第2章:遠隔の地(14)
【風巻】
風を基調とした緑魔術の中では最も殺傷力が弱い、ただ単に上空に巻き上がる風を生み出す魔術。
通常は砂埃を生み出したり、炎を巻き上げたりして攻撃する周囲環境依存の攻撃魔術……というより『風を生み出し制御する』目的で開発された基礎魔術だ。
その為、竜巻ほど強くはなく、人を持ち上げるほどの力はない。
ただし――――
「脆くなった土と、それによって地面との接合が弱くなった野草くらいなら巻き上げる事が出来ます」
ファルシオンの言葉通り、【風巻】によって範囲内の殆どの野草が上空へと舞い上がった。
「そっか! あのマンドレイクって割と重かったですもんね!」
リオグランテが驚いたように叫んだ通り、人形と呼ばれるほどに太いマンドレイクの根は重い。
それを巻き上げない程の力を調整した風が、広大な野原の一部を荒らす。
この【風巻】も【氷海】も、規定通りに使用すれば文字数はかなり少なくて済む。
しかし力加減を変えた場合、その威力が低下しているにも拘らず、必要文字数はかなり多くなってくる。
文字一つ一つに込める魔力も、より繊細に、より複雑になってしまう。
「……」
しかし、ファルシオンは特に苦慮する事なく狙い通りの威力で出力させた。
オートルーリングに頼り切りでは決してここまで魔術を使いこなせない。
勇者一行の魔術士が、その実力の片鱗を戦い以外で見せた瞬間だった。
程なく――――風に乗った土が、ファルシオン達の頭上から落ちて来る。
「って、先に避難させといてよ」
「私だけこの惨状の被害にあうのは不本意なので」
真顔のまま堂々とそう言ってのけるファルシオンと半眼で諦め気味のフェイル、そしてポカーンと【風巻】による上昇気流を眺めていたリオグランテの頭上に、沢山の土と氷の飛礫が降り注ぐ。
「わっ、わっ、わ……これ何の修行ですか!」
避けようと必死に頭を揺らすリオグランテは、途中で楽しくなって来たのか軽快に身を揺らし始めた。
尤も、幾ら俊敏でも避けようがない量の土だった為、程なくして身体は隅々まで汚れていく。
その間、ファルシオンとフェイルはずっと地面を探索していた。
「この辺りにはなかったみたいですね。次はあっちを探しましょう」
「魔力は持つ? これだけの範囲を指定するのって、結構魔力使うんじゃない?」
「大丈夫です。そこまで未熟ではありませんから」
「言うね」
「オートルーリングは同程度の魔術を使用する場合でも、制御に使用する魔力を最小限に抑えられるので、魔力節約も売りの一つです。本当に良く出来た技術。完璧です」
急にオートルーリングを称え出したファルシオンに、フェイルは思わず顔を引きつらせ一歩後退る。
しかし当の本人は、その様子を見ても口を噤む気は一切なさそうだった。
「ですが、幾ら完璧でもその技術に依存するようでは、真の意味でオートルーリングを活かす事には繋がりません。この技術のもたらす恩恵を最大限に活用するには、手動によるルーリングも使いこなした上で戦術に幅広さを持たせるべきなんです。その棲み分けをしなかったら魔術は定型化して多様性を失い、オートルーリングはその戦犯にされてしまいます。私はそうなって欲しくありません。でも世の魔術士は楽な方楽な方にばかり行って……制作者の意図をまるでわかってないんです」
途中完全に愚痴になっていたが、その間もファルシオンはルーリングを続けている。
元々表情が変わらない割に無口ではなく、口数は多いくらいの少女だったが、オートルーリングに関して語る際の彼女は明らかに饒舌で早口だった。
「魔術オタク……いやオートルーリングオタク……」
「何か言いました?」
「いや何も。でも言ってる事はわかるよ。凄い技術を発明した人が、その技術を上手く利用出来ない人に責められるって薬草士の世界にもあるから。質の高い薬を作ったのに、用法用量を間違えて逆に悪化させた患者から怒鳴られる……とか」
すっかり土遊びに夢中のリオグランテをほっぽって、二人は雑談を交わす。
そんな中――――
「そういう時って大抵、開発者の凄すぎる才能への嫉妬とかも含まれるんだよね。そのオートルーリングを開発したのも、きっと凄い人だったんだろうね」
「そうなんです。そうなんですフェイルさん」
ファルシオンの目が爛々と光った。
心なしか、表情もかつてないほど弛んでいた。
彼女の中で、何かが弾けた。
「オートルーリングの技術は魔術士において、歴史的な出来事であると共に魔術の基盤を一新する一大事業となりました。魔術における最大の弱点であった出力までの時間の長さがほぼ完全になくなり、劇的に改善された事で魔術の有効性が飛躍的に増しただけでなく、魔力の消費が抑えられる事で一人ひとりの持続性まで改善されました。これは単に魔力節約だけに留まらず、今まで持って生まれた魔力が少なくて戦力になれていなかった魔術士も臨戦魔術士になれるようになったんです。魔術士が戦闘時において弱点とされていた部分を殆ど解決するに到ったばかりか、人材の底上げにも繋がったんです。それだけではありません。魔具を全体的に取り替える必要が出て来たことで、デ・ラ・ペーニャ国内、そして国外の経済にも多大な貢献をした技術なんです。もしこの部分がなければ、ここまで急速に普及しなかっただろうし、そもそも研究段階で予算が下りなかったかもしれません。オートルーリングの確立は、魔術士がこれまで騎士や近距離戦を得意とする戦士の保護の下でしか戦えない致命的な弱点を改善しました。それは単に魔術士の地位を引き上げるだけに留まらず、魔術士全体の価値を押し上げ、引いては魔術国家デ・ラ・ペーニャの復権をも可能とする革新的な出来事になりました。ここまで辿り着くのに、彼は一体どれほどの知恵を絞り、工夫を凝らし、入念な準備を行ったのか……きっと酷い扱いを受けたに違いないんです。近代のデ・ラ・ペーニャは元々、無難な研究ばかりを行っていて発展性に欠けていたところがありましたが、戦争に負けて以降は更にそれが顕著になっていて、閉塞感すら漂っていたと言われています。その中で新境地を開こうとすれば必要以上に批難されるもの。それなのに彼は一貫して――――」
「わかった! わかりました! もう十分その人の凄さはわかったから、次! ほら早く次を探そうよ、ね!」
「……まだ触りのところすら言い切っていませんけど」
「いやでも人ってさ、他人が過剰に持ち上げられるのを傍で見てると冷めちゃうでしょ? そこまでにしておこうよ」
「過剰に持ち上げたつもりはありませんが、言わんとしている事は理解しました。彼を貶めるのは甚だ不本意なので、ここまでにしておきます」
安堵――――
「……今日は」
それは一瞬で消え去った。
ファルシオン=レブロフの意外な一面。
何処か病的な程にオートルーリングの開発者を崇拝していると、これ以上なく伝わってきた。
「そこまで熱く語れる憧れの人がいるのは良い事だけど、頼むから当初の目的だけは見失わないようにしようね……」
「わかっています」
それでも、彼女が常識人である証が真っ赤にした耳に現れていた。
勇者一行としての旅に、他の魔術士はいない。
魔術について、新しい技術について、語り合える仲間はいない。
そのストレスはあったのかもしれない――――
「っと……っと……っとおっ!?」
まるで踊るように身を躱していたリオグランテが何もない所で転倒し、その体勢のまま土と雑草に埋まっていく姿を眺めながら、フェイルはそんな事を考えていた。
昔の自分を少し思い出して。
結局、ファルシオンの魔力が尽きるまで調査を行ったが――――
「おかえり。どうだった……って、その顔を見れば一目瞭然だけど」
特に収穫もなく、昼下がりに屋敷へ戻ったフェイル達は、一様に徒労感に溢れた表情で肩を落としながらそれぞれ腰を落とす。
とはいえ、隅々まで調べるのが前提の作業である以上、厳密には徒労ではなく必要な疲労。
調べた箇所にマンドレイクがなかったという情報自体が本日の収穫だ。
「……魔力回復の為に今日は少し早めに就寝します」
尤も、手応えのある収穫とは言えず、失望感は隠せない。
負担大のファルシオンは、眠そうな目でフラフラとベッドに向かい、そのまま突っ伏して動かなくなった。
魔力を著しく消費すると、魔術士は極端な脱力感に見舞われる。
尤も、一晩寝れば魔力は回復し、体調も元に戻る。
よって、魔術士にとっては早寝も技術の一種だ。
実際、ファルシオンは程なくして寝息を立て始めた。
「フランさんは体調、どうですか?」
「大分回復して来たみたい。明日には全快だと思うから、今日動けなかった分、明日働くつもりよ」
フランベルジュがそんな頼もしい科白を吐いた翌日――――
「なんていうか、もう……ホント、ゴメンなさい」
熱がぶり返した女性剣士の涙目に見送られ、フェイル達は再び元町長の家へと向かった。
「……僕の薬が効かなかったって思われてそうだなあ」
「いえ。フランの虚弱体質は以前からですので。瞬発力は飛び抜けているんですが、身体自体は丈夫とは程遠いんです」
こちらはしっかりと全快し、汗を額に滲ませ歩くファルシオンの言葉に、フェイルは以前フランベルジュから聞いた一言を思い出した。
『剣士は、弱いから』
自身を指して弱いと断言したその背景には、戦士の中における女性の立場の弱さだけでなく、単純に自分自身の身体の弱さに対する劣等感が含まれていた。
そう解釈すると同時に、フェイルは一摘みのもの悲しさを抱く。
自分が目指そうと思ったものが、自分にとって不適合である事と自覚する瞬間。
それは一様に挫折と呼ばれる。
恐らく、大多数の人間が挫折者なのだろう。
フェイルもまた然り。
そして、フランベルジュも然り。
その中で、それでも尚足掻くように、もがくように、その道を進む女性に対して、フェイルは何処か親近感とは少し違う共感を覚えていた。
その後、適度に雑談を交えて歩行を続け、散々目に焼き付けた野原を再び景色として捉える。
広大な荒れ地は昨日の作業で更に荒れ、嵐の翌日のようになっていた。
そこに――――
「誰かいます」
「賞金稼ぎの残党……でしょうか?」
勇者一行の二人がそう呟く前に、フェイルもその気配は察していた。
所々が凸凹の地形となっているその野原の中心――――家の前に、二人の女性が立っている。
奇妙な光景だった。
女性の一人は、まるで夜会から今しがた抜け出して来たばかり、とでも思えるほど場違いな姿をしている。
素材もわからないほど煌びやかなドレスは赤く染まっていて、遠距離からでも異質に映るが、それ以上に背中を覆うほど長い赤髪が目立つ。
赤毛と呼ばれる髪は通常、茶色に近い色合いだが、彼女の髪は完全に真紅だった。
そして、そんな赤ずくめの女性の隣にいる女性は、純白のローブに包まれており、魔術士である事を窺わせる。
ただし通常のローブとは違い、かなりタイトなデザインで、丈は長いものの動き難そうには見えない。
赤毛の女性より頭一つほど身長は高く、何処か中性的な面持ち。
漆黒の髪をショートにしており、前髪は眉にかからない所まで切っているが、その切れ長の目を覆うように長く伸びた睫毛が女性である事を主張して止まない。
両者共に異端。
荒れた野原には、余りに不似合いの二人だった。
「あらン、やっと登場ね♪」
赤ずくめの女性はフェイル達を視認すると同時に砕けた表情を作り、少し大げさに手を振ってきた。




