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第2章:遠隔の地(16)

 宝物庫――――


「スティレット様は、この国の経済を牛耳るお方だ。にも拘らず、実に寛容な器を持っている。自分達がこの屋敷を使わせて貰っているのも、それ故なのだ」


 持ち主にそう称された屋敷に帰ったフェイル達を待っていたのは、人数に見合わないほどの量が用意された豪華な食事と、家の主を褒め称える賛美の語群だった。


 スティレット=キュピリエ。

 別名『流通の皇女』。


 このエチェベリア全土を、或いは国外を結ぶ無数の流通経路において、彼女は強大な影響力を有している。


 物資は、生産と消費によって成立するものだが、その中間には常に流通が存在する。

 例えば薬草店【ノート】にある薬草も、多くは流通経路を使ってヴァレロンまで運ばれて来た商品。

 自分で群生地まで行って採取するだけでは十分な品揃えを提供出来る筈もなく、流通に頼るからこそ店を構える事が出来る。


 勿論、流通は単に生産者と小売店を結ぶ架け橋というだけではない。

 欲しい人の所へ最速で届ける――――その需要に対し、莫大な金銭価値を生み出す事に意義がある。

 そしてそれを束ねる人間は、商業どころか産業全てを牛耳る存在と言っても過言ではない。


「あの……カバジェロさんの説明では全然わからなかったんですけど、結局スティレットさんって何がそんなに凄いんですか?」


 食事を終えて部屋に戻ったフェイルは、頭から煙を出しそうな顔のリオグランテに捕まっていた。


 通常、こんな時に解説を行うのはファルシオンの役割だが――――


『マンドレイクを手に入れた以上、もしトレジャーハンターや盗賊がこの屋敷を襲撃して来たら私達にとっても他人事ではありません。今日は寝ずに警戒を行いますから、私に話しかけない下さい』


 いつもと同じ無表情でそう告げられたリオグランテに選択の余地はなかったようだ。

 尚、顔はいつも通りでも、声はまるで地面の底から聞こえてくる世界終末の音を連想させるような、低い声だった。


 それを二人で思い返しつつ、広い廊下をひたひたと歩く。


「えっと……例えば、炭鉱に行って鉄鉱石を採って来たとするよね。一〇キドくらい」


 キドは重さの単位で、エチェベリアにおける平均的な青年男性の重さは約一三〇キドと言われている。


「その時点で、一〇キドの鉄鉱石の価値は……大体二ユローくらいかな? それくらいの値段で素材屋の商人に売る。そう仮定したとして、最終的にこの鉱石を僕達一般人が買う時に一〇キド二ユローで買えると思う?」


 フェイルの問いに、リオグランテは指を咥えてボーっとしている。

 明らかに理解していない、というか頭が理解を拒絶している顔だった。


「鉄鉱石って、売ってるの見た事ないです」


「ああ……言い方が良くなかったかな。要するに鉄を使った商品だよ。一番身近なのは剣かな。リオグランテが使ってる剣は、多分鉄を二キドくらい使ってるのかな。その剣を五本、二ユローで買えた?」


「いえ。もっとずっと高かったです。正確な値段は覚えてませんけど」


「だよね。ならどうして、その剣は高くなったのかな。最初は二ユローあれば五本買える値段だったのに。柄にだってそんなにお金は掛かってないよね」


「ん~……」


 リオグランテは、小首を傾げて思案顔を作っていた。

 まるで小動物。

 フェイルは幼少期に森の中で初めて見かけた野兎を思い出していた。


「えっと、剣を作った人にお金をあげないといけないからじゃないでしょーか? ただで剣を作る人はいませんし」


「その通り。普通なら素材を加工すると技術料……人件費と制作費が発生する。でもこのお金も、実は大きな視点で見ると流通料に含まれる事があるんだよ」


「? ? ?」


 勇者は混乱している。

 目が泳いでいるというより溺れていた。


 通常の流通産業の範疇はあくまでも生産者から消費者までの仲介役。

 そこに含まれるのは卸売業、小売業、運輸業、倉庫業だ。


 だが『流通を前提に生産を企画された商品』の場合、その企画の立案と製造も流通産業に含む事がある。

 一振りの剣を造る鍛冶屋が流通産業に含まれる事はないが、量産して各地域の武器屋に並べる事で"この国は武力行使を容認しています"と喧伝するプロパガンダを目的とした製造の場合、政治と流通産業の範疇に入ってくる。

 この考えは、ルンメニゲ大陸の西に位置する職人国家マニシェが『後者のような目的で剣を造る連中を我々と一緒にするな』と声高に宣言した事が発端だと言われている。


「……あんまり難しく考えないで。要するに、鉄鉱石が鉄になって、その鉄を剣にして、その剣が戦士の手に渡る。その過程に加わった人の手が全部流通料って考えれば良いよ」


「はあ……よくわかりませんけど、わかりました」


 その意味するところはわからないまでも、定義は覚えたらしく、リオグランテは小刻みにコクコクと頷いた。


「あのスティレットって女性は、彼女の持つ権限を使ってその流通料を上げたんだ。ただし誰も損をしないように。それで膨大な利益を生み出し富を得たんだ。いわば魔法使いだね」


 フェイルは苦笑いを浮かべながら、ふと窓の外を眺めた。


 流通革命――――そんな言葉が脳裏を過ぎる。

 これまで幾度か行われて来たその革命は全てフェイルが生まれる前に起こったもの。

 ただ、最新の革命は近年起こったとされており、薬草店を始める際に聞かされていた。


 その革命は、一つの変化だけに留まらない。


 例えば、このエチェベリアに他国から大量の木材が輸入されたのも、その一つ。

 持久力の飛び抜けた馬が運ばれたのも、そう。

 検査機関が誕生したのも、その一環。


 運搬作業の効率化と中間搾取の増加。

 大胆に簡略化すると、それこそが最新の流通革命の骨子だった。


 起こしたのは言うまでもなくスティレット。

 彼女は流通を現代水準で最適化し、更に流通そのものを売りとし、物流の力であらゆる分野の新境地を開拓し可能性を大きく広げた。


 そのような幾つかの創意工夫で、国王にすら一目置かれる経済の権威へと上り詰めた――――と、カバジェロは揚々と語っていた。


「要するに単なるお金持ちじゃなくて、この国にあるお店と言うお店に大きな顔が出来る人、って訳」


「それじゃ、フェイルさんもあの人にヘコヘコしないといけないんですか?」


「……ま、そうなるのかな」


 苦笑から笑みを取り除き、フェイルはようやく到着した部屋へと入った。

 マンドレイクが見つかった以上、この日がここに泊まる最後の日となる。


「何かお礼を考えておかないとね」


「そうですね……とっても良くして貰いましたもんね。今日のお料理も最高でしたし。お肉、柔らかかった~」


 恍惚の表情を勇者が浮かべる中、フェイルは一足先にベッドに寝転んだ。

 そして、冷静に今後の事を考える。


 かなりあっさりとしていたものの――――マンドレイクが見つかった。

 その市場価値は一〇万ユローとも言われている。


 しかし、それを売る事は出来ない。

 もしそうすればフェイルは今後、薬草店を構えられなくなるだろう。


 マンドレイク程の稀有な宝物を市場に出すとなれば、その界隈に住む薬草の権威の顔に泥を塗るも同然。

 その程度の権力、影響力しかないと言いふらすようなものだ。


 つまり――――ビューグラスへの裏切りとなる。


 ただし、ヴァレロン・サントラル医院のグロリア院長であればビューグラスに引けを取らないだろう。

 結局、条件の通り彼に上納するしかない。


 それによって彼らが提示した見返り――――提携するという約束が現実のものとなれば、希望は見えてくる。

 ただし、すんなり事が運ぶとは限らない。


 権力者は、弱者に対して平気で嘘をつく。

 利益の為なら――――ではなく、単なる気分であろうと嘘をついても構わないと認識している。

 フェイルは何度も味わってきた。 


 淀んだ過去を映した目で、マンドレイクを楽しげに眺めているリオグランテに視線を移す。


 勇者候補。

 その身の上は、国王と少なからず繋がりがある。

 これ以上ない支援者だ。


 とはいえ、その勇者候補とフェイルの関係性は極めて薄い。

 万が一それが漏れれば、間違いなく契約は早々に破綻するだろう。

 ファルシオンは漏れない前提で話していたが、ヴァレロンには諜報ギルド【ウエスト】もあるし、何より――――勇者一行が漏らしてしまう可能性も全否定出来ない。


 彼等がフェイルを裏切るか否かは然程重要ではない。

 情報を聞き出す方法など幾らでもある。

 

 このまま、予定通りに進めていいものか。

 無邪気な勇者の笑顔を見ながら、フェイルは静かに溜息を――――


「……ん?」


 ふと、その息が別のものに代わる。

 窓の外に一瞬、違和感が発生した事による、意識なき呼吸に。


「フェイルさん……何か嫌な予感がします。強烈な……凄く嫌な感じです」


 それを見ている訳ではないのだが――――リオグランテが突然、物騒な言葉を呟いた。

 笑顔もいつの間にか消えている。


「急にどうしたの? 何でそう思うの?」


 彼の予感に同意しつつも、フェイルは問う。 

 その必要があった。


「勘です」


 勇者の勘――――それはある意味、勇者として最も必要な要素。

 理屈を超越した、生命を守る為の危機管理能力だ。


 最後まで生き残らなければ、勇者にはなれないのだから。


「フェイルさん、僕ちょっとフランベルジュさんのいる部屋に……」


 それは、確実に進行していた。


 刹那――――窓の割れる音が室内に響く。

 この部屋の窓は全く変化なくそこにあるのに。

 しかし音は決して小さくはなかった。


「……!」


 その鼓膜を握り潰すような音とほぼ同時に、リオグランテが扉を乱雑に開けた。

 これまで、フェイルが一度も見た事のない表情。

 あのバルムンクと対峙した時すら、そんな緊張感を伴う顔は見せていなかった。


「フェイルさんはここにいて下さい!」


 そう言い残し疾走する勇者の背中を見送ったフェイルは、直ぐにその言葉に逆らい、壁に立てかけていた弓と矢筒を手に取る。

 敵意のある何者かが侵入してきた事は明らか。

 放置しておく訳には行かない。


 今、フランベルジュは体調不良で倒れている。

 ファルシオンも平常心ではない。

 指を咥えて待てるような状況ではなかった。


 考えられるのは――――トレジャーハンターや盗賊の襲撃。

 勇者を狙う賞金稼ぎの残党という可能性もあるが、それならこの部屋を最初に襲撃するだろう。

 前者の可能性が高い。


 ただし、直接的には無関係であっても安全の保証はない。

 それ以前にこの屋敷を守るカバジェロには世話になっている身。

 人道的観点から放置する訳にもいかない。


 フェイルは意を決して廊下に出る。

 視界には、これまでと違う何らかの変化は映らない。

 灯りもそのままだ。


 その廊下を八割の力で走り、気配を探る。


 建物内では風の動きは読めない。

 物音と違和感。

 それで察知するしかない。


 しかし、窓を割って進入するような襲撃者が物音を気に留める筈もなく、直ぐに足音が聞こえて来た。


 襲撃者は――――フランベルジュのいる部屋の更に奥へと侵入していた。


「何!? どうなってるの!?」


 その部屋から、剣を手にしたフランベルジュが息を切らして出てくる。

 その身に普段のプレートアーマーはなく、絹の服をまとっているのみ。

 体調も含め、戦闘態勢とは程遠い。


 無論、彼女がそんな事を理由に大人しくしているような気性ではないのはフェイルもとうに理解していた。


「事情は後で話すけど、何者かが侵入してきた。リオグランテが追ってる」


「ファルは!?」


 苦悶の顔で問われたその言葉に、フェイルは思わず目を見開いた。


 そう。


『――――今日は寝ずに警戒を行いますから、私に話しかけない下さい』


 ファルシオンが見張っている筈だった。

 にも拘らず、襲撃者が建物内に進入した事実が意味するのは――――


「フランベルジュさんはあっちに走ってリオに加勢して! 僕はファルシオンさんを探す!」


 有無を言わせず捲くし立て、フェイルは疾走を再開した。


 敵の追跡を病人にさせるのは決して本意ではない。

 しかし、仮にファルシオンが襲撃者にやられたのなら、必要なのは薬草士である自分――――そう判断せざるを得ない。


 エントランスを挟んで西館へ向かったフランベルジュの背中が微かに見える中、フェイルは玄関の方へ向かった。

 そして――――


「ファルシオンさん!」


 目的は、そこで果たされた。

 ファルシオンは――――息を切らせ、丁度今館内へと入って来たばかりだった。


「すいません、私の失態です。考え事をしていて……」


「そんなの良いから! ケガはない!?」


「は、はい」


 フェイルの声の大きさに、ファルシオンは瞬間的に身を竦ませていた。

 明らかに両者の間で危機感に齟齬がある。

 襲撃者を発見すらしていなかった――――と解釈する他ない。幸か不幸か。


「良かった。今、リオとフランベルジュさんが西館へ行ってる。僕達も行こう」


「わかりました。フェイルさん……落ち着いていますね」


 ファルシオンの声に応えず、フェイルは先陣を切って西館へ向かった。


 しかし直ぐに異変に気付く。

 先程までの足音も、喧騒もない。

 様々な可能性が脳裏を過ぎる中、フェイルは敢えてそれを打ち消し、警戒心を前面に出しながら西館の廊下を走った。


「フェイルさん、あの部屋!」


 背後からファルシオンが叫ぶ。

 それと同時に、フェイルは一室だけ扉が開いている部屋を視界に納めた。


「結界を」


 ファルシオンが返事代わりに指輪を光らせる。

 そして暫時の後、フェイルとファルシオンの体が薄い霧のような光で包まれた。


 対象者にまとわり付くようにして周囲を守ってくれる【霧状結界】。

 移動しながら結界の恩恵を受けられる、かなり高度な対物理結界だ。

 ファルシオン自身の身を守るよう指示したつもりだったフェイルは、思わず目を見開くほど驚きを露わにした。


 ただし防御効果は決して高くない。

 思い切り剣を振り下ろされれば、その勢いを完全には消せず負傷する可能性が高い。

 それでも、何もしないよりは遥かに安全だが――――


 その結界の効力を試す機会は、訪れなかった。


 部屋に入ったフェイルが最初に目にしたのは、息を切らしたリオグランテとフランベルジュ。

 そして次に視界に収まったのは、床に倒れた、二名の黒ずくめの人間。


 最後に――――まるで昼下がりに紅茶を堪能している紳士のような面持ちで、血液の付着した剣を拭うカバジェロの姿が映った。


「申し訳ない。驚かれただろう」


 カバジェロはこの場に全くそぐわない、落ち着き払った声でそう告げる。

 対し、リオグランテとファルシオンは緊張を解けないままに対峙していた。


「……見越していた、って訳? この事態を」


 唯一、事態を把握していないフランベルジュがポツリと呟く。

 彼女だけが、この屋敷にある宝の存在も、トレジャーハンターの件も知らされていない。


「そう。珍しい事ではないんでね……ただ、貴殿達を試す必要があったので敢えて黙っていた」


「……何なの? 試すって」


 カバジェロの言葉に対してか、或いは風邪に対してか――――顔をしかめ頭を抱えるフランベルジュにカバジェロは敵意なき真剣な眼差しを向けた。


「貴殿達が本当に勇者一行かどうか、その見極めを。呪いの人形の件では余りそれが出来なかったものでな。だから、おめおめと見過ごしてしまった」


 その言葉を終えた瞬間、カバジェロの身体が隆起した。


 劇的な変化ではない。

 警邏に使用する制服が微かに動いた程度。

 だが――――その変化は、勇者一行に全く異質の緊張感を有させるには十分だった。


「しかし、どうやら自分に運命は味方した。いや、これこそが天命か……この場にいる事こそが自分にとっての天命。騎士として生まれ、騎士として生きてきた自分の、果たすべき責務」


 カバジェロは、剣を拭い真っ赤になった布を背後へと放り投げる。

 それは――――合図だった。


「勇者リオグランテ。或いは剣士フランベルジュ。自分と立ち合え。貴殿らに拒否権はない」


 刹那。

 膨大な敵意が、屋敷の一室を包み込んだ。


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