまでの事。そうなればそうなったで自分は一向に構わない。理由が変わるだけだ」


 一瞬、ずっと一文字だったカバジェロの口が歪み、形作る。

 何処か歓喜を思わせる表情を。


「国王により指名された勇者候補。しかしその面々に勇者の資格なしと自分が判断した場合、自分は騎士の名の下において国王陛下の名を汚す貴殿等を叩き伏せる覚悟がある。騎士は国王陛下に忠誠を誓いし存在。国王陛下が贋作を選んだなどと……誰が認められよう」


 ゆらりと。

 カバジェロの身体が、静かに揺れた。


「フランベルジュさん。ここは僕に任せて下さい」


 それを見たリオグランテの顔が、先程までより更に引き締まる。

 覚悟を決めた男の顔だった。

 

「待ってよ、リオ」


 その様子と、自ら一歩前に出る勇者に対し、思わず制止の声をあげたのは――――フェイルだった。

 しかし、その薬草士をリオグランテは目で制す。

 そして眼前の騎士を視界に納め、破顔した。


「カバジェロさん。僕はあなたに感謝してます。こんな広いお屋敷、滅多に泊まれるものじゃないです。とてもいい経験をさせて貰いました」


「礼には及ばない。いや……礼ならば、剣で」


「わかりました。カバジェロさんがそう望むなら。期待には応えられないかもしれないですけど、精一杯戦います」


 リオグランテは、静かに剣を抜いた。

 その小さい身体に見合った、ショートソードに近い長さの剣。

 鉄製の剣だが、質が高いとは言い難い。

 

「良い剣だ。使い込めば、もっと良くなる」


 しかし、カバジェロは嬉しげにそう呟いた。

 そして剣先のない剣を中段に構える。


「我が名はカバジェロ=トマーシュ。騎士として生まれ、騎士としてその生を全うする覚悟。その証明として、この戦いに騎士の命たるこの剣を賭けよう」


「え、えっと……僕もその名乗り、しないとダメですか?」


「構わぬ。自らの中で己に何かを課すと良い。それは何者に強要されてもならぬ。己に克つ為に、精神を高める為に、この戦いに捧げるのだ」


 カバジェロはまるで教えを説くかのように、丁寧に告げる。


「何が騎士よ! こんな辺鄙な場所にいる時点で、騎士でも何でもないじゃない!」


 その姿勢が癪に障ったのか、フランベルジュは歯軋りしそうな顔で悪態を吐いた。

 だが、その目にはもう先刻の嫌悪感はない。

 もう止められない、止まらない――――剣士たる彼女もまた、そう理解していた。


 一方、フェイルは全く違った視点で対峙する両者を見つめている。


 着目すべきは二人の距離。

 そう考え、両者の間の空間を目測していた。


 一対一の戦いは距離の争奪戦でもある。

 如何に自分の距離を掴むか、相手の距離を奪い取るかが鍵となる。


 剣を握る上半身以上に、下半身の力が肝要。

 二人の筋力は、見た目でわかるくらいに圧倒的な差があった。

 体格で劣るリオグランテに有利性は望めない。


「このまま見てても良いの? 安全が保証された戦いとは到底思えないけど」


 その戦力差を視認した上で、フェイルは戦闘対象から外れた二人に問う。

 もしこの状況で勇者が倒されれば、それを傍観していた勇者一行の二人は国王から厳罰が下される可能性もあるだろう。


 しかし、ファルシオンもフランベルジュも動こうとはしなかった。


「確かにあの子はまだ弱い。でも、貴方はあの子の本当の姿を知らないだけよ。見ておきなさい。何であの子が勇者候補なのか……わかると思うから」


 フランベルジュは息を整えながら、腰に手を当てて目付きを一層鋭くした。

 彼女が好戦的な性格なのは、付き合いの浅いフェイルでもとっくに把握している。

 幾ら体調が悪くても、普通ならこの状況で人任せにする人間ではない。


 一方、責任感の強いファルシオンもまた、この状況を放置するような性格とは言い難い。

 それが何を意味するのか――――


「では、いざ」


 次の瞬間、フェイルは直ぐに理解した。


 床を蹴るその音が"同時に"響く。

 声を出した方が絶対有利だというのに。


 一瞬で消える両者の距離。

 しかし、双方には明確な違いがあった。


 リオグランテの身体は深く深く、カバジェロの腰の下まで沈み込んでいる。


「脚を狙うつもりかっ!」


 カバジェロは吼えながら、眼下の閃きを前宙の要領で跳び上がって躱した。


 驚愕すべきは――――着地の瞬間、直ぐに身体を縦軸回りに回転させ、リオグランテの正面に向いた点。

 リオグランテはその時、切りかかった場所にはいなかった。

 既に、後ろを取るつもりで動き出していた。


 しかしそれを察知していたのか、カバジェロはリオグランテの凄まじい動き出しにしっかり対応してみせた。


「いいぞ勇者リオグランテ! その動きは自分を高めてくれる! 自分の危機感を十分に刺激しているぞ!」


 再び咆哮。

 戦闘中であってもカバジェロは饒舌だった。


 しかし、動くのは口ばかりではない。

 次の瞬間には下半身の躍動と同時に、上半身も剣を振り上げていた。


 その連動性に一切の無駄はない。

 距離を縮める為の加速が、そのまま剣を振る際の力に利用されている。

 機能美さえも有したその動きに、フランベルジュは思わず息を呑んだ。


 ただし――――それでも尚、動かない。

 信頼故の不動か、他に理由があるのか。

 フェイルはその要因を読めないまま、勇者の戦いを見続けていた。


 既に戦局は変わっている。

 カバジェロの振り上げる剣を、リオグランテは一回り小さい剣で受け止めていた。


 金属の衝突する音が、空間を軋ませる。

 リオグランテはその衝撃で後方へと吹き飛んだ。

 床に転がり、壁に激突する。


 普段なら、ここで戦いは終わり。

 気絶する勇者に、全員で嘆息して諦観の念を共有する。

 だが、この闘いにおけるリオグランテはその姿を僅か数秒で破壊した。


 言葉もなく瞬時に立ち上がり、カバジェロを睨む。

 口元に滲む血は、転んだ際に切ったのだろう。

 目尻にも、同じ理由で出来た痣が見える。


 それでも、戦意は一向に衰えていない。


「彼は一体……」


 その豹変した姿に、フェイルは首を捻らざるを得ない。


 昼行灯――――そんな言葉が浮かぶ。

 しかし直ぐに心中で否定した。

 フェイル自身にその傾向がある為、他人のその性質を看破出来ない筈がないと自負していたからだ。


「勇者としての素養よ」


 事実、フランベルジュの言葉がそれを全否定した。


「勇者には必要なものが幾つもある。危機管理能力もその一つ。トラブルメーカー気質もその一つ。でも一番の素養は……命の危険が迫った際に最大の集中力を発揮して、自分の能力以上の力を発揮する『不死力』」


「私達は彼がそれを見せる時、手を出さないようにしているんです。才能の煌めきを消してしまわないように」


 ファルシオンも肯定する。

 つまり、本当の意味で危険が迫った状況こそ勇者候補であるリオグランテが真価を発揮するのだから、それを邪魔せずに見守り勇者として成長できるようにしている――――という訳だ。


「……無茶苦茶な話だよね。王様からそうしろって言われた?」


「守秘義務があるから答えるのは無理。でも、それくらいの事をしないとなれないのが勇者。この国において、庶民が王族貴族に並び立つ事の出来る唯一の称号なのよ」


 フランベルジュがそう呟くのと同時に、リオグランテは再び床を蹴った。

 その様子を眺めながら、フェイルは静かに回想する。


 これまで彼が見せてきた姿に演技や偽りはない。

 ただ、幾度となく気絶しつつも、常に大きな負傷をする事なく復帰していた。


 頑丈。

 打たれ強い。

 そう決め付けていたが、目の前の動きを見ればそれが間違いだとわかる。


 身体能力が高い。

 特に、衝撃に対しての対処が早い。

 カバジェロの剣を受けると同時に、その勢いに逆らわず後方に自ら飛んでいる。


 派手に飛ばされているが、それは自分の力も加わっているから。

 実際にはダメージは少ない。


 フェイルは更に、リオグランテの攻撃にも着目した。


 明らかに技術は拙い。

 剣の振り方も、素人とまでは言わないが不格好。


 だが鋭い。

 多分に空気抵抗を受けて尚、その剣はカバジェロに危機感を与えている。


 そして、闇雲に振り回しているだけの斬撃の中に、際立って綺麗な剣筋が混じる。

 それは無駄のない型でなければ決して見られない剣筋の筈だが、リオグランテは稀にだが自然にそれを繰り出していた。


 その様子を一通り見届け――――フェイルは幾つかの真実を発見し、思わず溜息を漏らす。


 まず、この戦闘。

 明らかにおかしい点がある。

 そしてそれは当事者である二人に限らず、全てが不自然だった。


 次に、反省。

 先入観に惑わされ、リオグランテの身体能力を誤認していた点。


 かつて口を酸っぱくして指導された。

 見た目や先入観で戦力を測るな――――と。

 その失態に思わず顔を覆いたくなった。


 今、フェイルには薬草店の店主としての顔と、もう一つ別の貌がある。

 後者の方の仕事は、いわゆる闇討ち。

 依頼人から標的の情報を得て、その相手を殺さないように仕留める。


 それ故に、敵を推し量る行為自体、殆どしなくなっていた。

 言い訳をするならば、それが原因――――そう胸中で吐露し、そして苦笑する。


 そんな中、リオグランテが何度目かの突進を始めた。


 戦略性は皆無。

 身体能力を前面に出した特攻。

 だからこそ、ここまで健闘したとも言える。


 ただ、カバジェロは無傷だった。

 リオグランテの剣にその肌を掠らせもせず、華麗に身を揺蕩わせ捌いている。


 不意に――――彼の剣身がリオグランテの剣の鍔を引っ掛けるように叩き、そして引き上げた。


「あっ!」


 疲労で握りが浅くなっていた事もあり、リオグランテの剣は手を離れ、宙に舞った。


 万事休す――――



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